あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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『愛と心理療法』M.スコット・ペック
『愛と心理療法』

 人が人に手渡していくべき(「いくべき」と言うのが窮屈であれば「いきたい」と言い換えてもいい)ものは、究極「愛」しかないんじゃないかと思うものですが、今回はずいぶん前から取り上げたかった一冊の本について語ります。

 私の昨年読んだ本の中でベストにあげてもいいと思う一冊

 M.スコット・ペックの『愛と心理療法』(氏原 寛/矢野隆子 訳・創元社)

 です。ここ十年のうちに読んだ中でもベストの一冊かもしれません。
 一説には、カル○ス・ゴーン氏の愛読書とも聞きますが、そんなことはどうでもいいです(笑)(ビジネス書ではありません、無論)。

 有名な精神科医であるペック氏は大変知的な名文で(それも上っ面なキレイ事ではなく、深い体験と英知にあふれて)人間の愛や生き方、あり方について、語ります。
 多くの形而上的な洞察を含む内容で、100%唯物主義の人には受け入れられないかもしれません。
 氏はアメリカ人ですから、氏自身は特定の宗教とは無関係なポジションで語ろうとしていますが、やはりある種の西欧的キリスト教的な信念体系の影響からは抜けきれない部分もありますが、それはいたしかたないことだと思います。人は誰しも己の生まれ育った環境と完全に無関係な視点は持てないもので、そこはこちらで微調整すればいいだけです。
 何より氏自身がそのことを自覚して、自分の見解は限られたもので、間違っている部分もあるかもしれないと認めているのも私は好感を持ちます。


「純粋な愛とは自分を満たしていく行為である。それは自分を縮めるよりも拡大する。自分を消耗させるよりも豊かにする」

「本当の意味で、愛は愛でないものと同じくらい自分本位である。ここでもまたしても、自分本位であると同時に自分本位でないという、愛のパラドックスがある。愛と愛でないものを区別するのは、それが自分本位であるかどうかということではない。何を目指しているかが問題なのである。純粋な愛の場合、目的はつねに精神的な成長にある。愛でないものの場合、目的はつねにそれ以外のところにある」


 この「純粋な愛の場合、目的はつねに精神的成長にある」というのはまったく同感で、「精神的」というのが原文でなんと書かれているのかわかりませんが、私は「霊的な」「スピリチュアルな」と言い換えてもいいと思っています。また実際に、この種の本には、そういう翻訳がなされているケースがままあるように思います。
 宗教やオカルトの本と思われないための苦心なのかも知れませんが、見ようによっては一種の改ざんと言ってもいいかと思います(同書がそうかは知りませんが)。

 近年「スピリチュアル」という言葉が一部で流行し、一人歩きして、中には某心霊番組のことくらいに誤解している人さえあるようですが、この単語自体ずっと昔からあるもので、別に特定な宗教などとは関係ない言葉です。「知的な」、とか、せまい意味での「精神的な」、を超えた、もっと深く総体的な人間の内面を言い表す言葉と言っていいと思います。
 「宗教的な」と言うと、何か特定の「教祖」とか「団体」「教義」などと関連のあるものと限定されてしまうため、これは違います。
 「ニューエイジ」という単語が、あまりに玉石混交の「石」が増えすぎたことで、一種の「蔑称」になってしまったように、「スピリチュアル」という単語も、一部の人々には見たり聞いたりしただけでアレルギー反応を起こしたり、嘲笑の対象になっているのが現状のようです。
 私は誤解をさけるために極力使用を差し控えていますが、本来別に使用をためらうような単語ではありません。誤解する人は勝手にすればいいと言いたくなるくらいですが、そう言ってしまっては元も子もないので、注意深く使用するしかありません。
 たとえばプラトンの『国家』なども、部分的には大変スピリチュアルな内容を含んでいます。
 「霊的な」「霊性」という言い方も良いのですが、今度は、お化けや幽霊の話だと誤解する人もいて、言葉は本当に難しいです。

