あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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傷つけば正義?
 先日「じょうずなはなしかた」の項を書きながら、思いうかべていたことだったのですが
 お客様からもそれに関するコメントをいただき(ありがとうございます)ここに一項追加することにしました。

 昨今の世の中の(もうここ十年以上、いやもっとでしょうか)私が共感できない流れの一つに
「被害者=正義」→「だからなんでも許される」
 という、めちゃくちゃな論理がまかり通っていることがあります。

 最初におことわりしておきますが、これは職場や学校で実際にいわれのないパワハラやいじめに逢っていたり、犯罪などで本当に被害に逢われた犠牲者の方のことではありません。そういう方を非難したり否定するものでは断じてありませんので誤解なさらないでください。
 もっと日常の細かな主観的な争いでのことです。

 「「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270) (新書) 」
 というタイトルの、精神科医の方の書かれた本が最近ありましたが(まだ買ってませんが)まさにそれです。
 昔から「盗人たけだけしい」という言葉がありますが、私は
「被害者たけだけしい」
 と言うことにしております。

 自分は傷ついた=自分は被害者 ゆえに自分を傷つけたあいつは加害者で悪である。
 正義は我にあり。悪はこらしめねばならない。
 だから自分はあいつに何をしてもいい。

 こういう短絡的思考回路で展開されるさまざまなトラブルが、最近ちまたにあふれています。

 傷ついたことと客観的な善悪はなんの関係もなく、あくまで主観的な感情の問題に過ぎません。
 こういう論理がまかり通れば、コクってふられたストーカーも傷ついたから被害者という理屈になりますが、そんなことはありません。
 まず第一段階で論理が破綻しているんですが、次に
 自分は正義であるから「悪の加害者」に「私的制裁」を加えてもいいというのも破綻しています。
 それは大昔の西部劇に出てくる私刑(リンチ)と同じで、「あいつはうちの牛を盗んだからしばり首にしてやった」というのと変わりません。
 漫画やドラマとしてはおもしろい場合もありますが、実社会ではしゃれになりません。
 持ってもいない大量破壊兵器を口実にどこかの国に爆弾の雨を降らせるのも、あいつが犯人に違いないと裁判官でも刑の執行人でもない一般市民が「判決」を下し、石を投げるのも、そういう力技に訴える能力のない人間が、ことばや態度でイヤ~な気持ちがするよう圧力をかけるのも、私はその無法さにおいて本質的に同じことだと思っています。
 強いものが弱いものを踏みにじろうと、弱いものが強いものをふみにじろうと(それはもはや弱さを逆手にとった強者ですが)無法に変わりありません。

 そもそも、相手がどんな意図の元にどういう言動をとったか、自分の聞き違い思い違いも含めて、軽々しく是非善悪など決められません。一つの判決に何年何十年とかける現実の裁判制度にも問題がありますが、もっと身近な問題でも、どちらが正しくてどちらが間違っているかなど、簡単には決められないと私は思います。

 この問題をつきつめると「ゆるす」とは何かという、大変ディープな問題に行き着きますので、それはまた別の機会に書きますが

 そもそも、一方的な被害者感情で、自己を正当化絶対化して、短絡的な「欠席裁判」で他人に「判決」を下し、「刑の執行」まで行うというのは、一種の病、狂気の沙汰だと私は思います。

 人間の判断などいい加減なもので、極端な例としては、あの松本○リン事件で、被害者であったにも関わらず犯人扱いされ、警察とマスメディアの偏向報道に踊らされた短慮な人々から、、電話その他を通じて様々ないやがらせを加えられた某氏の一件など、その種の愚かさの招いた典型的悲劇だと思います(いやがらせをした人々の何割かは事件の当事者ではなく、つまり「被害者」でさえなかった、ただの野次馬だと思われますが)。
 当時は今のようにネットは普及していませんでしたが、していれば、各所でいわゆる「まつり」が発生し、叩きと嫌がらせがもっと大量に発生していたことは、まず間違いないと思われます。


