あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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今改めて「メメント・モリ」
 収監されてる死刑囚は毎朝呼び出し(刑の執行の)がかかるかどうかに怯えて暮らすという話を読んだことがあります。
 それがすごいストレスらしいんですが、
 311後の日本って少なくとも何割かの国民が心理的にその死刑囚状態で暮らしていたようなものだったと思います。
 無論実際はたとえ原発が水蒸気爆発などで吹き飛んでも、即死する人は限られ、大半の人は死への歩みが加速されるだけですが、意味するところはご理解いただけるかと。
 そもそも多くの人にとって生活が破壊されるというのは死にも等しい(少なくとも当人の心には)恐るべき出来事です。それは震災直後の被災地の方の、一番の気がかりは何かというアンケートにも現れていました。

 人は考えたくない情報、意識したくない情報を意識の端っこに追いやって生きることが多く(学者によっては「周縁化」と言ったりします)「死」はその最たる物の一つ。

 なので原発の問題を語ることにも当然、激しい感情的な意見があるわけですが、この「収監死刑囚の呼び出し」は私を含め人間すべてが実はあるわけです。「呼び出し係り」は人によって、事故だったり天災だったり病気だったりその他色々ですが。
 今朝は元気だった人が夕べにはいない。囚人のように収監されてはいなくとも、人には等しく「呼び出し」があります。

 そのことは、日ごろから心がけておくのがよいと思うし、自分はそうして生きてきました。
 いや、できるようになってまだ10年経ってません。
 それまでは怖くて怖くて;
 でも小説『ゲド戦記』の影みたいなもんで、逃げても逃げても逃げきれない。向かい合って抱きとめるしか道はないと思えたのは40代も半ば過ぎてからだったように思います。
 そんなことを考えるようになったのは、私が超のつく小心者で、土壇場で急に考えようとしたらパニックになって対応しきれないからでもありました(笑)。

 多くの人はその問題を「周縁化」して暮らし、通常は段階を踏んで少しずつ慣れていくか、不治の病などで無理やり向かい合わされて初めて仕方なく取り組むことになります。
 キューブラーロスの死の受容への5段階などはその一例です(癌の宣告などを受けた方が最初は感情的になって怒り悲しむことから次第に事実を受け入れていく段階)。

 人生は、世の中の出来事(事件とか景気とか)とは関係なく、淡々とメメント・モリ(死を思え)を実践して生きることのように私は思います。
 それも暗くではなく明るく、前向きに日々を悔いなく。
 それは可能だし実践してきた人、今している人もいっぱいいます。宗教の有無などとは関係なく(それは個人の自由です)。
 
 問題は周縁化し続けるか向かい合うかだけではないでしょうか。

 私は毎晩寝るときはある意味人生を終わる覚悟で寝ます。
 死ぬ人が、生涯を振り返って悔いはないか考え、すべての人や出来事にありがとうございましたと言うように、その日のすべてに感謝して寝ます。
 そして目覚めるとともに新たに生きます。
 毎朝生まれて毎朝出会う人生はいつも新鮮です♪よく起きた時妻に
「また会えてうれしい」
 って言います。
 猫も花も空もいつも出会えて光栄です。
 

追記
 などという記事を実は4月の末から書きかけて、何度も考え考え下書きのまま保存してました。
 あまりに多くのことを含むので、どう言葉を費やしてもすべてはうまく書ききれません。
 本当は死とは何か生とは何かという大きなテーマを語ることになりますが、今その余裕はありません。
 のでとりあえずこのままアップしました。
 いたらぬ点はお詫びします。
 きょうも好き日をお過ごしください。ではでは
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