あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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100の苦悩より1の喜び(長いです今回;
先日ある方とメールのやりとりをしてて、とても感激したことがありました。
どうしてもアップしたくて、ご本人の了解を得て一部公開いたします。
 
 「いささか形而上」な内容や、堅い部分もありますが、あしからずご了承ください。全部お読みいただければご理解いただけると思いますが、別に特定の宗教とかの話ではなく、「人生観」の話です(何度も書いていますが、私は形而上的世界を認めていますがあくまで無宗教です)。


 まず、仏教の瞑想の一つにヴィパッサナー瞑想というのがあります。
 それ関連のブログで昔目にした一文が、あまりにも私の信条と合致していたのでここにアップします(これは、その感動したメールとは無関係です。私の知らない方のブログの一文です)。

「何が起きようとも、所詮この世のことは一時的な状態に過ぎない。
 好いことも消えるが、悪いことも消えていくのだ…。
 幸福にも、不幸にも終りがある。
 徳を積んで天界に行こうが、煩悩をほしいままにして地獄や餓鬼の領域に堕ちようが、やがて輪廻する。
 そのような、無常に変滅する現象世界そのものから、永遠に撤退しようという発想……。」

 まったくまったく同感で(笑
 私がもし何でも願いのかなうドラゴ〇ボールみたいなアイテムを与えられたら、真っ先に願うことがこれ。二度とこの世に戻らないこと。
 かと言って、何かの宗教で説かれるような、善行を積んで天国や極楽に行くとか、いい人生に生まれ変わるとかそういう「ご褒美」も興味なし。
 そのアップ&ダウンに私はもう何の興味もないわけです。
 もう一度生まれ変わって晴らすべき恨みも果たすべき願いも一切なし。それは無論、私が傷つけられた経験がないわけでもなく、やりたいことがないわけでもありません。人生で、殺したいほど憎んだ相手もいれば、見果てぬ夢も持っています。ただそれらに執着しないだけです。
 
 だからと言って、厭世主義の虚無主義で首でもくくるかというとそうではない。私は自殺は賛成しません(無論他殺も)。
 また、どうせ何やったって仕方ないじゃんと、いい加減に生きるつもりもさらさらなく

 日々謹んで与えられた境遇を受け止めて、建設的に前向きに思案し実現に向かってベストは尽くす。ただそれが万一かなわなくてもなんのこだわりもないのです。

 私にとって「今生」は、契約書にハンコを押して仕事をしている仕事場(スポーツのチームにたとえてもよし)みたいなもので、今この人生は私が私の名において選択し実行しているものであると。自分で選んで「捺印」した以上、けして最後まで手は抜かない。チームメイトにも同僚にもお客さん?にも不誠実なことはしない。それはまた自分にとっても誠実であることだ。
 しかし

 次の「契約更改」はしないかなと(笑
 何かの宗教で言うような、無理矢理転生を迫る神とかいるなら別ですが(古今東西色んな人が色んなことを言ってますが(選べるとか選べないとか、幻想だとかそうじゃないとか、まあ本当に色々)そのことを言い合っても時間の無駄ですから置くとして)
 私に選択権があるならハンコは押さない。
 どんな好条件、年俸アップを提示されても押さない。
 ゲーム自体に「飽きた」というのが結論だったりします。

 それはおかしい。
 日々すべてを感謝して暮らしてるんじゃなかったっけ?
 というつっこみがありそうですが
 はい、そうしてます。
 寝る前に、その日のすべてを感謝して一日を終えます。
 人は与えられた境遇を恵みとして生きる(差別その他非人間的な扱いや不正にあまんじるという意味ではありません)のが人生の極意です。
 ひどい事故で体の自由を失ったり、不治の病と取り組んでおいでの方が、その境遇をネガティブにとらえず、自分が成長するための貴重な糧としておられる話は、昔からいくつも見聞してきました。その最たる例は目耳口が不自由だったヘレン・ケラーでしょう。
 自分は、そういった過酷な人生を生きられる方からすればぬるま湯もはなはだしい日々ですが、目指す方向は同じつもりです。

 ただ

 ただですね。
 もしそれらの方々が、あなたにもう一度人生が与えられるとしたら、また同じ体、同じ病でやり直したいですか?と尋ねられたら、はたして何と回答されるでしょう。
 はい、もう一度同じハンディでやりたいです、と答えられるでしょうか。
 もしかしたら中には、はいと言う方もおいでかもしれません。
 でも私はイヤです。

