あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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「被害者」になること≠「被害者」であり続けること
 昔から思うことで
 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます)
 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。

 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて
 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている
 ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。
 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。
 
 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依存しあって離れないケースなど、それがもう一歩進んだ(悪化した)例で、その場合もはやどっちが加害者でどっちが被害者か卵と鶏と化しているような・・・(親子関係の場合、最初の一手は原則「親」なんでしょうが、泥沼化した戦争といっしょで、長期に渡ると最近の一手はもはやどっちもどっち、みたいな)。
 需要と供給が合ってるんならいいじゃないかとはけして言えないことは、そういう人間関係がどういう末路をたどるか、ネットやテレビや新聞のニュースをひもとけば、だいたい察しはつくのですが。


 私が乗る自動車が砂漠でクラッシュしたとします。
 道路からはずれた砂漠の真っ只中。他の車もやってきません。
 法定速度(そんなものがあったとしてですが)も守り、しらふで、安全運転だったけど突然車が大破してしまった。
 運良く私は助かりました。
 骨も内臓も無事で、動くことも出来ます。
 けれど精神的には大層ショックを受けました。ケータイも壊れ、どこにも連絡はとれません。
 クラッシュの原因はわかりません。
 整備師の責任でしょうか、自動車を作った自動車会社の責任でしょうか。それとも気づかなかった私のミスでしょうか。もしかしたらテロかもしれません。くわしいことは調査を待たなければわかりません。でも、私のせいではないように思えます。
 さて、私は、このクラッシュは自分のせいではないから、誰かが私の面倒を見てくれるべきであると、その場に坐って何もしないでいるでしょうか。
 私が砂漠の真ん中で立ち往生していることは、誰も知りません。
 飛行機の墜落のように、すぐ救援はやってきません。ヘタに動かないでいることが最良とは言えない状況にあります。
 日光は照りつけ、夜は凍える寒さが襲ってきます。
 その場にとどまれば、ただ乾き飢え凍えていくばかりです。
 誰のせいでこうなったかは、無事町に戻ってから考えることにして、まずはどこかオアシスや連絡可能な人家を探して歩き始めるでしょう。

 でも、歩き始めない人がいます。
 事故現場まで、奇特にも水と食料と毛布まで運んでくれる人がいたりすると
 もうその場から動かない人がいます。
 一生誰かのせいにして(「私は無罪」を「免罪符」にして)事故現場で暮らすつもりのようです。

 さてこの人は「被害者」でしょうか。
 事故が起こった瞬間、その人に罪は無いと言う点で、確かに「被害者」であったかもしれません。
 しかし、「今も被害者であり続ける」こととは別の話です。過去に「被害者であった」ことは事実でも、その後「被害者であり続ける」ことは、その人が自分で選んだ道であり、誰かが押し付けたものではありません。
 その人が望んで「被害者であること」に「とどまって」いるのです。

 人は瞬間瞬間に、次の人生を、自分の歩む道を選んでいます。
 一瞬前に何があろうと、その次の一瞬を選ぶのは自分です。
 ひどいイジメや犯罪に巻き込まれ「被害者」となるかも知れませんが、次になにをするかは自分の選択です。

 以前の記事でも触れましたが、精神の病を大雑把に分けると二つのタイプがあるようです。
 なんでもかんでも自分が悪いと自己嫌悪に陥る「神経症」タイプ。時にはそれで自殺さえします。
 反対に、なんでもかんでも自分以外の他人が悪いと他人を非難攻撃して被害者モードに陥る「人格障害」タイプ。
 永遠の被害者で居続けようというのは、この後者に分類されるでしょう。

 疾病利得(しっぺいりとく)という言葉があります。
 病気になることで、その患者が得られる利益のことです。
 他人から同情される、世話を焼いてもらえる、注目される、仕事や勉強をしないでいい、色々あります。
 いわゆる仮病やミュンヒハウゼン症候群ではなく、一種の心身症として、本当に体がそういう症状を作り出すこともあります。
 私自身、時々現れる身体の不調の何割かは、そうした心身症の一種であると思っていますし、今こういう不調が現れているのは本当に器質的に何か問題が在るのか、何か眼の前の問題から逃げようとして潜在意識と肉体が作り出している一時的な症状なのか、よく見直してみるようにします。
 自分自身の体の声を聞くことはとても大切なことです。