 それはさておきペックさんの本ですが


「純粋に愛する人は、愛する喜びを知っている。愛するのは愛したいからのことである(「したい」に傍点)。子どもがほしいから生んだのであり、親が愛情深いとすれば、そうありたいと思ったからである。愛することが自分を変えるのは確かであるが、それは自己犠牲ではなく、自分を広げることである」


 ここでいう「純粋な愛」とは「無条件な愛」つまりアガペーに近い愛のことでしょう。
 あれをしてくれたら愛をあげるとか、これをくれたら愛をあげるという愛は、値札のついた「愛と言う名の商品」であり、それは一種の「取引」であって「愛」ではないと私は思います。
 あるいは、「はなはだ不完全な愛のようなもの」と言ってもいいかもしれません。


「愛について二番目によくある誤解は、依存性を愛とする考え方である」

「『生きていたくない。主人(妻、恋人)がいなければ生きていけない。それほど彼(彼女)を愛しているんです』と彼らは言う。
『あなたは間違っていますね。あなたは夫(妻、恋人)を愛してなどいやしませんよ』
 と、私が言葉を返す---そうすることが多い---と、彼らは怒って言う。
『なんですって?彼(彼女)なしでは生きていられないって今言ったでしょう』
 そこで私は次のように説明する。
『あなたが言うのは寄生であって、愛ではないんです。生きるのに他人が必要なら、あなたはその人の寄生虫なんだ。その関係には選択も自由もありませんね。それじゃ愛というよりは必要性の問題だ。愛とは自由に選択することなんですよ。一人でも充分やってゆける人が一緒に生きることを選んだ場合に限って、二人は愛し合っているといえるんですよ』」

「依存性とは、誰かが積極的に面倒をみてくれる保証がなければ、不完全に悩んだり充分に働けないこと、と私は定義している」

 誰にでもそういう感情がないわけではない、とペック氏は前置きして、それ自体は問題ではない、それが

「生活を支配して生のあり方まで決定し、ただの依存欲求あるいは依存感情以上のものになることが問題なのである」

 と言います。

「この障害のある人は、愛されようとするのに忙しすぎて、愛するエネルギーが残っていない。
飢えた人が、食べ物のある所ならどこにでもたかってゆき、他人に分け与える食べ物を持っていないのに似ている。彼らの内部には空洞があり、底なしの奈落の満たされるのを切望しているが、完全に満たされることはないらしい」

「診断の際に、『受動的』という言葉は『依存的』という言葉と並んで用いられる。それは、こういう人が自分にできることは考えないで、人がしてくれることばかり考えているからである」

「私は彼らにこう言った。『愛されるってことがあんた方の目標なら、それはうまくいきませんよ。人に愛される確かな唯一の方法は、愛する値打ちのある人であることなんだから。人生の一番の目標が、受け身で愛されるだけなんてことでは、愛する価値などあるはずないものね』」

「だからといって、こういう人が他人のために何もしないというのではない。しかしその動機は、他人をしっかりとつなぎとめて、確かな世話を受けようとすることである。世話をしてもらう可能性がすぐには期待できない場合、彼らが『何かをする』のは大変難しい」


 大変辛らつな意見ですがまったくそのとおりだと思います。
 世界はそんな勘違いした「愛」のようなもので満ち溢れています。
 愛を描いたドラマや映画、漫画も多くはその勘違いから出ていないように思います(全部を見ているわけではありませんが)。
 主人公はやっと本当の愛にめぐり合ったんだ!ハッピーエンドだ!いやいやそれは愛じゃないよ依存だよ、みたいな(笑

 誤解のないように(山本は)申し上げますが、これはどこかに障害があって介護が必要なパートナーと深い愛で結ばれているケースなどを指しているのではありません。物理的になんら必要でないにもかかわらず、精神の歪からまるで薬物依存のように相手に執着して、それを愛と勘違いしている人のことです。(あるいは物理的依存を愛と勘違いしてたり)。
  
