あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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「私は笑って死ぬだろう」
 新聞の書籍広告を見ていたら
 昇幹夫という方の書かれた
 『泣いて生まれて笑って死のう』(春陽堂書店・刊)
 という本を見つけました。
 著者は<「逝き方は生き方」「笑進笑明」こそ自分を変化させる生き方>として<「日本笑い学界>副会長として笑いの医学的効用を説いて>いられるお医者さんだそうです。
 「逝き方は生き方」私もまったく同感です。
 内容は読んでいないので、まだ感想は書けないんですが
 このタイトル、実は私の信条でもあります。

 20世紀のインドの覚者、タバコ屋のおじさん、ニサルガダッタ・マハラジの言葉に以下のようなものがあります。

<私の態度は異なっている。子供の誕生を祝わないように、私は死を災難としては見ないのだ。子供は困難の中へと生まれ出てきた。死者はそれから立ち去るのだ。生命への執着は不幸への執着だ。私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。私たちの本性とはそんなものだ。
 私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。私は泣いて生まれてきた。私は笑って死ぬだろう。
  『アイ・アム・ザット 私は在る』
 (モーリス・フリードマン/スダカール・S・ディクシット/翻訳・福間巌/ナチュラルスピリット・刊)より

 人によってはショックを受けられたり、嫌な印象を持たれる方もいられるかも知れません。
 暗く後ろ向きな感じを持たれる方もいられると思います。
 自殺願望と勘違いされる方さえおいでかもしれません(とんでもないことです)。
 これは、すべてにこだわりなく、恐れや不安を手放して今を十全に生きる、晴れ晴れとした人の想いです(ニサルガさんの場合、マインドを手放しているんで、「想い」と言っていいのかどうかわかりませんが)(笑)。
 ちなみに、私は生まれてくる赤ちゃんを見ると、この大変な世界に恐れも知らず参加してきた不敵な魂として、敬意の念を抱きます。
 そうか、これから荒波の海に漕ぎ出していくのか。
 がんばってください。よい旅を。
 心中敬礼して見送っています。

 実は今年の四月にニサルガさんの言葉を引用した記事を書きかけて、どう補足すれば真意が伝わるのかと、考えあぐねて据え置いていたものです。
 きょう、冒頭の一書を見つけて
 ああ、視点のポジションは異なるけれど、似たようなことを言っておいでの方がいらっしゃる。
 たぶん、こっちの先生の言葉の方が、多くの方に届くんだろうなと思ったのでした。

 ふだんから「生死は問わない」と言うのはこのことです。
 「まだ生きていていいんですか、ありがとうございます」
 「もう死んでいいんですか、ありがとうございます」
 どっちにころんでも「はずれくじ」なしです(笑)。

 もっとも、冒頭の本も読んでみないことには比較はできませんが、私はたぶんニサルガさん寄りだと思います。

<私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。>

私は泣いて生まれてきた。私は笑って死ぬだろう。>

 きょうも良き日を♪
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