あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
201705<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201707
中島新譜『I Love You 答えてくれ』
ちょっと長いです今回(すみません);

 先日友人の漫画家さんと電話してたら(子供いや少なくとも姪っ子くらい歳の離れてる人ですが)
「中島みゆきの新しいアルバムいいですよー♪」
 と
 私が中島ファンであることをご存知で、あちらもけっこうお好きだったせいなんですが教えてくれまして
 久々に私買いました。

 私は若い頃から中島姐さん(の歌)は好きですが、さすがに失恋系の歌はずいぶん昔に興味が失せて、もっぱら人生歌ってる歌を愛聴してました(いや恋愛に仮託してもっと高次のテーマを歌ってるものもあるんでしょうが)。
 姐さんとはなにか訴えたいことにあい通じるものがあって(おめえの作品そうは見えねーと言われそうですがあるんです)以前も書いたことがありますが、あのヒット曲『地上の星』の数年前に、拙著『超(チャオ)』で「人は地の星」というセリフで一くさりヒロインが語ってたりとか(笑

 私は近年どこまで愛と光を追求できるかが人生のテーマに(元々そっちを目指してはいたけど、本当に火がついたのはこの2~3年)なってるんですが、電話した友人の話では今回の新譜
『I Love You 答えてくれ』
 では、そういう方向に姐さんも行ってるのが全編に流れてるというので。
 最近の2~3枚はアルバム買わなくなってたんですが、久々に買った私です。

結論から言って、良かったです♪
 さすが姐さん、やるなあ!って感じで。
 とりわけ二曲目の『顔のない街の中で』は、キタキタキター!!
「見知らぬ人の笑顔も 見知らぬ人の暮らしも 失われても泣かないだろう」
 という歌いだしで
 見知らぬ人にはいくらでも冷たく無関心、どころか攻撃的にさえなってしまう人の心に言及し
「ならば見知れ 見知らぬ人の心を 思い知るまで見知れ 顔のない街の中で」
 と歌います。
 うわー、まいりました。
 これって私の今の最も重要なテーマというか、まあこの世に生を受けて「在る」意味だったりするんですが
 ここまで直球勝負で歌った歌を私は知りません。
 これ一曲でも脱帽です。泣きました。
 蛇足ですがこれ、他人に説教する歌じゃなくて、自分に突きつける歌だと私は思います。
「見知らぬ人の心を思い知るまで見知れオレ」ってことですね(笑

 ほかにもいい歌色々あるんですが
 ここで思うのは、中島姐さんのバランス感覚です。
 美輪明弘さんが言ってましたが、ある種の悟りというか人生を達観した境地にいくと、その本人はいいけど、一般のお客様と感覚がずれてしまって人の心に寄り添い訴える歌や芝居ができない。だからまた後戻りして歌い演ずるみたいな。言葉は正しくは覚えてませんがそういう意味のことです。
 これってまったくそうだと思うんですが
 正直辛いことだと思います。
 言うなれば、無駄なストレス解消法を見つけてゴミに出したのに、また拾ってつけなきゃいけないんです。なにが悲しゅうてそんなことを・・・って、それが使命だったりして(笑

 中島姐さんも延々そうですよね。
 どこまであえて後戻りしてるのか、実は本人が足踏みしてるのかわかりませんが
 でも頭のいい人ですから、かなり「わかった上で」やっておいでなのでしょう。

 私は正直ルサンチマン(怨みとか憤りとか)をベースのメッセージはもううんざりしてまして、それを手放さないと本当の意味での愛も平和もないだろうと思うものですが
 本当にそこいっちゃうと普通の人がついてこない。
 わかってる人だけしか納得してくれなくて、でもわかってる人にはそんなメッセージあまり必要ないんですよね(もうわかってるんですから)。

