あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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すべてのモノはアヘンである
 「宗教は民衆のアヘンである」
 と言ったのは、マルクスですが

 「アヘン」とは、ひととき人に現実を忘れさせ、現実の痛み苦しみから逃れさせてくれる手段でもあり、常用すれば依存が生まれ、心身ともに蝕まれ、現実への対応能力を持たない廃人にもなりうる危険な存在ということです。
 マルクスが上記の文章を書いた際は、後者のようなネガティブな意味だけでなく、応急手当としての前者の意味もあったとも聞きますが、もっぱら共産主義国家においては後者の意味が強調され、宗教弾圧の口実として使われたようです。

 「いささか形而上」などというカテゴリーを書き綴っている私は、無論宗教を否定するものではなく、そのアヘン的な側面という副作用にも注意した上で、形而上的な事柄と向かい合っているのですが
 さてそこで今回の本題。

 ご存知の方も多いと思いますが、すべてのモノ(有形無形ありとあらゆるもの)は「アヘン」になりえます。
 タバコや酒は言うにおよばず、マンガでも映画でもゲームでも、あらゆる人間関係でも、そこに病的な依存が生まれ、心身のバランスが崩れていくとき、すべてのモノはアヘンになります。
 ちなみに「宗教はアヘン」という言葉は、宗教嫌いの唯物主義者の好む文句のようですが、視点を変えれば科学もアヘンたりえる、と言うか、しばしばアヘンとなっています。


 古い話になりますが、私は幼いころから大のSF好きでした。
 私が子どもであった昭和30~40年代は、まだ科学がバラ色の未来を築いてくれると思わせてくれた時代でした。
 公害や核など、暗い面もありましたが
 まだ未来(21世紀と言えば遠い未来でした)(笑)と言えば、ガンは征服され家庭にはロボットがいて月旅行も可能になり、透明なチューブをエアカーが走る、夢のような世界でした。そんな少年漫画雑誌の巻等カラー図解に胸ときめかせることができた時代でした。
 そのまま中学高校と進み、当時はばりばりの唯物主義だった私は、科学大好き少年でした。
 コースは文系でしたが、一番好きだったのは数学です。
 シロだか黒だかわからないあいまいな答えではなく、かっちり明快な回答がある数学の世界が大好きでした。
 歴史や地理のような大量の知識を記憶する必要も無く、最低限の方程式さえ覚えてしまえば後は己の頭脳次第な数学が、本当に気持ちよく楽しかったものでした(記憶すべき事柄が多いという点で、化学は嫌いでした)。

 でも、そういう自分が、作家としては致命的な欠陥を抱えていることに、やがて気がつくことになります。

 私のSF志向やオーディオマニア(マニアでした)がアヘンであると最初に指摘したのは、20歳前後に何度かアシスタントに通った師匠のはるき悦巳先生でした。
 私の人間への理解が遠い部分を指摘して
 「山本君、人間から遠いトコで遠いトコで勝負しよとしてるやろ」
 と言われたものです。
 と言っても、はるき先生は、人に押し付けがましい物言いとか一切しない穏やかな人でしたから、言われたのは上記のような、やんわりしたことです。
 君の科学思考はアヘンと同じだ、みたいな激烈な表現はされていません。
 また、その当時の私は、先生の指摘を充分に理解するだけの段階に至っていませんでした。
 しかし、なんとなく、先生のその言葉は正鵠を射ているという感覚はあり、その後もずっと忘れられないテーマとして頭にありました。