 この「疾病利得」と同様に「被害者利得」とでもいうべきものがあって、それを握り締めている人がいます。
 周囲の人も迷惑ですが、何よりその本人が、自分の人生を食いつぶしています。
 もったいないとは思うのですが、本人が好きで選んだ道である以上、他人は変えることが出来ません。
 できるのは本人の変わろうと思う意思だけです。
 変わることができないのではなくて、変わりたくない、変わろうと思わないケースが少なくないように思います。

 自分の親戚にもそういう人がいましたし、友人や知り合いの方のご家族にも、似たような例があります。
 いつか時が満ちて、ご本人も周りの人も、すかっと気持ちのいい一歩が踏み出せるといいなあと願うものです。


追記
 誤解の無いように補足しておきますが、世の中には本当に傷つき疲れて一時的に動けなくなっておいでの方も確かに存在します。
 傍目にはヘタレの能無し、ダメ人間の烙印を押されてたりしますが、
 そういう人は、ちょっと復活のための休息中なだけです。
 言うなれば「タメ」の状態。
 ジャンプする前にしゃがむ、発勁する前に蓄勁する、あの「タメ」、「タメを作る」の「タメ」です。

 『三年寝太郎』という民話がありますが、ちょうどあんな感じで、長いこと何も出来ない「ダメ人間」と思われていた人が、実はただ動けなかっただけの「タメ人間」で、動き始めると自分などよりずっと優れた才能の持ち主だったというようなケースを、人生で眼にしたことが実際にあります。
 無論、いきなり動いても体も心も固まってて、少々ウォーミングアップが必要な場合もありますが
 マジでこんなすごい人だったのかというケースがあります。
 だから、人間簡単に人の真価など見抜けるもんじゃないなと;

 「ダメ人間」と「タメ人間」の区別は、なかなかつけるの難しいです;

追記2
 もう一歩踏み込んで言うなら、今生で目覚めなくても次の人生で、という場合も考えられますが(そういう荒唐無稽な話は信じないといわれる方も少なくないでしょうが)(笑)
 そこまで行かぬまでも、不治の病で余命いくばくもないという状態で、目ウロコなさる方も実際いられます(最近もそういうケースを見聞きしたところです)。
 人間最後までわかりません。
 そういう意味で「死火山などない、すべては休火山に過ぎない」というように、世に本当の意味で「ダメ人間」などとレッテルを貼れる人はおらず、すべては「タメ人間」であるとも言えるかと思います。
コメント
この記事へのコメント
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世の中には自罰的(神経症)な人と他罰的(人格障害)な二種類の人がいる(趣意)というのは、かなり大雑把だと思います

自分も心理学を勉強したわけではないのですが、神経症の人は大概他罰的であり、そのような分け方に疑問を感じました

また「疾病利得」「人格障害」というレッテルは、
貼られた人を危険に晒す行為にもなるように感じます

9の正論を言ってる人が1間違ったことを言っても、それは間違いと認識されずに通ることは心理学で実証されています

神経症の人は自分ルールを持っているため、それにかかると猛然と他罰的になり逆切れ状態になるようで自罰と他罰は表裏一体でもあるようです

ダメもタメも表裏一体で人は環境次第だと思います

勿論最近の猟奇的事件だけは理解できませんが…

長々と失礼致しました

2009/01/27(火) 16:54:08 | URL | #vXeIqmFk[ 編集]
コメントありがとうございます
>コメントくださいました方へ
 
 神経症と人格障害についての記述は、以前もアップしました精神科医M.スコット・ペック氏の分析を参考にしております。
 大雑把な分類であることは文中でお断り申しあげております。
 今下書き段階の日記にも書きかけておりましたが、他者への攻撃(恨みや敵意を含む)と自己嫌悪、自罰はおっしゃるとおりコインの裏表です。
 いずれも思考と感情のバランスを欠いたものです。
 人生で幾たびかそういう方とめぐり合い、逆恨みを受けたり私や家族も多大な迷惑をこうむっております。
 異なった意見に耳を貸す意志がなく、自分への同意のみしか求めない人と、同じ土俵で対話することはできませんので、カウンセラー等の専門家にお任せしたいと思っています。