 「健康な人に医者はいらない」
 という意味のことをイエスも言ってましたが、そういうことです。
 本当に励ましや癒しを必要としているのは、むしろ、そういうもの遮るもろもろを手放せないでいる人なわけで
 ある意味医者や警官と同じジレンマ。
 病気の人、犯罪者がなくなることがテーマであるけど、そういった人々が存在しないと成立しない職業。本当は健康な人、心と行い正しき人(何が正しいかという議論はとりあえず置くとして)とだけ接して生きられたら、それが最高にお気楽なんですが
 そうじゃないのを前提に選んだ職業なわけです。

 漫画家などというのも一応エンターテイナーの端くれなわけですが
 エンターテインメントを必要としている方は、心のどこかに満たされないものを抱えておいでなわけです。
 無論ピンキリで、怒りや悲しみで絶望のどん底にある方から、かなり概ねハッピーでマンガなんかあってもなくてもどうでもいいという方まで様々でしょうが
 でも物質的にも精神的にもなにもかも満たされいて、幸せおなかいっぱいー!という方は、普通娯楽を求めません。何しろ日常自体が娯楽なんですから(笑)。求めても、熱心に買いあさったりましてやファンレターやアンケートを書いてくださったりはなさらないでしょう。

 誤解をされるといけないんですが、これは別に「満たされている者が満たされない者に幸せをおすそわけする」とかいう意味ではなくて、八百屋さんが野菜を売るように、魚屋さんが魚を売るように、
 娯楽という商品を売るのがエンターテイナーなだけです。
 エンターテイナーはエンターテイナーで、様々な悩みや苦しみがあるわけですが、それはそれとしてお客様に楽しんでいただくのが商売なわけです(不治の病を持ったお笑い芸人とかもおいです)。

 んで、えーと

 その「後戻り」なんですが
 このアルバム一曲目は『本日、未熟者』という、いきなり読者目線いや聴き手目線の内容で
 まあいいそれは。ある意味定石でしょう。
 気になったのは最後の表題曲『I Love You 答えてくれ』ですが。
 これ中島姐さん流にアガペーを歌ってる歌です。無条件の愛ですね。

「何か返してもらうため 君に愛を贈るわけじゃない
 あとで返してもらうため 君に時を贈るわけじゃない」

「愛さずにいられない馬鹿もいる 悩まないで受け取ればいいんだよ」
 とそこはいいんですが、最後に

「受け取ったと答えて欲しいだけさ I Love You 答えてくれ」
 とサビに入るんですが

 うーん、惜しい。
 私の感想としては「惜しい」。
 その「答えてくれ」も手放したら楽になるのに。アガペーなのに。
 誰かのためじゃなくて(ためにもなるけど)自分自身のため、無用の苦悩にさよならするために、その「答えてくれ」ともさよならすればいいのに。

 ちょっと話はずれますが、最近新聞広告などで、加島祥造という人の『求めない』という本を見かけます。
「ほんの3分でも求めないでいてごらん。不思議なことが起こるから---。求めない---すると、何かが変わる。
 求めない すると心が広くなる
 求めない すると恐怖心が消えてゆく
 求めない すると一つの調和が起こる
 求めない すると待つことを知るようになる」
 とありますが。
 まったくそのとおりだと思います。「16万部突破」とか書いてありましたが、そういうメッセージが世に入れられるのはいい事だと(中身読んでませんが、この広告で書かれている内容に偽りがなければ)思うのですが
 一方で複雑な気持ちにもなりました。
 これって昔からあまたの賢人聖人が訴えてきたことだと思うんですよね。イエスしかり釈迦しかり。近年ではガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』なんかもそうだと思います。だから、この本で始めてそんなことを知った、みたいな読者の声を見ると、この人今までどこ見て歩いてきたのかなーと、いささか脱力するのでした。
 いやこれは私が間違っているのであって、どんな人にもタイミング、縁というものがあり、機が熟さないとどんな宝物も目に入らないわけです。これを読んで救われたと言う方は、出会うべきタイミングで出会うべき本に出会えたわけで、それはとっても幸せなことでしょう。

