あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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『探すのをやめたとき愛は見つかる』その2
『探すのをやめたとき愛は見つかる』
 『探すのをやめたとき愛はみつかる』
 バイロン・ケイティ・著/水島広子・訳/創元社

 前回の記事『探すのをやめたとき愛は見つかる』その1よりの続きです。
 未読の方はそちらを先にお読みください。
 タイトルから、若い人の恋愛相談本のように思われる方もおいでかと思いますが、副題の
「人生を美しく変える四つの質問」
 というフレーズにもありますとおり、これは人の抱えるあらゆる方面の心理的な問題を見直す、シンプルで有効な手法についての本です。

 質問2までは前回の日記をご覧ください。

質問3)その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょうか
「ポールは私を理解すべきだ」
 と考え、彼がそうしないとき、何が起こりますか。リストを作ってください。
 彼をどう扱うでしょう。肉体はどんな感じですか。そう考えるとき、どんな影響があるのかに、よく気づいてください。そして、自分にきいてみてください。
「その考えは、私の人生にストレスをもたらすだろうか、安らぎをもたらすだろうか」>

質問4)その思考がなければ、あなたは誰でしょう
 目を閉じて。あなたが変えたいと思っているその人が目の前にいるところを思い描いてみましょう。
 そしてほんの一瞬でも、その思いなしに、その人を見つめているところをイメージしてください。何が見えますか。 そして、あなたを理解すべきだというストーリーとともにあなたが行為するとき、相手をどう扱うでしょうか。この考えがなければ、あなたの人生はどんなでしょうか>

 <ここでのゴールは、自分の反応の仕方を変えようとしたり、人生を違った目で見ようとすることではありません。これは、あなたが内側に入って、あなたの考えと、それがもたらす結果をシンプルに問い直し、見直す機会なのです。
 あなたがこの関係をクリアに見ると、その結果、人生は自動的に変わります。そうならざるを得ません。
 というのも、いったん精神的な苦しみが世界そのもののせいではなく、世界に対する自分の考えのせいだということが分かれば、問題は自分を理解するための機会となり、生はギフトとなるからです


 人生の幸不幸は誰にとっても同じ絶対的な基準などありません。
 生死でさえも、ある人にとっては希望であり、ある人にとっては絶望です。
 その価値を決めているのは自分の心です。
 著者のバイロン・ケイティは、こうして四つの質問に対して書き出された回答を「ひっくり返し」てみることを勧めます。

ひっくり返す
 4つの質問で自分が書いた文章を見直すと、それをひっくり返す準備ができました。
 ひっくり返しは、あなたが真実だと思っていることの反対を体験するための機会です。
 例えば、
「私はポールに対して怒っている。なぜなら彼は私を理解しないから」
 は、ひっくり返すと、
「私は私に対して怒っている。なぜなら私を理解しないから」
 となります。これも同じぐらい真実か、あるいはより真実に近いでしょうか。
 私が私を理解しないので、同じことに関して、ポールにくり返し頭に来るということもあるでしょうか。
 もしも私が私を理解しないなら、ポールが私を理解しないかどうかが、私に分かるでしょうか。
 もうひとつのひっくり返し方は、
「私は私に怒っている、なぜなら私はポールを理解しないから」
 分かりますか>

 <ひっくり返しでは、クリエイティブになってください。
 これらは啓示であり、他者があなた自身に見えていない自分の一面を見せてくれるものなのです。2つか3つ以上のひっくり返し方が見つかることもありますが、そのどれもあなたが書いたものと同じぐらい、あるいはそれ以上に真実でしょう。内側に入り、そのひとつひとつをじっくり見てください。あなたにとって、どれが真実でしょうか。自分に感じさせてあげてください。
 私がこのひっくり返しとともに生き始めたとき、「あなた」と呼んでいたものはすべて、自分だということに気づきました。あなたは私の思考が現実として投影されたものに過ぎなかったのです>

