あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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心の「ゴミおじさん」にならないこと
 「ゴミおじさん」とか「ゴミおばさん」と呼ばれる人がいます。
 自分のうちの周りにいっぱいゴミを積み上げて、悪臭や害虫や鼠などが住み着いて、近所迷惑はなはだしい人です。

 それはまあ物質的な話ですが
 精神的にもそういうタイプ(そういう状態にある方、と言うべきでしょう。人は常に変わり続けるものです)の方がおいでです。

 以前ある場所で、複数の同業者と話をする機会がありました。
 隣に座った方が、マンガ界のある問題について、問題意識を持っておいでなようでした。私もそこは重要な点だと思っていましたので、どんなご意見をお持ちだろうとお話をうかがってみました。
 でも、何も出てきませんでした。
 とりあえずほかにしようがないんでこうしてる、という現在の立ち位置以外は、延々と

 「今時の若い者はなっていない、使えない、信用できない、自分が若かったころはああではなかった」

 という話を一時間以上していられました。
 そう聞くと、なんだか年寄りのマンガ家のグチ話みたいですが、そうじゃなくて
 私よりずっとお若い、30代の方でした。

 私としては、いくら若い方を責めても、悪口を言っても状況は変わらないし、若い方も変わらない。
 いやそもそも世の中ピンキリで、ひとくくりに「今時の若い者」などと言えるものではなく、まともな方はまともだし、今時の年寄りの壊れっぷりを見れば人のことなど言えないものです。

 今年50歳になる私(山本)が1977年に上京したころは、自分のアパートに電話を(ケータイなどありません、固定電話です)持ってる人は、生活に余裕のある少数派でした。
 同じアパートの先輩に電話を貸してもらって電話代を置いてきたりしたものですが
 そんな話を、国民大半がケータイを持つ21世紀の若い人にしても、寝言ですよね。
 今の30代の方が、20代の方に
 「オレの若いころは」
 と言うのも、距離感こそ違いますがそれと五十歩百歩ではないでしょうか。
 過ぎ去った時代は戻りませんし、変わった人のあり方も元には戻りません。
 
 そんな空しいことに費やすエネルギーがあったら、自分が何ができるかを考えればいいと思うし、そうしてるんですが。
 問題を解決したい人と、問題を集めたい人の違い。
 そこの違いかと思います。

 私も若いころはそこがわからなくて、問題意識を持つことと、問題をコレクションすることをごっちゃにしてました。
 テレビの討論番組だの「あおり」的なニュース報道、はては友人間のゴシップに、怒ったり文句を言ったりしてましたが
 そういうことは、ただ「乗せられている」だけであって、自分がなすべきことは他にあると気づいたものです。

 汚い皿を片付けるには皿を集めなきゃ、それが当然だろう?
 と一見スジの通ったような理屈を言って、自分の周りにいっぱい汚い皿を積み上げている人がいたら、おかしいですよね。臭いし汚いし、そんな人間には近づきたくないと思うでしょう。
 皿を集め続ける前に、まず手近な皿から洗ったらどうでしょう。
 手近な皿が片付いてから次の皿を集めてくればいいわけです。

 酒場でくだまいて、延々他人の悪口や世の中を呪ってるうるさいおやじと、実は五十歩百歩の精神状態で、問題を解決するのではなく、ただ問題を探して並べ立てることが生きがいになっている方が、世の中にはかなり(無論このネットの世界にも)おいでです。
 ブログを見ても、こんなハラの立つことがあった、とか、こんなムカつく事件が、とか
 そんなことばかりアップされているものがありますが、まるで有害電磁波を放射してる危険地帯みたいで、そっとその場を遠ざかります。


 世の不正、差別、不善、悪は
 おそらく幾たび生まれ変わろうとあるでしょう。
 困った人は職場にも学校にも家族にも、次々現れるかもしれません。
 奴隷制は廃止されても奴隷のような条件で働かされる人はいます。
 それが世界です。
 だからといって、すべてを改善していく努力は惜しみませんが。

 人間は苦労し成長するものですが
 世界は次々新入生が送り込まれてくる学校のような場所で
 一歩一歩悟りに近づく人もいて、せっかく少し住みやすいきれいな水になったと思ったそばから、
 ひたすら混乱してはた迷惑な新入生が、後から後から入学してきます。浄化するそばから汚れ水を継ぎ足される水槽のようなものです(新入生全員がそうだというのではありません)。
 その人々を呪おうと馬鹿にしようと、状況は一歩も変わりません。
 いや、その人々を否定するのは、過去の愚かだった自分(程度こそ違え今も愚かなんですけど)を否定するようなもので、はしごの下の段を否定して上の段だけ求めるようなものだと私は思います。

