あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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行ってまいります
 とうとうその日がやってまいりました。
 メタルマックス・トークライブ
 私は午後早めに家を出て会場に向かうつもりです。
 事故とか「FB○失踪者を追え」な誘拐とかない限り(ねえよ!)出場します。
 しばしネットとはサヨナラしますが、どうぞよろしくお願いします。ではではまた♪
『メタルマックス』より「マッドマッスル」設定画
台風一過@海岸
20100915a
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20100915c
 先日の台風一過、こういうときは空がきれいなのでカメラを持って海岸へ。
 あまり時間がなかったのと、いささか出遅れたので、最良のタイミングは逃しましたが、それでも何枚か気持ちのいいカットが撮れました。
 これはほんの一部です。
衣食足りて礼節を・・・
三毛波さんの子どもたち(野良)2010年9月
 最近わが屋の近辺に出没する、と言うよりかなり我が家に入り浸ってる野良猫、三毛波志乃一家ですが(ママ一匹、子ども二匹)
 衣食足りて礼節を知ると言いますか
 最初しろさんの猫ビッケを狙って食事中のしろさんの器に突進を繰り返していた子猫たち。
 見かねて少しビッケをあげると、飢えまくっているのか、すごいがっつきよう。
 しかもしかも、兄弟やママ猫が食べようとすると前足でさえぎって食べるのです。家族愛とか言ってられません。自分の空腹、命の前には何者をも差し置いて食う!食う!食う!

 それが最近、そんなにあせらなくてもゴハンもらえるとわかってくると、変わってきまして
 先に来た子にゴハンをあげると、食べないで兄弟が来るのを待ち、そろってから食べるようになりました。

 「衣食足りて礼節を知る」
 などと言いますが、人も動物も変わりはないようです。

 貧困だけに犯罪の原因を求めるわけではありませんが、世界の争いの何割かの大元がそこにあるかもと、改めて思わせてくれた猫たちでした。
『メタルマックス3/双銃身の魔女』第二話配信
『メタルマックス3/双銃身の魔女』第二話トビラ
『メタルマックス3/双銃身の魔女』第二話配信されました。
 お暇な方はご覧くださいませ。
 どうぞよろしくお願いします♪
他人から否定された方へ
 このブログの先日の記事をお読みになった方からコメントで、職場で上司からひどいことを言われた一件が忘れられないというお話がありました。
 いわく

『お荷物。お前だけは社員と認めない!
全従業員がお前を嫌ってる!!
ここは人間だけが居る会社や!!』

 すごいですね。
 要するに、おまえは人間じゃないと言ってるわけで、完全なパワハラです。
 実は職場に限らず、学校や家庭でも形を変えて存在する、かなり普遍的なテーマなので、一つまとめてみようと思いました。

 まず、「全従業員がお前を嫌ってる」
 これ、本当かどうかわかりません。
 その上司がそう言ってるだけです。学校だと「全クラスメートがお前を嫌ってる」になりますが
 職場で上司となれば、ある程度従業員の生殺与奪の権利を握っているわけで、逆らうとまずいから同意してる人もいるでしょう(学校のイジメにも同様な構造がありますよね)。

「お前もあいつ嫌いだよな」
「はあ、まあ・・・」
 みたいな。

 でも、そもそも全員に意見を確認したかどうか怪しいもんです。勝手に上司がそう思っているか、そう決め付けた可能性も高いです。
 その上司がいないところで全員に意見を聞いたら、果たしてどんな結果が出たでしょうか。

 ここでとりあえず確からしいのは、上司がその方を嫌っているということです。
 自分一人だと心もとなかったり、後ろめたいので、ほかの従業員を巻き込んだ表現にした可能性もあります。

 一歩譲って、ある程度複数の人が、上司と同様な意見を持っているかもしれません。
 だから、これくらい言っても誰もその方の弁護に回ったりはしないだろうという計算もあるかもです。