 人間はそういう生き物なのだという人もいますが、
 これは万引きその他の犯罪と同じで、一生しない人はしませんし、する人はする。
 人間と言う枠でひとくくりにはできません。

 
 私もこれまでの人生で、過度な被害者意識の持ち主から責められた経験が何度かあります。
 若いころは、こちらも感情的になって、一種の泥沼状態に陥ったこともありますが
 これまでの人生を振り返って、冷静に分析しなおして思うのは
 そういう「私は傷ついた!」と怒って、こちらにヒステリックで攻撃的な態度を示す人は、フェアではないことが多いということです(たまたま私の遭遇したケースがそうだっただけかもしれませんが)
 そういうタイプの人物は、自分が他者を傷つけることにはけっこう鈍感です。
 こちらの人格やプライドを全否定するような言動をとっても、自分の言動はノリや冗談でスルーしておいて
 自分だけは、もっと些細な言動でも「傷ついた」と怒りだし、こちらを糾弾するのです。
 その「小人(しょうじん)ぶり」、客観性、公平性、感情コントロール能力などの欠落ぶりには、正直うんざりさせられたもので
 中にはそれで絶交されたケースもありますが、今となってはお互いのためにもそれで良かったのではとさえ思うものです。

 だからと言って私が人生で常にイノセントだったなどと言うつもりは無論なく
 昔はよく回る舌と過激なツッコミで傷つけた相手もいっぱいいますから、そうした人々には申し訳なく思っています。今でもたぶん知らない間に傷つけている相手がいるのでしょうが、無論私の本意ではないです;

 で、話は元に戻りますが


 人は自由にできるのは自分だけです。
 他人を自由にする資格はないしそんな力もありません。
 変えられるのは自分だけです。
 と言うわけで、私は自分の人生で、人から受けた勘弁してほしいとことの諸々は、すべてわが身に当てはめることにしています。
 同じことは他人にしない。

 物理的な犯罪行為の被害のような、明白な例は別として
 日常的な人間関係の問題で、軽々しく「被害者づら」はしない。
 迷惑している問題があれば穏やかに対話して解決を図る。
 一方的に相手を悪者扱いしない。責めない。
 解決すべきはあくまでお互いの間に発生した問題点であって、相手を不愉快にしたり傷つけかえすことではない。
 たとえ相手に非があると明白になっても、報復的言動は一切行わない(非難がましい表情や、皮肉、あてこすり、捨てぜりふなどすべて)。

 私は自分がされて不愉快だったことを他人にしない、ということでしか
 この問題には取り組むすべを知りません。

 無論誰かに迷惑をかけられるがままになる気はさらさらなく、言葉で言っても解決を見なければ、警察など法的な手段に訴えるしかありません。
 しかしそれも、冷静に道をはずれない方法でのことであり、売り言葉に買い言葉や、相手の挑発に乗るようなマネは、あとあと自分の首を絞めることになるので避けるようにします。

 実は思い出深い体験があるのですが
 昔、私が辛らつな忠告をして絶交された友人がありました。
 された当時はショックを受けて「オレが一方的に加害者かよ!」と憤慨したりもしたものですが、後に冷静になって見直すと、自分の至らない点にも気づき、まあそれならそれで仕方がないなと諦めたのでした。
 その友人と後日、何年ぶりかに会話する機会があって
 私はかつての苦言の呈し方の不手際(言うなれば、問題点の指摘を急ぐあまり、ことばに愛が欠けていたこと)を詫びたのですが
 それに対して友人が
「ごめんねー弱くて」
 と言っていたのが、大変印象に残っています。
 別れてから何年かの間に、友人は友人なりに色々思うところがあったのでしょう。
 弱いから私の忠告を受け切れなかったということなのか。
 時間も無く真意を問いただす間もなく別れてしまいましたが
 忘れられない思い出の一つです。

