あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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シロハナよう
三毛波きょうだいお食事中
2010年11月末のはなはなズ・1
障子を登るしろはなちゃん
2010年11月末のはなはなズ・2
はなはなズ2011年春1
亡くなる少し前のシロハナ(2012年11月)
 
 通い猫ミッコルさんの二匹の子、シロハナ♂とクロハナ♀、二匹あわせてハナハナズ。
 2010年に我が家にやってきたときは、ちっちゃなミニカーみたいな子猫でした。
 ガリガリにやせ飢え死にしそうなミッコルさんが、大事に育てておりました。
 しろさん以外猫は世話しないつもりだった私と妻でしたが、その尋常ならざる様子と一家のけして諦めないメシくれ突撃、そしてミッコルさんの涙ぐましい子育てぶりに、ついに食事をふるまうことになりました。
 ある日シロハナちゃんが妻に言いました。
「ぼくおうちがほしい」
 無論口はきけませんが、猫の気持ちを汲み取る名人の妻にはそういう感じだったそうです。
 妻は答えました。
「えー、おうちに入ると大変だよー、もう出て行けないし、色々不自由なこともあるよー」
 シロハナちゃんは
「うーん、うーん」
 って帰っていきました。
 でも2、3日してまた妻に
「やっぱりぼくおうちがほしい」
 って言いました。
「っていったいどこのおうちに・・」
 と言いかける妻の足元を、てちてちと我が家のドアから中に入り
「ここにあるじゃん」
「待て待て待て待て;」

 そこで知り合いの猫好きさまに電話したのですが、当時は手一杯で引き受けられない、でも欲しがってる友人がいたので当たって見ます、と言われ、一日も経たずに引き取り先が決まりました。
 なんとめでたい。
 妻がそのことをクロハナちゃんに言うと、みるみるクロハナちゃんの形相が変わり
「えー!あたしはどうなるのよー!」
 ぶうたれました。
「あたしもいっしょじゃなきゃいやだー!」

 仕方なく里親さんに相談すると
「そうなるんじゃないかって思ってました(笑)」
 二匹で引き取ってくださいました。
 親切で優しい里親さんご夫妻の元で、二匹はすくすく育ちました。ひかえめな性格のクロハナに比べ、甘えん坊のシロハナは王子様のようにふるまいました。
 野良の時代がうそのように大きくなって、もはやミッコル母さんを越えてました。

 シロハナが体調を崩したのは今年になってだったと思います。
 最初は口内炎が治らなくて、何度か獣医さんに通っているうち、両手に潰瘍ができました。
 血液検査では腎臓の機能も低下していることが判明。
 自己免疫疾患とのことでした。
 強制給餌やらなにやらと、里親様の涙ぐましい介護が続きましたが、体重はどんどん低下、げっそりやせていきました。
 最後に二匹で計ったとき、メタボなクロハナの4.8㎏に対し、シロハナは1.8㎏を割っていました。
 今月は排便も自力でままならず、里親さんが一時間も手伝ってくださってました。
 
 けしてあきらめず看病くださいましたが、この26日の夜シロハナ、とうとう息を引き取りました。
 わずか二年の生涯でした。

 今は言葉もありません。
 ありがとうシロハナ。
 ありがとう里親さま。
 そしてみんな御疲れ様でした。どうかゆっくり休んでください。
 大好きだよシロハナ。これまでも、今も、たぶんこれからもずっと。
 おじさんやおばさんのことは忘れてしまったかもだけど、おじさんはいつも思っているよ。
猫もだよ(笑
 無学で金の計算さえもできなかったけど信仰心の篤さで有名だった讃岐の床松(しょうま)は、犬の前を通る時も「御免」と言って通った。
「だからおまえはバカにされるんだ」
 と言ったお坊さんに
「犬も十万衆生の中」
 と答えたという。
 わしもそう思う♪(もちろん猫も)
願えばかなう?
子どもの頃から絵が好きで小学生の頃にはマンガ家になりたいと思って十代でデビューして50過ぎの今までマンガ家やってますが、夢の実現は様々な人の助けや運や数え切れないほどの要素のおかげさまで、自分の力はほんのひとかけら。努力をするのはあたりまえで好きでしてるだけ。イヤならやめてます。

努力をすれば夢はかなう、と言う人は、戦争で亡くなった方や外地で倒れて帰って来れなかった方は努力が足りなかった、帰ろうと思う心が足りなかったと言うのか。人にはいくら願おうと全力を尽くそうとかなわぬものがある。それは厳然たる事実で、それをふまえた上で人事を尽くすしかないのが人生かと。

人間心から願えば人生一つは夢はかなうと言ってた友人がいましたが、ずいぶん前にマンガ家やめて転職してしまいました。願い方が足りなかったのでしょうか。私はそうは思いません。私より才能や努力があっても消えていった方がおられます。

