あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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人生の苦楽
 久々に「いささか形而上」なネタです。ちょと長くなりました、すみません。

 苦あれば楽あり
 などと申しますが
 人生に苦はつきものです。仏教などは人生=ドゥッカ(苦)と言うくらいです。
 また、苦しんで身に付けるからこそモノになる、楽して身に付いたものなどたいしたものじゃないと言う人もいます。

 それぞれ一理あるとは思うんですが、果たして本当にそうでしょうか。
 私の今生の一芸、マンガですが
 少なくとも絵的な技術について
 私は苦しんで身に着けた覚えは一切ありません。
 うまく描けなくて何時間、何日、何年も試行錯誤した部分もあります(今でもしてます)。へたくそで恥をかいたり、うまくできなかったこともあります(当然それは漫画家としての評価や収入に反映されます)。
 でも、それを振り返って「苦」だと思うものはありません。
 私は全てが楽しかった。
 私は生まれながらにある種の才は持っていましたが、その後の様々な絵的な技術の蓄積も、すべて喜びと楽しみの中で身に付けてきたと言っても過言ではありません。

 さて、これは「苦しんで身に着けたものではないから価値のないもの」なのでしょうか(あるいは、そうかも知れませんが)。

 人には向き不向きというものがあります。
 外で体を動かすのが一番という方には、机の前で何時間も来る日も来る日も延々と坐らされるのは地獄のような拷問でしょう。
 幸い私には、それがなんでもありませんでした。

 人生のすべてが、私にとってのマンガ(の作画技術。ストーリーテリング、演出その他は、作画技術より不得手なもので、いまだに悪戦苦闘しています)のように楽しんで身に付けられたら、きっとこの世は天国でしょう。
 自殺者やうつの患者は激減することでしょう。

 かと言って、●億円のクジに当たることや、切り株にウサギが激突して死ぬのを待つように、ただ待っていてもそんな日はおそらく訪れてはくれません。
 自ら、どこまで同じような喜びを、人生の他のジャンルにも見出していけるかが、課題かもと思っています。


 ウラを返せば、この、「苦しみの中で学ぶ、気づくという人生のシステム」は、いい加減もう少し改良されてもいいんじゃないかとも思うものです。
 別に特定の宗教の信念体系に準じた話ではありませんので、そういう考え方もあるという半分「仮」の話として読んでいただきたいのですが

 名教師は、楽しく子どもに学ばせるのがうまいものです。
 ある教師が延々と退屈な説教をしてもわからせることができない内容を、子どもたちが楽しく眼を輝かせて聞く内に覚えさせることができる。
 世界は、もう少しそういう「学校」になってもいいのではないか。
 そう切に思います。

 けして、ただお気楽でなんの苦労もない人生を望んでいるわけではありません。そういう人生を送って人間的にどうしようもない老境に至った人物をこの眼で見ています(本人にとっても幸せとは思えませんし、周囲の人にも迷惑です。まあ、その迷惑を通して学ぶこともあるにはあるのですが)。
 そもそも、人生になんの苦しみも知らない人は、他人の痛みや苦しみが理解できませんから、それはそれはつまらない人物であることでしょう。
 ある程度の苦労や悲しみは幸せの隠し味で、欠かせないものでしょうが
 一作家の目で見るならば、やはり人生はもっと構成やペース配分を考えて欲しい、推敲の余地があり過ぎる物語のようです。


 とか言いつつ、まんざら捨てたもんでもないとも思っている自分もいますが(笑
 でももっとなんとかした方がいい。
 世界は人生は、いささかビター味であっても最終的に一つのエンターテインメントであって欲しい。

 人が生きていて(最終的には死ぬときに、ですが)ああ色々しんどい思いもしたし、泣いたりしたこと、死にたいと思ったこと、いっぱい色々あったけど、でも良かった、楽しかった。
 何もかもありがとうと笑って暮らせる(死ねる)ようなドラマであって欲しい。