 ただ、嫌われているか好かれているかということと、その方が正しいか間違っているかは別問題です。
 人間の集団には相性というのがあります。
 是非善悪とは無関係に、気に食わない相手は気に食わない。
 昔あるネットのコミュニティで、大変無礼な物言いをする方がいらして、当時血の気の多かった私は売り言葉に買い言葉でやりこめたことがありました。その方はそこの管理人さんとお友達だったのですが、管理人さんは客観的に見てその方に非があると言われ、その方は顔を出さなくなりました(友達の自分ではなく新参者の山本の肩を持たれたとショックを受けたらしいです)。
 また別の方が、無礼で私を含め他者を否定するような物言いをするので、また血の気の多かった私はやりこめてしまったんですが(若気のいたりと反省しています)、
 そしたら管理人さんから私がお出入り禁止をくらいました。
 行き過ぎた言動をおわびしたのですが、管理人さんが言われるには、どちらが悪いかどうかではなく、自分の友達が来なくなるから、ということでした。
 私は、是非善悪よりも、友達づきあいを優先するという考えにショックを受けたのですが(笑)、まあ世間と言うのはえてしてそういうものです。

 歓迎されない場所に居座って自分の正当性を主張する気はありません。それはストーカーなどがやる行為です(不当解雇などの問題を言っているのではありません)。
 私の人生と言う狭い経験を元にした意見ですが、気の合わない人びとと無理して付き合っても、いずれ破綻します。
 あとになって、なんであんな人たちと自分を曲げてまで付き合ったのだろうと後悔したりもしました(よく考えれば、別に向こうから「お願いですからつきあってください」と懇願されたわけではなく、無理して付き合っていたのは自分の勝手ですから、誰を恨むこともない、自分の責任です)(笑)。
 そうすることで学んだこともあるわけで、無駄だったわけではないですが
 人はなかなか変わらないものですから、最初のほうでこれは合わないなと思ったインスピレーションは、だいたい当たっています。
 合わない相手とは、必ずしも敵対するわけでなく、ただ話が合わない(接点がない)というのもあります。
 よほどやむを得ない場合を除いて、あまり間合いを詰めない方が得策ではないでしょうか。

 かと言って、生活のためには気の合う人とだけ付き合って暮らすわけにもいきませんから、ある程度の妥協も必要です。100%合う人を探しても、他人と言うのはそもそも「異物」ですから、願いは永遠にかなわないでしょう。


 望まれない場所から追われることは、ときには幸いであったりもします。
 どこか自分を受け入れてくれる集団に移っていくことができるからです。
 以前、「相容れない人と別れた人に贈る」という記事で

もし誰かがあなたを愛と尊敬をこめて扱わなければ、その人が去ることは、天の贈り物である
 もしその人が去らなければ、その人と長い間苦しまなければならない。
 別れは、しばらくの間はつらいかも知れないが、やがては癒される。
 その時、あなたは、正しい選択をする時、自分を信じることが必要で、他の人を信じることはそれほど必要ではないことがわかってくるだろう>

 という言葉を紹介しましたが、これは
「その人が去ること」を「その人のもとをあなたが去ること」に置き換えてもいいと思います。

もし誰かがあなたを愛と尊敬をこめて扱わなければ、その人のもとをあなたが去ることは、天の贈り物である

 人はすべて「愛と尊敬」を持って扱われるのが望ましいと思います。私はそこに「感謝」も付け加えたいと思います(危険な犯罪者を無罪にして野放しにしようとかいう意味ではありません)。


 ただ私が同様な目に逢ったとすれば、去るに当たって、今後の参考のために、何が自分の問題点であるか、相手の考えを聞いて(聞かせてもらえるならばです。「おまえに話すことなんかない!」とか言われる場合もあるでしょう)分析整理し、明らかに自分でも改めたほうがいいと思われる点は、改めたいと思います。

 人は(いや世の中の多くのことは)一つの物差しで計ることはできません。
 あるジャンルでは無能な人が、別のジャンルでは有能です。
 ベートーベンが原始時代に生まれたら、ただの耳の不自由な使えない人間だったかもしれないと言う話があります(私の言葉ではありません。耳の不自由な方を揶揄する意図の文章ではありません)。
 かく言う私も、原始時代に生まれたら、体力がなくて狩りの役に立たない、ただ壁に変な絵を描くしか能のない足手まといだったかもしれません。
 人は自分の「居場所」を見つけられることが、最大の幸せかもしれません。そのことに長い長い時間を費やすケースもあります。いまだに旅の途中だという方もおいででしょう。しかしゴールは明日かもしれません。