 ちなみに
 最近ある若い友人から、友達への苦言や忠告の呈し方について聞かれまして
 そのことに関して一項設けたかったのですが
 それはまた近いうちにアップいたします♪ではでは


追記 
 どなりつけたり、なぐらないとわからないヤツがいるじゃないか、という声もあるでしょうが
 私の商売は幸い、ほとんど人と関わらずに暮らせるもので、あまりそういう状況には陥りませんし
 そもそも、なぐったり怒鳴りつけたりしないと話がわからないような発達段階の人間とはお付き合いしないことにしています。(そうもいかない状況の方もおいでなことは、よくわかります。良い解決の道が見出せることを祈っております)。


追記2
 ちっちゃな体験ですが
 十年くらい(もっとでしょうか)昔、バイクに乗っていて交差点の信号待ちで軽トラに追突されたことがあります。
 バイクは破損し私は軽いムチウチになりました。
 軽トラには農家の老夫婦が乗っていて、赤信号で停止した私に非はなく、突っ込んできたあちらの過ちだったんですが
 ハンドルを握っていたのは、これで免許がなくなったら明日から暮らしていけないというおじいさんでした(みんなそういう言い訳するんだという声もあるでしょうけど)。

 後日私が警察で調書を取られたとき、おまわりさんが
「厳しく罰して欲しいですね?」
 とたたみかけるように聞いてきました(漫画なんかである「目がギラリ!」って感じです)。
 で私はどう答えたかと言うと
「自分は田舎に、あのおじいさんと同じくらいの年老いた父がおります。私はあの人を憎いとか責めたいとかいう思いは浮かびません。私は商売柄、常に明日をも知れない暮らしを送ってきました。あす仕事がなくなるということがどんなに大変なことか骨身に染みてわかっております。
 私はあの方を厳しく罰して欲しいとは思いません。
 法には法のルールがあるでしょうから、それに変更は加えられないでしょうが
 壊れたバイクの修理代と治療費さえ出していただけるのであれば、どうか穏便なご処置をお願いいたします」

 結局そのおじいさんにどういう処置がされたのかは知りません。
 でも私は正直に思うところを言いました。
 修理代も治療費もちゃんと出していただきました。
 二度と事故を起こすことなく、幸せに暮らして欲しいと思ったものです。
コメント
この記事へのコメント
最近は多いですね・・・・
私自身は経験がありませんが、ウチのヨメなどは、ネットの掲示板やSNS等で時折遭遇するそうです。

まあ「私、傷つきました!」と言うのは女性に多そうですが、意外なことに男性にも結構居るようで「誹謗・中傷」の類までいけば「傷つく事」もありえるでしょうが、反対意見を書かれただけで「傷ついた」と言うのはそういう「作戦」なのか、それとも単に「イエスマン」と言うか「賛同者」が欲しいだけなのか・・・男として恥ずかしい・・・・・

それとも、それとも、実は本当に精神的に危険領域に片足突っ込んでいる人が、こちらの考えているよりも多数いて、特にネット上に多いのか・・・・・・いずれにしても「ひ弱」な自分を誇る(?)ようになってしまっては、人間二本の足で大地に立てなくなってしまいます。
2008/07/17(木) 15:56:01 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
>「被害者たけだけしい」

ウチでは「被害者ぶりっ子」と呼んでいます。
2008/07/17(木) 15:58:06 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
最近は
>ぬうぼマンさま
 最近は男性の方が精神的に虚弱なケースが多いような・・・
 反対意見を書かれた(書かれ方にもよりますよね、荒らしとか明らかに攻撃的意図のコメントは別です)だけで傷ついたと言うのは、「被害者帝国主義」ですね(上記の「「心の傷」は言ったもん勝ち」の著者の言葉)。
 「被害者ぶりっ子」<その言い方もいいですね♪
2008/07/17(木) 20:31:28 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
被害者の皮をかぶりたがる加害者ってこと
>(それはもはや弱さを逆手にとった強者ですが)

