あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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響き合わないネットの知人/人は切らず(感情ゲームのネタにせず)
 「ブログ」のカテゴリにしたものか「人づきあい」にしたものか悩んだのですが、とりあえず「ブログ」に入れました。

 すでに何度か書いてきましたが、私はmixiもやっております(このブログと内容はほぼ同じです)。
 
 んで、先日、とあるマイミクさまから、マイミク解消のお申し出があり、同意解消させていただきました。
  マイミクってなんだとおっしゃる方もおいででしょうが、要は仲のいいネット上の知人ということで、ログインすると相手の日記が更新情報などが見られるものです。
 解消のメールがきた理由は私がもう何ヶ月もその方のページをまったく訪れなくなったからです。
 共通のマイミクさまのところにはコメントがあるのになぜだ、自分を嫌っているからなんでしょう、とのメッセでした。

 結論から言って、共感する日記がないというそれに尽きます。
 別に「積極的に」嫌っているわけではありません。
 人間は好きと嫌いの間にニュートラルな無関心もあります。
 誤解のないよう申し上げますが、無関心=無価値ではありません。たとえばノーベル賞科学者の難解な論文は、私どもの日記とは比べられない有益なものでしょうが、別に私は読みたいとは思いません。興味の有無や響き合いの有無と、有用無用の区別はまた別のものです。
 そのマイミクさまとは、その方からのお申し出でマイミクになり、以前何度か拝見しておりましたのですが、そのマイミクさまの書かれる日記は、私とはまったく響きあわないものでしたため、私は身を引かせていただいたものです。

 何がポイントかと言うと色々ありますが
 「他者を切る」
 内容には原則私は参加しないのです。
 私は近年「己を切る」ことには興味がありますが「他者を切る」ことにはなんの興味もありません。
 と言って、世間のすべてに没交渉無関心で世捨て人のように生きるという意味ではありません。
 自分なりの意見もありますし、選挙にも行きます。
 狭い視野、限られた知識の自分では気づかない、世の中の様々な問題点を指摘してくださる方々の記事はとても有意義であり、感謝しています。

 要は、自己のフラストレーションの解消、気晴らしのネタに他者を利用しない(他者を裁いたり非難したりする行為だけでなく思考すら用いない)ということです。
 解決されるべき問題は、必要最小限の思考と行動で処理し、無用の感情を紛れ込ませないということです。
 たとえば、パソコンが不調になったら、そのためになすべきことをしますよね。ユーザーである自分が問題なのか、製造元の問題なのか等々調べて、必要な処理をする。そこに、パソコンや自分や製造元その他に怒ったり呪ったりといった無用の感情を加えない。
 他のことでも書いてきたかと思いますが
 私は「感情に使われる」存在ではなく
 「感情の主人」でありたいと思っています。

 喜怒哀楽を否定しているのではありません。
 私は日々の様々なことに喜びと楽しみを見つけます。
 悲しいこともあります。もっとも怒ること同様、昔に比べてかなり減りましたが(笑

 世の中には確かに放置できない不正などあります。
 日々の暮らしで許しがたいこともあります。
 傷つくこと、憤慨すること、色々ですが、すべては、必要ななすべきことを行うだけであり、そこで発生した自己の感情を拡大再生産して我を忘れたり、同じようなフラストレーションを抱いた仲間と、「共通の敵」を呪いあったりあざけり合ったりする必要は一切ありません。
 問題解決のための情報交換は大いに賛成です。

 私はここ何年もそういうスタンスで生きています。

 ときには、どうしても心に溜まった毒を吐かないと精神の均衡が保てないという方もおいででしょうし、それはわかります。
 ただ前述のマイミクさまは、あまりにも、そういうことが多すぎて、私は日記を読みすすめられなかったのでした。

 ちなみに「自分を切る」
 のも、やはり必要なことを行う(冷静に自己分析し、改めるべきは改める)のであって
 「自虐」や無用な「罪悪感」のとりこになって暮らす「精神的M」な常態を言うのではありません。