 <今は、まわりの世界を変えようとする代わりに(これはうまくいきませんでした。43年間、ずっと)、思考を紙に書き取り、それを見直し、ひっくり返し、あなただと思っていた当のものが自分だということを見つけます>

 <あなたは優しくないと私が思う瞬間、私は優しくないのです。
 もしもあなたは戦いをやめるべきだと私が信じているなら、私は自分のマインドのなかで、あなたに戦いをしかけてはいないでしょうか。もしそうならば、私は戦争を教えているのです。
 あなたがもっと「ワーク」になじんでくると、ひっくり返しをする機会にどんどん気づいていくでしょう。
 たとえば、あなたがある人に会い、傲慢な人だなあと思ったとしましょう。そしたら、自分にたずねてみてください。
「私も同じぐらいそうだろうか。ときには私もそうだろうか。他の人がどうすべきだとか、どうすべきでないと考えるとき、私は傲慢だ、と言えるだろうか」
 このひっくり返しは、あなたの幸せへの処方です。
 あなたが他の人に処方してきた薬を自分で取ってみてください。
 私たちは、たった一人の生きた教師を待っています。それはあなたなのです


 そして、ひっくり返すことで、どのような理解がもたらされるか、いくつかの例があげられています。ここは少しだけ、私(山本)流に改変(「誰が」の部分を)したものをアップします。


「彼女は私を理解すべきだ」は、ひっくり返すと
 ・彼女は私を理解すべきではない。(ときには、これが現実です。)
 ・私は彼女を理解すべきだ。
 ・私は私を理解すべきだ。

「私は友人に優しくしてもらう必要がある」は、ひっくり返すと、
 ・私は友人に優しくしてもらう必要はない。
 ・私は友人に優しくする必要がある。(そうできますか。)
 ・私は私に優しくする必要がある。

「彼は私に愛情がない」は、ひっくり返すと、
 ・彼は私に愛情がある(彼のできる最大限で)。
 ・私は彼に愛情がない。(分かりますか。)
 ・私は私に愛情がない。(ジャッジをして、それを問い直さないとき)

「同僚は私に怒鳴るべきでない」は、ひっくり返すと、
 ・同僚は私に怒鳴るべきだ。(明らかにそうだ。同僚は実際そうなのだから。)   
 ・私は同僚に怒鳴るべきでない。
 ・私は私に怒鳴るべきでない。(頭のなかで、同僚が怒鳴っているのをくり返しくり返し反芻している
のでは?)

 なんとなく、要領がお分りいただけたでしょうか?
 これらのひっくり返しの文章が、全部正しいというわけではありません。
 そういう視点もあるというだけであり、それをどう受け止めるかは自分の自由です。

 このあと、ケイティはもう一歩踏み込んだ考え直しを提案しています。
 自分がワークシート(前回の記事参照)の6番目に書いた、困った相手と二度と体験したくないことを、ひっくり返して見るのです。
 たとえば「私は同僚と二度とケンカしたくない」なら「私は是非もう一度同僚とケンカしたい」というように(笑

<6番目はあらゆるマインド、それゆえにあらゆる生の側面を、恐れることなく抱きしめ、現実に開いていくものです。
 もしあなたが頭のなかだけでも、もう一度ポールとケンカを始めたら、いい機会です。それがもし痛みに満ちているなら、それを紙に書きとめ、調べ直してください。不快なフィーリングは、自分にとって真実ではない思考にしがみついているということを思い出させてくれるでしょう。それは「ワーク」のときだと知らせてくれるのです>

<あなたが、敵を友人と見なせるまで、あなたの「ワーク」は終わりません。
 こう言ったからといって、その人たちを夕食に招待する必要はないのです。
 愛は内面の体験です。あなたは決して彼らに会うことはないかも知れませんが、あなたが彼らのことを思うとき、ストレスを感じるでしょうか。それとも安らぎですか>

