あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一・著
『死ぬときに後悔すること25』
 『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一・著/致知出版社

 発売された時から気になってましたが、先日歯医者の帰りに書店で見つけて購入。
 一気に読みました。
 いい本だと思います♪
 一昨日の「往生際」もそれに関連して書いた記事です。
 とっくにあちこちで話題になってる本で、私などがブログで紹介するまでもなく、お読みになられた方もおいでのことと存じます。

「1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた」
 とありますが、著者の略歴を見ますと、想像以上にお若い方なんですね。なんと1976年生まれです!
 それにしては、冷静さと愛や慈悲心をともにキープしつつ、全体を見渡す視点で死に行く人々と接し、語っておいでで、お若い方にありがちな生硬な部分を感じさせるところはほとんどありません。すごいです;(かつては日本最年少のホスピス医でもあったそうです)

 出だしの概論のような部分を読み出したときは、あれっ?なんだかとおりいっぺんの内容になるのか?と心配したんですが、そこはあくまで、前置きであって、
 肝心の本題に入ると、ぐいぐい引き込まれて、あっという間に読了しました。
 タイトルどおりの内容です。
 詳しいことは読んでいただくしかないですが

 私、山本の個人的な比較感想では、ここに書かれている様々な方の「後悔」で、まだ準備ができてないのは、自分の死後の段取り(遺言とか)くらいかな、と。
 あとは何も後悔するような生き方はしてないからいいやと(笑
 いや、過ちやヘマは山のように犯してきましたし、そのことでどうしようもなく悩み苦しんだことはありますが、それはもう昔の思い出で、残りの人生で別のヘマもまた犯すでしょうけど、それはそのたびに新たな気持ちで(繰り返さないように努めて)生きるだけで、そのことに囚われることに時間と労力を費やしたりはしないだけです。
 罪悪感というのは、怪我をしたときの痛み(体が手当てを必要としているというシグナル)のようなものであり、自分が反省と生き方の変更を必要としているという心のシグナル、警報だと思うものです。
 ガス漏れを止めた後まで、ガス漏れ警報を鳴りっ放しにしておく人はいないように、反省して生き方を見直せば、罪悪感など無用の長物です。
 確か「反省はしても後悔はしない」という意味の言葉があったような(「後悔はしても罪悪感は手放す」とか)。
  
 興味深かったことの一つが、下記の部分。

<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。
 死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた>
<その中の一人に、ある女性がいた>
<自らが葬祭業者と話を詰め、彼女の死後も滞りなくささやかな葬礼が遂行されるように、彼女は緩和ケア病棟にてその計画を練っていた。
 果たして、その願い通り、質素だけれども素晴らしい葬礼が催されたとの後日談を耳にした。ボランティアで彼女とかかわりのあったお坊さんが読経してくれたようだが、それも生前彼女から直々に頼まれたとのことだった。用意は完璧だった>
          (同書100~103ページより)

 単純計算で1000人以上を見送られた中で三人というと、三百数十人に一人の割合ですか。
 私も近年、自分の生き死には気にせず生きているんですが、こういうのは一回も使ったことのない新型爆弾とかといっしょで、本当に死に臨んで有効に機能するのかどうかは、実際のそのときがくるまでわかりません。
 そこで、こういう現場でのリアルなケースを見聞きしてこられた方のお話は大変参考になります。
 私のつまなどは、そういうハラをくくった人というのは1000人に一人くらいじゃないのかと思ってるようですが、楽観主義者の私はもっといるところにはいると思ってました。この本を読んで、はからずも確認が取れたというか、励まされる思いがしました。

 ちなみに、著者の大津先生は無宗教な方で、日本的な意味での信仰心はあっても特定の宗教は信じていないそうです。
 ある患者さんは、生前犯罪を犯し、死期が迫るにつれ罪の意識にさいなまれ、身体的な苦痛はそれほどでもないのに、その良心の呵責と自分は永遠に許されないのではないかという恐怖心などから大層苦しみぬいて、とうとうキリスト教の洗礼を受け、数日しておだやかに亡くなったそうです。
 その方にはそういう救いが必要だったのだと思います。
 一方では無宗教でも穏やかに、淡々と死出の旅路に赴く方もいられる。
 それぞれがそれぞれの道を歩むものです。

 本書は、中の一項目を取り上げるだけでも、それだけで一回分かそれ以上、語り続けるだけの内容になってしまい、終わらなくなってしまいますので(笑)今回はこれで切り上げます。最後にその目次を以下に引用しておきます。

第1章 健康・医療編―死ぬときに後悔すること1
第2章 心理編―死ぬときに後悔すること2
第3章 社会・生活編―死ぬときに後悔すること3
第4章 人間編―死ぬときに後悔すること4
第5章 宗教・哲学編―死ぬときに後悔すること5
第6章 最終編―死ぬときに後悔すること6

 本当はもっとそれぞれの章が細かいテーマに分けられているのですが、そこはネットの書籍紹介を見てもあまり表示されていないようなので、伏せておくのがいいのでしょう。


 あ。でもアマゾンの内容紹介でもいくつかアップされてるようなので私もいくつか引用しておきます♪

 健康を大切にしなかったこと
 たばこをやめなかったこと
 自分のやりたいことをやらなかったこと
 夢をかなえられなかったこと
 悪事に手を染めたこと
 感情に振り回された一生を過ごしたこと
 他人に優しくしなかったこと
 自分が一番と信じて疑わなかったこと
 故郷に帰らなかったこと
 会いたい人に会っておかなかったこと
 自分の生きた証を残さなかったこと
 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
 etc・・・・・・

 本文ではまだまだあります。皆様はいくつ思い当たられますでしょうか。



追記
 個人的には、このリストに
「世の中や他人のアラしか探さなかったこと」
 というのを加えたらどうだろうと思うのですが(笑
 もっともこれは「自分が一番と信じて疑わなかったこと」に含まれるのかもしれませんね。
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