あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
201701<<12345678910111213141516171819202122232425262728>>201703
『探すのをやめたとき愛は見つかる』その1
『探すのをやめたとき愛は見つかる』
 『探すのをやめたとき愛はみつかる』
 バイロン・ケイティ・著/水島広子・訳/創元社

 タイトルから、若い人の恋愛相談本のように思われる方もおいでかと思いますが、副題の
「人生を美しく変える四つの質問」
 というフレーズにもありますとおり、これは人の抱えるあらゆる方面の心理的な問題を見直す、シンプルで有効な手法についての本です。
 原題は
 “I Need Your Love-Is That True?”
 色恋におけるLoveだけではなく、人が生きていくうえで他人に求める好意、リスペクト、その他広い範囲の内容を扱っています。
 
 最近、どこかのお坊さんが、人の真の幸せというのは
 「愛されること
 ほめられること
 人の役に立つこと
 人に必要とされること」
 と話しておいでなのをテレビで見ました。
 ある視点ではその通りなのですが、もう少し高い視点から見れば、それもある段階の一つの方便、仮の真実に過ぎないように思うのです。
 「人の役に立」てること、は確かに幸せですが、その他の三つ
 「愛されること
 ほめられること
 必要とされること」
 は、誰でもいつでもどこででも得られるものではありません(人の役に立つこと、は自分で動けば得られるかも知れませんが、あとの三つは、他人次第です。いや厳密には、自分が頑張っても迷惑がられる場合もあり、そういう意味ではすべてが自分ひとりでは獲得できないものでもあります)。
 では、それが得られない人は、真の幸せは得られないのでしょうか?
 そうではないかもしれないと、ケイティは語ります♪

 ということで、同書からいくつかポイントを抜粋したいところなのですが、同書には出版元の創元社の
<出版社の許可なく一部にせよ全部にせよ、いかなる形においてもこの本の転載を禁ずる>
 という意味の注意書きがあります(珍しいですね、こういうの)。
 通常、商業利用などを除いて、出展を明記した部分引用は問題ないはずですが、ここは一応その意見を尊重し、著者であるケイティの別の文献から引用して、同書と重なる内容をご紹介したいと思います。今回かなりな長文になりますので、お時間のおありな時にご覧ください。 

 ケイティは彼女が「ワーク」と呼ぶ、自分自身への問い直しのプロセスを提唱します。

<あなた以外に、あなたを自由にできる人はいない>

 と彼女は言います。まず序文から。
 ネット上の画面で読みやすいように一部の改行や強調太字など私(山本)が変更した箇所を覗いて、訳文ママです。

<1986年に私は、現実と言い争う思考を信じるときにのみ、人は苦しむということを発見しました。
 現実がそうであるのに、そうであって欲しくないと思っても、無駄なことです。
 それは猫に「ワン」とほえろと教えるようなもので、死ぬまでがんばっても、やはり猫はあなたを見上げて、「にゃ~」と鳴くでしょう


<これは一見、当然のことのように見えます。けれども、もしよく見てみるならば、こういったたぐいの思考が一日のうちに山ほど現れることに気づくでしょう>
 「人はもっと優しくあるべきだ」
 「こどもは行儀よくあるべき」
 「隣の人はもっときちんと庭の手入れをすべきだ」
 「あの人は私を捨てるべきじゃなかった」
 「もっとやせなくては(あるいは、もっと魅力的にならなくては、もっと成功しなくては)」
 こういった思考は、今のままの現実に対し、そうあってほしくないと期待する声です。こうして、あらゆるストレス、欲求不満、落ち込みが生まれます>

<「ワーク」になじみのない人は、よく私にこう言います。
「でも、現実に抗議することをやめたら、私は力をなくしてしまうでしょう。ただ受け入れてしまったら、消極的な人生になってしまう」
 -それに対し、私は答えます。
「ほんとうにそうだと、あなたに分かりますか」
 いったいどちらの方があなたに力を与えるでしょうか。
「あの人は私を捨てるべきじゃなかったのに」
 か、
「あの人は行ってしまった。さて、私はどうしようか」
 か。
 現実をありのままに見ることで、知性的な選択をすることが可能になります。抗議することは、あなたを制限します

