あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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漫画家と出版社の問題・小考2
 先日から電話やブログのコメントなどで、色んな知り合い、友人から、自分はこんなことがあったという情報をお教えいただきました。
 駆け出しのころいつまでたっても原稿を返してもらえないので、編集部に行ったら、編集長の椅子のキャスターに踏みしだかれていたとか(私も徹夜でもーろーとして自分の椅子で自分の原稿うっかり踏みにじってたこと、ありますが)。
 某社で仕事していたライターの友人が、その会社と懇意な先輩作家と仲違いしたら、原稿料をわけもなく大幅に減額され、その後他社で名を上げて久々にまた、その減額された会社で書く機会を得たところ、当時の担当さんに
「あの時はすみませんでした。今度の原稿料に上乗せしときますから」
 と言われて
「ふざけるな、誰がいるかそんな金」
 と、怒った話とか。
 叩けばホコリの出る世界で、出るわ出るわあきれるくらいです。

 私の場合、圧倒的に作家サイドの友人が多いので、入ってくる情報はどうしてもそっちよりになりますけども
 実は逆のトラブル(おかしい作家の編集者いじめとか)もいっぱいあって
 ヤバくて書けない話がいくつもあります。
 中にはあきらかに精神を病んでいる人もおいでで(具体的病名は伏せますが)それに対応するのはかなり大変なことだと思います。

 だいたい、何から何までまともな人が漫画家なんかになるものか、と言う意見もあるくらいで
 どっかおかしい人はいっぱいいます(私もその一人です)。


 編集者が漫画家に対してにせよ
 漫画家が編集者に対してにせよ
 コトバでも行動でも、人としてとるべきものかどうか、すべてに神経を張り巡らせて行うのが、まともな大人の付き合いじゃないかと思うものです。
 だいたい言質(げんち)を取られるようなセリフや行動はしない方がいい。
 裁判の検察と被告およびその弁護士のやりとりを思い浮かべていただけるといいですが
 一言でもぼろを出すようなことのないよう、徹底的に注意を払いますよね。
 仕事における大人の付き合いには、裁判ほどじゃないにせよ、ある程度そういう神経が必要なんじゃないかと思うものです。
 知り合いの編集さんで
 「交渉の場では、先にキレた方が負けです」
 ときっぱりおっしゃる方もいて、そういう方とはまともに話ができます(無論暴言なんかお互い吐きません)。

 新人の漫画家さんが担当さんからひどく感情的威圧的言動をとられてトラウマに・・・みたいな話も聞きますが(私は経験ないんですけど)、怒って相手を侮辱したり威嚇したりするような言動をとる人というのは、相手をそれでコントロールしたいと思っているか、自分の感情のコントロールができない理性を欠いた人かのいずれかだと思うのですが
 いずれにせよ、それに反応してこちらまで怒ったり悲しんだり叫んだりすると、状況はどんどん泥沼になります。
 SWのヨーダのセリフにもあったように思うのですが、「怒り」の感情の奥にはたいてい「恐怖」の感情が隠れています。むやみと怒っている人を見たら、その人は何を恐れているのか考えてみることです。
 地位を失う恐怖、面子(めんつ)をなくす恐怖、生活がおびやかされる恐怖、その他色々隠れています。
 自分に何も失うものも奪われるものもない人は、何も恐れることはありません。

 バイクに「キル・スイッチ」というのがあります。
 転倒した時など車輪がぶんぶん回り続けていると危ないので、そのスイッチを押すとエンジンが切れるんですが
 私は近年、自分の中に感情のキル・スイッチを持っているので、いくら相手が感情的になろうと巻き込まれることはありません。ミューティング・スイッチと言ってもいいかもしれません。
 別に普段から無感動のゾンビみたいに暮らすという意味ではなく、あくまで非常時の緊急停止用ですが、ストレスたまって思考がぐるぐるで気疲れするときなど、たまにスイッチを切ってリラックスすると癒されます(笑)。
 暴力団がおしかけて脅しているとかいうような実際に身体的な危険がある場合は別ですが、そうでない限りいくら相手がほえようが、それは相手の問題であってこちらの関知するところではありません。
 せいぜい好きにほえてもらって、一つの観察対象として観察するだけです。