 恋と愛は違うというのは、すでに数え切れないくらい多くの人が語ってきたことです。
 わかりやすい例えで、わが子を愛する親はいても恋する親はいない(近親相姦のケースは別として)というのがあります(笑
 ある意味で、世の中の大半のエンターテインメントで語られている愛は愛ではなくて恋止まりなのではないでしょうか。
 本当の愛に目覚めるまでのワンステップ、通過点としての恋はあると思います。それは、カエルがオトナになるまでのオタマジャクシについているエラのようなものではないでしょうか。
 オタマジャクシにはエラが必要であり、カエルがそれをオタマジャクシから奪い去ることは間違っています。しかしカエルになってまで持ち歩くべきパーツでもないわけです。
 
 ちなみに、その愛がホンモノかニセモノか、ただの気の迷いであるかどうかは、恋が終われば自然にわかってくるでしょう。


 私は昔から(本当に十代のころから)、恋した相手に相手の感情と無関係に己の思いを押し付ける愛(本当は愛じゃないんですが)というのが理解できなくて
 好かれてないのに、そこで強引に愛を強要することになんの意味があるのかわかりませんでした。
 交際を拒否されて恨みに思うとか、恋人を取り合って恋敵が傷つけあうとか、狂気の沙汰としか思えません(実際そうだと今でも思います)。
 告白して拒否されれば、じゃあお友達でいるしかないですねーというくらいで(笑
 無論告白してNOと言われれば凹みますし、恋人が去れば悲しいし一人泣きもしたし・・・
 でもそれと病的な執着、依存は違うだろうと。

 もっとも20歳前後のころは、いわゆる「恋愛はゲームだ」みたいな感覚で、そんなことをうそぶいていた時期もあったので、当時
「それはあなたが本当に人を好きになったことがないからだ」
 と言われれば、はーそうかもしれないなあと思ったものです。
  
 でも人生も折り返し地点をまわり、昔なら初老という歳まで生きてきて、思うのは
 やっぱり依存し執着する愛は愛じゃないよなーと。

 私には最愛のつまがいますが、たとえ明日つまが去っても、それはかまわない。
 つまが幸せでいてくればいいだけです。
 若いころは、この人と別れて自分はいったいどう生きていけばいいだろうと悩んだ日々もありましたが、一巡りしてみるとやはり結論は最初と同じ。

 愛は自由であり、相手が自分を愛しているかどうかにかかわらず、相手の幸せ、成長を願うことだと思います。
 私自身は不倫や浮気をしたことはないし(精神的には作品執筆の中でしてるかもですが)(笑)つまもおそらくない(そもそもそんな余裕がない)のですが、もしあったとしてもそれを私は責めるつもりもないし、恨んだり憎んだりするつもりもありません(それと結婚生活を維持していけるかは、また別の問題です)。
 私のつま、と便宜上言いますが「私の」の「の」は「所有格」ではありません。
 つまは私の所有物ではないし、誰のものでもありません。つまの心も体もつま自身のものです。

 結婚生活というのは、物理的経済的様々な側面があって、純粋な愛とは別の要素が存在しますが、それは愛とは区別して考えます。
 てな話をしてると、愛というテーマから、色々面倒な生臭い話になってしまうので、またにしますが(笑

 んーと
 まあそんなわけで、いい本でした。
 別にこの先生の言ってることが全部正しいとかいうんじゃありません。
 ただ愛とは何か、考えあぐねている方には、それを整理して一つの考え方を示してくれるものだと思います。
 そこから足したり引いたり、自分で手作りの愛を探っていけばいいのではないかと。
 ではではまた~♪
コメント
この記事へのコメント
こっそり
はじめまして、