 それから、特殊な例としては、対人障碍の方がおられます。
 極端に空気が読めない、行間が読めない。相手の言動の意味するところが理解できない、がために嫌われる。
 アスペルガー症候群などもそれですが、その場合は一種の病気であって、色弱の人に正しく色を見分けろとか言うのと同じで無理です。責めてもなんにもなりません。
 そういう方は、病院できちんと診断を受けるとか、結果が出たら職場の上司や同僚などにその旨を説明して理解を求めるのがいいでしょう。
 ちなみに、私のネット上のお知り合いに、ご自身で自分はアスペルガーですとカミングアウトしておられる方もいらっしゃいます。知り合って何年かになりますが、何度かやりとりさせていただいて、特に不愉快な思いをしたことはありません。礼儀をわきまえた知的な方です。情緒的、文学的な話題を語り合うことはありませんが、それは向き不向きというもので、私がスポーツの話題をふられても返事にこまるのと似たようなものです。


 私が、友人でゲームデザイナーの宮岡寛氏に中学のころ言われた言葉に

敵のいないやつには味方もいない

 というのがあります。
 どんな問題も他人のせいにして自己正当化する人格障害の人には当てはまりませんが、すべての人に好かれようと無駄に自分をすり減らしておいでの方に、お贈りしたい一言です♪
「過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し」
過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し

 西郷隆盛の言葉だそうです。
 『西郷南洲遺訓』からの引用として、2010年9月20日の読売新聞の記事「今に問う言葉」(小川原正道・慶応大学準教授)にありました。

 このブログでも何度か書いてきたカテゴリ「ゆるすこと」ともリンクすることなのですが
 人は自分の過(あやま)ちを改めるには、それを認識すればいい。
 私もそう思っています。

 上記の記事で小川原氏は

<西郷はいう。過ちを悔い、それを取り繕おうと心配するのは、割れた茶碗のかけらをかき集めようとするのと同じだ、と。かけらを集めてももとの茶碗には戻らないし、それは掃除の時間であっても、茶をいれる一服のひとときにさえならない。>


 まったくもってそのとおりで(笑
 ちなみに、過ちを自覚するということは、同じ過ちを繰り返さないと自覚することでもあり、自覚した瞬間から新たな人生を歩みだすということです。
 逃亡中の犯人が、「おれは悪いことをした」と思ってなおも逃亡を続けるとかいうことを、勧めているわけでは無論ありません(それは本当に反省したとは言わないでしょう)。
 自分の過ちで傷つけたり迷惑をかけた人への謝罪は、なされればなされるに越したことはないですし、自分もそういうことがあれば可能な限りそうしたいと思います。
 可能な限りというのは、人には限界が多く、たとえば若いころは自分が正しかったと思っていたのが、歳を経て大きな考え違いに気がつき、相手に謝罪しようとしても行方がわからなかったり、すでに亡くなっていたりするからです。

 そういう場合は仕方のないことで、それを気に病むよりも、改めた生き方で生きていけばいい。
 そもそも、人は借りを作った相手に100%借りを返すということはできません。貸しを返してもらうこともできません(賠償金とか謝罪といったものは、あくまでけじめや代用品の一種であって、事故で障害を負わされた方が加害者からいくら大金を積まれても体は元に戻りません)。
 心の問題にしても、どんな償いをされてもその記憶がなくなるわけではありません。
 そういう意味で、厳密な償いというのは不可能だと思います(可能なのは、できる限りのおわびだけです)。

 そんなことにこだわるよりも、
 過ちを悟って、その瞬間からより良く生きていけばいい。

 こう書くと、いわゆる加害者を甘やかすきれいごとと誤解される場合もあるでしょうが、そうではなく
 具体例としては、私が小学生のころ心身ともに何ヶ月にも渡るイジメを受けたことがありますが、そのときの加害者の誰一人として、後に謝罪に来た人はいません。
 長いこと、そう、中年になるまで許せないという気持ちが残っていましたが、今は本当にどうでもいいです。
 謝罪して欲しいとも思いませんし、彼らにその分不幸になって欲しいとも思いません。
 できることなら同じ過ちを犯さず、幸せに生きて、その方々とご縁のある方々も幸せにしていってくださればと思います。
 