(括弧書きにコメントするとは、少し感心。と括弧書き・・・)


「あたりまえじゃ!!強い者は苦しめられぬでな!!」・・・・との先生の作品の台詞が思い出されます。
昔この台詞に至言だなあと感心しました。
でも、それじゃあやった者勝ち、苦しめた者勝ちじゃんかとの命題も同時に当然のごとく発生しました。
ナツカシイ。



> ちっちゃな体験ですが

体験つながりで、内容はあんまりふさわしいものではないかも。


かつて月に2日しか休みがない状態で働いていた時の話です。

前の車が路地を右折。前方に何もなく止まる要因は全くなかったので私の車も続いて右折。
ところが、前の車はイキナリ止まるとバックするではありませんか!
当然どんと接触しました。こちらは、前の車が停止した段階で止まっていました。

幸いバンパーはすでに樹脂製でしたのでほとんど無傷。人も問題なし。

ところが、降りてきた馬鹿が(振り返ってそう思いましたよ!)、「何処止まってんだ!何見てはしってんだおめー!」

私は、はあ?止まっている車にバックでぶつけて何いってんだこいつ状態ですよ!

素直に謝るんなら大したことないからまあ気をつけてで済んだものが、私も頭に来たので警察に一緒に行って事故証明とって、修理屋へ行って、相手に頭を下げさせて「済みませんでした。」と言わせるために2時間半費やしました。
もちろん無傷に限りなく近いので修理になどなりません。相手はきっとうまく切り抜けたとか思っていたんでしょうね(笑)
1分で済むことを2時間半かかったとは知らずに。

で、その日の午後どうにも疲労のピークで居眠り運転をしてしまいました。目が覚めて前の軽トラックに気が付き急停止。
ドンとぶつかりました。軽トラックの後ろのナンバープレートがミリ単位で変形。丁重にお詫びをし名詞を渡してその場はお開き。
修理とか何かあったら連絡をくれる約束でしたが何もその後ありませんでした。許して頂いたんだなと感謝しました。

一日に被害者と加害者になるという忘れられない経験でした。

本当の損も本当の得も己の死角にこそ潜むものでございます。目先の利に迷わぬよう気をつけねば。
2008/07/18(金) 01:55:40 | URL | やすやす #-[ 編集]
すごーい!!
>やすやすさま
 拙著『猟姫ナジャ』のセリフ(ですよね?)(汗)ご記憶くださいましてありがとうございます♪
 一日に被害者と加害者の体験!
 すごいです!
 普通人生ではそういうの何ヶ月か何年かに振り分けて体験するのですが
 一日のうちにというのは実に稀な
 貴重なことでしたね!!
 私も目先の利にまどわされないよう生きたいものです。
 ありがとうございました。
2008/07/18(金) 08:08:36 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
被害者という大義名分
はじめまして、誘導されて来ました

傷つけば正義?ということで、自分はよく加害者にされることがあったので思うところありました。

中学の頃、クラブ活動の集まりを企画し、実質自分がグループ長になったのですが、休みの日の早朝朝練をすることになりました。
自分は乗り気でなかったのですが盛り上がっていたので仕方なく、

ところが自分はすっかり寝坊してしまい
連絡の取れる人のところに電話してみると、他にも数人休んで結局一人しか来なかったと

行った一人がカンカンになって怒っていて
母親まで電話で怒ってきて執拗に責められました。
もちろんこちらに非があるので、それは仕方ないのですが、
他の休んだメンバーにはそのようなことはなく、
その人も現地からうちに電話くれず帰ってしまったのであとから遅刻して行った人ともも会えなかったようでした。