 政治が気に入らなければ選挙に行けばいい。
 貧しい人が気の毒なら、自分で寄付をすればいい(寄付は金持ちの特権ではありません。貧しい人こそ貧しい人の痛みがわかるわけで、震災など災害時には金持ちでない人がいっぱい、なけなしのお金を寄付されます)。無論ただ「援助」するばかりが能ではないし、かえって逆効果の場合もあるわけですが、それはまた別の話です。
 放置できない不正があれば、しかるべきところに訴えればいい。
 誰も手を貸してくれないなら、自分や共感する仲間と何か運動を起こせばいい。
 悪口を言って何もしないくらい、人生の無駄はないと思います。
 身の回りや世の中の、あら捜しをしてるだけで、何も解決しない人は、いわば精神の「ゴミおじさん」(「ゴミおばさん」)です。

 そういう方にはそういう方の事情がおありなのでしょうし、自分もそういう状態だった時代はあります。
 だから否定するつもりはありません。
 すごく苦しく辛い状況で出口が見えない。今ある自分のあり方も変えられない(その何割かは「変えられない」のではなく、今の自分のあり方を「変えたくない」だけだったりするんですが)。だから今はグチるしかない。
 その苦しみは経験があります。同じことを私もしました。
 だからと言って、当時の自分と同じ状態に戻って、賛同する気は毛頭ないし、たきつけるような相槌を打つ気もありません。
 話しを聞いた後は、黙ってその場を去るだけです。
 いつの日かまた、お互い建設的に語り合えるときがあるでしょう。

 誤解のないように申し上げますが、上記の同業者の方が「ゴミおじさん」だというのではありません。
 ただ、そういう状態がいくつもかさなって慢性化し、その人の生きるスタイルとして定着してしまうと、「ゴミおじさん」(「ゴミおばさん」)化する危険性があります。


 人は恐れたり憎んでいるものを自分に引きつける、と言います。
 いつも何かにおびえておどおど生きていると、かえってイジメの対象になったり。
 その辺は動物も人間も似たようなもので、「いじめないで光線」を発しているのは、「いじめて光線」を発しているのと実は同じことなのです(だからその人が悪いとかいう意味ではありません。あくまで力学的な仕組みの話です)。
 犬など、群れにそういう固体がいると、何匹もがよってたかって攻撃し、フクロにします。

 A国は悪い国で平和の敵だ!と、一生懸命悪口を言って、バカにしたり蔑んだりしていても、それでA国が「改心」したりはしません。もっとムキになって愛国国防の名の下に軍備を拡張したりします。
 テロリストを殲滅しようと爆弾の雨を降らせても、いつまでたっても戦争は終わらず、テロリストはのうのうと逃げ延びて増殖し、罪もない一般市民が殺され、恨みを買って自国の同胞(恋人や家族)まで巻き添えになったりします。

 世界はただ敵意と問題ばかりだ!と怒り嘆いて暮らしていると、世界は次々に問題と敵意を投げてよこします。自分が変わらない限り、この構図は変わらないでしょう。

 別に愚かなお人よしなって、誰でも信じて詐欺に合いましょうという意味ではありません。
 そこに過剰な感情を発生させずに、できることをする、ということです。
 できないことはできないのですから、怒ろうと泣こうと何も変わりません。
 「ああ、泣いててもちっとも幸せにならねえ!」
 と、どうしても泣き続けられない私、という話を以前書いたと思いますが(笑
 「あいつが憎い、許せない」も「自分はかわいそう」も、同じコインの表と裏です。
 人間である以上、様々な感情は生きている限りわきおこりますが、それらに巻き込まれてもてあそばれることなく、浮かんだ泡は流れ、消え去るにまかせて、
 そこで自分が今できることをするのが吉かと♪

 何かネガティブな精神状態になったら
 自分は今、心の「ゴミおじさん」化してないか?と、見直してみるようにしています。 
コメント
この記事へのコメント
私は本来、子供の頃からネガティブな性格で、ものすごく悪い予想をしては現実の方がマシなので安心する、と言ったヒネた性格でした。