 人生には色々な苦難があります。
 いじめや虐待もそうでしょう。
 中にはそれが、その人の内面を大きく成長させ、人間としての深みを生み出すための貴重な体験となるケースもあります。
 しかし、その人が、あれは貴重な学びだったから、ぜひまた同じいじめや虐待を受けたいと思うでしょうか。
 ほとんどの方はNOではないかと。
 私にとっては人生がそうです。
 幸不幸、運不運、みなかけがえのない気づきと学びでした。でももう「今回」だけで十分ですと(笑
 この学校は今期で辞めますと(どんなに小学校や中学校、高校などに楽しい思い出があったからと言って、毎日朝起きて同じ学校に一から通いたいとは思わないのと同じです。思う方もおいでなのかも知れませんが)♪
 いや、無論「落第」してもっと下の「学校」に行くのもごめんですけどね(笑


 さて、そこでいよいよ本題ですが(長いよ前置き!)(すみません);
 私の友人にOさんという漫画家さんがいらっしゃいます。
 私より10歳くらい?若い方で、ハートのある素敵なマンガを描かれる方です。尊敬してます。
 ちなみに、この方も無宗教ですが
 先ごろ話のついでにこういう話題が出まして、私がこの記事の冒頭に掲げた文章と信条をお話ししたところ、下記のようなお返事をいただきました。

「わたしは何度でも地球に生まれてきたいです~。
ミジンコでも虫でもどんな生き物でもかまいません。その時与えられた生を謳歌したいと思います。
わたしが先生ほどの苦労や苦痛を味わってないから言える事なのかもしれませんが、
苦悩もきっとたくさんあると思いますが、100の苦悩も1の喜びにはかなわない気がします。
これは生きてないと実感し得ない事ですから、何度でもこの世に生まれてきたいなあと思うんです。
神も人も超越してしまうのはさみしくないですか?
わたしは俗物である自分も(いやけがさす事は多々ありますが)結構好きです。
でもそれに甘んじることなく精神的な高みをめざしたいとは思っています」



 素晴らしい!!!(涙
 私はモーレツに感動(巨人の星)しました!!!
 いや、マジで!!!
 念のために申しますが、Oさんは別に人一倍恵まれた環境においでなわけではありません。 けしてセレブでもなければ、最近で言うところの「勝ち組」(虚しい言葉です)でもない。面倒も苦労も絶えない普通の人生をこつこつ生きておられる方です。

 私はOさんに以下のレスを返しました。

「まずはこのインドの説話をごらんください(昔ネットサーフィン中に見つけた、私の知らない方のサイトですが)。
http://www.song.c-e.at/eichi/eichi.htm
リストの17に「二人のヨギ」というのがあります。それです。
http://www.song.c-e.at/eichi/eichi17.htm

 Oさんは若いヨギです。
 私は蟻塚のヨギです(いやそんな大層な修行も瞑想もなにもしてませんから、それ未満ですが)。
 昔この話を読んで、さもあろう、だが私は若いヨギにはとうていなれないなあと思っていました。
 きょう私はその人に会えました。
 感激です。
 私は「今ここ」を生きることを目指して日々試行錯誤しているものですが、そのことを素直に体現しておいでのOさんに心より敬意を表します。
 作品や文章からかもし出されるなんとも言えない暖かな手触りは、この根源のポジティブさ、世界への愛だったのですね。
 あなたと知り合え言葉を交わせることを本当に光栄に思います。
 ありがとうございます。
 おかげできょうはとても幸せな気分です♪(本当です)」


 100の苦悩も1の喜びにはかなわない<欲張りな私にはとてもそんな言葉は吐けません。
 どうしても心の底で、もっとローリスク・ハイリターンな人生を望んでしまうんですが(笑)
 すばらしい言葉です。
 くりかえしますが、これは社会の不正や人の苦しみを知らん振りして「あれでいいんだ」とするネガティブな幸福感の話ではありません。自分が自分にふりかかってくる色んな出来事、幸不幸、運不運にどう向かい合うかという話です。
 人間が何かことを為す場合、最初の動機として怒りや恨みを用いることはよくあります。それは確かにある種のエネルギーを生み出し、それなりの成果を生み出すのは、歴史上の多くの出来事が証明しています。
 しかし長い目で見たとき、その根底にそういうネガティブな他者否定や攻撃性、破壊性を抱いた思想、運動は、けして良い結果を生み出さないと私は思っています。
 世界平和、世界の幸福はまず自分の平安から。
 自分が安らぎと愛で満たされることから。
 それなくしてありえない。

