あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら
 人の罪や失敗をあげつらい、みんなでつるし上げて石を投げる(それは言葉の石であることもあれば、もっと具体的な石、物質的な石、行動、行為の石であることもあり、形にならない思いの石であったりもします)ことが、正義の名を借りた攻撃的ゲームになっているような昨今
 ゆるすことはますます
 世界の大きな課題になってきているように思います。

 小さくは家族や友人間で、大きくは社会や国家の間で
 ゆるさないことが、どれほど無用の呪いと憎しみと闘争を生み出しているか。

 悪を野放しにするという意味では無論なく、正すべきは正す。ただ、適正に処置することと、自分あるいは自分と同じ意見の人間が、悪と認定したものを攻撃して憂さを晴らしたりしないということです。

 
 ゆるすということは、私にとっても近年最大のテーマで
 あまりに深いテーマなので、何から語っていいのか迷いながら、アップしないままになってきましたが
 
 きょうは、概論でなく一つの具体例をアップしてみました。

 尊敬するガンジーの話です。引用した書籍(『南アフリカでのサッティヤグラーハの歴史1』M.K.ガーンディー著/田中敏雄・訳注/東洋文庫)ではガーンディーと表記されているのでここではガーンディーとします。
 ちなみに、ガーンディーを私は大いに尊敬しますが、そのすべてに賛成するわけではありません。
 彼もまた不完全な人間の一人でした。
 立場が変われば見解も変わり、不可蝕賤民の差別撤廃を目指して戦っていたアンベードカルなどからは、宿敵とも言うべき扱いをされました。そのことを取り上げて、ガーンディーをこき下ろす人もいますが、それは違うと思います。人間はオセロのコマの裏表のように、シロかクロか、善人か悪人かなどと判別できるものではありません。
 それはまた別の機会に取り上げたいと思います。
 

 話は、ガーーンディーが20世紀のはじめ、彼が南アフリカ(トランスヴァール政府)で当地のインド人社会のため、白人の人種差別政策に対して、非暴力不服従の運動を行っていたときのこと。
 
 大勢のインド人が住んでいるジャーミストンという所に、ラームスンダル・パンディットという一人の男がいました。パンディットというのは一種の敬称です(学識のあるバラモンへの敬称)。
 ガーーンディーは書いています。

「うわべは勇者のようで、口は達者でした。」
「あちこちで演説もしていました。威勢のいい演説ができました。」

 ジャーミストンの一部の悪意ある人々が、ラームスンダルの逮捕を当局にそそのかします。
 彼を逮捕すれば、インド人たちの士気をくじき、当局を恐れて、アジア人局(当地のインド人を管理している役所)に登録にやってこさせることができると。ガーンディーたちは、暗黒法と呼ばれた不当な差別的法律に基づく、インド人たちへの登録証交付と戦っていました。
 ラームスンダル・パンディットは逮捕されます。
 大騒ぎになりました。

「法廷でも、ラームスンダル・パンデイットはインド人社会の一代表であって一般の囚人ではないとのことで、特別扱いされました。」
「ラームスンダルは一か月の禁固刑を受けました。」

 監獄では特別待遇が与えられます。

「白人用監房が与えられました。面会はまったく自由でした。差し入れも許されていたので、インド人社会からすばらしい料理が毎日届けられていました。ほしいものは何でも叶えられていました。」

「判決を受け、監獄に入る日、インド人社会は盛大に祝ったのでした。失望する人は誰もいませんでした。それどころか意気は大いに揚がりました。何百人もが監獄に行こうとしていました。アジア人局の官吏たちの期待は実を結びませんでした。ジャーミストンのインド人も登録に行きませんでした。利益はインド人社会だけが受けたのです。」

 一か月後、ラームスンダルは釈放され、インド人社会に英雄として迎えられます。

「鳴り物入りで行進し」「威勢のいい演説が行われました。ラームスンダルはすっかり花輪で覆われてしまいました。奉仕員たちは、ラームスンダルに敬意を表し、祝宴を開催しました。何百人ものインド人が、我々も監獄に行っていたら、なんとよかったことかと思い、ラームスンダルを妬(ねた)むようになっていました。」

 しかし
 ラームスンダルは英雄ではありませんでした。ニセモノでした。

「ラームスンダルの勢いはニセの貞女のようでした。」
「外では無縁であった贅沢を監獄内では味わいました。ところが自由に歩きまわる、しかも道楽者にとっては、さまざまな上等な食べ物があっても、獄中の孤独や拘束は耐えられないものなのです。ラームスンダルにとっても同様でした。インド人社会や監獄当局者の十分な配慮にもかかわらず、獄中生活はつらいものに思えたのです。トランスヴァールとの闘争に最後の別れを告げ、どこかへ行ってしまいました。」