 人はどんな過去を持っていようと、過ちに気づき、幸せに生きてよいと私は思っています。
 不幸をこねて固めただけのような人は、周囲の人を幸せにしません。人が過去の過ちを悔いてすべきことは、周囲の人を幸せにすることであり、それには自分も幸せになることです。
 他人を犠牲にした自分だけの幸せもないし、自分を犠牲にした他人だけの幸せもない(そういう幸せを幸せと錯覚しているケースは多々ありますが)。
 暖かい火が、周囲のものも暖めるように、ともに幸せになればいいと思うものです。

 もし、今この記事を読んでおられる方の中に、何か過去に犯した過ちでご自身を責めておられる方、自分のような者は幸せになってはいけないといった類の自虐のループにはまっておいでの方がいらっしゃいましたら
 どうか気にせず幸せになってください。
 過ちに気づき、同じことを繰り返さないと心に決めて歩むなら、誰に言う必要もありません。
 自分をゆるせない人は他人もゆるせませんし、他人をゆるせない人は自分もゆるせないものです。
 過去は過去として、きょうから幸せになること
 それもまた世界に対してできる償いの一つだと私は思います。


 私は西郷隆盛について、そんなに詳しくは知りません。
 しかし、色々な記録を目にした範囲で、尊敬する人物の一人でした。
 きょう挙げた一文を見て、その思いを新たにしました。

過ちを改めるに、自ら過ったとさえ思ひ付かば、夫(そ)れにて善し
人生アポロ13号(今を生きること)
 この2010年の夏は、ゲーム『メタルマックス3』の発売に加え、執筆の修羅場や記録的猛暑による夏バテもあり、記事内容が連載マンガとゲーム一辺倒ぎみだったこの「あつじ屋日記」ですが
 久々に少し生きるテーマとかいささか形而上テーマとか書いていきたいと思っています。


 いったいどう生きれば自分は(そして人は)幸せに一生を過ごせるか、ということをシビアに突き詰め始めたのは、40代も半ばになってからでした。それまでも考えてはいましたが、どうしても目先の刺激にとらわれて、今ひとつ踏み込めなかったです。
 近年の自分の生き方を言い表すいい言葉はないかと思っていましたが、今年になって思い浮かんだのは
 
「人生アポロ13号」(笑)。


 多くの方がご存知のことと思いますが、その手の話題に興味がないとおっしゃる方のためにポイントだけ申し上げますと、アメリカが人類を月探検に送り込んでいたアポロ計画で、13号はその事故によってひときわ有名です。
 1970年、月に向かって飛行中の宇宙船で爆発事故が発生、着陸どころか生還も危ぶまれ、地球の管制センターと乗組員が知恵と力をあわせて、無事帰還を果たし「栄光ある失敗」などとも呼ばれているそうです。


 私は、人の一生はあの13号の乗組員のようなものではないかと思うのです。

 人それぞれ人生の夢や目標がありますが(ないとおっしゃる方もおいででしょうが、それでも日々、あれを食べようとか、トイレに行こうとか、植物状態でない限りは何かあるでしょう)すべてがかなう人はいません。
 むしろ人生は、しばしば挫折の連続です。
 スケジュールは狂い、仕事を失ったり試験に落ちたりするものです。
 私の場合、かなりの年月、「夢は壊れるためにあるのか」とさえ思っていました。幼いころの夢を果たしてマンガ家になった人間が?と奇妙に思われる方もおいででしょうが、大変だったのはなってからの方で、思っていたのと大違い。それは苦難の連続でした。


