あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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「熱烈に冷静でありなさい」
 「熱烈に冷静でありなさい

 すでに何度か引用してきた、尊敬するインドの20世紀の覚者、ニサルガダッタ・マハラジの言葉です。

 マハラジへのインタビューをまとめた『アイ・アム・ザット 私は在る』(モーリス・フリードマン/スダカール・S・ディクシット/翻訳・福間巌/ナチュラルスピリット・刊)より一部抜粋します。

 人はどうやってマインドを超えて在ることができるか、悩み尋ねる質問者にマハラジが答えます。
 途中「ええっ?」と思われる下りがあるかも知れませんが、最後までお読みいただけますと幸いです。

<マハラジ 「あなたに出来事の行方を変えることはできない。だが、あなたの態度は変えられる。そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。そこにマインドの平和を見つけることはできない。平和のためには、あなたは世界を超えていかねばならない。世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。すると画面は変わってくる。創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。世界はそれらを満たすための道具なのだ。魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。そして時間がすべての勘定書を決算する。バランスの法則が究極の支配をするのだ」

質問者 「超人になるためには、まず人で在らねばなりません。人として在ることは、数かぎりない経験の結果によるものです。欲望が経験を駆りたてるのです。それゆえ、その時と段階によっては、欲望も正しいものなのです」

マハラジ 「ある意味では、まったく正しい。しかし、あなたが充分蓄え、築きはじめるべき日がくる。そのとき選別し、不要のものを捨てること(ヴィヴェーカヴァイラーギャ)が絶対に必要となる。すべてを詳細に調べ、不必要なものは無常にも破壊されなければならないのだ。私を信じてほしい。行き過ぎの破壊はありえない。実際には、価値のあるものなどないからだ。熱烈に冷静でありなさい。ただそれだけだ」>


 マハラジは三十代で悟ったあとも、宗教団体の教祖になるでもなく、出家者になるでもなく(なろうとして、その必要性がないことに気づき)、己の家業である雑貨屋を営んで一生を市井の人として送った人です。
 タバコも吸えば肉も食う。
 普通の人生を送り、ただすべての執着を捨ててすべてを超えて在った人のようです(以前も引用しました「私はすでに死んでいる」という言葉にすべてが言い表されているかも)(笑)。
 覚者でもなんでもない山本は、彼の言葉すべてを理解できるわけではありませんが、心の奥底に響くメッセージ満載の同書は、何度も読み直してしまう一冊です(おかげでかなり痛んできました)。

「魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。そして時間がすべての勘定書を決算する」
 という彼の言葉は、実に胸に迫ります。
 
 「三界は虚妄にして、ただこれ心の作なり(この世のすべては人の心が作り出す幻である)」と仏教の経典、華厳教にもありますが、マハラジはそれらを作り出す人の喜怒哀楽の感情も思考もすべてを超えて、「在る」ことを説きました。
 彼は何かの宗教のように「禁欲」を押し付けたりはしません。
 欲望はある段階では必要ではないかと問う質問者に
 「ある意味では、まったく正しい」
 と答えます(私、山本もそう思います)。

 「しかし、あなたが充分蓄え、築きはじめるべき日がくる」
 「蓄え」とは財産や預金残高のことではありません。
 長い人生を歩んできて、何が必要で何が無用か、考え、より分けることをはじめる、それに必要な体験の蓄積のことです。

 つきつめていけば、「価値あることなど何もない」とマハラジは言います。
 びっくりされる方もおいでかもしれません。
 「行き過ぎの破壊はありえない。実際には、価値のあるものなどないからだ」

 大変誤解をまねく言葉で、そそっかしい人が勘違いして悪用に走りかねないメッセージですが(笑)、彼は「(魂と身体の間に)マインドが奈落を生み出し、ハートが橋を架けるのだ」と説いた人で、言うまでもなくけしてテロや打ちこわしを推奨しているのではありません。
 「行き過ぎた破壊はありえない」
 とは、他人の財産だとか命だとかを破壊しようというのではなく、人の心の中に在る無用なこだわり、執着、マインドの作り出すもろもろを破壊することを意味しています。
 字面だけ見て、そこを読み違えると、大間違いなのですが。
 かの空海も言うとおり、ある者にとっては薬になる教えも、ある者には毒になる、の一例だと思います。

<マハラジ 「私はただ、あなた自身を変えずに、世界は変えられないと言ったのだ。私はすべての人を変える前にとは言っていない。他者を変えることは不必要だし、不可能だ。だが、もしあなたが自身を変えたなら、ほかの誰も変える必要がないとわかるだろう。画像を変えるにはただフィルムを変えるだけだ。あなたは映画館のスクリーンを攻撃したりしない」

質問者 「どうしてそんなに自分に確信が持てるのですか?あなたが正しいと、どうやって知るのですか?」

マハラジ 「私は私自身に確信があるのではない。私はあなたに確信があるのだ。あなたに必要なことは、内側でしか見つからないものを外側に探そうとするのをやめることだけだ。行動する前に、あなたの視点を正しなさい。あなたは深刻な誤解に苦しんでいる。あなたのマインドを澄ませ、ハートを浄(きよ)め、生を神聖なものにしなさい。これがあなたの世界をもっとも速く変える道だ」>

 人生を振り返れば、人の苦しみの多くが、変えられないものを変えようとし、かなわぬ望みに絶望することから起こるように私(山本)は思います。
 中でも、他人の心、他人の行動に関する嘆き。
 あの人がこうだったら、あいつをこうしてやれたら、なぜ~~をしてくれない、なぜわかってくれないetc・・・。
 自分の感情を、自分自身さえもコントロールできない人間が、どうして他人を変え、思い通りに支配できましょう。

 別にマハラジ(ニサルガおじさんと親しみをこめて私は呼んでいます)(笑)は、世の中を良くしようという人の行動を否定しているわけではありません。

<マハラジ 「もちろん、あなたが働きかければ世界を変えることができる。ぜひとも働きなさい。誰があなたを止めているのかね?私は思いとどまらせてはいない。原因があろうとなかろうと、あなたがつくった世界だ。あなたはそれを変えることができる」>

<質問者 「私の知りたいことは、世界の不幸をどうすればいいのかということです。

 マハラジ 「世界の不幸と関わるなかで、あなたがあなた自身の欲望と恐れからつくり出してきたのだ。すべてはあなたが真我の存在を忘れてしまったためだ。スクリーン上の画像に現実性を与えた上で、あなたはそれらの人々を愛し、彼らのために苦しみ、彼らへの救いを求める。そうではない。あなたはまず、あなた自身からはじめなければならないのだ。ほかに道はない。そうだ、働きなさい。働きかけることに問題はない」>


「あなたに出来事の行方を変えることはできない。だが、あなたの態度は変えられる」
熱烈に冷静でありなさい
 これは私の座右の銘です。 
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