<「ワーク」は、起こるべきでなかったのに、とあなたが考えていることは、起こるべきだったということを明らかにします。それは起こるべきだったのです。というのも、それは起こってしまったのですから。そして、この世のどんな思考もそれを変えることはできません。
 だからといって、それを大目に見るとか、認めるということではないのです
 消極的になるのではありません。それはただ、物事を抵抗なしに、内面の葛藤というストレスなしに見るということなのです

<だれも自分のこどもに病気になって欲しくはありません。だれも自分のパートナーに去ってもらいたくはありません。けれども、そういったことが起きたとき、マインドのなかでそれに抗議することが何の助けになるでしょうか。私たちは無邪気にそうしていますが、それはそれ以外のやり方を知らないからです>

<「ワーク」は現実とのあいだのつらい戦いをやめ、物事をクリアに見る方法を提供します。特定の、鋭い質問を用い、私たちの思考を調べ、自分の混乱に気づきます。これは自己認識です。マインドが自分に出会い、自分を紙の上にとどめ、それを問い直すことで、「あるがまま」に抗議をすることがもたらす因果関係を理解します>

 さて、ケイティが提唱するのは簡単な「四つの質問」です。
 その前の準備として、今自分の抱えているストレス、現実に対する抗議を紙に書き出す必要があります。
 昔から、多くの宗教や道徳が、人を責めてはいけないとか裁いてはいけないと説いてきました。
 しかし、それは一旦脇に置き、それらを手放すためにこそ、まず自分の中の責める心、裁く心を否定せず、ありのままに認めて紙の上に吐き出すのです。


<まわりの人たちという鏡を通して、自分でまだ理解していない自分自身を発見していくのです>
<「まわりの人をジャッジする」ワークシートの文章を完成させましょう。まだ自分のことは書かないように>
<あなたのマインドに、表現の機会を与えてあげてください。あなた以外、これを読む人はいません>

<(1) あなたはだれのせいで怒ったり、がっかりしたりしているのでしょう。そしてそれは、なぜですか。あなたが気に入らないのは何なのでしょうか。
   例)私は、ポールのせいで怒っている。なぜなら彼は私を理解しないから。私を怒鳴りつけ、嫌な気分にさせるから。

私は-----のせいで怒っている(いらいらしている、がっかりしている)。
なぜなら、------------------------------だから。

(2) その人にどう変わってほしいのですか。その人に何をしてほしいのでしょう。

私は-----に---------------------------してほしい。

(3) その人は何をすべきか、どうあるべきでしょうか、どう考え、どう感じるべきなのでしょう。
   あるいは、どうあるべきでないのでしょうか。あなたのアドバイスはどんなものでしょうか。
-----は、--------------------------べきだ。あるいは、べきではない。

(4) あなたはその人から何かを必要としていますか。あなたが幸せでいるために、その人は何をする必要があるのでしょうか。
私は-----に、-----------------------------してもらうことが必要だ。

(5) あなたはその人のことをどう思っていますか。リストを作ってください。
 -----は-------------------------------である。

(6) その人とのあいだで、あなたが2度と体験したくないことは何でしょうか。
私は------------------------------------はもう嫌だ。体験したくない。>


 これらを書き出した時点で一息ついてください。そこでケイティはこう問いかけます。

<あなたが、正しくあること(そしてそれにともなうストレスと)か、自由であることを選ぶとしたら、どちらを取りますか。

そしてあなたは、何が自分のストレスや痛みの原因になっているのか、本当に真実を知りたいですか>


 そしてこれからが、肝心な「四つの質問」です。


<1) それは本当ですか
 2)それが絶対に本当だと、あなたに分かるでしょうか
 3)その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょう
 4)その思いがなければ、あなたは誰でしょうか。>