自分は激怒されかなりひどいこをも言われましたが、しかし来なかった他のメンバーにはそういうことはなく
結局最初から怒りやすい対象だったと今振り返って思います。


他にも自分が加害者になって被害者にひどいことをされたことがありましたが、

小学校の頃いじめがあり、それに対して喧嘩になり、振りまわした棒が抜けて飛んで
第三者に当たり流血するということがありました。

傷は大したことはなかったのですが、それ以降、その男子にことあるごとに「復讐」といって背中を蹴られたり土足で机を踏まれたり暴力や暴言をされ続けました
被害に1に対し10以上のことをされたように思います(その人は私立に行ってエリート会社に勤めたようです)


いじめられるようになったのも、遠因は
小学低学年の時、同級生の悪ふざけで高所から落とされ頭を強打したことにあったと思います

制止したにもかかわらず、同級生に未必の故意で落とされ、コンクリートで頭を強打したのですが、
今思うと後遺症があり、そこから不安定になり不安定になり集中力がなくなり、さまざまに障害が出ていたようでした


学校も、いいかげんで保健室も担当の先生が不在だったので、しばらく寝かされ、早く家に帰ったほうがいいと、鼻血が出なくなったので、返されたのですが 

今思うと、救急車を呼ぶと騒ぎが大きくなって面倒になるからだったように思います

その時は黙っていて周りからも何事もなかったようにされましたが今思うとあの時の強打からバカになって人生が変わったのですがw


かなりあとになってそれをいじめの材料にされ、顔から落ちたので額と鼻を強打し、
鼻が曲がってるということを指摘されたことで、はじめて被害者意識が起こりました

それまでは、加害者とも仲良く円満ならもういいとのんきなことを思っていました。


他の人の被害感情についても、
少々のことでと思うことで被害感情を訴える人は、一時のものではなく、それ以前に積み重なった背景があるのではないかと考えます。

なので、被害感情を振り回すと思うような人でも、話を聞くことは大事だと思います。


ただ、今まで被害感情を持つ人と話をして、困ったのは、 話の矛盾に対して全く話を逸らせてしまう人でした

前方不注意を注意したのに、目が悪いから
という程度ではなく、全く関係ない話を始めたりする人がいました。

単に理解力の足りない人は、意とせずに
話を逸らせてしまう人がいますが
自己を誇示し、優位に立たせようとする人で
(お前●●を知ってるかそんなことも知らんのか話にならんなど) 意図的に話
を逸らすのは例外なく性格の悪い人でした。

このように断罪することも(性格の悪い人だと書くのも)本当はあってはならないことだと思いますが、 あまりにも一方的な断罪が横行してるので、あえて書いてみました。


ネットで、マスコミで、一方的に断罪するのは、本当に正しいことでしょうか?


不適切だったら失礼します、そういったことがあれば御指摘いただければ幸いです。





2008/08/20(水) 21:56:09 | URL | 中村某 #vXeIqmFk[ 編集]
大変奥の深い問題です
>中村某さま
 はじめまして、ようこそいらっしゃいました。
 色々な体験をされ、理不尽な思いをされてこられたのですね。ご心中お察し申し上げます。
 この問題は大変奥の深いテーマで、とても一言では語れません。

 私の近年の人生の大きなテーマは「ゆるすこと」そしてそれ以前に「裁かないこと」なのですが、そのことで日記に記事を書こうとしますと、語るべきことが多すぎて整理に困り、なかなかアップできないできました。
 しかし、今回の中村さまのコメントに背中を押されて、先日から暖めていました話を一つ近々にアップしたいと考えております。

 被害感情をふりまわす人の話も、おっしゃるとおりきちんと聞くことは大切だと思います。
 気をつけないといけないのは、一方的に相手に振り回されないことではないでしょうか。
 人間は、限られた情報と限られた分析判断能力しか持ち得ない存在ですから、いくら感情的になろうと自分は被害者で正義だと思い込もうと、神でも預言者でもないただの人。
 勝手に一人で「裁判」を開いて「判決」を下し「刑の執行」を行う権利も能力もありません。
 細かくは日常のちょっとしたトラブルから、大きくはマスコミやネットの断罪、元凶探し(と決め付け)、もっと大きくは国家間の紛争戦争にいたるまで、根底にはその問題があると思います。
 時には多少の行き過ぎがあっても、その行動によって多くの人が救われることもあるでしょうが、結果ばかりをもてはやして、行き過ぎまでも美化し正当化し、その陰に泣く人々をないがしろにすることは、私はけして共感しません。