 映画などで、人を感情的にゆさぶって拷問するシーンなどで、その人の心の古傷を攻撃したり、恋人や両親を侮辱したり(「おまえのお袋は売春婦だ!」などと言うあれです)して理性の仮面をはぐ、などという下りがありますが、あんな手に乗るのはアマチュアで、本当に肝のすわっている人は反応しません。

 多少は理性のある人なら、自分の感情的な攻撃に、いっさい相手が乗ってこないと、ふっと我に返るというか、一人でキレている自分の方がみじめになって、自然とブレーキがかかるものです。
 
 私は若いころから二十年以上に渡り、武術関係の取材をしてきましたが
 達人には色々とおもしろい話があります。
 ご存知の方も多いと思いますが、世の中には見かけだけ派手で、飛んだりはねたりしてカッコ良さげに見えて、実戦では全然役に立たない使えない格闘技というものがあります(シロウトには受けたりするんですが)。
 ある先生が、そういう格闘技の演武を見て、お弟子さんに
「あなたたち、ああいう人が来たらどうする?」
 と聞きました。先生いわく
「私はそばで見ているよ」(笑

 要するに、勝手に飛んだりはねたりしたいだけさせておいて、相手にしない。
 無駄な動きが多いんで、助走をつけてとび蹴りとかしてる間に、先生は十分かわす余裕があるんで
 勝負する必要さえ感じないという。

 人を脅し、ののしったり侮辱したりする卑しい精神の持ち主や、自分の攻撃的感情のコントロールもできない人は、このむだに飛んだりはねたりしてる使えない格闘家みたいなもので
 「私はそばで見ている」
 のがいいんじゃないかと思うものです。
 そのうち疲れてやめるでしょう。

 この辺のことは、お時間のあります方は昨年の日記「小暴君」と「小暴君」追記&自尊心」をご覧ください。


 人の侮辱的なコトバは、自分が受け入れなければなんの効果もありません(どこかで嘘の情報を流されるとかはまた別ですが)。
 人は何か痛いところを突かれたと思うから痛いのです。
 貯金が何億円もある人の前に、誰かが現れて
「おまえは貯金が10万円しかないだろう」
 とか言い始めたら
「はいはいそうですよ」
 と笑って相手にしないでしょう。
 むしろ財布に5000円しか入っていない人が
「おまえは3000円しか持ってないだろう」
 と言われてむきになったりするものです。

 学校のイジメなどでもそうで、クラスのみんなが「おまえには生きる価値はないゴミだ」とか言っても、最終的に言われた本人が「そうか、自分はゴミなのか」と心の底で同意しない限り、決定的ないじめの構造は完結しません。
 みんながゴミ扱いするから自分なんか死んでもいいんだと、ある意味「同意」してしまう(無論本当はそんな同意なんかしたいわけじゃありません。実に痛ましい「同意」に追い込まれてしまうわけですが)から悲劇が起こります。
 私も小学校のころ、いじめっ子のグループに何ヶ月も執拗ないじめを受けた体験がありますが
 いじめにまつわる悲しいニュースを目にするたびに、どうか愚かな人々の言動に乗って、自分で自分を否定する書類に同意のサインをしないで欲しいと心底願います。

 少し話がそれましたが
 漫画家と編集者の感情的な対立にも同様の悲劇性があるように私は思います。


 さて、それでは、仮に双方が理性的に、いっさいの攻撃的侮辱的な言動を排して礼儀正しくおつきあいできるようになったら問題は解決するのか。
 それがそうではありません。