誰かに向かって「おまえは努力が足りなかった」と言って責めるよりも、もし選べた道があるなら「この手もあったよね」とか「この手もあるよね」って言いたい。誰かを凹ます暇があったら励ました方がいい、できることはまだあるよって言いたいです。
 何かに向かって一生懸命がんばるのは素晴らしいことだけど、それに失敗しても人生に失敗したわけじゃない。
できることはまだあると。

  (2012年8月のTwitterの発言のまとめを編集補足)
「紙につつんで捨てておけ」♪
「悪をきらうを善じゃと思う きらう心が悪じゃもの 
善をしたこと善じゃとうじゃる うじゃる心が悪じゃわい
善きも悪しきも一つにまるめ 紙につつんで捨てておけ」
     
            盤珪さんのうすひき歌から (『盤珪禅師逸話選』禅文化研究所編より)

 色々な方が各所で引用されているので、私が今更かもですが
 好きな言葉なので♪
私と猫たちのこと(1980年代半ば~2012年暮)
 愛猫のミケコを拾う前、横浜の団地に住んでたころ庭にまるまるした白黒ブチの猫が来てた。
 目が悪くて目やにでうまくあかずいつも庭で寝てた。
 目が細くて狐みたいに見えるので妻は「きつね丸」って名前をつけた。
 昼寝してる「きつね丸」にごはんをあげてると通りかかった子ども達がなでに来たりした。
 「きつね丸」は私の靴に後足を一本載せて甘えるのが癖だった。

 団地の組合からクレームがきて追い出せと言われた。ペット禁止の団地だった。
 正月頃の寒い日妻が
「きつ君ごめんね、もうご飯あげられなくなっちゃったんだ」
 ってきつね丸に優しく言った。
 すると翌日から姿が見えなくなった。
 どうしたのかと捜したが見つからず暗くなって帰ろうと思い林を見ると、降りしきる雪の中「きつね丸」と目が合った。

 ほとんど開かない目で私を見ていた。
 静かに微笑んだような顔だった。
「きつ君よう・・」
 って言ったきりしばらく向かい合っていた。
 何を言っていいかもわからなかった。
 そして別れた。それきりだった。
 50年以上生きてきてあんな悲しい雪の晩は今でもない。
 貧しくて獣医にも連れて行けなかった。本当に何もしてあげられなかった。

 足が怪我で腐りかけてたミケコを拾ったとき、私は二度とあんな思いはイヤで、抱いて獣医に連れて行った。
 入院してなんとか切らずにすんだけど季節は梅雨で
「この雨の中、外に放すと足腐っちゃいますよ」
 って言われて私はミケコを飼うことにした。
 アンネの日記を決め込んだ。
 仕事も軌道に乗って妻は勝手に家を買った。

 ミケコを飼うための家だった。
 そこに越して14年、ミケコは家猫として生きて死んだ。
 もう猫は飼わないつもりだったけどしろさんが来た。
 しばらくしたらミッコルさんも来た。
 しろさんがこの夏目元の潰瘍を患ったのをやっとこの秋獣医で治した。思えば四半世紀以上も昔、「きつね丸」にしてあげたくてできなかった思いが、ほんの少しでも果たせたような気がした。

 雪の夜向かい合った「きつね丸」のことは忘れない。
 二十代のあの晩のことを50過ぎても忘れない。
 今でもごめんようって思う。猫たちにはできるだけのことをする。
 叱ることも追い立てることもしなかったのに、あの日黙って去った「きつね丸」への、それがせめてもの手向けだと思う。

 その後私があとにした団地は結局住人の多数決でペットOKの団地になった。ざまあみやがれって思った反面、間に合わなかった猫たちのことが残念だった。

(以上2012-11-07 Twitterより編集まとめ)

 追記

 しろさんを治せたと書いたけど、本当に治せたかどうかわからない。
 切除した組織の検査結果は癌だった。
 扁平上皮癌。
 しろねこはかかりやすい病気だという。
 ひどいケースでは抜糸もすまない内に再発したりするそうだ。
 しろさんが再発するのか、しないのか、わからない。一ヵ月後か半年後、何年か後かもわからない。
 十年以上生きる野良はまれだそうだから、逃げおおせるかもしれない。

 退院から半月あまり、しろさんの術後の目元に血がついていた。
 何日か続くので写真を撮って獣医さんに見せに行った。
 頬側の端っこも皮膚の下を手術で切ってあるので、そこが開いたのかもしれない、再発してるのかもしれない。
 写真だけではわからないと言われた。
 目薬の軟膏をもらって帰ったけど、しろさんはいやがるのでうまくつけられない。
 本当は大事をとって飼い猫なら眼球摘出とかするらしいけど、野良のしろさんにそれは辛い。
 結局先生とも相談の上当面は様子を見ることになった。

