あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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「過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し」
過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し

 西郷隆盛の言葉だそうです。
 『西郷南洲遺訓』からの引用として、2010年9月20日の読売新聞の記事「今に問う言葉」(小川原正道・慶応大学準教授)にありました。

 このブログでも何度か書いてきたカテゴリ「ゆるすこと」ともリンクすることなのですが
 人は自分の過(あやま)ちを改めるには、それを認識すればいい。
 私もそう思っています。

 上記の記事で小川原氏は

<西郷はいう。過ちを悔い、それを取り繕おうと心配するのは、割れた茶碗のかけらをかき集めようとするのと同じだ、と。かけらを集めてももとの茶碗には戻らないし、それは掃除の時間であっても、茶をいれる一服のひとときにさえならない。>


 まったくもってそのとおりで(笑
 ちなみに、過ちを自覚するということは、同じ過ちを繰り返さないと自覚することでもあり、自覚した瞬間から新たな人生を歩みだすということです。
 逃亡中の犯人が、「おれは悪いことをした」と思ってなおも逃亡を続けるとかいうことを、勧めているわけでは無論ありません(それは本当に反省したとは言わないでしょう)。
 自分の過ちで傷つけたり迷惑をかけた人への謝罪は、なされればなされるに越したことはないですし、自分もそういうことがあれば可能な限りそうしたいと思います。
 可能な限りというのは、人には限界が多く、たとえば若いころは自分が正しかったと思っていたのが、歳を経て大きな考え違いに気がつき、相手に謝罪しようとしても行方がわからなかったり、すでに亡くなっていたりするからです。

 そういう場合は仕方のないことで、それを気に病むよりも、改めた生き方で生きていけばいい。
 そもそも、人は借りを作った相手に100%借りを返すということはできません。貸しを返してもらうこともできません(賠償金とか謝罪といったものは、あくまでけじめや代用品の一種であって、事故で障害を負わされた方が加害者からいくら大金を積まれても体は元に戻りません)。
 心の問題にしても、どんな償いをされてもその記憶がなくなるわけではありません。
 そういう意味で、厳密な償いというのは不可能だと思います(可能なのは、できる限りのおわびだけです)。

 そんなことにこだわるよりも、
 過ちを悟って、その瞬間からより良く生きていけばいい。

 こう書くと、いわゆる加害者を甘やかすきれいごとと誤解される場合もあるでしょうが、そうではなく
 具体例としては、私が小学生のころ心身ともに何ヶ月にも渡るイジメを受けたことがありますが、そのときの加害者の誰一人として、後に謝罪に来た人はいません。
 長いこと、そう、中年になるまで許せないという気持ちが残っていましたが、今は本当にどうでもいいです。
 謝罪して欲しいとも思いませんし、彼らにその分不幸になって欲しいとも思いません。
 できることなら同じ過ちを犯さず、幸せに生きて、その方々とご縁のある方々も幸せにしていってくださればと思います。
 
 人はどんな過去を持っていようと、過ちに気づき、幸せに生きてよいと私は思っています。
 不幸をこねて固めただけのような人は、周囲の人を幸せにしません。人が過去の過ちを悔いてすべきことは、周囲の人を幸せにすることであり、それには自分も幸せになることです。
 他人を犠牲にした自分だけの幸せもないし、自分を犠牲にした他人だけの幸せもない(そういう幸せを幸せと錯覚しているケースは多々ありますが)。
 暖かい火が、周囲のものも暖めるように、ともに幸せになればいいと思うものです。

 もし、今この記事を読んでおられる方の中に、何か過去に犯した過ちでご自身を責めておられる方、自分のような者は幸せになってはいけないといった類の自虐のループにはまっておいでの方がいらっしゃいましたら
 どうか気にせず幸せになってください。
 過ちに気づき、同じことを繰り返さないと心に決めて歩むなら、誰に言う必要もありません。
 自分をゆるせない人は他人もゆるせませんし、他人をゆるせない人は自分もゆるせないものです。
 過去は過去として、きょうから幸せになること
 それもまた世界に対してできる償いの一つだと私は思います。