<不快な感情を楽しみにすることを勧めたいと思います。
 それは、あなたが、問い直していないある信じ込みにしがみついていて、「ワーク」をするときだ、と教えてくれる、目覚まし時計のアラームのようなものです。
 問い直しを通して、明晰さを手に入れてください。
 理解を持って、不快な感情と出会ってください。
 どうして外の誰かが満足と平和をもたらしてくれることを待っているのですか。安らぎはいつも、あなたの内側、4つの質問のすぐ先にあるのです>

 以上かいつまんで、バイロン・ケイティの推奨する「ワーク」についてご紹介いたしました。
 その1でも申し上げましたとおり、冒頭の書籍は出版社が引用を拒否していますため、同じくケイティの出しました小冊子(商業利用でない限りコピー、引用OK)からの転載です。

<現実と争うときあなたは負ける。必ず>

 というケイティの言葉は名言だと思います。

<全世界には三つの物事しかないということを私は見つけました。
 私の物事、
 あなたの物事、
 神(あるいは、高次のパワーと言い換えてもけっこうです。私にとっては、現実が神です。なぜなら、それが統治しているのですから)の物事。
 もし、あなたが自分の人生を生きていて、私がマインドのなかであなたの人生を生きているならば、誰がここで私の人生を生きることになるのでしょうか。
 もちろん、私は孤独でしょう。マインドのなかで、人の物事に首を突っ込むことで、私は自分を留守にしてしまいます
 他の人の最善の道が自分には分かるというのは、傲慢というものです。
 長い目で見て、あなたの人生において何がベストか、あなた以上に本当に私に分かるのでしょうか。この傲慢が、緊張や心配や寂しさをもたらします。次の機会に孤独や分離感を感じたならば、自分にきいてみてください。「私は誰の物事に首を突っ込んでいるのか」と>

 今回の記事に関して、あまり私(山本)から付け加えるべきことはありません。
 先にお断りしましたとおり、ケイティの方法は一つのツールであって、何か確実な正しさなどを提供するものではないのです。
 彼女の方法にも足らない部分はあります。
 トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーも、それを指摘しつつ、しかし彼女の「ワーク」には、形而上的知性に対するすばらしい技巧と、仏教で言うところの「空(くう)」に通じる思想があり、大いに意義あるものであると評価しています。
 人間にとっての「現実」リアリティというものは、個人とそれ以外の世界が互いに影響しあって形作られるものであり、100%自己と無関係に存在するものでもなければ、100%自己が形作るものではありません(形而上的に高次の視点に立てばまた別かもしれませんが、それは置きます)。
 人の思考と言うのは、白紙の上に一から「私」が書きこんでいくものではなく、それ以前に知らぬ間に決定付けられた多くのものが存在します。それはまた心理学の話題として別の機会に触れたいと思います。
 ケイティは、その方面に関して今ひとつ理解が足りない、とウィルバーは言っているようなのですが、それは、我々一人一人が自分で補って読めばいいと思っています。

 最後に、ケイティ語録からいくつか引用して終わります。

<私を好きになるのはあなたの仕事ではない--それは私の仕事だ>

<正気はけして苦しまない>

<人格は愛さない--それは何かを手に入れようとする>

<自分の進化の程度を偽らないように>

<あなたが必要としている教師は、あなたが一緒に住んでいる人です。あなた、きいていますか>

<私は自分の観念を手放しはしない。私はそれと出会い、問い直す、するとそれが私を手放す>


 この記事の「その1」で、最近、どこかのお坊さんが、人の真の幸せというのは
 「愛されること
 ほめられること
 人の役に立つこと
 人に必要とされること」
 と話しておいでなのをテレビで見ました、と申し上げました。
 しかし、ケイティの「ワーク」についてお知りになると、けしてその限りではないことが垣間見えるのではないでしょうか。
 ケイティは言います。

<私に祈りがあるとしたら、それはこうなるだろう:
愛されること、認められること、感謝されることを望まないでいられますように、アーメン」>
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