 しかし
 そういう境地はけして何かのゴールではなく、新しい人生のスタートでもあるわけです。
 そこがわかって始まるネクストステージ。
 実は先日もつまと、作品で訴えられるものって何かって話をしてまして
 無条件の愛を理解できる人はほとんどいないから、それは描くことは難しいのではないかというのがつまの意見。
 私は、確かにそうであった時代もあるけど、もうそういう時代も終わっていくんじゃないかという意見。
 これについて書くとまたエラく長くなるので別の機会にしますが

 中島姐さんの「答えてくれ」は、お客様のために一歩戻って「控えた一手」なのか。本当に自身がそう思っているのか。
 もしそうであれば、「それは愛ではない」いや「不完全な愛」。

 色々考えさせられるアルバムでした。

 姐さんの巨大な才能と類稀な歌声には、ひたすら感服愛聴しております♪

追記
 加島氏の『求めない』について思ったもう一つのこと
 これは、様々な聖賢が大昔から語ってきたことと書きましたが、正しくは語ってきたことの中の一つです。
 私も作品で何かを語る際、色々語ることの中の一つとして語ってしまいそうなんですが
 それでは受け取れない人がいる。
 わざわざこの「求めない」ということ一つにフォーカスすることで、始めて受け取ることができる人がいる。
 そういう親鳥が咀嚼して雛鳥に与えるような作業を、この加島という方はなさっているのかもと。
 人にメッセージを伝えることの難しさを改めて思いました。

 受け取ってもらえないメッセはオナニーといっしょで虚しいものです。それでも時代を超えてわかる人だけにわかってもらえれば、という文言もありますが(イエスや釈迦もそうでしょう)
 マンガなんて本当に風に舞い飛ぶ季節モノですから
 今読んでくださる方の心に響かないとどうにもなりません。
 ああ大変だ大変だ(頭を抱える私です);
コメント
この記事へのコメント
お久しぶりでございます。
以前掲示板に少し書き込みいたしましたootomoです。
…「葉隠」に「忍ぶ恋こそ最上」というくだりがあったことを、思い出します。
取り急ぎ。
2007/10/18(木) 09:37:12 | URL | ootomo #/HoSuqFw[ 編集]
お久しぶりです
>ootomoさま
 お久しぶりです、お元気ですか。
 葉隠れですか。思わぬ角度よりの切込みです♪
 言わずもがなですが、恋は愛とは違いますよね。
 「無償の恋」とはあまり申しません。
 うまいことを言った人がいまして、「親は子供を愛しても恋しはしない(近親相姦的関係は別として)」と。
 もっとも英語ではどっちもLOVEなんでしょうか?
2007/10/18(木) 12:16:09 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
「愛さずにいられない馬鹿」だからこそ愛しい
 この曲に限定して言えば、アガペー的な愛が歌われているのではない、と解釈しています。

 中島は、人の弱さを知り抜いてそれを歌い上げますから、理想を実践した立場での歌は基本的にありません。
 仮に、この歌が「受け取った」の一言さえも求めない歌であったとしたら、それこそアガペー的な愛であり、理想の実践を果たしたステージから歌われるものになってしまいます。

 (いや、もっと言えば、一人称でアガペー的な愛のみを歌い上げたりしたら、そのこと自体が矛盾を内含してしまうと思うのですが・・・。
 歌い上げる≒想いを伝える、ということと、何も求めない、ということは両立しえないと思ったりするのです。)


 では、中島にアガペー的な愛を歌った曲はないのかというと、そんなことはありません。

 「I love him」などは、その一曲です。
http://www.miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba256.shtml
 この曲は、アガペー的な愛を歌っていますが、そのことのみを歌っているのではなく、そこに至るまでの過程(人の弱さ)も合わせて歌い込まれています。