 しろさんは元気で食欲も旺盛、毎日飯を食いにきてくれる。
 彼と会えるのはうれしいけれど、目元を見るのは痛々しい。
 抱っことかは嫌がるので、背中をなでるくらいだけど、この前背中におでこをつけてみたら、柔らかくて暖かくて、故ミケコの毛ざわりを思い出してちょっと泣いた。

 先日の手術と一週間の入院で、わが家に余分な金はない。
 金持ちか貧乏かなど人の価値や貴賎と何の関係もないと思ってるけど
「金があったらもっとしろさんにいい治療を受けさせてあげられるのに」
 とか思うと、己の甲斐性のなさが悔やまれる。

 などと思いつつミケコの遺影を見ると
「おっ父(とう)は、いつも『自分も人もゆるす』とか言う話してるくせにあれはウソか」
 と、脳裏にミケコの声がする。

 この15日でミケコが逝って12年。
 干支が一巡りするなんて、またずいぶんな歳月だけど、彼女とは心でずっと共にいる。
 しろさんも、ミッコルさんとも、これからも。
 言うまでもなく「きつね丸」も。
 みんないっしょに生きていく。
うろんな眼差し
私を睨むミッコルさん(笑

 きのうの夕方のミッコルさん。
 だからなぜ君はいつも寝床とごはんを用意して待っている私を、そんな変質者でも見るような眼差しでにらむ?(笑
見返りしろさん♪
近所の駐車場で見返るしろさん

 獣医さんが退院して道を行くしろさんの写真を見て
「りりしいですよね」
 って言ってらしたけど私も前からそう思ってます。
 昔の屏風絵のトラのような見返りしろさん♪
夢でしろさん
 さっき夕飯食って仕事場の床で仮眠してたら夢で庭にいてしろさんが来た。
「抱っこさせろ~」
 と迫るといつもどおり
「あー(やだー)」
 って逃げて妻が近くで笑い転げるところで目が覚めた。
 目が覚めると庭で猫ハウスを整えてる妻がミッコルさんと笑い転げてた。
 夢もうつつも幸せだった。
人間なんてこんなもの(?
 何か後ろめたいことをした人が
「人間なんてこんなもんだから」
 と言うのは
 こんなもんだから凡愚の自分もしてしまったけど、できればもっとましなことをしたいし、そう努力している
のか、
 こんなもんだから自分は何恥じることなく今後も同じ事をするつもり
かで、全く意味が異なりますよね。

 後者のタイプが
「人間なんてみんなこんなもんだろ」
 と言うのは単に
「そこまでしか到達できてない自分を正当化」
 したくて言ってるだけのことが多いように思います。
 とうの昔にそんなハードルなどクリアして、もっと高みで試行錯誤してる人間もいることは無視してます。

 2012-10-24 Twitterの自分のツイートから再編集

 と、ここまで打って下書き保存してたのですが、少し補足。

 先日病院の待合室で閉じ込められてもがいてるカメムシをつまんで外に逃がしてあげました。
 その日の午後バイクをガレージから出す時、足元に通い猫のミッコルさんが置いた半殺しのカマキリを知らずに踏んで殺してしまいました。自分の意思とは関係なく。
 人の思いと行動と結果の悲喜劇を思いました。

 人は運良くなにか少しましなことをしたつもりでも、知らぬ間にそれを帳消しにするような間違いを犯す。
 無論その逆もあるのでしょう。
 それだけで、その人の善悪など計りようもありません。
 人様のことも軽はずみには決めつけず、きょうもいきたいと思います。
強面しろさん復活♪
2012年10月31日のしろさん

 獣医さんにいた時とは別人、いや別猫のように精悍な面構えのしろさん。
 入院中、いったい猫何枚かぶってたのか(笑
人の話はちゃんと聞く
 先日テレビで、コモロ諸島に墜落して人死にが出たハイジャック機の再現やってたけど
「燃料が足りないから目的地には行けない」
 という機長の話を理解しない犯人とか、
「外に出るまで救命胴衣は膨らませないでください」
 という機長の話を聞かないで機内でふくらませた乗客とか、が のきなみ死んでて、
 人の話はちゃんと聞けがテーマかと。

一玉のみそラーメン(笑
 夕方妻と近所のラーメン屋に行ったらもう残り一玉しかないって言われて
 一玉を半分こしてミニラーメンを二つ作ってもらって
 仲良く食べました。
 ちょうどいい量でラーメン屋さんも店じまいしてみんな幸せーw♪

 って書いた後で何か聞いたようなって思ったら、あっ昔あったインチキ感動話の一杯のかけそばに似てる!
 いえこれは昨夜私が体験しました実話です(笑
 関西では半ラーメンとかもポピュラーみたいですが、そういうのないお店で、マスターが即興で対応してくださったものです。
 私らにはジャストの量で、いっそ定番メニューにしていただけないものかと♪
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