あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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死にぎわ(セネカの場合)
 先日 『人生の短さについて』(セネカ・著/茂手木 元蔵・訳/岩波文庫)を取り上げましたが、今回は著者であるセネカの死に際(ぎわ)について。

 セネカは、あの古代ローマの有名な皇帝、暴君ネロ、の若かりしころの教育係でした。
 晩年、謀反に加担したという嫌疑をネロからかけられ、自殺を強要され死ぬことになります。
 日ごろから、人生のあるがままを受け入れて淡々と進むことを説いてきたセネカでしたが、果たして、言葉どおりの見事な死に際を見せます。
 岩波版の 『人生の短さについて』では、巻末の解説で、セネカの最後について、有名なローマの歴史家タキトゥスが『年代記』に記した全文が掲載されています。
 西暦65年、ネロの命令を伝えに百人隊長がセネカの家に現れ、死ぬまでの模様です。
 全部は書けませんがその一部をご紹介します。

<セネカは友人たちの方を向いてこう言った。
 「私は君達の功績に感謝の意を表すことを禁じられたので、今は唯一のものとなったが、しかし最も美しい私の持ち物を遺産として君たちに残すことを誓う。それは私の生きている姿である。もし君たちがこれを記憶に留めるならば、このように変わらなかった友情の報酬として、天晴(あっぱれ)有徳の誉(ほまれ)をかち得るであろう」
 と。
 同時に、あるいは普通の話でもするように、あるいは激しく強いるような調子で、友人を励まし、彼らに涙を流すのを止めて、気をしっかり持ち直すように言い、こうたずねた。
 「英知の教えは、どこに行ったか。不慮の災いに備えて、あれほど長い間考え抜かれた哲理は、どこにあるのか。ネロの残虐さを知らない者があったとでも言うのか。自分の母と弟を殺したあとには、養育係であり教師である私の殺害を加える以外に、何も残っていないのだ。」>

<それから妻のパウリナを抱き、そのとき少しおびえていた妻の気持ちを宥(なだ)めて、頼むようにこう言った。
 「悲しみを静めなさい。これからも一生、悲しみなどに囚(とら)われずに、徳を貫いた夫の生涯を思い浮かべながら、清らかな慰めによって夫への悲しい思い出に堪(た)えてもらいたい。」
 これに対して妻はきっぱりと
 「私も死ぬ覚悟はできております」
 と言って、死刑執行人の手を求めるのであった。するとセネカは、妻の立派な決心に逆らわず、それと同時に、自分がことのほか愛した妻を後に残して不法な手に渡したくないという愛情から、次のように言った。
 「さっき私は人生の慰め方をお前に教えたが、お前は死の名誉のほうを望んでいる。私とて、お前が良い手本を示そうとすることに不服ではない。このように雄々しい最後に臨んで、二人とも同じように自分の態度を崩さないとしても、お前の終末の方に一層大きな名声がもたらされるであろう。」>

<それから両人は、一緒に腕に小刀を突き刺して、血管を開いた。セネカは老体であったため、血の出が悪かった。そこで脚と膝の動脈も切った。>


 それでも死ねず、友人で医師のスタティウス・アンナエウスに毒薬を処方してもらい、飲みますがまだ死に切れません。そこで

<最後に彼は熱湯の浴槽に入り、一番近くにいた奴隷たちに湯を振りかけながら、
 「私はこの湯を解放者ユピテルの神に捧げる」
 と言った。>

 これは当時、宴会の最後、おひらきの時、ユピテルの神に酒を捧げたならわしをもじった、セネカ最後のウィットだったそうです。人生の宴をおひらきにするとでも言う意味もあったのでしょうか。

<そこから浴室に運ばれ、その熱気で息が絶えた。そして厳かな葬式などはせずに、火葬にした。セネカはすでにそのように遺言状に書き取らせておいたのであるが、そのころはまだ莫大な財産もあり権力もあったのに、すでに自分の最後の処置を講じていたのである>


 愛妻パウリナは
<自分の残忍性を憎む声が広まるのを恐れた>ネロによって
<死を差し止め)られ
<奴隷や農夫たちが彼女の腕に包帯して、血を止めた。彼女が気を失っていたかどうかは定かではない。・・・・・・その後彼女は数年間生き長らえた。その亡夫を思う心は見上げたものであったが、顔や手足は真っ青なほど白く、いのちの力が多分に運びさられたのを示すかのようであった。>
 とタキトゥスは記しています。

 セネカの最後をネロはどう思ったでしょうか。
 思い通りに殺してやってざまあみろと喜んだでしょうか。
 それとも、セネカのかねてからの立派な言行が、臨終の間際に取り乱し、命乞いをしたりすることで逆転し、「偽善者」だったと証明し笑いものにしてやりたかったのでしょうか。
 その計画が失敗して、がっかりしたのでしょうか。
 それは誰にもわかりません。

 ネロは、この出来事の3年後、68年、反乱に遭って自殺します。
 パウリナとどちらが先に世を去ったかは、私(山本)は不勉強でわかりません。


追記
 初めてこのブログをお読みになった方は、誤解されるかもですが、私は自殺には反対です。いや、賛成しないと言うべきでしょうか。人様の選択を責めたり否定するつもりはありません。
 昔からお読みくださっておいでの方はご存知と思いますが、私は昔「うつ」で「希死念慮」に襲われていたときも自殺だけはしないと心に決めて暮らしていました。
 自分なら自殺はしない、というご意見もいただきましたが、この場合、戸口に(と言うかおそらく家の中まで)部下を引き連れた百人隊長が来てるわけで、自殺イヤですと言っても切り殺されるだけでしょう。
 キリスト教のように自殺は絶対的タブーという宗教もありますが、そのため確か集団自決の必要に迫られた人々が互いに刺し合って死に、最後の一人だけ自殺したという歴史上の事件があったと思います。それでも最後の一人は自殺するしかなかった。
 このセネカのエピソードは自殺礼賛の意味のものではありませんから、どかご理解いただきたく存じます。

 また、ネロのような人間を育ててしまったのは教育者として失敗だったのではないかというご意見もあります。
 確かにそのとおりだと思います。
 ただ、セネカがネロの教師に任命されたのはネロが12歳のときであり、皇帝になってもずっとつきっきりで指導していたわけではありませんし、皇帝の周囲にはたくさんのおべっか使いがいて、もはやセネカ一個人の声など届かなくなっていったのではないでしょうか。ネロが自分の母を殺したのは成人後のことで、セネカにどうこうできるものではなかったと思います。

 と、私が別に弁護する筋のものでもないのですが、一応補足しておきたいと思います。
 ではでは
コメント
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2009/11/21(土) 16:39:08 | | #[ 編集]
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2009/11/21(土) 16:48:15 | | #[ 編集]
Re: 自殺について
コメントありがとうございます。
私も人さまの自殺を責めるつもりは一切ありません。
人生は自己責任で、その方の自由裁量だと思います。そこまで行かれるには行かれただけの事情があり、そこに思いをはせるとき、軽々しく否定できるものではないと思います。
 賛成はしないですが、お気持ちはわかります。
 一方で、ある種の宗教はじめ信念体系には、絶対的タブーとして扱うものもありますが、それはそれで、ある種のストッパーとして有効であることも認めます。
 人生は辛いことがいっぱいありますから、切り上げられるものなら切り上げたいと思った事は何度もあります。
2009/11/21(土) 21:18:15 | URL | 山本貴嗣 #-[ 編集]
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