 私は西郷隆盛について、そんなに詳しくは知りません。
 しかし、色々な記録を目にした範囲で、尊敬する人物の一人でした。
 きょう挙げた一文を見て、その思いを新たにしました。

過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し
コメント
この記事へのコメント
大西郷らしいですね
ご無沙汰いたしております、くまくまでございます。 大西郷でも過ちは多々あり、しかしその過ちを糧として更に大きくなって行く、そんなイメージを持ちますね。 私ら小市民は「事の本質を考える」のが精一杯、せめて死ぬまでに一度「是非もなし」といって見たいものです(笑) 今回少々古傷が悪化し、傷害手帳のお世話になる身となりました。 もっともこうしてPCに向き合えるお蔭で「セイバーキャッツ」初版本、全五巻をゲット!人生すべて塞翁が馬ですかね? 先生もお体大切に、ご自愛くださいませ。
2010/09/22(水) 00:03:08 | URL | くまくま #eI0qnTzk[ 編集]
あわわ;
>くまくまさま
 おひさしぶりです。お体だいじょうぶでいらっしゃいますか?
 セイバー初版<わざわざお探しくださり恐縮です。お疲れ様でした。
 時代劇などで描かれる薩摩人はプライドが高くてある種狭量なイメージを持たれる場合もありますが、西郷さんを見ているとそんなことは全然ない、器の大きさを感じます。
 結局個人の問題だなあと思います。
 人生ほんとうに塞翁が馬ですよね。
 ありがとうございます。くまくまさまもご自愛を。
2010/09/22(水) 04:23:31 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
遠い…かも
なぜ、そんなに
優しくなれるんですか?

僕は、
店の店長に
『お荷物。お前だけは社員と認めない!
全従業員がお前を嫌ってる!!
ここは人間だけが居る会社や!!』
と、言われた事が、
まだ気になっているんです。

社会人になれば当たり前の、全く
たいしたことのない言葉かもしれません。

先生は、この何万倍もの傷を受けて、
なお、相手の幸せを願う事ができる…


遠いです…


けど、先生は理想の人間像です。
何とか、一歩一歩、
今を生きて、大きな人間に なります。
自分で変わらなきゃ幸せになれない。ですよね!?
2010/09/22(水) 18:02:07 | URL | マヨ芋 #z8LPLFJ2[ 編集]
そんなことないです;
>マヨ芋さま
 先生は、この何万倍もの傷を受けて<そんなことないです;
 会社でずいぶんなこと言われたのですね。ご心中お察し申し上げます。
 お前は人間じゃないって、もう完全なパワハラですね。
 でも、こういうイジメに遭われる方、学校でも職場でもおいでだと思います。
 普遍的なテーマなので、ちょっと、別項立ててお返事しようかと思います。
 今「双銃身の魔女」絵コンテ中で、あと半日くらいで終わるので、そのあと書きます、お待ちください。

 私が優しくなれるのは、人を責められるほど自分が立派な人間じゃないと思ってるのと、傷つく自分とか失うものとかほとんど捨てて持ってないからです。
 だから、私を攻撃する人の攻撃はほとんどどこにも届かない。爆弾を落としても落とされる土地(精神的な意味でですが)がなければ被害は出ないし、人格を攻撃されてもそれが私の人格だと思っていない幻のようなものであれば(ある意味ほんとにそうなんです)幻影を攻撃されてるようなもので痛くもかゆくもない。
 簡単に言うと、限りなく自分を捨てていく(社会生活を営むための枠は踏まえた上で)と、誰の攻撃も気にならなくなります。
 無論日々の訓練というか、積み重ねがいりますが、腕立て伏せとかと同じで、続けていくと苦にならなくなりますです。

 ではではまた♪
2010/09/23(木) 05:30:11 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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