 人は環境次第というのは、一般論でありますが、限りなく環境と別個に自立した感情と思考の恒温動物ともいうべき人もいれば、すぐに環境に左右され安定を欠いた、感情と思考の変温動物とも言うべき人もおいでです。
 いつ誰にどのようなレッテルを貼るか貼らないかは、人それぞれの判断に任されております。
 何かを語る際にある種の仕分け、一般化は避けられないもので、コメントくださいましたあなたご自身も、「人は環境次第」というように、多様なバリエーションの人間をひとくくりに語っておられます。

 私はどなたとも討論したり論破したりということには興味がありません。
 賛同しかねる内容がありましたら、スルーなさってください。ご不快な点がありましたらお詫びいたします。
 コメントありがとうございました。
2009/01/27(火) 18:11:44 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
正論を怪しむ心
> 9の正論を言ってる人が1間違ったことを言っても、それは間違いと認識されずに通ることは心理学で実証されています

こういう話題のあるところにあって重要なことですね。

先日某関西系の歌手の司会するトーク番組だかで温暖化は無いとおっしゃられている先生が出ておりました。だから、ごみの仕分けとか無駄だという話で。まあ、その先生のおっしゃることも、ごもっともかと思う反面、言っていたことが後に否定される例もありますので、結論には至らず半信半疑。私は、どちらが正しいにせよまあ常識的な行動にしとこうかと思うしだい。ですが、ごみ捨てをしたくないと思う気持ちがすごくあったら完全にその説にのってましたね。

一割の嘘をぎりぎり待ったした感じです。恐るべし。そのへんは論の発し手と受け手のキャッチボールってことですね。

まあ、落とすとこだたんですけどね。いやこの場合落としたのかも・・。v-148v-162
2009/01/28(水) 00:00:26 | URL | やすやす #-[ 編集]
いらっしゃいますよね、そういう方
>やすやすさま
 人は信じたい嘘を信じやすい生き物で、詐欺師はそこにつけこんできますよね。
 温暖化否定の学者さんの論旨の是非を判断するだけの学識は私にはありませんが
 わからないところは自分の直感で補いながら、勉強していくしかないですね。
 一割の嘘にだまされると自分も仲間も不幸にするなあと昨年も思うことがありました。
 気をつけていきたいと思います。
 ありがとうございました。
2009/01/28(水) 03:09:51 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
静かなる被害者に
おとなしく被害者であり続ければいいのですが、加害者になるんですよね。それも一体何倍返しだと、加害に比べるともう最初の被害なんか無視できるほど小さくなったりしまして、われながら恐るべき増幅装置だと思うことがよくあります。

加害しないように、何とか自分のところで食い止めることができれば、人生に成すべきことは他に何もないとさえ思います。
2009/01/28(水) 22:40:13 | URL | カルマヨギ #-[ 編集]
そうなんです
>カルマヨギさま
 加害者のすべてが被害者であると言ってもいいくらい人はすぐに転じますね加害者に。
 しかも恨みは何倍返し。まるで不幸の増幅器です。
 自分のところで食い止める<まったく私もそう思って生きています。
 不幸の伝言ゲームは全部自分のところで灰にして、幸福の伝言ゲームだけ回していければと♪
2009/01/29(木) 08:06:18 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
レスありがとうございます
名前を入れたつもりが、入れ忘れていました
レスありがとうございました