 無論時には人生の中で、何ヶ月何年も暗い闇路をさまようような時もあるでしょう(自分も覚えがありますから)。
 でもたとえそんなときであっても、雲間に星が輝くような一瞬が欲しい。
 今はただ垂れ込めた雲にさえぎられているだけで、あの彼方にある幾千万のきらめきに変わりはないということを、思い出させる一瞬が欲しい。

 そんなことのお手伝いができれば、それはとっても幸せなことです。
 どうしても苦しまざるをえないことはあるでしょうが、それ以外の無用な苦しみが無くなるように。
 苦しみよりも喜びの中で、眼を輝かせて歩めるように。
 狭くは自分の人生の苦しみであり、広くは世界の戦乱や虐待、飢餓、環境破壊その他ですが、それらが少しでもなくなるように
 願ってきょうも試行錯誤します。

 みなさんの今日が、豊かな今日でありますように。


追記
 私は女性の出産の苦しみを思うと、たとえどんな美女であっても生まれ変わりたくないなんて思う者ですが(笑)、お子さんをお持ちの女性に聞くと、産むまではそう思っていたが、子どもを抱いた瞬間全部そういう思いはどこかに消えたという話をされます。
 母のすごさと言うか
 ここにも人生の極意の一端があるようです。

 それを見出せなくて、自己コントロールができない人が、わが子をいじめ殺してしまったりするのでしょうか。

 苦しみを喜びに変容させる魂の錬金術(SMの話ではなくて)は、一生通じて追求するテーマのように思います。


追記2
 これだけ読むと、なんだか肥大したエゴで「苦しい辛い」と100%被害者モードに陥ってる人みたいに誤解される向きもあるかもですが、そうではなくて、もっと苦しみのない人生をという言葉の中には
 己の人生を振り返って、あんなふうに人を傷つけたりないがしろにしたりしないで行く道があったはずという「加害者」としての反省の思いも強いのです。
 それもまた一つの学びや気付きでもあるのでしょうが
 もうちょっと効率よく被害を最小限にとどめる道はないものかと;
コメント
この記事へのコメント
人の痛み
くまくまでございます。光の中にいれば「もっと光を!」となり、闇の中にいれば些細な光も希望となり得ますね。
 曾祖母語録「自分の痛さは他人様の痛さ、人の嫌がる事はおまえも嫌だろ?」
 私は根っから怠け者ですので、明日に楽をする為には今日の苦労は惜しまないですね(笑)
 向き不向き、天性の物もありますでしょうし、興味を持たせるのが上手な方に出会えるのもまた不思議ですね。
2007/08/10(金) 00:38:11 | URL | くまくま #eI0qnTzk[ 編集]
弁当はうまいものを最後に
>くまくまさま
 私は小心者のせいか、弁当はうまいものを最後に残しておくタチです(いや、いつもの食事でも)。
 ですんで私も明日のために今日の苦労はいといません。
 でもあまり今を犠牲にもしたくないですが;
 人生をどこまでエンターテインメントにするか(自堕落に暮らすという意味ではなく、苦を楽にする)試行錯誤中です♪
2007/08/10(金) 15:11:48 | URL | 貴嗣 #pmWGJPUI[ 編集]
つい先日の深夜、義理の祖母が旅立ったという連絡が義実家から来まして…
私はその時刻に、とある詩の1文が脳裏に浮かんで気になったのです。
その文は「すべて世はこともなし」でした。
義祖母の愛情が身に沁みました。
2014/09/15(月) 06:08:37 | URL | 直澄 #/7CmAM7k[ 編集]
Re: タイトルなし
>直澄さま
 お悔やみ申し上げます。
 おっしゃるとおり、「世はすべてこともなし」だと思います。
 私の愛するものが去るときも、私自信が去るときも。
 変わらず世界は世界の理にのっとって巡っていくでしょう。
 限られた時間をおかげさまに感謝して生きております。
 ありがとうございます、きょうも好き日を。
2014/09/16(火) 08:05:02 | URL | 山本貴嗣 #-[ 編集]
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