 これは私が今の段階で選ぶ私にとっての最良の道であり、他の方に適用するものでもありません(自分の道を他者に強要するのはトラブルの元です。ちなみに、そういう方の日記にもうかがいません)。この先もっと良いあり方があれば、それに移行しますし、なければこれを深めるでしょう。
 私は若いころもう十分に、自分のことを棚にあげて人を裁き責めましたから、もう残る人生でそういう作業はする気がないのです。

 誤解のないように申し上げますが、私は私の共感できない日記、生き方の方を非難攻撃する意思は一切ありません。ただ共感しないものからは身を引かせていただくだけです。そこにどちらが善だ悪だ、どちらが正義だとかいうものはありません。

 ちょっと堅苦しい話になってしまいましたが
 同じような問題はこれからも起こるでしょうから、これを機会にアップしておきます。

 自分にも皆様にも、今日が豊かでありますように。
 ではでは♪
コメント
この記事へのコメント
こんにちは
はじめまして^^
通りすがりにお邪魔させて頂きました^^

応援ポチッポチッポチッ~ン!!

更新楽しみにしています♪


2008/10/14(火) 15:59:45 | URL | kk #-[ 編集]
私はmixiをやっていませんが、ヨメはもう結構長くやっています。

やはり同じような事例はあるようで、中には何故?ヨメにマイミク申請をしてきたのか不明な方もいるようです。

共通の話題も、興味も全く無く、ほとんど「足跡」も残さないと言うのにマイミク登録されていると言う・・・・

ネットは所詮、「ヴァーチャル」な世界ですから、そこで知り合った方たちも「ヴァーチャル」な世界の住人で、「リアル」な友人たちとは全然違う物だと私は考えますが、それは普通の感覚では無いのでしょうか?

あと、「ヴァーチャル」であるからこそ警戒心が薄く「毒」を吐きやすいし、吐いても「リアル」な時ほど回りに気を使わないと言う感覚が多く見受けられます。

ネット用語的であまり好きではない言葉ですが、「KY」(その場の空気を読め)と言うのは、ネットをやる上で、やはり必要なのでしょうね。

私は子供の頃から「日記」を書くのが大嫌いだったので、未だに「mixi」も「ブログ」も無縁の存在なのですが(笑)
2008/10/14(火) 16:56:03 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
ネット活動の怖いこと
私はmixiはやっていませんが、最近、自分の感覚の変化で怖いなと思うことがありました。

ご存じの通り、私もブログやサイトを持っておりますが、特にブログでは記事に対する「拍手の数」が必要以上に気になる・・・という感覚です。

最初は別に、読む人から共感を得ようとして始めたブログではありません。あくまで自分の趣味を「一方的に」発表する場として使っていたはずでした。来る者拒まず、去る者追わず。
しかし、自分で気に入った記事に他の人が拍手をたくさんくれると素直に嬉しいし、逆だと「なんで?」と思うようになっていました。そのうちに、拍手がたくさん得やすい記事を書くようになっちゃったり・・・

なので先日、思い切って自ブログから拍手機能を廃止してしまいました。
読み手の反応を気にせず(ネットで公開しても差し支えのない範囲で)自分の考えていることをありのままに表現すること・・・ここ数日は忘れていたその感覚を取り戻せた気がしています。

何のためにブログを含むネット活動を自分はやっているのか・・・ということを改めて考えさせられた出来事でした。

ネットって怖いですね。知らないうちに「当たり前」と思っていることの基準がずれてくるのです。
先生の記事の中に出てきたマイミクのかたも、「コメントをもらって当然」というのがいつの間にか基準になっちゃった人なのかもしれませんね^^;
2008/10/14(火) 22:12:52 | URL | にゃん #cwHBdaMk[ 編集]
沈黙の刃
先生の考えにとても共感します。

>要は、自己のフラストレーションの解消、気晴らしのネタに他者を利用しない(他者を裁いたり非難したりする行為だけでなく思考すら用いない)ということです。

私は、ネットで自身の意見を述べていてよく思います。

自身は今までの人生にあって人の在り様を自身を実験台に研鑽し続けている者と思います。一度得た考えや思いは、決して自分の体から捨てることは出来ません。(忘れるという現象はありますが、それは在るが取り出せない状態と解釈します。)そして、思いや考えは言葉に載って発せられます。