 次に指摘したのは中学時代からの親友Mでした。
 マンガ家になって私が何で苦労したといって、登場人物の性格づけです。
 業界用語で言うところの「キャラ立て」というやつ。
 これがうまくできないと、その後の人物の行動パターンが読めない。必然的に話もころがらず、おもしろい展開が作れない。
 本当に苦労して苦労して、一話のストーリーを作るのに何日も何日もかかっていました。
 そんな私に、業を煮やしたMがある日、いつものように色々な科学雑誌、メカニックマガジンだの月刊Gun誌だの、買い込んでうれしそうにしている私に言いました。
 「そんな本ばっか買ってないで、もうちょっとキャラクターのこと考えたらどうだ」
 おお!
 と私は思いました。
 何年も前、はるき先生に言われたことと、Mの言葉がリンクしました。
 そうだ、オレは逃げていた。
 自分の好きなものに逃げ込み、「資料集め」という大義名分のもと、もっとも大切なことをほっぽらかして、「仕事」をしているつもりになっていた。オレの科学も趣味も、ただの逃避にほかならない。少なくとも今、オレが血道を上げるべきは、こんなことではないはずだ。

 そして私の脳裏に、有名な寓話が思い浮かびました。
 明るい街灯の下で、探し物をしている男に、通りすがりの人が尋ねます。
 落し物ですか?
 ええ。
 どこら辺に落とされたんですか?
 あっちの暗がりですよ。
 え?じゃあなぜ、こんな街灯の下で探してらっしゃるんですか?
 いやあ、あっちは暗くて探しにくいんで、こっちの明るいところで探そうと思って。

 ・・・・・・・。


 オレはこの男と同じではないか。

 そう思った私は、その日を境に何年か、その手の雑誌を買うことも見ることもやめました。
 いわゆる封印というやつです。
 こんなことしてる場合じゃない。
 オレのマンガ家生命に関わる重大事。
 趣味への逃避はきょうからやめて、オレはキャラのことを考えよう。

 それから何年、封印が続いたか覚えていません。 
 しばらくして、本当に資料集めの意味もあって月刊Gunなどは、また購読を始めましたが、科学は遠くなりました。SFも読むには読みますが、かつてのような情熱はなくなりました。これはSFそのものの変質もあったと思います(私が大のSFファンだったのは、バロウズからニーヴン、なによりクラークやアシモフが元気だった、その黄金期のことです。町の書店で、ハヤカワのハードカヴァーを普通に眼にすることができた時代でした)。
 ウィンドウズ以前のパソコン雑誌ももう買うことはありませんでした。
 数学好きで科学好きの以前の私のままでしたら、あのままその手の雑誌にも入れ込んで、きっとそこそこのパソコン青年になっていたかと思います。
 でも、そっちへは行きませんでした。

 元々人間というものに興味がなかったわけではなく、思索も大好きで、大学も哲学科の心理学を専修してました。しかし、大学時代はマンガの修行にも忙しく、本当の意味で、そっち方面の勉強を始めたのは、皮肉にも、こうした転機を迎えた後の人生でした。
 思えば大きく不思議な分かれ道でした。


 誤解のないよう申し上げますが、これはアンチ科学志向ではありません。
 科学には科学の役目があり、現代文明を成り立たせ、こうしてネットを含め自分も多大な恩恵をこうむっているかけがえのないものです。
 ただ、そのときの私にとっては、ある種のアヘンにほかならなかったということです。
 今後も科学は人類ある限り発展していくでしょう。
 それについて耽溺していけば、私は永遠にそこに浸りきっていけるでしょう。
 しかし、真の意味での人間、人の内面というものについては、少なくとも命ある間に、とりくむことはできないことでしょう(脳内の化学などとは問題が異なります)。
 また、形而上的な問題と形而下の科学は、重なり合う部分が限られており、科学でそれを語るのはカテゴリーエラーであると思っております。
 それぞれに、それぞれの領分があるかと。

 私に忠告したM氏から、あの時はよけいなこと言ってすまんかった、などとその後言われたこともありますが、私は感謝しています。
 あの一言がなければ、今の私はなかったでしょう。
 まったく別の山本貴嗣。になっていたかもしれません。
 でも私は今のこの人生が好きです。
 M氏は貴重な人生の岐路を指し示してくれた親友です。
 
 探し物は探すべきところで探す。
 暗がりで落とした落し物を明るいところで探し、無駄に人生を費やすようなマネはしません。
 「いささか形而上」な話にしても、十全に人生を生きるためであり、依存的な逃避対象を求めてのことではありません。そうなっては、それはアヘンにほかなりません。
 アヘンはいらない。
 下戸な私は生涯を、シラフで生き切りたいと思っています。