しかし年齢を重ねるうちに、基本的な精神構造は変わらないのに、この考え方がポジティブな面を表してくるようになりました。

曰く「なんでも溜め込みすぎない様」。
今でも文句の一つも言いますが、文句ばかり言っていると「幸せが逃げる」と言うか、楽しい事が見えなくなってしまいます。

文句ばかりでくだ巻いて居る方を見ますと「ああ、目一杯、溜め込んじゃってるなあ!」とかわいそうになります。

また、こう言う方は自分の自尊心には敏感ですので、荒療治ではありますがソコを突きます。

曰く、女性の悪口ばかりを言う方には「ああ、君はロクでも無い女とばかり付き合ってきたんだねえ・・・」とか、職場の悪口ばかりくだ巻いて居る方には「ロクな職場じゃないんだねえ。君もそのどうしようもない職場の一員(一因)なのね・・・」とか。

グチるのは簡単なのですが、それらの全ての原因は自分にある(ロクでもない職場に居続ける事も含めて)ことを、それとなく気づかせてあげるようにしています。

ココロ(精神)のゴミは、捨てても他人の迷惑になりませんから、ドンドン捨てるのがより良く生きるコツではないでしょうか。
2009/01/28(水) 10:01:29 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
はじめてコメント致します
 生き方の達人ですね・・・・。齢50にして迷わず、という。
 ・・・・失礼いたしました。
 大変、勉強になりました。鋭いと申しますか、全く正鵠を得ていた、と申しますか。

 わが身を振り返ってみれば、往々にして私は精神のゴミ伯父さんであることに熱中しておりました。あつじ先生のブログを見て、大変恥ずかしくなったことです。今でもたまにそうかもしれません。
 裏を返したら、要するに、他にやることがなかっただけ。仕事がしたくなかった。まじめに目の前の勉強に取り組むのが嫌だった。真剣な顔をしたフリをして、要するにサボリたいだけだったと思うと・・・・汗顔の至りです(アセアセ。

>>「あいつが憎い、許せない」も「自分はかわいそう」も、同じコインの表と裏です。

 この洞察は鋭い、とまた感銘してしまったのですが、細密にどういうメカニズムを通して、これが同じものの表裏であるのか。
 その「コイン」の正体は、いったい何であるのか。それ自体が相当重要で大きなテーマであるのではないかと・・・。あつじ先生には全貌が見えていらっしゃるのかもしれませんね。

 いや、大変修養になります。これからもあつじ先生の健筆を楽しみに拝読させていただきたいと思います。

 かしこ
2009/01/29(木) 01:26:36 | URL | かずまさ #-[ 編集]
コメントいただきありがとうございます
昨日は半日取材で出ておりまして、お返事が遅れました。申し訳ありません。

>ぬうぼマンさま
 実は私も本来はネガティブ性格でして;
 とにかく将来について悪いことばかり考えて不安にさいなまれる傾向がありました。
 もう、それに自分で自分が振り回されることがイヤになるほど重なって
 んで、イヤになってやめちゃったんですね(笑
 溜めすぎない<大切ですねー!
 時には人様のグチを聞いて差し上げるのは大切なことだし(それで自殺を免れる方さえいられます)そういう余裕は持ちたいものです。
 苦しみの元は大半が自分ですから、自分を変える(視点を変える)ことでかなりラクになることをうまく伝えられたらと思います。

>かずまささま
 はじめまして、コメントいただきありがとうございます。
 長たらしい駄文をお読みくださり感激です。
 他にやることがなかっただけ<一生懸命馬鹿な政治家、犯罪者、世間の嘲笑すべき対象、叩くべき対象を探し求めているというのは、ほかに自分を満たし幸せにする道がないから、というケースは確かに多いと思います。
 本当に世の中を良くしたいのであれば、笑いものにしてるヒマがあれば、具体的にどう改善していくかを論じるでしょう。
 極端なたとえですが、これをやっていれば(コントローラーのAボタンを押せば)そのたびに預金が増えて、すてきな恋人が寄ってくるとかいうものを持っている人は、何かのアラを探してるヒマがあったら、そんなつまんないことしてないで、ずーっとその自分がハッピーになるAボタン連打に血道を上げてると思います。
 まあ、そんなボタンがあったら私も押したいですが(笑)。
 コインのなんたるか<うまく言葉で表現できるかどうか、私も未熟者で修行途上なものですから、冷や汗ですが;
 おいおいそんなことも語っていければと思います。
 どうか気長におつきあいください。
 ありがとうございました。
2009/01/29(木) 08:03:29 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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