 そんなこと聞くまでもない、答えは出ていると思われる方も少なくないと思います(「ほかにどんな答えがあるというんだ?」)でもケイティは言います。


<「ワーク」を体験するための鍵は、知的な部分からやってくる即答を超えて、より深い知恵に身を浸すということです。問いかけてから、じっとして、ハートの声が応えるのを待ってください。より深い答えが現れるのにまかせましょう。腰をすえて見ることで、自分自身の体験に信頼をもつことができるでしょう。
 あなたは、自分にとっての真実は何なのか、外の世界の答えではなく、自分の答えを頼りにすることを学んでいるのです。

例:ポールは私を理解すべきだ。

質問1)それは本当ですか
 ポールがあなたを理解すべきだというのは本当でしょうか。現実はどうでしょうか。
 静かにして。答えを待ってください。
 もしもあなたが本当だと感じるなら、質問2に移ってください。
 もしも本当ではないと感じるなら、3番に移ってください。


質問2)それが絶対に本当だと、あなたに分かるのでしょうか

 この質問は、あなたが内側に入って、それが本当にそうだということが、いったいあなたに分かるもの
か、もう一度問い直すための機会です。
 ポールがあなたを理解すべきかどうか、あなたにいったい分かるものでしょうか。この瞬間、彼が何を理解するのがベストなのか、彼の道において、どんな理解を彼が持つべきなのか、あなたに分かるのでしょうか。いったい他の人が何を理解すべきなのかを決めるのは、あなたなのでしょうか。そして、現実はどうなのでしょう。彼はあなたを理解していますか。
 世間はよってたかって
「彼はあなたを理解すべきだ、夫は妻を理解すべきだ」と言うかもしれませんが。
 今は、あなたにとっての真実はどうなのか、自分の体験を調べ直し、見出してください。
 私は1986年に、真実は、世間で言われている理想やおとぎ話ではないということが分かりました。
 真実とは、現実において起こっていることです。
 「ポールは私を理解すべきだ」
 それは本当ですか。私の体験では、ノーです。ポールは私を理解すべきではないというほうが、より真実に近いでしょう。それがときには、現実なのです>

<「ワーク」になじみのない人はよく、私の「べき」ということばの使い方に戸惑います。
「オーケー、ケイティ。現実には彼はあなたを理解していないってことね。でも彼はそうすべきでしょ? つまり、あなたはそうするように彼に働きかける必要があるってこと」
 というわけです。
 私は何年もそうしようとがんばって、そのあげくに得たのが、落ち込みと怒りでした。彼に理解してもらいたいと思った唯一の理由は、そうなれば私が幸せになれるだろうと思ったからです。けれども、彼は私を理解すべきだという言葉を信じるのをやめたとき、私は幸せになりました!世界と戦うことによって、自分に安らぎをもたらすことができるだろうという気違いじみた思い込みを捨てたのです。起こるべきことは、当然ながら、現に起こっていることであり、本当に今起こっていることなのです。それ以外のことは、たんなる空想、ストーリーであるにすぎません>


 ケイティの提唱するのは、徹底したリアリズムです。彼女の使う「べき」という言葉を上っ面で誤解なさらないでください。ひどい犯罪に合われた方などに、あなたはひどい目に合って当然だ、などと言っているのではありません。起こってしまったことを、いくら思考や言葉で「起こるべきではなった」と否定し嘆こうと、何も状況は変わらないし、幸せにもならないということです。
 冒頭で引用したように
<いったいどちらの方があなたに力を与えるでしょうか。
「あの人は私を捨てるべきじゃなかったのに」
 か、
「あの人は行ってしまった。さて、私はどうしようか」>
 です。

 ケイティの「ワーク」は彼女の決める「押し付け」ではありません。その種の人格改造セミナーや宗教の類ではなく、あくまで答えの決定権は自分にあります。彼女は言います。

 <そう私が言ったからといって、それを信じないでください
 もしも2番目の質問の答えが「イエス」であってもいいのです。
 間違った答えはありません
 問い直しのプロセスを続けてください。質問で、思考のあとにやってくる感情を見直していきます>


 随分長くなりましたが、引用文はバイロン・ケイティの小冊子『苦しみの終わり』(PDFファイル/「商業的使用をしない限り、コピー、配布、引用を許可する」とあります)からです。
 『探すのをやめたとき愛は見つかる』その2に続きます。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.