あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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邪念と筆運び
 なんだか大仰なタイトルになってしまいましたが
 絵を描くというのは思った以上に微妙で精密なバランスの元に成り立っているもので
 他の方は知りませんが
 私の場合ネガティブな想念を抱くと瞬時に筆が狂います。
 って別にいつも穏やかで立派な心がけで描いてるという意味ではない(そんなわきゃない)(笑)んですが
 少なくとも露骨な悪想念を抱くとソッコー筆先が狂います。
 これは昔からのことで

 たとえば描いてる最中に誰か気に入らない人のことを思い浮かべて
「あの野郎はよー」
 とか思ったとたん、下絵のラインとずれた位置にペン先が行って修正しなきゃならなくなります。
「あーいらいらする」
 とか
「くそ、××さえなければ」
 といった類のネガティブな想念でも同様。

 ですんで、筆運びは、自分の精神状態の一種のバロメーターでもあります。
 人は「想い」「言葉」「行動」がリンクしていますが
 そのことを具体的に思い出させてくれるのが、私にとっては執筆なのでした。

 精神的ストレスをかけられた人間が、あっと言う間に胃壁から出血する場合があるのと同じように
 私の場合それが筆運びに出るのです。


 何がネガティブで何がポジティブかというと、また人によって意見が分かれるでしょうが
 私はヒムサとアヒムサ(殺生と不殺生)という視点で見るようにしています。
 生き物を殺す殺さないの話ではなく(生物が生きるために他の命を必要とするのは、ある程度いたし方ないです)自分と異なる他の存在を否定しないということ。
「激しく悪を憎む」
 のは正義だからポジティブだと言われる方もおいででしょうが
 私にとっては
 その人のその状態を自分が許容できないということと、その人を否定しようというのはまったく別問題です。
 その人のある状態が改められるべきものであると思うなら、その人がより現実に目覚めてそれを改められるようになるよう願うだけで、それはその人の幸せを願うものであって不幸を願うものではけしてありません。

 と言っても、どうにもそうは願えないくらい気に食わない人というのもいないではないですが(たとえばニュースで見る赦しがたい下劣で非道な犯罪者とかですね)(笑)、そういうネガティブな想念を思い浮かべてしまう相手のことは考えない(その想念に自分の意識の焦点を合わせない)ようにします。自分でできる対策や行動のことは考えますが、それ以外の無用の否定的感情に心をゆだねないということです。

 これも書くとまた膨大な注釈が必要なで、今はこの辺で切り上げますが(汗

 私の言うポジティブというのは、けして誇大妄想な自己肯定(チャック全開で歩いてるのに「オレってイケてる最高だあ」と妄想してるような)を意味しているのではなく
 自分と他者や世界、宇宙とのリンク、一体感を育む意識のことであって
 逆にネガティブな意識とは
 それを断ち切り、壊す方向の意識です。
 オレは正しくてあいつは悪!
 オレはYESであいつはNO!
 という「ヒムサ(殺生)」な意識はすべてそうです。
 「アヒムサ(不殺生)」は対立の全的肯定(闘争の奨励ではありません)であり、そこからどんな芽を出し育んでいけるかを思い行動するものです。
 無論体力や気力の状態によって、いつもいつもそんなふうにはいられませんが、その場合は、
 あ、今オレは愛がないなー
 と意識するようにして、場合によっては身を引いたり、行動を起こさなくしたりします。どの程度成功してるかはわかりませんけども(笑

追記
 ただこの私の「執筆センサー」も100%の精度は無論ありません。
 急に立ち上った悪想念は検知できるんですが、フェイドインでじわーっと広がった悪想念は、緩やかに進行する環境破壊みたいなもんで
 検知できないように思います。
 それには別の検証が必要になります。

 また、意識がフリーな状態だと反応しますが、意識的に自分が
「これから●●の悪口を語ろう」
 などと身構えてからだと、自動補正装置が働くのか、筆先は狂いませんから、そこも間違えないようにしないといけません(間違えませんけど)(笑
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