ネットの世界はとても広い。しかし、意見を戦わせて互いの理解を深め互いに成長に至れるることは実にまれです。

炎老師が言いました。(先生のネームですね。)

「三合炮はけんかとはちがうよ。技は正しく行うね。」

自身の発する言葉でやみくもに相手を傷つけうような喧嘩はしたくありません。

武術の対練とかの動画を見るとぱしぱしと戦闘モードっぽいのがありますね。しかし、それは喧嘩じゃなくて鍛錬なわけです。喧嘩にあっては得ることあたわず鍛錬にあってはそれを得るのです。


互いにそれなりの技量がなければ大怪我にもなることでしょう。(大概は技量の高い者が手加減しながら導いてくれるものです。)言葉と精神の世界もそれと似た構図が成り立ちます。
私は、私と相手に差があって圧倒されるならば頭をたれ負ける覚悟でいます。能力で負けることは人生にあって珍しいことではありません。しかし、負けて頭を下げたからこそ得られる人生の宝があります。負けを認め教えを請うことがどれほど自身に有益なことであることか。(いつもはっきりと教えてくれという訳ではありません。)自分の人生にあって勝利といえましょう。これは、ストリートファイト的な鍛錬にほかなりません。


負けたとか適わないとか感じて気分を壊し相手を切り捨てる様に逃げ出したらどうでしょう。(特にネット上では相手には理由など理解できない無言の切捨てが多いものです。現実でも増えていると思えます。)それこそ本当の負け犬です。この後の人生でも永遠にそれを繰り返すと思えば、見ていることが少し悲しく思われます。私も切り捨てられちゃうことがありますが、まあ、大概理解できないものを人は恐れる遠ざけるもので自分はこれ以上どうしようもないなと下手に追ったり引きずらないことにしています。ちょっと嫌な気分以外の実害はないので。




「沈黙の刃は概ね知らないうちに自身を貫いているものです。」



容易に見えぬ沈黙の刃の傷に気が付くことを願うばかりです。

よいテーマだったので長くなりました。ご自愛ください。v-189
2008/10/15(水) 03:01:04 | URL | やすやす #-[ 編集]
コメントありがとうございます;
>kkさま
 ご声援ありがとうございます。
 ぼちぼち無理せず更新いたします~;

>ぬうぼマンさま
 、「ヴァーチャル」であるからこそ警戒心が薄く「毒」を吐きやすいし、吐いても「リアル」な時ほど回りに気を使わない<そうなんですよね。そこが穴と言うか、危険なところで、うっかりダークサイドに落ち込んでしまいます。
 ヴァーチャルといえども現実であって、夢の世界ではないことを忘れないようにしております;

>にゃんさま
 にゃんさまの拍手機能停止、あれはあれで誠実な一つの在り方だなあと思いました。
 人は何もないところに自分で依存やこだわりを創り出し、それまでなかった悩みや苦しみを作ったりします。
 読み手を命削って気にするのは我々プロだけで十分です。アマチュアの方はのびのび好きにおやりになるのが吉かと存じます♪

>やすやすさま
 拙著を引用してくださり、光栄です(汗)。
 負けを認められない人生は、自ら学びや成長に背を向けるようなものですね。
 沈黙の刃<沈黙の諭しとも言えますね。
 刃は己を切るためにのみ用いたいと思います。

 硬い日記に、皆様コメントありがとうございました。
2008/10/15(水) 06:51:41 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
うーむ。
先生は凄い。尊敬の念を新たにしました。
2ちゃんに蠢くルサンチマンな連中が亡者なら、先生はとっくに解脱しておられますね。
2008/10/23(木) 01:22:30 | URL | 神無月仏滅 #-[ 編集]
感情ゲームは
>神無月さま
 私にも色々と欲望も感情もありますが、それを無駄に使わないと言いますか、それの奴隷に使われないと言うか、感情ゲーム(それってほとんど「無意識的反射」ですよね)に巻き込まれないように生きています。
 ルサンチマンも何かを生み出す役に立つことは確かですが、私は原動力をそこに置きたくないなあと;
 いまだ試行錯誤の途上ですけど(汗
2008/10/23(木) 19:49:29 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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