 いくらコトバは物柔らかで、言質をとられないようなものであっても
 やってることが外道な場合があります。
 いわゆる労働争議などにも潜む問題ですが
 ダイレクトないじめではなく、何か別の理由をつけたりして、巧妙におこなういじめ、嫌がらせもあります。

 「外面如菩薩内心如夜叉 (げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)」
 というコトバがあります。
 見かけは菩薩のように、もの柔かで美しいけれど、心の中は鬼神のように恐ろしいという意味です。

 世間にはそんな人も少なくありません。

 そう言えば昔、筒井康隆氏の短編に『如菩薩団』というのがあったように思うのですが(記憶違いだったらすみません)
 ものすごく礼儀正しいおば様たちの強盗団で
「まあ、奥様ごめんあそばせ」
 みたいな、最初から最後まで丁寧な言葉使いで礼儀正しく、でもしっかり強盗殺人を働いていくという(笑)言ってることとやってることがギャップのあるブラックなコメディでした。

 たとえば、編集部によっては、まっこうから「おまえはいらん」と作家に言って、恨みを買うのはイヤなので、もっと絡め手から責める場合があります。
 いくつもいくつも新しいネームを提出させて、何度もリテイクを出して採用しないとかですね。
 直接の担当さんがそういうハラの場合もあれば、担当さんは誠実で、その漫画家をプッシュしようとしているけれど、上司が嫌っている場合もあります。
 真綿でクビを閉めると言いますか、なしくずしに追い出すわけです。
 それで編集部を恨んでみても、なんの得もありません。

 漫画家は漫画家サイドで冷静に状況を見極め、この編集部と打ち合わせしているこの企画に費やせる時間と労力はどれくらいか。
 どこまでつぎ込めば元がとれるか、どの一線を越えたら撤退すべきか
 という冷静な判断を常に持っている必要があります。

 ジョージ・ルーカスの処女作に『THX-1138』という映画があります。
 これまた何十年も昔に見たものでうろ覚えですが、すべてが合理的に管理されている未来世界で、主人公を追跡してきた警官隊が、あるラインまで着て「追跡の予算をオーバーしたのでここで中止」と引き返す下りがあったように思います。
 あのクールさが漫画家にも求められます。無論編集サイドにも求められますが、それは釈迦に説法でしょう(笑

 蛇足ですが
 上記の「何度も新しい案を提出させておいて何ヶ月も採用しない」ケースでも、すべてがイジメなわけではありません。
 最初から採用する意思がないのに無駄に提出させたのか、採用する意思はあったけれど結果的に編集部の思うような内容が提出されなかったのか
 それはこちらにはわかりません。
 私は、想像と事実は区別するよう心がけています。
 最近もそういうできごとはありましたが、私の中では
「こちらの意図と編集部の意図が合意に至らなかった」
 だけであり、それ以上何か勘ぐったり、相手の意図を邪推したりはけしてしません。

 相手の思いは、言葉と行動両方を総合して把握するもので、トータルでどんな意思表示をされたか、です。それ以上でも以下でもありません。
 上記のようなできごとがあったとしても
「今の山本は今のその編集部には必要とされていない」
 それだけです。
 世の中は風向きが変わることが多々ありますから、将来のことはわかりません。
 必要とされなければ、よそで働く、それだけです。
 
 以前読んだガンジーの手記で、自分は交渉相手の政治家に裏切られた。しかし、あくまで信じる正しい道を行くだけで、そのためにまただまされることもあるかもしれないが、別に天に恥じることはないという意味の下りがあって
 ああ、潔い生き方だなあと思ったものです。
 ガンジーは徹頭徹尾アヒムサ(不殺生)を追求した人で、その中に、恨みとか呪いとか、敵の不幸を願う気持ち、こいつらはこんなひどいやつらだから、これくらい叩きのめしてやろう、思い知らせてやろうといったネガティブな思いを持たないように生きていた人です。
 人間ですから、たまにはムカつくこともあったでしょうが、少なくともそういう衝動に身をまかせることはなかった。
 人間
寝覚めよき、事こそなさめ
 で生きるなら、自然とそういう生き方に落ち着くように思います。