でも、頭痛や外科手術の際の鎮痛剤まで否定はしませんけど;
コメント
この記事へのコメント
棍棒でがつん!
>「山本君、人間から遠いトコで遠いトコで勝負しよとしてるやろ」

核心を「がつん」というお言葉と推察します。こういう助言をいただけることは、人生にあって稀でありすごく幸せなことですね。

私もこうしたいとかもっと効率よくと思うあまり現実的に考えて無理な行動をしていることがあり反省をよくします。

山本先生ほどの方でもこういうことがあったんですね。



>「宗教は民衆のアヘンである」

「政治」と「宗教」は主従関係を持てなければ齟齬が生じるのは必定です。かつてのまつりごとは「政」で宗教にを主とすることもあったことも頷けます。主従関係になく同時に存在できないものは一方が一方を排斥するものです。

共産主義が宗教を目の敵にしたわけです。絵文字:v-116]
2009/02/02(月) 00:33:16 | URL | やすやす #-[ 編集]
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2009/02/02(月) 09:58:32 | | #[ 編集]
哲学をいつやるか
>元々人間というものに興味がなかったわけではなく、思索も大好きで、大学も哲学科の心理学を専修してました。しかし、大学時代はマンガの修行にも忙しく、本当の意味で、そっち方面の勉強を始めたのは、皮肉にも、こうした転機を迎えた後の人生でした。


やや本題から外れますが、哲学などという大それたものは、そもそも大学生に学びうるようなものではないと思います。発達論からしても、大学生が哲学を扱うというのは文字通り十年早いのです。それを科学なんかの他の分野と同じように10代からやろうとしますから「西洋哲学史」などという、哲学とは別の学問になってしまうのでは。
2009/02/02(月) 11:00:30 | URL | カルマヨギ #-[ 編集]
ひよっこでしたから;
>やすやすさま
 いやもお、思い切り世間知らずで頭でっかちでクチのきき方を知らないひよっこでしたから
 はるき先生は辛抱強く使ってくださったと思います。
 こういうことを言ってくださる師匠というのは、とりわけ人生においてナイスタイミングで出会えると言うのは幸せなお恵みだと思います。
 いつの間にか、当時の師匠よりずっと年上になってしまいましたが、はるき先生のような人徳は身につきませんでした(笑
 どういても言うと角が立つんですよね~~、とほほほh;

>コメントくださった方へ
 ありがとうございます。
 人を呪わば穴二つと言いますか、ほんと○○主義はそのとおりだと思います。
 あ、ちなみに私も人の名前が覚えられませんで、パーティとかで名刺をいただくとき、おことわりすることがあります。
「次にお会いしたとき、お名前とお顔が一致しないで失礼するかもしれませんが」
 と(爆

>カルマヨギさま
 そもそも大学生に学びうるようなものでは<まったくです。人生のなんたるかも知らず、ろくに考えたこともない子どもですから。
 童貞少年に性の技巧を教えるよりも無意味なくらいかも知れません(性の技巧ならまだ予習くらいの意味は持つでしょうが、哲学の場合、言ってる意味がわかりませんよね)。
 
2009/02/02(月) 15:42:19 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
やり方が完全に解ったからといって使えるのとは別の話
実際に使って見なくては解らないことは多いものです。