 そして何より「I love him」は、彼への想いの伝達ではなく、自分に対する独白です。
 この形であれば、アガペー的な愛を歌うことも可能ですね。


 唐突なコメント・トラックバック失礼致しました。
 エントリーの殆どの部分を「うんうん」と頷きながら読ませて頂きつつも、上記一点の解釈が『私の感想としては「惜しい」』と感じたものですから。
2007/11/20(火) 12:14:40 | URL | キール #Fq.t1ZMk[ 編集]
ありがとうございます
>キールさま
 コメントありがとうございます。
 おっしゃるとおり中島さんは人の弱さを熟知しておいでですよね。
「I love him」も存じております。
 後ほど久々に聞いてみますが、私はあれを聞いた当時、今よりも未熟者だったせいか、あの歌はアガペーと言うよりも、ある種の背伸びとルサンチマンを含んだ歌のように感じました。本当に心底すべてを手放した清々しさは感じませんでした。人は己のレベルに応じたものしか受け取れませんから、今聞くとまた違う感想かもしれません。

 歌い上げる≒想いを伝える、ことがアガペーと矛盾するとは思いません。
 この種の内容を語るにはどうしても形而上的な表現を含まざるを得ませんので、あえてこういう表現をさせていただきますが、「天使」的「菩薩」的な行いというのは、自分はもはやエゴイスティックな意味での世界へのこだわりはないのだけれども、傷つき苦しむ人への愛(それこそアガペーですね)ゆえに、この世にとどまって、世界のために「歌う」のです。
 ある意味釈迦もそうであり、悟りを開いたときに、自分だけ悟って何も語らず輪廻の輪からはずれてしまうかとも思ったのですが、人々のためにあえて語って欲しいと懇願されて、行かず現世に留まったわけです。
 世に留まるということは、ある意味一段下がって馬鹿になることでもあります(馬鹿のふりをすると言ってもいいでしょう)。
 私は中島姐さんにも同じものを感じます。
 あれだけ人生を考えてきた人が、いつまでも未熟者の(無論人は永遠に未熟者ではありますが)歌を歌い続ける必要はないように思います。あえて歌い続けるのは未熟者を愛すればこそではないかと。

 この問題は私ども創作者の大きなテーマでもあります。
 本当は自己の成長や歩みとともに、同じ歩幅で進める読者とだけ手をたずさえて進みたいと思うことがありますが(作家でなく一個人であれば、それも可。自己の進化成長だけ考えていれば良いのですが)一人でも多くの人の胸にメッセージを届けることが勤めであり、また己が成長するきっかけでもあると想い、歩幅を狭めざるを得ません。
 この問題は一言では語りつくせないものです。
 本日は仕事でこれから出かけます。
 また項を改めてお話させていただきます。
 素敵な問題提起をありがとうございました。
2007/11/20(火) 14:33:05 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
改めて考えました
 お忙しい中、大変丁寧なレスをありがとうございます。
 ご意見を読ませて頂いて、「歌い上げる≒想いを伝える、ということと、何も求めない、ということは両立しえないと思ったり」している自分こそが、それこそアガペーの実践なんて人には無理なことだと諦めてしまっている未熟者であると、改めて思い至りました。

 山本貴嗣先生に
>あれだけ人生を考えてきた人が、いつまでも未熟者の(無論人は永遠に未熟者ではありますが)歌を歌い続ける必要はないように思います。あえて歌い続けるのは未熟者を愛すればこそではないかと。
と言って頂けたことで、山本先生と私との間に、殆ど考え方の差がないことにも気付きました。
 先のコメントのタイトル『「愛さずにいられない馬鹿」だからこそ愛しい』に集約したかった想いと殆ど一致します。

 殆ど、と申し上げたのは、中島みゆきに求めるものの違いだと思います。
 (人は永遠に未熟者であるが故に、)中島みゆきにはここ(人の弱さや愚かさ)に踏み留まって歌を歌い続けて欲しいと願っているのが私です。
 自身のブログで「中島みゆき信仰」を表明している私ですから、中島みゆきはとうに(アガペーの)高みに達して言葉を紡いでいるのだと感じています。ただ、その表現方法は、枯れた枝落とすように未熟者を置き去りにしたものであって欲しくないとも願っているのです。
 中島みゆきの歌は、どこまでも未熟者である私たちのために歌われているのだと、結局私はそう信じているのだと思います。

