あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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自作への思い
 自分の作品への思い入れというのは
 作家さんによって様々だと思います。
 私の場合、古い作品への愛着は、あるかと言えばありますが、どうしようもなく強い思い入れ、といったものはないんですよね。
 なぜって、若い頃の作品には確かに、今には無い「パワー」はありますが、
 キャラ立てや構成、絵、そこに込められた世界観、哲学、あらゆる面で不備が見え、いかにベストを尽くそうとそれはその時点でのベスト。
 今となっては「古い製品」になるのです。
 たとえて言うなら、女性はいつまでたっても若い娘が一番、という方と、確かに若い娘は肉体的にはステキかも知れないが、人格も含めてコミュニケートするには物足りないと言うか、肉体的な若さは所詮ひとつの要素に過ぎないと言う方とは、全然価値基準が異なりますよね。
 私は後者なので、ただ若いだけの作品にも、執着はないんです(笑)。

 だからと言って今の作品が完璧などと言うのではなく、今は今で不備だらけなんですが(笑

 ちょっとジャンルは異なりますが、歴史に残る名車などと言われる有名なスポーツカーなども、確かに味わいは深いものがありますが、排気ガスの基準とか安全性などを考えると、現代のそれとは比べられないわけで、今乗るかと言われれば(私の場合四輪免許はないのでバイクに置き換えて考えても)答えはNOです。
 その名車を愛しているということと、執着するということは別。
 けして旧車愛好家の方を否定してるわけではありません。趣味はそれぞれです。ただ私の志向を語っているに過ぎません。
 
 友人の某有名マンガ家も
 「自分の最高傑作はどれかと聞かれれば、過去の作品になる場合もあるが、一番愛しているのはどれかと言われれば今描いている作品だ」
 と言っていました。
 そもそも、それくらい想いとエネルギーを傾注しないと、執筆は難しいかもしれません。
 「一番気にかけているのは」、と言い換えてもいいですね。

 たとえば、私が人生でもっとも愛した猫は故・ミケコですが(それは今も変わりませんが)、彼女はもう私の世話の必要の無い世界に旅立ってしまいましたから(笑)毎日寝る前にすべてに感謝をささげるとき感謝の声をかける(無論ほかのときにも思い出しますが)ほかは、私にできることはない。
 今一番気がかりな猫は、私の助けを(いささかではありますが)必要としているしろさんなのです。
 だからと言って、ミケコよりもしろさんが大切になったとか、ミケコを忘れたわけじゃない。
 比べること自体無意味です。

 自分の作品もそんな感じです。 

 私は想い出へのこだわりというのが希薄で、愛する家族の写真とか記念日というものにも興味がありません。最愛のつまはいつも今が一番だけれど、結婚記念日は若いころから記憶にありません。
 互いの誕生日はまあ覚えてますが、ときどきお互い失念してます(笑)。
 人生で「あのころはよかった」という意識がほとんどない(学生時代の気楽さは人生最高でしたが、その分馬鹿だったので戻りたいとは思いません)ように、作品についてもそんな感じです。
 階段の途中を抜かしては上の段がないように、一つ一つすべてが今日を築いた貴重な一段です。
 けしておろそかにはしませんが、執着するものはありません。


 本来マンガなどと言うものは、世の中にあってもなくてもどうでもいいものです。
 別に卑下して言うのではなく本当にそうだと思います。
 先日テレビを見ていたら、ある人間国宝の職人さんが、ご自身の作っておられる家具のことを、別に世の中にあってもなくてもどうでもいいものだという意味のことをおっしゃってました。
 自己卑下や自虐ではなく、冷静な自己認識だと思います。
 芸術は、確かに世の中を豊かにする面がありますが、なかったからといって、それに興味のない人々の生活にはなんの関係もありません。
 その辺を勘違いして、自分はこの世でなにがしかのものである、などと思い始めると、気付くと傲慢の道を歩んでいたりするもんじゃないかと思うものです。

