あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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【夢】猫との対話
nekotai1

以前のココログより転載。
元は2007年1月21日のmixiの日記です。


 愛猫のミケコが亡くなってはや7年目になります。
 死んでから夢で何度か会ったように思います。
 ただ、いつも体の模様が微妙に違う気がするんですが、なぜかミケコだと思うんですよね(笑

 一回目は死んでから間もないころ。
 お寺の一角みたいなとこに私がいて、扉が開け放たれていて
 「あれー、こんな開けてたらミイちゃん出てっちゃうよー」
 と思うんです。
 で、部屋の隅から庭を見ると、草木が生い茂ってて、鹿とかいろんな動物が飛び跳ねてる。
 で、見回すとすみの茂みにミケコがうずくまっていて
 「あっミイちゃん!」
 って思って目が覚めました。


 二度目は、それから何年か経ったころ、温かい日差しの中、幼い頃歩いた田舎の道(家などもある)を私は歩いています。
 腰くらいの高さの竹の垣根の手前をミケコが歩いていて、垣根の向こうにはでかい虎がいる。
 「危ないからこっちへおいでミイちゃん」
 と抱き上げます。
 虎は別に襲ってくるでもなく、垣根の向こうをうろうろしてます。
 私もパニクるでもなく、ミケコを抱いて歩いていくのですが、
 私の腕の中でミイちゃんが、なんと人の言葉で話すんですね。
 何を話したかは覚えてないんですが
 「○○が××してね、△△なんだよー」
 と、生前のミイちゃんの自己主張っぷりとそっくりのニュアンスでかわいい声でいっぱい話す(ミケコは生前も話し好きでした)のがおかしくて楽しくてそれだけ覚えていました♪

 三度目は昨日の昼、目覚める前に見ました。
 まことに不思議な夢でした。

 どこか病院のような場所に私はいます。病院ではないのかもしれません。
 患者になってるわけでもなく、なぜか腕にミケコを抱いています。
 こんなとこで抱いてて叱られないかなと思いますが、別に誰もとがめないので(まわりにはたくさんの人がいます)抱いたまま通路を歩いていきます。
 またミケコがしゃべります。

 ミ「今回(の猫生では)いっぱい色んな体験したよー」
 私「そうかあ、じゃ、もう猫は卒業だね?今度は人間になるんだね?」
 ミ「本当は天平年間に生まれたかったんだけどね」
 私「えっ?それって時間を逆行して転生するってこと?それはまだあまり知られてない概念だよ。体外離脱のモンロー研究所とか、一部の人しか主張してないよ」
 ミ「(時間を超越した転生なんて)当然だよ。
 今度はふじ寺に行くことになっちゃった」
 私「へー」
 ミ「そこでね、恵まれない動物たちの面倒みてあげるんだ」

 そして私は目が覚めました。
 とっても穏やかな気持ちで目が覚めて、寝る前悪かった体調(頭痛とか腹痛とか)がきれいに治ってました。
 右腕の中にあったミケコの頭が今でも記憶にあります。
 話している途中でミケコは一回身をよじり、つまと違って猫を抱くのが下手だった私は
 「あ、ミイちゃん行っちゃうの?」
 と思ったのですが、ミケコは姿勢を直しただけで、じっと抱かれててくれました。

 ミケコはすっと首を立てて前を見据え(夢の中で私とミケコは見つめあいません。ともに同じ方角を見て)かわいいけれど媚びのない、凛とした声で話します。
 生前から私は、ミケコの魂の高貴さに敬意を抱いていましたから、まあ彼女ならこうかもなと納得できる声でした。

 まわりにはいっぱい人がいて、建物の壁は少し色が付いているのですが、壁よりもみんな白っぽい感じがしました。
 知っているひともいっぱいいたようなのですが、思い出せません。
 知らない顔なんだけど知ってる人もいたような気がします。

 この夢には二点妙なところがありまして
 まず、日本史に疎い私は「天平時代」という単語は使いますが「天平年間」という言い方はしません。
 目が覚めて「天宝年間」(1830~1843)の間違いじゃないかと思ったくらいです。
 日本史にくわしいつまに言うと、いやそういう言い方はするよと言います。調べてみるとそのとおりです(天平年間/729~749)。

 また「ふじ寺」なんて寺があるというのも知りません。
 ネットで検索したら「ふじ寺」と呼ばれる寺が鳥取県に実在する(住雲寺)ことがわかり、びっくりしました。

 この二点は、少なくとも私の顕在意識にはないデータで、心理学的に見ればどこか記憶の片隅潜在意識から浮かび上がってきたのだろうという解釈も成り立ちます。
 それはさておき

 ミケコの話のニュアンスからすると
 ミケコは、天平年間よりも現在に近い過去?のふじ寺に人として赴き、生き物をかわいがって暮らす予定になったようでした。
 ふじ寺こと「住雲寺」の建立は建武元年(1334年)だそうです。
 これは検証は不可能ですし(ふじ寺にいて動物好きだった人間なんて星の数ほどいるでしょうから)ただの夢と言えばそれまでです。

 でもネットで、見たことも聞いたこともない「ふじ寺」の存在を見つけたときは、なんだか涙がこぼれました。

 言ってみればこれは、一種のヒーリング・ドリーム(癒しの夢)です。

 ちっちゃくて大きいミケコの魂が、彼女なりの(今となっては彼かもしれません、どっちでもいいです)旅路を、しっかと前を見据えて歩んでいるさまに、胸打たれました。
 たとえそれが夢であっても
 私は慰め励まされました。
 
 「オレも頑張るよミイちゃん。
 また会おうな」

追記
 尊敬するキプロスのヒーラー、ダスカロスことスティリアノス・アテシュリスが生前こんなことを言っていたと読んだことがあります(『太陽の秘儀』キリアコス・C・マルキデス/著・鈴木真佐子/訳・太陽出版)。
 「夢を見ると、すべては秩序正しい。問題は、明確な形で夢の体験を肉体の脳に伝える能力がないことだ。子どもがカメラを持って美しい風景の写真を撮るが、フィルムを巻かずにそのまま写真を撮り続けたようなものだ。ネガを現像すると、すべてが混ざり合い、混沌としているように見える。それは現実そのものが混乱しているわけではない。そのように脳に記録されただけだ」

 上記のミケコの夢は、ほかにもプライベートな内容を語り合ったのですが、そこにはいささか混乱も見られました。
 数日前に友人が愛猫を亡くしたので、そのことがこんな夢を私に見させたのかもしれません。
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