このサイトは文章が読みやすく、また内容が解り易くて良いですね。
宜しければ、相互リンクをお願いしたいのですが・・・

まだ、始めたばかりのブログですが、御検討のほど
ヨロシクお願いいたします。


2008/05/28(水) 16:16:13 | URL | 由香 #-[ 編集]
申し訳ありませんが
実生活でお付き合いのある友人のみ相互リンクさせていただいております。
お許しください。
2008/05/28(水) 18:57:42 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
「人生は問題の連続である」
ご無沙汰しております。
ゴーンの愛読書とは知りませんでした。

あらためて少し見てみたのですが、内容は部ごとに比較的独立していて、それぞれ見所がありますね。山本先生が触れられた第二部「愛」もさることながら、第三部「成長と宗教」なども、宗教についての基本的な考え方として、きわめて良質なものだと思います。
2008/06/09(月) 12:49:11 | URL | あるカルマ・ヨギ #-[ 編集]
うわさかもしれませんが
>あるカルマ・ヨギさま
 お久しぶりですようこそ!
 「成長と宗教」もいいですね。ほんとうに全編良書だと思います。
 ゴーンの件はだたのうわさかもしれません。どっちでもいいですが(笑
「人生は問題の連続である」<私も最近問題山積で苦労してます。
 辛いことも楽しみだよ、実になるもん、と昨夜も友人に(私なんかよりずっと若くて苦労人)に励まされておりました。
 知ってます。頭は知ってるけど心が(エゴが)嫌がるんですよ(泣笑
2008/06/09(月) 14:30:18 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
こちらも
はじめまして。
よしといいます
この本は今から読もうと思ってwebで検索してたらこのページにたどりつきました。

私は‘平気で嘘をつく人々’という本でM.スコット・ペックという存在を知りました。
実際はこっちの‘愛の…’の方が有名みたいですね。感想を読んで、もっと興味がわきました。

私の読んだ本は“悪”をテーマに書かれているのですが、とても興味深い内容でした。悪というものを切り口に人間の本質、傾向というものを考えさせられます。この人間の悪について研究することは危険なことだが、それをしないことはもっと危険なことである、と言っておられます。

こっちの方も、よければ時間があればぜひ読んでみてください☆

ではでは


2008/12/08(月) 23:50:16 | URL | よし #-[ 編集]
高校のころに
よしさま

>平気で嘘をつく人々

高校のころに読みました。
家での諸問題に悩んでいたころに。
良識の影に見え隠れする人の影の部分を解き明かしてくれた良書でした。周りの人には本の内容を理解も同意もしてもらえず孤立しましたが。この人の著作だったんだ。なつかしー。

白(~・~)白
2008/12/09(火) 00:58:52 | URL | やすやす #-[ 編集]
昔私も♪
>よしさま
>やすやすさま
 ようこそいらっしゃいました。
 コメントありがとうございます。
 『平気で嘘をつく人々』は出てすぐのころ買って読んだものです。
 残念ながら今ほど私の人間理解が至っていなかったせいもあり、ふーん確かにそういうケースはあるなあというくらいで終わってしまい、そのまましばらくして古書店に出してしまったように思うのですが
 たぶん今読めば全然違った印象と理解が得られると思います。出してしまったことが悔やまれます。
 何よりその
「平気で嘘をつく人」の悪の権化みたいな人物と近年関わることになりまして、私も友人も家族も大変な迷惑をこうむりました。
 ある種の人格障害と詐欺が渾然一体となったようなキャラクターでした。最大の問題は本人の自覚がほとんど感じられない点です。
 当然縁を切りましたが、またどこかで誰かに迷惑をかけているのでしょう。
 病的な自己防衛モードもいかんですが、うかつに人様に心を許すのも危険だと痛感したものです。
 人を見る目は一生磨いていかないとなあと;

悪について研究することは危険なことだが、それをしないことはもっと危険なことである<さすがペック先生!至言ですね!
 情報ありがとうございました♪
2008/12/09(火) 01:30:11 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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