 先日テレビを見ていたら、アフリカの医療現場で奮闘する女医さんのドキュメンタリーで、元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏の
熱い心に冷たい頭
 という言葉を引用していましたが
 いい言葉だと思います。



追記
 私の申し上げたいことが、うまく表現できているか、いまいち不安なんですが

 別に感情を押し殺して、無理に「いい子」になりましょうとか申し上げる気はさらさらありません。
 どうしても怒りたいときは怒ればいいし泣きたいときは泣けばいいです。(怒りを抑圧し続けると本当に病気になります)。
 ただ、人は感情の奴隷ではなく主人である方が幸せだと思うものです。
 そもそも私は人一倍喜怒哀楽は激しい人間で、それに振り回される生き方にほとほとうんざりしたと言うか、自分も周囲も全然幸せにしないと思って人生の半ばで軌道修正したクチです。
 いや、それでも自分は感情に身を任せたいとおっしゃる方は、それもそれで生き方だと思います。

 人はみなそれぞれ、納得のいく生き方をするしかないと思います。
 私の意見に共感してくださる方も、反対の方も、みな少しでも幸せに向かって進まれるよう願っています。
コメント
この記事へのコメント
えーっとね
はじめまして。

達観と開きなおりは多少違うと思います。
2008/06/14(土) 20:11:26 | URL | UP #VwhHdBBk[ 編集]
コメントありがとうございます
>UPさま
 はじめまして、コメントありがとうございます。おっしゃるとおりです。その辺の線引きは個人差があります。それぞれの方のご判断にお任せします。
 ガンジーがらみで蛇足を申しますと、ご存知の方も多いですが、彼の無抵抗主義もいっぱい誤解を受けていて、それをマジでやろうとすると本当に命がけで体をはって行わないと無理なんですが、なんだか面倒はイヤだから自分は人の後ろに隠れてうまく逃げ回りたいだけ(責任逃れの「口だけ平和主義」とでも言いますか)の人が、よくわけもわからず「無抵抗主義」をかかげていたりもしますから、その人が本当にわかってそれを言ってるのか、わかってなくて言ってるのかは、よく聞いてみないとわかりません。
 達観してるのか、単なる思考停止の人なのかとかも、よくよく調べてみないとわかりません。
2008/06/14(土) 20:20:57 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
派手なだけで中身の無い拳術を「華拳繍腿」「かけんしゅうたい」と読むそうで、かなり昔に中国拳法の手ほどきをしていただいた方に、「これまで学んだ物を見せてみなさい」と言われたので演武してみせると、即座にそう言われてしまいました。

それまでの自分の実力が、うわべだけのものだったと言う事は、その方に手ほどきを受けて良く解りました。

その方は弟子は取らない(生業として教えていないので)方でしたが、もし弟子に性格の悪い乱暴者がいたら、破門しますかと尋ねたら「中国人の考え方は違う、あなたは実力が有るからもっと良い師について勉強しなさい。」と言って体良く追い出すと言っておりました。

国が違えば考え方も様々。トラブルの回避の方法も様々だと思いました。
2008/06/14(土) 21:04:52 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
一読感服いたしました
自他ともに侮らず蔑まず高ぶらず
本当にこの様な心で日々暮らせたら
どんなに素晴らしいか・・・
己の日常を鑑みて反省しきりです


2008/06/15(日) 00:07:52 | URL | 流転 #-[ 編集]
私も聞いたことが
>ぬうぼマンさま
 エンターテインメントの場合「華拳繍腿」もある程度必要だったりしますが、実戦では命を縮めるだけですよね。
 その先生のお断りの仕方は私も昔武術家さんから聞いたことがあります。恨みを買わず送り出す一つの智慧ですね。