 蛇足になりますが、よく、自分が死んだ後も自分のことを覚えておいてほしい、忘れないで欲しいと願う方がいらっしゃいますが
 私はそういう願望は希薄です。
 ないと言ってもいいくらい、少なくとも顕在意識にはありません(潜在意識は知りませんが)。
 仏教にも、川を渡り終えたら船は無用という説話があったように思いますが
 私が死んだら、いったい私に何が必要でしょうか。
 私のことをもし覚えておいてくださる方がいらしたとしても、その方もいずれ亡くなります。
 忘れられるのは時間の問題で、歴史を超えて語り継がれる人などというのは稀(まれ)な例。
 よしんば継がれたとしても、本当の意味でその人を知る人がいるでしょうか。
 教科書に書かれたデータを読んで、私たちが秦の始皇帝について何を知るでしょうか。
 流れに浮かぶうたかた、咲いては散っていく花を永遠にしようとするくらい虚しい努力はありません。
 それはどうでもいいことです。

 むしろ私は忘れていただきたい。
 コンピュータでもっとも重要な機能はDeleteだと言う話があります。
 この機能なしには、メモリはあっと言う間にいっぱいになってパンクして、コンピュータは使えなくなります。
 過ぎ去った不要なものはどんどん消し去る。
 それが人生ではないでしょうか。
 もっとも人間の記憶容量は膨大ですから、かなりのことはとっておけるようですが、少なくとも過去のアーカイブにしまいこんで、今使用するドキュメントは整理する必要があります。

 てなことを書いていると結局作品の話から死生観にまでいっちゃうんですが
 ある意味当然というか、死生観や人生観はすべての行動の根底にあるものなので、無縁ではありえないんですよね。
 と、なんだかとり止めがなくなってしまいましたが今回はこれで。
 今の私にとっては一番気がかりな作品は『戦闘女神アヌンガ』なのでした♪


追記
 あ、同人版でも出しておりますアーニス・シリーズは、確かに他の作品に比べてとりわけ思い入れがあります。一時は「これを描かずに死ねるか」と思ったこともあります(笑)。
 しかしいろんな方々と運命に助けられて7冊まで進めることができました。
 最終話60枚のコンテはとうに出来上がっていますが、果たして完成させる機会を得られるか否かは神の味噌汁。
 時の流れに身を任せるつもりです。ではでは。
コメント
この記事へのコメント
無常だがそこに宿る
万物無常。

それに潜みし命は波の様。

波紋は広がり、時に相殺し時に共鳴す。

波はエネルギー。

果てに行方知れずとも、一滴の本懐はたされり。

ふふ・・・。v-95


平易な言葉で難解に書き綴る。そんな時何を思うのか?
確かに自身の内に行間を彩る答えがある。しかし、行間を彩る色がそれであれと思う必要は全くない。理解とは与えられるものか?得るものか?
吾はいかがせん?(微笑)
2009/05/15(金) 00:42:02 | URL | やすやす #-[ 編集]
山本先生のマンガがベストの更新作業であるのに対して、友人である某有名マンガ家さんはベストが過去に存在することを認めているようですね。

多くの作家は、山本先生とは違うのかも知れません。
2009/05/16(土) 06:19:09 | URL | abcd #GpKNFZ9I[ 編集]
すべてはただあるがまま
>やすやすさま
 インドの覚者、ニサルガダッタ・マハラジは、自分が行為するには自分以外の多くの要素が関わっているので、自分とは行為する自分を目撃する鑑賞者であるという意味のことを言いっています。
 私もおおむね賛成です。
 手を鳴らすとき鳴ったのは右手か左手かという問いが昔からありますが、まあそんなものかもです♪

>abcdさま
 いつも更新を狙ってはいても、過去の記録を常に塗り替えられる(よい結果を出せる)とは限りませんので、もっと上を行きたいけど最高記録は昔のままってケースもあると思います。
 風向きとか時代の一致とか、色々な要素がありますしね。
 でも前向きな姿勢だけは変わらずいきたいと思います。
 人間ですから体力や体能のピークを過ぎるというのはどうしようもないですが;
 若者には若者の老人には老人のやり方があると思います。
2009/05/16(土) 14:23:14 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
右手か左手か
だいじょうぶですよ。先生の作品は決して忘れたりしませんなんて言っていて先生より先に存在しなくなってたりして。

最近では上を目指すというよりも何が上なのか?を知恵を絞ってそのままで何かの順番を変えてみる的なので上をねらったりしてね。ビリも逆の価値観を主体とすれば上ってことで。

そんなとこが歳かもです。少し老獪の領域かも。v-115
2009/05/19(火) 00:08:07 | URL | やすやす #-[ 編集]
上と下
>やすやすさま
 おそれいります。
 上と下<確かにあることはあるんですが、既成概念にとらわれず見極めるのがポイントだと思うものです♪
2009/05/19(火) 17:02:15 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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