 「二人のヨギ」の寓話になぞらえるならば、私などよりOさんは、よほど「解放されている」(宗教的な言い方をするなら「神に近い」)方だと思います。
 きっと自分の身の回りや、読者の方々に、暖かいなにかを手渡していかれることでしょう。

100の苦悩も1の喜びにはかなわない

 そんな思いが増えますように♪
 長文失礼いたしました。


追記
 ちょうど通りかかったつまにこの記事を読ませたら
「ばかやろう!またこんな小難しい文章書きやがって!
 もっとくだらなく書かなきゃお客さんは読んでくれんぞ!」
 といつもどおり怒られました(爆
 続けて
「ミジンコになってもまた生きたいというのは、ある意味すごい悟りですよ。その辺の坊主なんかにはとても言えないセリフです。
 いったいOさん、なんの修行をしたでもないのに、どこでそんな悟りを得られましたか!」
 つまはこういうことに出会うと
 駄菓子屋であんこ玉を買ったとき、「当たり」のつぶを当ててしまったような気がする。同世代より若い方からそういうお話を聞けるのはなかなかないうれしーことですよとうなずきながら風呂に入って寝に行きました。

 さて仕事するか。

追記2
 昔ウルトラマンに怪獣墓場というエピソードがあって
 宇宙にある怪獣墓場から地球にやってきたシーボーズという怪獣が、何をするでもなく、ウルトラマンが戦いを挑んでも嫌がるだけで、つまらなそうに石を蹴って天を仰いで帰りたいよーってやってる
 非常に哀れをさそうキャラで印象に残っております♪(ご記憶の方も多いかと)
 私は最近ふとあれを思い出して、なんだかオレみたい・・って(笑
 いっそ「シーボーズ山本」とかハンドルネーム代えようかなんて(冗談です)。

 いや怪獣墓場に行きたいわけじゃないですけどね無論;
コメント
この記事へのコメント
ふと気が付くと、人生既に折り返し点を過ぎていまして(100歳以上生きるなら別ですが・・・)、「こんなに生きるつもりじゃなかったのに」などと思いながらも日々どこかの方向へと流れていく事を享受している自分が居ります。

自分自身にも、そしてそれを取り巻く世界の事象にも不満、そして要望はあるのですが、とりあえずソレはソレとして全てを受け入れるだけの度量があれば自分的には「万事全ては事も無し」と思うのです。

でもその「度量」が無いのが悲しいところで、日々細事に捉われて「右顧左眄」しながら流れて行くのです。

Oさんのような方の話を聞くと「ああ、受け入れる用意が有るのだなあ・・・」と羨む反面、生物的に弱い自分を実感してしまいます。

ちなみにウチの女房と会話すると、やはり生物的に弱い自分をいつでも実感できます(笑)
2008/02/29(金) 11:58:59 | URL | ぬうぼマン #x9c5GV3o[ 編集]
私もです♪
>ぬうぼマンさま
 朝から長たらしい文章におつきあいいただき恐縮感謝です。
 私もつまと話すたび、弱い自分に気づかされます(それがけっこう病み付きだったり)(バカですかね)(笑
2008/02/29(金) 13:03:07 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
青い鳥
くまくまでございます。 幸せの青い鳥を見つける事のできた稀有なお方ですね、素直にうらやましいです。 坂道、上り坂も下り坂も無い平坦な道を淡々と歩きたいですね。 生きるだけ生きたら、まあ、死ぬのでしょうが(笑)
2008/03/01(土) 22:51:31 | URL | くまくま #-[ 編集]
私も地道に生きたいです
>くまくまさま
 私も淡々と生きたいです。 避けられない難儀は否定しても仕方ないですから謹んで受けますが。
 生きられるだけ生きて死ぬときはまた淡々と死にたいですねー♪
2008/03/02(日) 08:28:55 | URL | 貴嗣 #-[ 編集]
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