>流転さま
 過分なお言葉恐縮です。
 私は弱く愚かな人間なので、そういう道を選ばないと、不安やストレスでとてもやっていけなかったのです。
 誰かを憎んだり、恨んだり、明日の不安におびえたり、そういう気持ちを抱え続けて生きていたら、おそらく心療内科の薬漬けで一生終わることになると。
 また自分の激情で無用の言葉を吐いて、大切な友人を失ったりもしましたし・・・
 全部ころんで覚えてきた道です。
 ゴールは遠くて、日々試行錯誤してるところです。
 ありがとうございました。
2008/06/15(日) 06:08:24 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
しょっちゅう転びしょっちゅう起き
無菌状態の部屋にいたらあらゆる菌が敵になることでしょう。

だからといって息をしただけで死に至るような場所にもいられません。

そんな世の中だから人は自分の生き方を見つめて願わくば納得のいくいき方を求めているのだと思います。



ただ各々の納得の基準はとても異なりますので、そこには多々の問題が噴出することは自明の理。

世界は利によって形作られている訳ではありません。利と対に損もあり、利をひたすら求めれば損もその分大きくなるもの。電気のプラスとマイナスの関係は、損得の関係にも共通する世の真理の一つの表れと言えましょう。

求めた利と対の損を明らかにしその総てを人の行為のありようとして受け止められた時は人の社会が新しい時代へと移る時と思うしだい。

そんな時を迎えることなく消え行くも人のと付け加えておきます。

それにしても苦言を一言。
携帯での漫画はその絵に魅力のある作家さんにはやはり不利な気がします。
作家さんのタッチやその微細な線の力量は実に関係のない世界です。そのことは残念に思います。この後の創作の展開の参考にしてください。
2008/06/15(日) 13:58:42 | URL | やすやす #-[ 編集]
試行錯誤はこれからです
>やすやすさま
 求めた利と対の損を明らかにしその総てを人の行為のありようとして受け止め<そうしないと何も始まらないと思っております。
 と言うよりも、物質的な損得は、この人生を生き抜くために一時的に考慮に入れるものの一つとしか思っていません(己のエゴ、虚栄心などを満たす精神的な何かも含め、です。ただ、物は使いようで、そういう欲得も一つの方便として活用できます。けして禁欲主義ではありません)。
 仏教に、船は川を渡り終えたら無用のものという話があったように思いますが、まあそんなものです。
 ただいきなり損得を超えた話をしても、人はなかなかついてきてくれませんし、実際問題お金がなければ医者にもかかれずメシも食えないのが世の中ですから、物的な損得勘定を軽んじるつもりもありません。
 ただ、最終的に大事なものは別にあるだけです。

 ケータイ漫画へのアドバイスありがとうございます。
 私にとっては、まだ今回が最初の挑戦であり、どれくらい描けばどれくらいの効果か、どこが無駄でどこが有効かなど、按配を見ているところです。試行錯誤がスタートしたばかりですので、いたらぬ点も多いと思います。お見苦しい点はお詫び申し上げます。 
 試行錯誤と言っても時代の流れは早いので、あまり手間をかけていると適応できなくて滅びることになるでしょう。気を引き締めて取り組みたいと思います。
 ありがとうございました。
2008/06/15(日) 15:32:52 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
素直な感想を
抽象的でわかりにくいことにも答えていただきありがとうございます。抽象文はいろいろな解釈が出来そうに書くことがすきです。答えは一人一人の心の中に。先生の返答に勉強させていただきました。


携帯漫画のことわかりにくい表現をしすぎました。補足訂正しておきます。

小さい画面に、これが紙媒体ならもっと先生の絵を堪能できるのじゃないだろうかと思わずにはいられませんでした。


余談です。

昨今の風潮として好まれる作風を書いたものが勝ちとかいうことがあるでしょうか?編者の意向によってはありそうに思います。
本来、世に出る作品は、求めるものと作るものとの綱引きのような相互作用の中にあるのですから、要求側にべったりでも作者側にべったりでもいまいちな結果になりそうに思うのです。(時々で均一でなくバラつきはあって当然です。変な偏向という意味でべったりです。)相互作用の中に切磋琢磨な雰囲気があるように思います。(あくまで一般論です。先生はそういう部分噛み分けておられることと思います。)

