あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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ひとりぼっちと孤独
薔薇

 ひとりぼっちと孤独は別のもの。

 昔読んだ本で、ニードルマンというサンフラシスコ州立大の教授の話で
 自分の講座の生徒に現代文明の抱える大きな問題は何だと思うか?と問うた答えが「孤独」だったと。

 で、あるナイジェリア人の学生が、最初勉強のために故郷を出てイギリスに渡ったとき、イギリス人が「自分は孤独だ」と言うのをたびたび聞いた。
 自分の故郷の文化にも言語にも「孤独」に当たるものがなくて、最初意味がわからなかった。
 「ひとりぼっちということか」と尋ねても「違う」と言われる。
 その後そのナイジェリア人はアメリカに渡り、カリフォルニアで二年くらし、「孤独」という言葉の意味が今ではわかると。


 非常に含みのある話で
 私たちは、ごく普通に「孤独」と言いますが、文化環境によってはそれがなんらポピュラーなものではないという。
 また所変わればまったく日常的なものだという。

 では孤独とは何かというと、また長い話になるのですが

 たとえば、愛すべき聡明なる(笑)わがつまは、まったく友達づきあいというものが日常ありません(年賀状のやりとりくらいはありますが)。
 じかに会う友もいないし電話やメールもしません。
 実の親や姉妹との関係も希薄。
 気の合わない人と無理に付き合ってストレスを感じるよりも、花や生き物と(庭で見かけるトカゲとか、道の猫とか)付き合うほうがよっぽどまし、と
 一人で居ることになんの抵抗もありません。
 専業主婦なので経済的には私に依存している面もありますが、精神的にはなんら依存していないように思います。

 それだけ言うとなんだか対人障害の人みたいですが、別に自閉してるわけでもないし、人と会えば普通に明晰に会話します。
 でもって「孤独」なわけではないんですよね。

 世界(自然?)とつながっていることがデフォルトと言うか。
 と言って何か宗教に入ってるわけでもありません。
 特定の思想、教義とは無関係に生来そういうタチのようです。

 そうかと思うと、たくさんの人に囲まれながら「孤独だ、寂しい」と、絶えず誰か(何か)すがりつきたい相手を探している人もいます。
 私も昔、大変寂しがりやだったので、気持ちはわからないではないんですが

 自分の人生を振り返ると、私の場合「孤独感」を馬の顔の前にぶら下がったニンジンとして、人と触れ合い社会性を身につける触媒として利用してきたように思います。
 そして、ある段階でその「錯覚」に気が付き、手放した(100%とは言えないので、今なお「手放しつつある」と言うべきか)ように思います。


 病的に他者に依存しようとする人を「愛の乞食」と表現した人がいます。
 世界との一体感とは何かと言うと、これがまた一言では語れなくて、ある種の悟りというか分別を得てそれを自覚している人と、いわゆる「離人症」などで自分や世界の喪失感に悩まされ、不安定な精神状態になった人(ポジテイィブな一体感ではなくて境界が不明瞭になって混乱している人)とは区別して見る必要があります。


 と言うわけで、このテーマは話し出すとどこで止めていいのかわからなくなるのでなかなか書けませんでした(でも書いちゃった)(爆

 乱文ご容赦~~(汗
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