自己を誇示し、優位に立たせようとする人で
(お前●●を知ってるかそんなことも知らんのか話にならんなど) 意図的に話
を逸らすのは例外なく性格の悪い人でした。
<こういう人はあちこちにいますね。
 なんでもかんでも自分が悪いと思う人は「神経症」になり
 なんでもかんでも他人が悪い(自分は絶対悪くない)と思う人は「性格障害」になります。
 意図的にせよ無意識的にせよ、あれは自分の壊れやすいプライドを守るための自動装置と言うか、ある意味パソコンのアンチウィルスソフトみたいなものではないかと私は思います(大変はた迷惑なソフトです)。
 人間は自分で自分のOSを時々再点検してアップデートする能力を持った稀有な存在だと思うのですが、ときどきその機能が限りなくゼロに近い人がいて、まだその治療法は精神医学会でも決定打が見出せないようです。

 中村さまも言われますとおり、そういう人格はきのうきょうに出来上がったものではなく、生まれついての要素と、幼少時からの環境(親あるいはそれにかわる養育者の影響など)が大きく関わっていると思われます。

 貴重なコメントありがとうございました。
 また関連した内容を折を見てアップしてまいります。
 お気が向かれましたらご覧くださいませ。
2008/08/21(木) 13:13:10 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
必要以上に
>相手に振り回されないこと

同感です。

どの様な状況であれ相手のペースに巻き込まれ過ぎてはいけないと思います。

そのためには自身もしっかりとした考えを持たないとといつも反省しきりです。もちろん決め付け的な考えに固執せず柔軟にかつどうあるべきかを常に模索する。これ一生勉強。

ひどい思いもひどい目もそこからどんな芽を出し葉を出すかが人生の勝負かなとか思ったりして。

独裁者の支配する土地に住む人は、独裁者の気に入らない行動をとろうとすれば地獄の日々となりましょう。立ち向かわなければ永遠の支配を受け、立ち向かえば地獄の日々を連ねます。
それでも立ち向かわなければ希望はない。


地獄の日々に倒れる者は馬鹿者でしょうか?

地獄に倒れる者の魂は死の刹那自身の生き様に生命という総ての人に共通の持ち物の重みを抱くのではなかろうかと推察します。

抽象的な表現ですみません。

簡単にいうと自分は自身の人生でどんな境遇だろうとどこまで魂の力を発現できるのか?ってことです。

自身が今まで以上に魂の力をだしたなって日々思えることそしてそれを褒めてあげるってことが大切だよって思います。v-275
2008/08/22(金) 10:48:19 | URL | やすやす #-[ 編集]
コメントレスありがとうございましたm(--)m

山本先生

はじめまして、突然の長文へのレスに温かいお言葉をありがとうございました。

先生は「ゆるすこと」「裁かないこと」をテーマにされているとのこと、自分はどうしても、
許せない思いや、断罪にも似た判断をしてしまいがちなため、頭の下がる思いですし、
とても見習うべきことのように思うので、暖められていた日記がアップされるが楽しみです。

被害感情を振り回す人の話に振り回されないことが何より大事だと納得します

おっしゃるとおり、人間は限られた情報処理能力しかないため、
話をするほうに相手に正しく伝えられる能力がない場合
聞くほうも神様ではありませんし、伝わらない、受け取れない溝は当然あるものだと思っています

被害者感情を振り回しても、その度合いの大きさは適切かどうか・・・
不適切に相手を圧迫するものであれば今度は加害者になってしまいますし
 被害者と加害者は紙一重にあるのかもしれないとも思います