1+2=3

これは普通に考えれば当然です。

ところが現実の世界では、


1+0.02×3a+(1.75+0.5^2)-0.06b×c=3

a=b×c

みたいに、いやもっと複雑に無限に変数が織り込まれていて、それらを上手に紐解いてやらなければ見えてこないってのがよくあること。

若き内は、潜む多くの変数を得ることが難しい。得るにはどうしても時と場を経なくてはならない。経験を侮ることなかれ。

年を経て多くの変数を得る。しかし、今度は扱う情報が多すぎて持て余す。直感を侮ることなかれ。

結局日々実践的修行なのだということで・・・。v-12
2009/02/03(火) 01:41:26 | URL | やすやす #-[ 編集]
ころんで覚える
>やすやすさま
 人生何事も転んで覚えるだと思っています。
 経験は貴重であり失敗も貴重です。
 直感のない人とは、分かり合えないことが多いです。
 とりわけ私どもの仕事は、直感なしの創作はありえないので、息をするのと同じくらい身近なものです。無論はずれるときもありますけど。
2009/02/03(火) 04:18:52 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
科学と宗教
銃器やオーディオなどは科学技術の産物ですね、銃などがどういう、素材で製造されているのかや、どれぐらいの製造コストがかかるのか、それからオーディオもそもそもどういう仕組みで音が鳴っているのか、など突き詰めて考えられれば、面白いでしょうね。鉄なども超高純度のものが実用化されたら色々応用ができるでしょうね。私はよくわかりませんが。v-15

宗教なども、アメリカなどはキリスト教原理主義みたいなものでしょね。(オバマは隠れムスリムと噂されましたが・・・)アメリカの新自由主義などの思想もキリスト教徒が被っている化けの皮に思えてしまいます。やっとこさ一段落つきそうなイラク戦争なども、宗教戦争めいていましたから・・・
2009/02/06(金) 19:44:10 | URL | まえやま #-[ 編集]
深く調べればきりがないくらい
>まえやまさま
 いずれも調べていけば際限なく興味深い情報が出てきますね。
 かの国であなたの宗教は?と聞かた場合、キリスト教の何派かと言う意味で、キリスト教以外の宗教を想定していない場合があるとも聞いたことがありますが(笑
 一方で、そういう束縛から離れた方々もいっぱいおいでで、これまたケースバイケースですね。
 仏教徒の有名ミュージシャンとかもおいでですし。まあ、色々です。
 科学方面は、人の生活向上には欠かせないことですが、私の場合、自己の内面の向上が第一の関心事なので、どうしても後回しになってしまいます。
 ありがとうございました。
2009/02/07(土) 09:35:16 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
オーディオは宗教です
横ですが失礼します。

>銃器やオーディオなどは科学技術の産物ですね、

>まえやまさま。

いえいえ、生まれは科学の子ではありましたが、今ではオーディオは宗教です。特に福沢先生が100人単位の世界では。たとえ科学的には有り得ない事でも「よい音がする」と信じる宗教世界では真実なのです。そしてたくさんの福沢先生がお布施として・・・・
2009/02/15(日) 02:34:05 | URL | ゆたぽん #-[ 編集]
なつかしや
>ゆたぽんさま
 私もかつてはオーディオファン(マニアと言うにはヘタレでしたので)で、二桁までなら支払ったものでしたが
 町工場にミクロン単位のひずみをさわって検知できる職人さんがおいでなように、通常ではありえないレベルの音の違いを聞き分ける方も中にはおいでなのでしょう。
 わからないけどわかったつもりの方もおいでなのでしょう。
 趣味の世界は底知れませんね♪
2009/02/15(日) 19:12:41 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
デジタルって何だっけ?
>やまもとさま
>通常ではありえないレベルの音の違いを聞き分ける方も中にはおいでなのでしょう。

その様なアナログの世界ならばそのようなこともあり得るかもしれません。たとえ電線の皮の色で音が変わるとか、東西南北の向きに拠るとか、AC電源はだめだからバッテリーに限るとか・・・
しかし天下の日経新聞のコラムでこんなこと書いてちゃ宗教ですよ。同じデータのCDも材質が変わると音がよくなるんですと!デジタルって何だっけ?と考えてしまいました。

http://it.nikkei.co.jp/digital/special/net_eh.aspx?n=MMITxw000017022009&cp=1
2009/02/28(土) 01:52:13 | URL | ゆたぽん #-[ 編集]
なるほど!
>ゆたぽんさま
 なるほどそれはすごいですー!(笑
2009/02/28(土) 19:28:34 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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