あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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表現規制の問題について5/ドラクロア
 ドラクロアがなんの関係があるんだ?とお思いでしょうが

 昔からある不毛な議論に「エロか芸術か」(わいせつか芸術か)というのがあります。
 世の中の一部の人には、芸術は崇高で良いが、エロやわいせつは低俗で規制されるべき忌むべきものであるという偏見があります。
 まことに不毛な論争で、エロい(わいせつな)芸術もあれば、そうでない芸術もある。芸術とは呼べない(と、どうひいき目に見ても思えてしまう)ただのわいせつもあるetc・・・さまざまだと思います。
 いったい、エロと芸術は、磁石のS極とN極のようにはっきり分けられるものでしょうか。

 これに関しては、一つ忘れられない想い出があります。
 いささか下ネタですので、下ネタは嫌い、読みたくないと言われる方は、お読みにならないでください。

 私の学生時代、十代だった、1970年代。
 ネットもなければ、過激なビデオ影像(お皿、テープを問わず)もなかった先史時代。
 瀬戸内海ではシガマッコウクジラがメガロドンと覇権を争っていました(ウソです)。
 日本人の体形ときたら、今から考えられないくらいズン胴短足。
 ぼんきゅっぼんが好きだった私は、当時の日本人モデルのヌードデッサンの教本を見て、
「これを描くのかよ?」
 と天を仰いだものでした。芸術というのは、美しくないものをリアルに描く訓練をする、一種の禁欲的な苦行かと勘違いしたほどです(爆

 さて、十代の男の子と言えば、姓の関心メーターがレッドゾーンに振り切っています(無論そうでない子もいるでしょうが)。
 マスターベーションまっさかりです。(あさりよしとお先生言うところの「箸がころんでも勃つ」時代)。
 私も、色々とその「おかず」を模索したものでした。
 と言っても、私の場合、自由にリアル絵を描けましたので、だいたいの脳内イメージは具現化できたのですが、やはり自己の才能の限界というものがあり、もっといいものが見たい。いい素材を選びたいという欲求(煩悩)は日々新たなアイテムを求めてさまよっていました。
 そんなある日、尊敬する偉大な芸術家ドラクロアの画集を見ていた私は、幾枚かの絵に大きなインパクトを受けました。
 無論美術的なクオリティの高さにも感動したのですが、もう一つ、「おかず」としてのクオリティの高さにもです(笑
 乏しい小使いをかき集め、私は画集を買いました。
 30年以上も昔の話です。
 もはやどれがどうだったか定かではありませんし、それを詳しく指摘しても意味がありません。
 問題は、それでドラクロアの絵画が芸術でなくなったかと言うことです(笑)。
 そんなことはないでしょう。
 一高校生が性的興奮を覚え、マスターベーションを行なおうが行なうまいが、ドラクロアの絵画のポジションに変わりはありません。
 ただ、人が「劣情を刺激される(この古式騒然たる表現には笑いがこぼれます)」ものが「わいせつ」であるなら、刺激される以上は「わいせつ」であり、その絵画は「芸術」であると同時に「わいせつ」でもあることになります。
 未成年の性的興奮を喚起するものを規制するのであれば、ドラクロアのその種の絵画も十八禁にすべきでしょう(私はそうは思いませんが)。
 インターネットはおろか、パソコンもケータイもなかった時代、田舎の一高校生の変わった趣味で終わりましたが、今ならネットの掲示板などで、「同士」を募ることもできたでしょう。そうしてある程度の人数が集まり、有名な芸術家の「おかずになる絵画」などというサイトが成立すれば、「良識ある」教育者は、そこに上がった作品群は、片っ端から青少年の閲覧禁止にしていくのでしょうか。それは世界の笑いものになるでしょう(たぶん)(笑)♪