異論に対し疑問を問うことはありますがけして喧嘩するつもりはありません

自分はよく見ためで犯罪者に疑われ嫌な思いをします
不当な仕打ちを受けたら自分の所で止めようというのは内容により、我慢できない内容には復讐を考えてしまいます

良からぬことを考えているように見えるようで、悪循環のようですが…

ただ最近の余り酷過ぎる犯罪は理解し難いです

2009/01/29(木) 19:57:17 | URL | 厨某 #vXeIqmFk[ 編集]
識者の威光
>是非を判断するだけの学識

山本先生、この事から連想することがあります。

歴史上の文献とかはつくづく知っている者と持っている者が権威です。
意味の判りにくい文ですが、とあるAという文献があったとします。Bが所有者。Bは当然それを読んで知っています。そして、BはCに文献にこう書いてあるぞと力説する。文献の真偽はこういう場合は問題にされない。でも、大概文献には難しい難解なことが記されていて時代が感じられるもの。そこに権威が発生します。

いやもう、文献が本当に歴史上重要な史実を照らすものである場合もあるでしょう。逆にそれらしい模造だったり、記録した人の立場がそう書かせていたりもして、思った以上にその資料自身の解釈こそが、まず研究されるべきってのもあります。

巷にたむろする文献論議を、仮想定理(それぞれが議論展開するのに使う絶対的な根拠の比喩として定理です)に基づく議論と考えます。

仮想の定理は、しっかりした本当の意味の定理と言えません。だから、どれほどその上で議論と意見を重ねても絶対に現実での結論はでません。

「議論にあってはその基盤を見極めよ。」
2009/01/30(金) 01:40:10 | URL | やすやす #-[ 編集]
きょうはこちらは朝から雨です
>厨某さま
 重ねてご丁寧にコメントくださりありがとうございます。
 見ためで犯罪者に疑われ<そういうことで損をなさる方、いらっしゃいますよね。
 知り合いの息子さんで、視力が悪く目つきが悪いのを誤解され、学校で先輩にいじめられて自殺された方がおいででした。
 内面がにじみ出た悪相というのも無論ありますが、そうではないうわべで人を判断されるのは本当に困りものです。
 
>やすやすさま
 権威<そういえばゴヤの作とされていた有名な絵画が弟子の作と判明しましたね。
 フェルメールの贋作とか
 専門家の権威、必ずしも当てにならずです。
 武術の世界では、伝来の巻物を持っている方が、腕は劣っても宗家になったりという不条理があるようです。
 「議論にあってはその基盤を見極めよ。」 <同感ですね。
2009/01/30(金) 15:41:03 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
被害と加害
私は法律の専門家ではないですが、法的な被害加害関係がわかりきっているのであれば、司法手続きを通して決着を付ければ一段落すると思う。

では目つきが悪いという人が気に食わない(目つきが悪い人間を見るのが不快だ)という人がそれを理由に賠償請求ができるかどうかというと無理でしょうね。自分が「不快な思い」をすることと「被害に遭う」ということをごちゃ混ぜにする人が多いわけですね。

気に食わない人を非難するのが正義と思い込んでいる「被害者」がいるのか・・・

それから、何の契約関係もないのに他人(一方的に仲間と思い込んでいるのでしょうけども)をしつけようとする人もいますね、しかし他人をしつけるという勝手は通らないので、被害感をもち攻撃的になるという、困ったことになる。

2009/01/30(金) 21:43:12 | URL | まえやま #-[ 編集]
そうなんです;
>まえやまさま
 心の傷は言ったもん勝ちという本がありましたが(未読ですが)
 「不快な思い」をすることと「被害に遭う」ということをごちゃ混ぜにする人が多い<本当に多いようです。で、不快な思いをさせられた≒被害者になった→相手は加害者で悪であるから成敗してもいい
 という短絡的結論で、迷いなく攻撃をしかけるという・・・
 マスコミなどの影響も大きいのかもしれませんが
 そもそも親や教師にそういう人がいては、子どもを責めるわけにいきません。
 学校では因数分解より先に、その辺の分別をまず教えて欲しいところです。
 他人をしつける<悪さをした子どもを叱るのとは別の話ですよね。
 世の良識の代表者のつもりで、実は非常に狭い自分の生まれ育った経験の狭い視野から得ただけのローカルルールしかご存じない場合があって、大変です。
2009/01/30(金) 22:44:14 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
>コメントくださいましたあなたご自身も、「人は環境次第」というように、多様なバリエーションの人間をひとくくりに語っておられます。
>私はどなたとも討論したり論破したりということには興味がありません。
>賛同しかねる内容がありましたら、スルーなさってください。ご不快な点がありましたらお詫びいたします。
>コメントありがとうございました。