 >なんでもかんでも自分が悪いと思う人は「神経症」になり
 >なんでもかんでも他人が悪い(自分は絶対悪くない)と思う人は「性格障害」になります

神経症型は、被害感情を訴え、性格障害の人は攻撃に出るのかもしれませんが

> 意図的にせよ無意識的にせよ、あれは自分の壊れやすいプライドを守るための自動装置

ある意味パソコンのアンチウィルスソフトみたいなものではないかと
私は思います(大変はた迷惑なソフトです)

絶妙の譬えにとても笑わせていただきました、さすが漫画家の先生ですね。

>人間は自分で自分のOSを時々再点検してアップデートする能力を持った稀有な存在だと思うのですがときどきその機能が限りなくゼロに近い人がいて、まだその治療法は精神医学会でも決定打が見出せないようです

たしかにそのとおりだと思います、軽重はありますが普通の人でも、
例えば飲酒や極限状態や何かのスイッチなどでも今まで普通だったのにOSが退化してしまったり
 フリーズや暴走するウイルスを持ってる人など増えているようですが

それは結局のところ人によって発生した認知の歪みゆえ、
認知の歪みを是正させていく認知療法を根気強く行って直していくしかないということだそうです。


ムーミン谷のような世界でもなければそういった時間はありえませんが、
ネットの世界や会話には逆に時間的概念が希薄なので、補填を求めるような行動が現れてくるのかもしれないと思います。
(もちろんそれを正当化するものではありませんが)
などとすっかり長文になってしまいましたが聞いて下さってありがとうございました。
これからも楽しみに日記を拝読させていただきます。

コメントよごしですが、そのうちまたどうぞ宜しくお願いしますm--m
2008/08/22(金) 19:51:14 | URL | 中村某 #c5NzTaeA[ 編集]
追記ですが
すみません、追記ですが

読み返すと、傍観者的、被害者的に書いていますが、自分の立場は被害感情を持った加害者かもしれません。(意図しない加害もありますので、迷惑者かもしれません)
加害者は(迷惑者)加害者になった背景もあるので、それは言い訳のようで
被害者感情を振り回す人と重なるようにも思いました。

しかしながらその加害(意図的でない迷惑行為)に対し、意図的な加害がゆきすぎて、
個人的なやりとりを公開したり関係のない人を巻き込んだり煽れば、逆に被害者は加害者に、加害者は被害者にもなってしまうとも感じます。

もちろん、すべてにそう言えるわけではなく、自分の立場ということですけれど。

受け取りづらい微妙なボールで失礼しました、
肯定されないこともあってもいいと思います

許しを求めるとしたら、第三者ではなく、当事者同士の相手ですので、第三者に肯定されたいと思うものでもないと自分では思います。

だったら何も書かないほうがいいのかもしれませんが、肯定されないということと、否定されるということは、同じではないと思うので、何らかのことで特に知らない相手を、当事者でない人がむやみに否定するべきではないのでは・・・?と思うところがありました。

でもこの2元式の情報社会では難しいことかもしれませんね




2008/08/22(金) 20:36:35 | URL | 中村某 #c5NzTaeA[ 編集]
ありがとうございます
硬い話に真剣にお付き合いくださり、ありがとうございます。

>やすやすさま
 私も同じような心境で生きております。
 日々おごらず侮らず、ベストを尽くして過ごせば、どこで死んでも悔いはないと思っております。
 極端な例えですが、10万個(百万個でもなんでもいいです)のドミノを準備して、最後の一個でしくじって並べなおさなきゃならないとか、並べ終えてこれから倒すという直前とか、そういうシチュエーションで死んでも気にしない。
 そこまでを誠実に楽しく生きればいいじゃないかと。
 おとぎ話のように、王子様とお姫様は幸せに暮らしましたとさ・・・大団円、もいいですが、それはあくまで結果であって、執着はしない。
 志半ばで倒れた者が馬鹿なら坂本竜馬はじめ、多くの偉人の大半が馬鹿です。そうだ馬鹿だという方もおいででしょうが、それなら私も馬鹿でいいです(笑)(その馬鹿にならいます)。
 どんな境遇だろうとどこまで魂の力を発現できるのか<そのとおりだと思います。
 同じ心持で生きておられる方と、こうしてお話できるのは、大変励みになります。
 ありがとうございました。