 仕事疲れでいささか脳がボケておりまして、これといったオチはない話ですみません。
 若かりしころの思い出です。ではでは。


おお、終わろうと思ったところで一つ思い出しました。
 芸術は崇高なものだがマンガは低俗で劣るものだという意識を持たれる方は、昔からいらっしゃいます。
 私が、はるき悦巳先生のアシスタントだったとき、先生からお聞きした話です。
 はるき先生の代表作『じゃりン子チエ』には、交番やお巡りさんがしばしば登場しました。先生は執筆の資料が欲しくて、あるとき交番をカメラで写していたそうです。すると、警官に呼び止められました。
 事情を説明したはるき先生に、警官が言うには、
「芸術に使うならいいが、マンガなどに使うために撮影することは許さない」
 今から30年以上も昔の話です。まだまだ世の中には過激派の犯罪なども記憶に新しい時代で、むやみと撮影して欲しくないという警察の方のお気持ちも理解できます。しかし、「芸術ならいいがマンガはいかん」というのはどうでしょう。
 昔、筒井康隆氏でしたか、エッセイで見合いした?女性の父親が、「小説家などというのは男子一生の仕事ではない」と言うので、話は流れたという意味のことを書いておいでだったように思います。
 今では小説はかなりその地位が上がったようにも思われますが(無論ピンキリありますけど)、マンガはあいかわらずその地位は低いようです。
 表現規制の問題でも、小説はいいがマンガはいかんという前提で話される方を時折見かけますが、刺激性の大小だけでなく、芸術としての地位の高低もその意識の底に見え隠れすることがあります。
 人間の意識の底というのは色々で、非常に論理的に見えて、実はけっこう非論理的だったりすることが、ままあります。
 たとえばかつての欧米の話ですが、動物に人間のような意識はあるか否かという科学の問題において、頭ごなしに否定する科学者の多くが、科学的な議論を行う以前に、聖書には動物に人間と同じような魂はないと書かれていたために、その具体的な検証を試みなかったという話があります。そっちのテーマのお話は、また別の機会にいたします。
 ではでは♪


追記
 はるき先生のお話から十数年後、私が集英社で連載していたころ、警官の服装の資料が欲しくて、編集長から話を通していただき、人を頼んで撮影させていただいたことがあります。意識の変化もあったでしょうし、手続きの踏み方もあったのでしょう。
 その際、お世話になりました警察、カメラマンその他の方々には、とても感謝しています(今でも写真は大切に持っています)。
コメント
この記事へのコメント
エロと芸術の間には暗くて深い皮がある(爆)
それは包皮に違いな!・・・・(T/O)
閑話休題・・・・冗談はさておき、修羅場脱出おめでとうございます。
エロと芸術の間に有るのは何でしょう?
宮沢りえのヌード写真集はまさしく「ぼんきゅっぼん」では有りましたがエロでは無く、芸術以外の何物ではありませんでした。(起ちませんでした)
よっぽど激痩せ後のお茶のCMの方が色っぽいのは何故でしょう?
(もっともあの撮影された時点で18歳未満だったとの説も有りますので現時点ではエロになってしまいます)
非実在~~には小説は含まれないのですが、何故小説が含まれないのか愚考しますに、きっと都知事閣下の作品が引っかかってしまうからに違いない!
失礼しました!
2010/04/18(日) 01:33:14 | URL | ゆたぽん(台湾出張中) #-[ 編集]
ありがとうございます
>ゆたぽんさま
 おかげさまで修羅場一段落つきました。
 一部リテイクの作業もありますが、本ちゃんの作画作業に比べれば楽です。
 こちらは新作のコンテにかかっております。

都知事閣下の作品が引っかかってしまう<ちむちむで障子を突き破るとかいうあれでしょか。読んだことないんで伝聞しか存じませんが(w
2010/04/18(日) 09:04:34 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
起てばいいなら
好みの男優女優とかにエロを感じてしまうと、それは低俗だから発禁ならぬ出演禁止?それはあり?

低俗とか崇高とかどこのどなたの価値感なのでありましょう?

人の心の中から出てく表現とそれを受け止める者の対応をどう考えるかということなんでしょうけど、多様性を確保しつつどう受け止めるのが良いかという本質の議論はどう行われているのだろう?

人を殺傷できる刃物は、使う人しだいで凶器にも道具にも。人の生みだしたものは、大概そういう両面をもつ。結局人次第。どういう関係を築くかを広く議論し続けて保つということだと思います。

法で規制すればなんでもよくなるなんてわけがない。

法は執行されてこそ。執行は、監視監督がなければしっかりとは守れない。監視監督が不正を判断権威権力へ訴えることができ、判断がなされなければあまり意味はない。そして処罰が行われてこそ機能する。

法は、あくまで結果への抑制と事後処理だよ。法は法として、多様性のあるどんな社会を作ろうかという議論がたりない。そういう考えの形成の場も少ない。
たとえるとスポーツチームで、選手はゲームに勝ために協力するが、その協力の仕方を規則にしたりすることはそんなにない。協力関係のありかたはそんなに単純なものじゃないから規則になじまないから。

表現規制は、法になじまないのだと思う。
2010/04/18(日) 11:46:05 | URL | yamaUh #-[ 編集]
「芸術」と呼ぶほど採算性が低いわけでもなく、
「製品」と呼ぶほど作家性が無いわけでもない。
漫画って素敵ですね。
 
