あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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五十歩百歩
 若い頃は思い込みが強くて、人の過ち(と自分で思ってるだけ)を見過ごしにできなくて、いらざる忠告をしたものです。
 しかし、ご存知のとおり、ものには言い方やタイミングがあって、正論を吐けばいいというものではありません。相手の状況や立場も知らず、つまらぬ口出しをして失った人間関係も多々ありました。

 近年は、相手の流れに沿ったアドバイスや励ましはしても、相手の非を正すなどということは一切手控えるよう心がけています(ぎりぎり「これはふだんおっしゃってることと矛盾しませんか?」という質問くらいです。あくまで質問まで。それもめったにしませんが)。
 イエスの言うところの
「他人の目の中の塵を取り除かせてくださいと言う前に、自分の目の中の梁(はり)をどけなさい」
 というやつです。
 釈迦の教えにも、
「人に聞かれもしないことを、あれこれ答えるものではない」
 という意のものがあったと思います。

 日記でも色々と書いてますが、あくまで
「自分はこうしてます、こう思ってます」
 という話で、人様に「~~はいけません」「~~すべきです」「~~ねばなりません」という言い方は、内政干渉として厳しく戒めています。

 しかし先日、あるところでどうにも見過ごしにできない(と自分には思えただけ)言動を目にし(と言っても、明らかに話の通じないレベルの有象無象の暴言とかではなく、一応本人なりに分別を巡らして書いていると思われる)、これを見過ごしにしていいものかという思いが、久々にむらむらと沸き起こってキーに向かいました。

 しかし、ちと引用したい中国の故事を思い出し、確認しようと愛読書の一冊『中国の故事寓話』(鈴木亨・著/河出書房新社)を本棚から引っ張り出して手にとって何気なく開いて呆然。

 探していた項目とはなんの関係もないページを開いちゃったんです。そんな項目のことなどまったく念頭になかったんですけど。
 で、目に飛び込んできた見出し

「他者をとやかく言える自分かよく自問してみよ----『孟子』梁恵王章」

 ・・・・・・。


 ぎゃははははは
 参りましたよ。そう来たか。

 「五十歩百歩」の故事なんですけどね。
 梁の恵王と孟子の対話。
 王が孟子に、自分は一生懸命治世に努めている。まわりの国で私ほどのことをしている者はいない。なのになぜかこれといった成果もない。なぜでしょう?と問います。
 孟子答えて
「王の大好きな戦争にたとえて申しましょう。敗走するとき、ある者は50歩逃げて立ち止まり、ある者は100歩逃げて立ち止まりました。どちらが臆病者でしょうか」
 王が、そりゃどちらも同じだろうと言うと、孟子は、王のなさってることも周りの国の王と五十歩百歩ですと言ったという話ですが
 
 見出しにまいりましたよ、まったく。

「他者をとやかく言える自分かよく自問してみよ----『孟子』梁恵王章」
  
 はーい;

 こういうタイミングでこういうメッセージを受け取るのは、ユングのシンクロニシティか神仏善霊の導きか(無宗教ですがそういう感覚はあります)。
 よし黙ってよーっと;

 というわけで、私はコメントを控えました。
 あー危ないとこでした。
 止めてくれてありがとー!!(泣笑



追記
A・スマナサーラ著『人に愛されるひと敬遠されるひと』国書刊行会 より。

P.109
 「お釈迦さまが偈文(げぶん)(お釈迦さまの教えの言葉)のなかで次のように言われています。
Sabbe tasanti dandassa
Sabbesam Jivitam piam
Attanam upamam katva Na haneyya na ghataye(本当はこれに横棒や点が付くのですが手元のPCでは打てないので省略します。ふりがなも同じ/山本・注)

すべての生命は罰せられること、裁かれることを恐れて震える
すべての生命はわが命がかわいい、自分がいちばん好きである
自分にたとえて考えてみて、他を傷つけるようなことをしてはならない

 これは人間関係のつきあいを考える上で、一つの基本的なルールとも言えますので、この最初の行から説明を加えて考えてみましょう。まず「罰せられること、裁かれること」の意味ですが、法によって裁かれることという意味だけではありません。心が傷つけられることはすべて罰になるのです。
 (中略)
 つまり私たちは常に罰せられる、裁かれる環境に生きているのです。それは気持ちのいいものでしょうか。まったくそういうことはありませんね。人間はこの罰せられることがイヤなのです。
 「批判されることが好きで好きでしかたがない」という人がいますか。
 「バカにされることはほんとうに気持ちがいい」という人はいますか。
 「自分のすることをけなされたりダメだといわれたりするのがとてもうれしい」という人はいるでしょうか。一人もいないのです。お釈迦さまは、
 「すべての生命が、人間だけではなくて一切の生命が、罰せられるのはきらいだよ、怖がって震えているんだよ」
 と話されているのです。」

追記2
 言うまでもないですが、親がこどもの過ちを教え諭すとか、実生活で相手の契約不履行とかに意義を唱えることを否定するものではありません。
 騒音おば○んを放置しようとかいう意味でもありません。
 その辺はいちいち並べているとキリがありませんので、割愛しました♪

自分は人様から耳に逆らう忠告をいただいて助かったことが何度もあります。だからそういうものはありがたくいただくことにしています(ただ、単なる悪意やあからさまな礼儀知らず、ネットで言うなら荒らしの類は、お引取り願う場合がありますが)。
 世の中には人徳があって、普通の人が言うと不愉快な忠告も、その人が言うとなんかハラを立てる気がしなくて、すんなり聞ける、みたいな方おいでですよね。
 そういう方はどんどん忠告されるのがいいと思います。
 私はそういう徳がないと言うか、正論を吐いてもカドが立っちゃったりすることがあるので、近年自粛中(汗
コメント
この記事へのコメント
度量の大きさ
くまくまでございます。う~む、冷や汗(苦笑)鏡に向かった四六の蝦蟇状態です。
 近年、年とともに他人様のご意見は比較的素直に聞ける様にはなりましたが、よそ様に対して口を挟んでいる事は多々ございますね~(反省) 
 また、同じ事を言っても(言われても)腹立たしく感じる方と、笑って受け入れられる方がいるのも事実でして、まだまだ未熟!
 きっと一生かけても解脱できませんな~(爆笑)
2007/09/20(木) 19:44:48 | URL | くまくま #eI0qnTzk[ 編集]
私も一生・・・
>くまくまさま
 人付き合いのさじ加減は一生のテーマですねー;
 私のように、普段はつま以外と会わずに仕事できる人と、日々学校だの会社だのでさまざまな「困ったちゃん」と会うことが避けられない方とは、環境が異なりますよね。
 私もまだまだ未熟者です~~;
2007/09/20(木) 22:46:15 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
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2007/09/21(金) 00:42:45 | | #[ 編集]
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