 ・・・山本先生のおっしゃるように、中島みゆきが未熟者の歌(人の弱さや愚かさ)を歌わなくなったら・・・・・・私はどんな思いでその歌を受け止めるのか、今は正直、想像だにできません。
2007/11/20(火) 17:54:09 | URL | キール #Fq.t1ZMk[ 編集]
こちらこそ
>キールさま
 こちらこそ、素敵なレスをありがとうございます。
 お返事の日記を書きたいと思ったのですが
 ちょっと長い話になりそうで別途編集中です。何日かかかりそうです。
 よろしかったらたまに覗いてやってくださいませ。そのうちアップしたいと思いますので、気長にお付き合いいただけますと幸いです。
 蛇足ですが
 私は中島さんの
『二隻の舟』が昔は好きでしたが、最近は離れてしまいました。なぜなら、あそこにはまだ相手へのある種の依存やこだわりがあるからです。
 私は何もいらない、これこれだけあれば・・・というメッセージはもういい。
 私はそれも超えて行く心境に近年なってしまったからです。
 あるいはもっと大きなつながりを確信しているからとも言えます。
 『泣かないでアマテラス』
 とか
 『ひまわり“SUNWARD”』
 が好きです。
 長谷川きよしさんのアルバム『遠く離れたおまえに』に収められている
『城壁』
 という歌をご存知でしょうか。
 私は中島姐さんの『ひまわり“SUNWARD”』と並ぶ名曲だと思っています。
 最初に聞いたのは二十数年前でした。まだLPレコードの時代でした。
 今年CDを入手して久々に聞きましたが
 また泣きました。
 若いころ聞いたときは、崩すべき城壁は文字通りの意味として捉え、一種のプロテストソングと思ったものですが
 今聞くと
 城壁は己の心の中の城壁、魂の城壁
 人と我とを隔てる城壁
 そうも聞こえて泣きました。
 ごぞんじでしたらすみません。ではでは。
2007/11/21(水) 03:00:35 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
追伸
中島姐さんが「未熟者」を見捨てて上に行くことはないと思います♪
 それがあの方の「お役目」ではないかと。
 ライヴに行った友人の編集者が、あれは一種の「巫女さん」ではないかと言っていましたが
 さもありなんと思うものです。
 世界にはときどき、同じ時代に生まれられたことがうれしい映画監督とか作家とか歌手とかいますが、中島さんもその稀有な一人です。
2007/11/21(水) 07:23:28 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
日記も楽しみにしています
 重ねてのレス、ありがとうございます。ええ、これを機に是非ちょくちょく寄らせて頂きたいと思います。
 長谷川きよし自体を殆ど聴いたことがなく、『城壁』も全く知りませんでした。今ネット検索して、アルバム『遠く離れたおまえに』が彼を代表するアルバムであることも知りましたので、機会を作って聴いてみたいと思います。
 『ひまわり“SUNWARD”』は、今回の『顔のない街の中で』に通じる歌だと私は捉えています。

  たとえ どんな名前で呼ばれるときも
  花は香り続けるだろう
  たとえ どんな名前の人の庭でも
  花は香り続けるだろう

と、

  ならば見知れ  見知らぬ人の命を
  思い知るまで見知れ
  顔のない街の中で
  顔のない国の中で
  顔のない世界の中で

は、根っこの部分で同じことを歌っていると思うのです。

 中島みゆきは、ある時から「(この地球という意味での)世界」を歌い始めました。それまでは、「恋愛」や「人生」や「(日本という意味での)社会」を歌う歌が殆どだったのですが、1992年の『EAST ASIA』を境に、「世界」を歌い始めました。