 アポロ13号の場合、月に降りて調査するのが目的だったでしょうから、それができなくなったことは大いなる失敗です。しかし、その旅は無意味だったでしょうか。私はそうは思いません。
 後進に多大な教訓を残しただけでなく、乗組員はじめ、それに関わった多くの人びとに進歩、成長をもたらしたと思います。
 結果がすべてではない、と言うか、自分が望んだイメージと異なる結果であっても、けして無意味ではないし絶望することもないということです。

 そして肝心なのは、爆発事故が発生してからの対応です。
 彼らは(女性乗組員がいたなら「彼女ら」もです♪当時はいませんでしたが)できることを全力でしました。
 「過去に落ち込まず」「未来に絶望せず」「できることを全力でし」ました。

 人はしばしば過去と未来にとらわれて、今を失い、過去を無駄にし、そして未来を失います
「こんな事故を起こすようなロケットを作りやがって」
 と怒り泣きわめいて責任者や関係者の悪口を言ったり責めたりしても、事態は何も解決しません。
 そんな暇があったら解決に向けてできることをする。
 自分たちをそんな船に乗せた地球のスタッフとも知恵と力をあわせてやれることをする。
 ほかにどんな道があったでしょうか。

「このままだと生きては戻れないかもしれない」
「オレの人生はおしまいだ」
 などと嘆いて、今を浪費しませんでした。落ち込んだり、ふさぎこんで、時間を無駄にはしませんでした(一時的にはあったでしょうけど)。
 ほかにどんな道があったでしょうか。

 そもそも爆発事故そのものが想定外のことだったわけで、そのあとの対応にしても絶対に生きて帰れる保証はなかったでしょう(またどんな想定外のことがないとも限りません)。
 不安にかられたり、絶望する素材にはことかかなかったでしょうが、彼らはそこに逃げ込みませんでした。

 「今を生きる」というと、無計画な刹那主義を連想される方もおられますが、そういう非建設的な「今」ではなく、きちんと現実と向き合い、知恵をめぐらせて今できることと取り組むことです。


 ではその結果が失敗だったらどうするのか。努力しても、やはり生還できなかったらどうするのか。
 別にいいじゃないかというのが、近年の私の心境です。
 なぜなら「今を犠牲にして生き」てはいないからです。
 多くの人が、未来のために今を犠牲にします。将来何かいい目を見るために今を失って生き、それが美徳とさえされています。
 私は欲張りなので、そんなことはしません。
 無論、仕事で机に縛り付けられていて、得られないものは数多くあります。素敵な青空も見られなかったり、友人との集まりにも行けません。
 でもそれがなんでしょうか。生きている限り果たさなければいけない勤めはあり、それを果たすのは自分の意思です。嫌ならやめればいいだけです。
 私の場合、やめれば収入がなくなって路頭に迷ってのたれ死にですが、それが嫌で仕事を選んでいるのもまた自分の意思です。誰の選んだ人生でもありません。自分で選んでいる以上文句はありません。改善したいところは改善を目指します。

 以前友人の女性マンガ家が、小学生のお嬢さんから
「ママ、お金は(働いたことの)オマケよ、オマケ」
 と言われたという話を書いたかと思いますが♪
 まあ、そうだと思います。
 ギャラがないと生きられませんし、それは正当な報酬ですが、別の意味での報酬は日々自分がどう生きたかで得ています。
 ケダモノのように(と言うとケダモノに失礼ですね。人として多くを見失って、と言うべきでしょうか)きょうを生きた人は、そういう「きょう」を過ごしたこと自体が報酬であり、持てる能力を十全に生かしてきょうを生きた人は、そう生きられたことがすでに報酬だと思います。
 人は時々刻々、今をどう生きたかの報酬を得ているのであり、その視点から見るとき、人生になんの不公正もありません(不当な差別を受けたり、得られるべき支払いを得られないといった類の「不公正」は社会に常にあります。それはきちんと取り組むべき別の問題です)。

 自分は未熟で失敗も多い不完全な人間だが、そのできる範囲で誠実に生きる。いたらない点はおわびします。できる限り改善をはかります。
 ほかになにができるでしょうか。


 だから、私はネットも実生活もふくめて、人の愚痴の輪、悪口の輪には一切関わりません(若いころはそれに加わることが楽しかった時期もあります。それは一つの通過地点でした)。
 そんな暇はないからです。
 将来を恐れたり嘆く輪にも加わりません。そんな暇はないからです。
 問題を認識し解決する方法を考え合うことであれば参加します。