>中村某さま
 重ねてご丁寧にコメントありがとうございます。
 世の中にはおおざっぱに言って二通りの人間がいて、自分が受けたひどいことを誰かもっと弱いいじめやすい相手を見つけてするタイプ、自分は嫌な思いがしたことは人にはしないでおこうというタイプ。
 一つの例として家庭内暴力などもそうだと思います。
 暴力を受けて育ったので、大きくなって自分の子どもや伴侶にも暴力を振るう人。
 けしてああいう親にはなるまいと穏やかな親になる人。
 どちらを選ぶかはその人次第です。
 ただ、同じことを選んでしまう人を、一方的に悪人と決め付けて糾弾するのではなく、その中にもそういう自分のありように苦しんで変わりたいと悩んでいる人もおいでなわけで、なんとか問題解決の糸口を探せればと思うものです。
 加害者被害者というのも、あいまいなもので、なかなか、寝ているところに飛行機が落ちてきたような特殊な例は別として、はっきりとは区別ができないように思います。
 人間はえてして100%の善人(裏返せば敵を100%の悪人とする)でいたがるものですが、そこにこだわることで、かえってものの本質が見えなくなっているケースが少なくありません(隣国との問題などもそうだと思います)。
 どちらかがどちらかを叩きのめして勝利して解決を見るのではなく、ともに生かして解決を見ることを(大変困難な道ですが)模索したいと思います。
 被害者は加害者に、加害者は被害者にもなってしまう<世の中で横行していますね。
 その時はある種の満足感を得られるかもしれませんが、長い目で見ると副作用の方が多いと私は思います。某国のテロとの戦いなどもそのいい例ではないでしょうか。
 これからもどうかよろしくお願いします。
 ありがとうございました。
2008/08/22(金) 23:36:09 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
ひたすらにより良きを求め苦境に入る。重力がなければ楽だけど無いと・・・・。
中村某様

>何らかのことで特に知らない相手を、当事者でない人がむやみに否定するべきではないのでは・・・?

ごもっともです。
当事者でなくては諸事情を語れないことはものすごく沢山あると私も思います。

伝え聞く悪い側良い側の両方についていっぱい想像力を膨らましてあらゆる可能性を考慮して見守るのが諸事情に遠い者の出来ることかと思っております。

単調な批評の影に隠れた真相が我らの明日の糧にならんことを思いつつ。v-39

山本先生

>大変励み

私もです。有難きことです。
2008/08/23(土) 00:19:59 | URL | やすやす #-[ 編集]
重力大事ですね♪
>やすやすさま
重力がなければ楽だけど無いと<そうなんですよ。
 私も昔から思ってます。
 生物の骨格は、重力なしに生活に適応した形に完成するようには遺伝子はプログラムされてないんですよね。
 だから衛星軌道上で長期間過ごした飛行士は骨が劣化するし
 SF映画にあるように液体カプセルの中で浮いた上体でクローン人間を作っても正常なサイズと形の骨格はできないんですよね。
 精神の成長も同じことなんでしょうねきっと♪
2008/08/25(月) 20:19:02 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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2008/11/26(水) 17:00:19 | | #[ 編集]
コメントをくださいました方へ
>2008/11/26(水) 17:00:19にコメントくださいました方へ
 大変重い内容をお話いだき、ありがとうございます。謹んで承りました。
 人をゆるすということについては、後日改めて書くつもりでおります。
 お返事もまた改めてさせていただきます。
 まずは御礼まで。ご自愛ください。
2008/11/26(水) 20:51:02 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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