 政府の差別政策に対抗していた運動の英雄が、みんなから、祝われ、たたえられたあと、逃げ去ってしまったのです。今風に言うならヘタレだったわけです。
 そうなると、今でもネットやマスコミで、いや日常の生活でもあるように、それまであの人はすごいと言っていた人々の中から、知られざる過去というやつを暴く者が出てきました。
 実はあの人は昔こんな恥ずかしい経歴があってね、みたいな。

「ラームスンダル・パンディットの本来の姿が現れました。つまり、値打ちはまったくなくなりました。インド人社会はラームスンダルを忘れてしまいました。」

 ガーンディーたちの人種差別への運動は力を増して行きましたが

「ラームスンダルの例から教訓を得て、弱腰だった人たちは闘争から自分でこっそりと立ち去って行きました。」
「ラームスンダルは一人だけではありませんでした。ラームスンダルは何人もいました。しかし」

 とガーンディーは言います。

「私はそのことを見たのですが、すべてのラームスンダルが闘争に仕えたのです。」

 ヘタレだろうと偽善者だろうと、その人たちはその人たちなりに抵抗運動に貢献してくれたのだとガーンディーは語り、その人々を責めたり裏切り者扱いしませんでした。
 この後のガーンディーの言葉は、私の胸に強く響いたもので、今回何年ぶりかにこの本を引っ張り出して読み直しても、やはりこみ上げてくるものがあります。
 いささか長いですが引用します。

「読者の皆さん、ラームスンダルの欠点を見ないでください。この世で人間は不完全です。誰かの不完全さがとくに目立つと、私たちは指差して非難します。実を言うと、これは誤りです。ラームスンダルはなにもわざと弱者になったわけではありません。人間は自分の性質の方向を変えることはできますし、抑制することもできますが、それを根本的に変えることは、誰にできるでしょう?創造主は人間にそんな勝手なふるまいを許していません。」

「トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら、人間は自分の性質を変えられるかもしれません。逃亡しましたが、ラームスンダルは自分の弱さをどれほど後悔したことか、私たちにどうして分かるでしょう?あるいは逃亡こそが後悔を示す一つの強力な証拠とされないでしょうか?もし恥知らずであったなら、いったい逃亡する必要があったでしょうか?」

「登録証の交付を受けて暗黒法に従い、ずっと監獄とは無縁でいられたでしょうに。そればかりではありません。望むならアジア人局の手先となって、ほかの人たちを間違ったほうへ導くことだってできたでしょうに。さらに、政府のお気に入りになれたでしょうに。そうする代わりに、自分の弱さをインド人社会に示すことを恥じ入って、顔を隠してしまったのです。そしてそうすることでインド人社会に奉仕した、私たちはそんなふうに寛大に解釈できないでしょうか?」


 トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら

 この言葉には、私は本当に胸を打たれます。
 自分はこれまでの人生で、どれほど「トラ」に向かって(他の人々に向かって)、その「模様」を非難し、責め、それを変えろと迫ったことでしょう。
 時には自分の気分で、時には正義の名を借りて。
 それがどんなにむごいことか。

 また人生で幾度、人から、自分の体の模様を変えろと責められたことでしょう。
 これまでも、今この瞬間も、これからも
 世界中にそんな思いをしたりさせたりしている人々がいます。

 私はもうそんな殺生なゲームには参加したくありません。
 これまでの人生で、そうして悲しい思いをさせてしまった人たちに、本当に申し訳なく思います。
 誰かに迷惑だったり、人を傷つけたりする自分の欠点や過ちは改めるに越したことはないし、その努力は生涯惜しむものではありませんが
 変えられることと変えられないことを100%確実に、判別できる英知を私は持ちません。
 どうしても困ること、共同生活や作業で妨げになって放置できない何かは、変えてもらえないかと相談しますし、犯罪であれば法的な措置も考えます。
 しかしそれ以外の、独り決めの思い込みで
 誰かの変えようもない性質を責めたり笑ったり、裁いて許さないという、不毛の思い、ことば、行動
 すべてを放棄したいと思っています。

 蛇足を言うならば
 この世には奇蹟と呼ぶしかないようなこともままあります。
 強い思いが、人を別人のように変えることもあります。
 そういう例も見聞きしてきました。
 しかし、それには「時が満ちる」ことが必要であり、自分の勝手なシナリオを押し付けるわけにはいきません。
 トラはトラのまま、猫も猫のまま、犬も羊も鳥魚虫花すべてのものの
 その変えようにも変えられない姿を認め、敬意を払うことを忘れないでいければと思います。 

 あなたがあなたであるように
 私が私であるように
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