 自分をアポロ13号の乗組員に置き換えるとわかりやすいのではないでしょうか。
 誰を恨むことも責めることも無意味です。できることをするだけです。
 過去を悔やんだり罪悪感にとらわれるのも無意味です。問題解決のための材料にするための反省と分析はあっても、そこに自虐はありません。
 今を悲しむこともありません(心身ともにしんどいことやトラブルはあります。でもそこに溺れません)。
 未来を恐れることもありません。
 そんなことで、自分はもう人生を無駄にはしません。

 何か無理してるように感じられる方もおられるでしょうが、私にとってはそれが一番楽なのです。無理のない生き方なのです。
「地球に戻れるかどうか」は「お金がオマケ」なのと同様、オマケの結果に過ぎません。
 生きるか死ぬかはどうでもいいのです(誰か殺しにくれば抵抗しますが)。
 「日払い」ならぬ「今払い」で私は「報酬」を受け取って(と言いますが、じつはその「報酬」という概念自体が一つの方便であり、もう少し視点を上げればどうでもいいこととも言えます)日々生きています。
 ほかに何ができるでしょうか。

 これは別に「不滅の真実」とかいった類のもではありませんし、守るべき何かの「教義」でもありません。
 無論誰かに押し付けるようなものでもなく、ただ、こういうスタイルもありますというのを、今可能な範囲で文章にしただけです。真実というのは言葉にできない、言葉を越えたところにあります。
 私のオリジナルでもなんでもなく、多くの先人がとうの昔に見出してきた道を、自分流に取り入れ、自分流に表現しただけです(「日の下に新しきものなし」でしょう(笑))。
 もっといい生き方があるなら、いつでもそちらに乗り換えます。
 しがみつくべき何物も、そこにはないからです。



 色々な方とお話させていただいていて、ややテーマが深いところに及んだ場合、どういう足場から考え話しているのかを明らかにしないと、話がかみ合わない場合があります。
 そこで簡単に整理して見ました。
 補足しないと意味が通らない部分もあるかと思いますが、そこはおいおいアップしていこうと思います。

 私は私と異なるすべての方のあり方を尊重し敬意を払いたいと思います。
 長文お読みくださりありがとうございました。
 きょうも良き日を♪
山本貴嗣インタビュー(ファミ通)
 先日ファミコン通信のネット配信用に受けたインタビューが公開されました。
http://www.famitsu.com/news/201009/16033211.html
 
少し訂正を申し上げますと、
「ソイヤドーヤ」は「ソイヤドーラ」の誤植です。
 私の発音が不明瞭で担当スタッフの方がテープ起こしのとき、聞き違われたのだと思います。
 ドイツの列車砲の「ドーラ」です♪
 あと、連載の話があったのは1じゃなくて2のときだったかもしれません(昔のことで記憶定かならず)(w

 興味を持たれた方はご覧いただけますと幸いです。
 ではではまたー♪


追記
 女性キャラに関してのコメントで「未熟さにはひかれない」と回答していますが、例外的に『双銃身の魔女』の妹のタマは気に入ってます。言うなれば猫みたいなもんで、あの子はあれで完成した生き物だからかもしれません(笑)。ある意味姉のテッカより完成してるんですよね。昨日完成させた2話(今月末公開予定)で、ハビエルがちょこっと、そういう意味のことを言ってます。
 無論成長期で今後も成長していきますが、近年屈指のオキニなキャラです(無論姉も気に入ってます)♪
天の恵み♪
 昨日『双銃身の魔女』2話目完成。
 今月始めに、寝室にエアコンを設置(お義母さん、援助ありがとうございます!;)して、猛暑の昼間も「安眠」できるようになったのが大いに助かりましたが
 最後の追い込みは24時間以上眠れなかったのに、この雨と涼しさで仕事場のエアコンをOFFにして作業できたのが、何よりの追い風でした。
 最後は一日白紙から4枚の鬼ペースでしたが、この助けなしには達成不可能だったと思います。
 感謝です~~~;;;♪
四面猫歌→不法占拠
威嚇する三毛波
 9月1日にしろさんに迫る三毛波志乃一家のことを書きましたが
 秋冬にしろさんが寝床にしてるホワイトハウス(果物屋さんでもらってきて、しろさん用にセッティングした発泡スチロールの箱)、そろそろ掃除して準備をと思って見たら
 この暑いのにフリースの中に三毛波一家が親子でもぐりこんでました!
 ふてえ野郎だ、痩せてるけど(しかもママ、「野郎」じゃないけど)!
 出てけー!!!!!(爆