思うにコメント1の方は、この記事を読んだ多くの人に対して警告発したのだと思います。9割の真理に1割の誤りを混ぜた主張を無自覚に受け入れてしまうような私のような方々に対して。
それに対して別にこんな敵意むきだしのコメントを返さなくてもいいのに。コメントありがとうなんてぜんぜん好意的になってないよ。
2009/02/11(水) 14:11:47 | URL | #wLMIWoss[ 編集]
ご意見承りました
>2009/02/11(水) 14:11:47 にコメントくださいました方へ
 ご意見承りました。ありがとうございます。
 繰り返しになりますが、私はどなたとも敵対する意思はありません。
 不完全な人間ですので心中ネガティブな感情が浮かぶことはありますが、それは私の問題(私の未熟でいたらない点)だと思っております。
 近年は敵意などというものを持つこと自体、興味がなく、心に浮かぶことがあれば手放していくよう努めております(努めているということは達成していないということですが)。
 私の限られた視点から見てですが、奇異に思える点、矛盾があるように思う点、あるいは誤解されているように思われる点などは申し上げることがありますが、それだけです。それが絶対正しいとか主張するつもりは毛頭ありません。私が勘違いしていることや、間違っていることもあるかと存じます。
 ご不快に思われる点がありましたら、お詫び申し上げますというのは、本当にそのとおりのことです。
 すべてのご意見に賛同することはできませんし、賛同しない(否定的である)ということが好意的でないと言われれば、そうかもしれません。
 そういう意味では、すべての方のご意見に好意的であるということは、今の私には不可能です。
 ご意見ありがとうございました。
 
追記
 間違っていたらお許しいただきたいのですが
 おっしゃりたいことの一つは、
 もっと他に言いようがあったのではないか、ということでしょうか。
 もし、そうでしたなら、おっしゃるとおりだと思います。私の未熟をお詫びいたします。
2009/02/11(水) 17:47:14 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
レイプ犯が男をターゲットにすれば皆さん平和ですね
私も性犯罪者は女児ではなく男児を狙ってくれれば全て解決するのに、昔からと思っていました。
女性は心的外傷後ストレス障害を患ったり、精神科に通い続けたり、自殺したり、民事訴訟を起こしたりと被害者であり続けていますが、
男性は幼い頃に性虐待をうけてもレイプされても平気、寧ろ同情されて利得だと思っている、されたがっていますもんね。
2009/02/12(木) 08:06:59 | URL | #zoUWJXeQ[ 編集]
私の誤解だったやもしれません。
とてもよいエントリでありましたので、反論に対する言葉がトゲトゲしく感じただけでした。おっしゃるとおりよく読めばそれほどトゲトゲしくありませんでした。横から申し訳ありませんでした
2009/02/12(木) 21:09:05 | URL | 2009/02/11(水) 14:11:47 にコメントした者 #-[ 編集]
お互い
どんな名選手でも暴投したりする。
また、暴投したからこそ、それをとるナイスプレーも生まれ、ひどい球のおかげで今まで取ったことのない球を取る力が身に付いたりするってことかなと・・・。v-218

本当に人を傷つけるのは、秘められた悪意。
2009/02/12(木) 21:27:50 | URL | やすやす #-[ 編集]
遅レスご容赦
>2009/02/12(木) 08:06:59 にコメントくださいました方へ
 どのようなケースについて語っておいでなのか私にはわかりかねます。
 男性女性を問わずどなたも惨い目に合われないことを祈ります。
 被害者ご本人のみならず、その方がその後の人生で関わるすべての方々の幸せのためにも。また加害者本人のためにもです。
 無論被害に逢われた方の癒しがけしてなおざりにされないようにと願います。
 男女の差別というのは有史以前からの問題で、そういうテーマを扱った史実のみならず神話伝説(に姿を変えた史実というべきでしょうか)も見受けられます。いずれ取り組んでみたいと思うものです。
 