でも、こんなことを思う私のような人も時代遅れの絶滅危惧種かもしれません。

この後も先生の表現に期待しております。また可能なら先生の温かい感じのドラマもみてみたいものです。ご自愛ください。
2008/06/15(日) 22:49:28 | URL | やすやす #-[ 編集]
ありがとうございます
>やすやすさま
 ケータイ漫画の小さい画面<おそれいります。おっしゃるとおり大きな描きこんだコマが、あのサイズだと迫力がなくなって見づらいことは否めません。
 この辺は、ケータイ画面と原稿の落差がどれくらいか、初めての試みなので、私も初体験なのです。
 ケータイ画面で見てちょうどいいバランスを保つとなると、昔の漫画(昭和30年代とか、あるいは梅図先生の「まことちゃん」とか)のように、格コマがほとんど同じサイズくらいな方がいいのかもしれません。
 ケータイに始まりケータイで終わる漫画はそれでもいいでしょうが、今回の私の作品は、後日紙媒体での単行本化を想定しておりますので、その辺が完全にはケータイ用に特化はしておりません。
 それでも、純然たるアナログ執筆の作家さんよりは、色々と適応しているつもりです(その辺はまたいつか改めてアップします)。

 読者の方のニーズ、編集さんのニーズ、漫画家のニーズ、それぞれ異なると思います。
 水車は完全に水に沈んでも、完全に水から離れても回らず、半ば沈み半ば出てこそ回ると申します(ってジョージ秋山先生の「ほらふきドンドン」の最終回でも言ってました!♪)。
 人の顔色ばかりうかがっていてもロクな作品はできないでしょうし、人の気持ちを無視してもやはり同じでしょう。おめー無視してるやんけ!とおっしゃる方もおいでかと思いますが、私はいささか喜怒哀楽が一般の方とずれてる部分がありまして、その辺が色々ギャップを生み出すものです;もっとうまくシンクロできるといいのですが。

 暖かいお言葉ありがとうございます。
 暖かい作品<描いていきたいと思います。これからの時代にはますます必要なものではないでしょうか。
 チャンスをいただける限り精進したいと思います。
 どうかよろしくお願いします。
2008/06/15(日) 23:28:16 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
「熱い心に冷たい頭」
「熱い心に冷たい頭」についてですが、この言葉はイギリスの経済学者のアルフレッド・マーシャル(ケインズの師匠です)が1885年ケンブリッジ大学経済学教授の就任講演「経済学の現状(Present Position of Economics)」で言った「経済学者は冷静な頭脳と暖かい心(Cool Head,but Warm Heart)を持たねばならない」と言ったのが元になっています。
これは有名な言葉で社会科学系をしている人ならたいがいの人は知っているでしょう。(緒方さんも、当然マーシャルのことは知っていると思います)

マーシャルはロンドンの貧民街に学生たちを連れて行き、経済学の目標がこういった人たちを救うことだと伝えるような人です。
ただ、暖かい心は大切だが、そのために目が曇ってしまってはいけないということで冷静な頭脳を同時にもたないといけない、そういう人たちを育てようと思うと教授の就任講演で話しました。

緒方さんのオリジナルではないのでコメントしておきます。
2008/06/17(火) 10:57:30 | URL | Bond #.qZpVpTo[ 編集]
ありがとうございます
>Bondさま
 私は専修が心理学ですので社会科学系はまったく不案内です。ご教示ありがとうございます。
 「白い猫でも、黒い猫でも、ねずみを取るのがよい猫」という中国は小平の現実路線スローガンも彼のオリジナルではないようですが、私などには彼の言葉として最初に印象付けられております。
2008/06/17(火) 12:07:08 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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