  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らない ただEAST ASIA

 中島みゆきが「世界」を歌う時、そのメッセージはどの曲もぶれずに一貫しています。
 紹介頂いた『城壁』にも、(まだその歌詞さえ目にしていないのに)きっと同じメッセージが流れているのだろうと想像して、是非聴いてみたいと思った次第です。
 そのメッセージこそが、山本先生が確信していらっしゃる「もっと大きなつながり」、ということなんだと思います。
2007/11/21(水) 12:17:06 | URL | キール #EBUSheBA[ 編集]
こちらこそ2
>キールさま
 ありがとうございます。
 姐さんの『I Love Him』久々に聞きました。
 私はあの歌はアガペーを歌うと言うよりも、愛されることから愛すること、受身から能動に向かって踏み出した、愛1年生の歌のように感じます。
 アガペーとはまだ程遠い、「無条件の愛への長い道」を歩み始めた「幼子」の歌のような気がします。
 本当に100%のアガペーであれるということは、神とか宇宙(その方の信念体系で何と呼んでも自由ですが)と一体になれるというのに近いことで、大いなる喜びと無限の力強さを得ることだと思うのです。失うものは何もない、ある意味で天下無敵みたいなもんです。
 あの歌には、そういうものよりも、まだ悲しみやか弱さ、か細さの影が大きいように感じました。
 あくまで私の感じ方であり
 けしてキールさまのお考えを変えようとか論破しようとかいう意図はありません(そういう趣味も権利もありません)ので、誤解なさいませんよう;

 『城壁』は中山千夏の作詞で長谷川きよしの作曲です。
 大変ストレートな歌詞で

「歴史のかなたより 立ちつくす城壁
 山をめぐる千里 野面(のづら)さえぎり万里
 これを築いたのは ただの ただの人
 汗に溺れ 石に潰れ ただの人が築いた」

 と始まります。
 シンプルな単語だけを並べて、淡々と歌い上げます(作詞の中山さんの才能にも、曲をつけ歌った長谷川さんの才能にも感服しました)。

「消え去れ 崩れ去れ 砂になれ 城壁」

 と歌い、クライマックスへと続きます。
 最後に、録音した場所であるアルハンブラ宮殿の大門が閉まる音が、響いて終わります。
 私はこの一曲だけでも、このアルバムを買った甲斐がありました。
 などと、あまり持ち上げて、お口に、いやお耳に合わなかったらおわびしますが(笑

 私にはなにか、居住まいを正して歌いたくなる歌がありますが、これもその一つです。
 カラオケに行く機会はほとんどゼロですし、誘われても歌いたい歌ってほとんどないんですよね。
 本当に魂の底から歌いたい歌ならいいんですが
 『ひまわり“SUNWARD”』
 とか
 『城壁』
 とか
 歌ったら途中で泣いちゃって歌にならないような気がします(笑
 しかし、ああいう「想い」をきちんと作品に載せて人に伝えらるアーティストは、本当にすごいと思います。
 私にも伝えたい「想い」は山のようにあるのですが、その術がなかなか見出せません。
 伝えたつもりが全然伝わらなかったりして
 へこむことが多いです。
2007/11/21(水) 23:37:16 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
はい
 『I love him』については、おっしゃる通りだと思います。最初のコメントを書いた際には、「アガペーの実践なんて人にはできない」と思いながら(←未熟者)でしたので、全ての「アガペー」に「的な愛」を付けておりました。
 ですので、この『I love him』もアガペーには程遠いとおっしゃる意味も良く分かります。

 ああ、でもきっと私は、アガペーみたいなものに観念的には気付きながらも、その高みに近寄ることさえ出来ないところでもがく(頑張る)、そんな人=未熟者が好きなんだと思います。

 そしてそんな人々に注いでいる中島みゆきの愛こそが、アガペーなんだなぁ・・・と改めて思うのです。
2007/11/22(木) 09:46:15 | URL | キール #EBUSheBA[ 編集]
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.