 こう書きますと、ただの一般論として語っていると思われるかもしれませんが、私にも幼少期に性的虐待を受けた親しい友人もおり(女性です)、けして無縁の他人事とは思っていません。いつの世にも絶えない悲劇ですが、できる範囲で(微力ですが)考えできることをしていきたいと思っています。
 ご意見ありがとうございました。

>2009/02/12(木) 21:09:05にコメントくださいました方へ
 おそれいります。
 思わぬ暖かいご理解をたまわり、感激です。
 私は元来せっかちで結論を急ぎすぎる癖がありまして、そのために意図せずして相手のお心を傷つけてしまうことがあります。
 気をつけたいと思います。
 本当にありがとうございました。

>やすやすさま
 善意をよそおった悪意をつきつけてくる人は、人生で何度か遭遇しました。やっかいなものです。
 同じ言葉でも時と場合で正反対に受け取られたり(同じ相手であっても)コミュニケーションは本当に難しいです。一生勉強だと思っています。
 ありがとうございました。
2009/02/13(金) 14:11:30 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
性犯罪で男女が分かり合えないのは当然。やる側とやられる側の違い。男性に理解を求めたところで無駄。レ.イプ陵辱痴漢ものは大好きだし、女性を差別したがりますから。
2009/10/25(日) 10:23:08 | URL | あー #-[ 編集]
男性にもございます
>あーさま
 陵辱という問題は男性社会にもあります。
 たとえばアメリカの刑務所内における同性間のそれなどです。そこで被害に合われた方は、少しは性犯罪の被害者の女性の気持ちが想像できるのではないでしょうか(妊娠という問題はありませんが)。
 セクハラと言えば一般に男性が女性に行うものと思われていますが、犯罪関連のニュースをひもとけば、逆の例もありますし、同性間のそれで裁判沙汰になった例もあります。
 異なる人間同士が本当に理解しあうことは超能力でもない限り不可能であり、経済状態や学歴の格差、その他様々な原因からくる食い違いが、そこかしこにあります。
 基本的に理解しあえないことを前提に、相手を思いやる、敬意を持つことを心がけていくのが始めの一歩と思っております。
 コメントありがとうございました。
2009/10/25(日) 17:04:34 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
はじめまして
ついさっき、モヤモヤと考えてみたことを検索して、ここに辿りつきました。


私はかつて、ある被害者でしたが、そのことがいまだに恐怖感を伴い、人生お先真っ暗な気がしていました。

でも先に進みたい気持ちが大きく、私は何故いつまでもこんなに怖いのか? と突き詰めて考えたら、どうも私は無意識のうちに被害者の立ち位置を選んでいるようなんですね。

新しい発見だ! と思いながら、このblogに辿りついたわけです。

一つ足かせが外れた気がしました

ありがとうございます。
2010/01/25(月) 12:26:52 | URL | きゅあ #kzseJazQ[ 編集]
おそれいります
>きゅあさま
 はじめまして、ようこそいらっしゃいました。
 何かお役に立てることがありましたのなら、光栄です。
 この種のテーマを書いていて、心配なのは、すでに傷ついたり悩み苦しんでおられる方を責めたり非難していると誤解されることです。
 そんなことをしても何にもなりませんし、私が私の人間性を落とすだけです。
 そうではなくて、今の苦しみを超えてもっと楽に生きられる道があるから、どうか絶望なさらないでくださいという声援を送りたい一心です。
 もし何かのできごとで本当に被害者になられた方でも、被害者になるのはそのできごと一回で十分で、そこから先は、自分で自分を被害者の牢獄に閉じ込めることなく、自由に幸せになっていっていただきたいと願います。
 ありがとうございました。
2010/01/25(月) 12:55:02 | URL | 山本貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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