そういえば、さっき前総理が「漫画アニメの文化的立場を補強したかった。海外と商売する時に役に立つから」みたいな事言ってました。
当時は、国営漫画喫茶反対と顔を出して意見を述べる漫画家さんも何人かいましたね。
実際の所どうだったんでしょう。
彼らの言う様に、トトロとアンパンマンしか作らせてもらえなくなっていたのか、
それとも文学や映画のように芸術表現の一つとして認知されるに至ったのでしょうか。
覆水不返です。

あっ、でも最近の子供は漫画の読み方が判らないそうです。
漫画ももう少しすれば自動的に「高尚な芸術」の仲間入りを果たすかもしれません^^
2010/04/19(月) 23:49:39 | URL | 猫車の矢七 #-[ 編集]
初めましてっ
ボーイを見てファンになりました! 

(^ω^)

例え方がうまくて笑ってしまいました。 
確かにはっきり分けることは難しいですね…

本当、色々規制されてったら面白くなくなってしまいます(´;ω;`)
2010/04/21(水) 04:19:26 | URL | まゆ #-[ 編集]
やっと一息;
イラスト修羅場を抜けたら、次の読みきりコンテで忙殺されてました。お返事遅れてすみません;

>yamaUhさま
 明らかな犯罪、麻薬とか強盗殺人、暴行とかいった物理的な判定が可能なものと違って、主観でどうにでも変わるものは、規制は難しいですね。
 自分の(あるいは自分たちの)主観が正しいと主張する方の根拠がわかりません。
 私も自分の主観が正しいとは申せません。
 こんなひどいシロモノ消えてなくなればいいと思うものは世の中には確かにあるんですが、そこで消えろと言う資格が自分にないということも理解しています。
 おっしゃるとおり、その種のものに規制はそぐわないように思います。

>猫車の矢七さま
 最近の子供は漫画の読み方が判らない<マンガを作ってきた側にも責任があると思っています。
 要するに「わかりやすい構成、見せ方」を忘れて、マンガファンにだけ通用する独りよがりな見せ方を続けてしまった作家がいっぱいいるということです。
 もう何年も前から私だけでなく私の周囲のマンガ家もそのことを気にしていました。
 責任の一つは編集部にもあって、そういう指導を新人に行うノウハウも問題意識もなかった。結果がこれです。
 わかりやすさというのは、古臭いと言う意味ではないです。
 それは車などが、ユーザーに負担をかけない使いやすい仕様にすることと、新しいセンスを盛り込むこととが相反しないことと同じです。
 マンガの衰退の何割かは、自業自得な部分があるように思います。

>まゆさま
 はじめまして。
 ボーイをお読みくださったそうで、ありがとうございます。
 先日ホームページ「あつじ屋」が足跡100万を超えたんですが、キリ番を踏まれたお客様からボーイのイラストをリクエストいただきましたので、近いうちに(一月以内か、遅くとも二ヶ月以内)アップするつもりです。
 どうぞよろしくお願いします♪
2010/04/21(水) 09:23:55 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
消費者
いまは消費者の要求や倫理観がかなり強くなっている。いい加減な表現があまり許容されない。それはある意味当たり前でもありますがセコイというのか消費者の余裕がない不寛容な態度に辟易することもあります。

結構前に、せんとくん騒動がありましたね。

私はそのとき、もし岡本太郎さんがキャラデザインをしていたらどうなっただろうかと空想しました。岡本太郎さんが滅茶苦茶なキャラを創作したとしても、岡本太郎さんらしい相変わらずだな、と受け入れられたかもしれませんよね。

せんとくんのデザインがいまいちなのはそのとおりですが、出来が悪かろうが気持ち悪かろうが、いちいち腹を立てることもないだろうと思ったのです。

ギャラが高いなどもせんとくんを芸術表現と考えればどうでもいいことです。

便器すら泉になるのだし。芸術なら何でもありです。

もし、ドラゴンボール(今の漫画は知らないので仮の例です)が新聞の四コマという形式で連載されたら子どもはそっぽ向いたでしょうね。表現の自由はあるのに、形式も自由にすると拒否される可能性はある。漫画家も編集者も完全に自由というのではないですね。自由がけしからんと、意見を言われるほど漫画家などは自由でもないでしょうね。

今の世で消費者に喧嘩を売ってなおかつ面白い、作品(どんなものか知らないけど)を創作できたら、その人は天才かもしれないですね。
2010/04/29(木) 00:29:08 | URL | まえやま #-[ 編集]
不寛容
>まえやまさま
 昔から「不寛容」は諸悪の根源でしたが(『イントレランス』という有名な映画もありましたっけ)
 近年それが目に付くように感じます。
 せんとくんも、私はいいとは思いませんでしたが、自分が気に食わないからあげつらうと言う気にはなりません。
 インドにはツノの生えた鹿仙人の伝説もありました(かなり面白い話ですが)(w
 岡本氏ならおっしゃるとおり、別の反応だったでしょうねえ;
2010/04/29(木) 07:04:44 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
はるき先生
はじめまして。
表現規制のお話とはずれるのですが、先生がはるき悦巳氏のアシスタントをされていたということを知った瞬間、「そうなんだ!」と思いました。
というのも、直感的に絵柄的に近しいものを感じたのです。
これまでは作風が違いすぎるので意識していなかったのですが。
もしかするとこちらの思い込みなのかもしれませんが、はるき悦巳氏から絵的にも影響などはあったのでしょうか?

ちなみにはるきさんも初期にはSF短編物描いてましたよね(^^
2010/10/27(水) 21:14:35 | URL | 根木畑 #R63KSl6.[ 編集]
びっくりです
>根木畑さま
 はじめまして、ようこそおいでくださいました。
 直感的に絵柄的に近しいものを<そんなことを言われたのは長いマンガ家人生ではじめてです。
 驚きました。
 が、個人的に申し上げるならイエスです。
 おっしゃるとおり絵柄はまったく似ても似つかないものですが、実は共通な志向があるのです。
 はるき先生には馬鹿言うなとお叱りをうけるかもしれませんが、もっともはるき先生は私がどんな失敗をしても怒ったことなど一度もない優しい方でしたから、きっと笑っておゆるしになるでしょう(笑)。
 世の中には緻密にどこまでも描きこむスタイルの人と、ポイントだけ押さえてとばすところはふわっととばしてしまう絵柄の人がいます。
 実は私は後者でして、駆け出しのころ、省略の方法がわからず、ひたすら描き込んでいた時代もありましたが、今では多少の技術も身につけ、どんどんそっちの方向に向かっております。
 美術の水彩画で、重要な部分はきちんとりんかくが描いてあるけれど、それ以外はわざとにじませてふわーっと流して描いてある絵とかありますよね。
 自分はマンガでああいうものができたらと思っています。
 はるき先生は、ポイントを捉えて省略される名人でした。
 とてもあの境地には及びませんが、時々執筆しながら、アシスタント当時は夢にも思わなかったですが、今振り返ると、自分は師事すべくしてはるき先生の下に行ったのだなあと、しみじみ縁の不思議さをかみしめております。
 絵的な影響はありました。
 鋭いご指摘ありがとうございました。
2010/10/28(木) 08:55:24 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
こんにちは。お返事ありがとうございます。

はるき先生の絵すごいですよね! チエちゃんがニパーッて笑ったときの歯とかビックリしましたw
でもちゃんと頭蓋骨が下にある絵になってるんですよね。

ああいうコミカルな絵柄だから一見ケンカシーンなど向いてないと思ってしまいますがなんだかちゃんと骨と肉がみえて、あの絵でリアリティーも感じられてすごい読んでて気持ちいいんですよね。
おそらくその辺りに近しいものを感じたのかもしれないです。

山本先生の漫画も、現実に即したリアルよりも漫画内のリアリティーを感じる絵柄というふうに捉えていたのだと思います。
線が省略されてくるとそういう部分がよりデフォルメされて、水墨画の例えのようにそのリアリティーの線を捕まえられるようになるのではと思います。
やはりそういう絵は読んでる側も気持ちいいです!


ちなみに幼いころ、今思えばチエちゃんに萌えてました(笑)。
2010/10/29(金) 02:38:38 | URL | 根木畑 #R63KSl6.[ 編集]
一般には知られてませんが
>根木畑さま
 はるき先生は、ああいうラフな作風のマンガを描かれますが、ものすごく精密な製図的なものも描ける方で、おまけに大学時代はボクシング部だったこともあって、格闘に関してもセンスをお持ちなんですよね。
 アシスタントしてたころも、休憩時間にビデオで昔の名ボクサーの名試合とかいっしょに見せていただきました。楽しかったです(『2001年・・』とかも見ました。ビデオは当時はるき先生はベータ派でした)。
 リアリティの線、つかまえていきたいものです。
 ありがとうございました♪
2010/10/29(金) 11:02:51 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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