 さっきもしろさんにゴハンあげてたら、一家で迫ってきて、おまけにシマ蚊が二匹血を吸いにきて、つまは用事で出かけてるし私一人では防ぎきれず、ついに子猫の一匹がしろさんのお皿に到達。
 まるで単独で艦載機と軍艦のダブル攻撃を受けてる気分です;

 でもしろさん、子猫が食べ始めると黙って身を引いちゃうんですよね。
 優しいのか気弱なのか。
 自分と同じサイズの野良とがっぷり四つで闘ってきたしろさん、子猫なんか一撃で追い払えるはずなのに・・・

 つまらなそうに座ってるんで、残ったゴハンを差し出しても、しらけた顔してそっぽ向きます。

 いったいこの秋どうなるんだ。
 私は何よりこの「ホワイトハウス不法占拠」を恐れていたんですが、まさかすでに領海侵犯が行われて上陸占拠されていたとは!!

 天を仰ぐ夕闇です。
禁止ワード変更
 スパムコメント対策で時々禁止ワードを追加してると、突然書き込み不能になるのが困りモノなのですが
 またそうなっていたようで、お客様からその旨メールをいただきました。
 申し訳ありません。
 先ほど変更しましたので、これで大丈夫かと??;
「良く働かせたいと思えば・・・」
今月号(2010年10月号)の雑誌「丸」を読んでたら元海軍技術大尉の田辺信雄という方の記事に

「海軍では、良く働かせたいと思えば良く休ませよ、という教訓があった」

 とありました(泣)。あっ今泣いた人、私一人じゃないですよね!(笑)
雑誌カイト2号発売
雑誌カイト2号
『マンガ家で行こう』2話より
 遅くなりましたが、今年の3月27日の記事にアップしました雑誌カイトの2号が出ます。
 今月6日前後に書店にならぶそうです。
 私の連載『マンガ家で行こう』の2話目も掲載されています。
 以前も書きましたとおり、今回はメタルマックス制作裏話と言うかゲームデザイナーの宮岡氏と私の付き合いについて描いております。
 お気が向かれましたらご覧いただけますと幸いです♪
 どうぞよろしくお願いします。(添付画像はメタマのイメージカットです。新作ではありませんので、誤解なさいませんよう);
『メタルマックス』トークライブ詳報
 先日お話しました『メタルマックス』トークライブの詳報が、本日9月2日発売の「ファミコン通信」誌の135ページ右下に掲載されています(見開きの「メタルマックス3」関連の記事の末尾です)。

開催:9月30日(木)
 18:30開場/19:30開演~22:30終了予定
 会場:
都内 阿佐ヶ谷ロフトA
  http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
  東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-36-16-B1
 電話:03-5929-3445
 料金:前売:2000円/当日:2500円(飲食代別)
  ※前売発売は、9月2日(木)より
  “阿佐ヶ谷ロフトA”Webサイト内予約ページ、またはローソンチケットにて受付
 出演:宮岡寛、田内智樹、山本貴嗣、門倉聡ほか
 司会:とみさわ昭仁、セラチェン春山>

 だそうです。URLとか打ち間違えてないといいんですが(汗
 と思って試しにクリックしたら一文字間違えてました、修正しました~~;
 まずはお知らせまで。ではでは~;


追記
 その後、前売りチケットはWebの分もローソンのも完売したそうです。
 ありがとうございましたー!!
我が家の大統領
2010年7月のしろさん
野良猫/三毛波志乃さん
野良猫/はなぐろちゃん
 最近、我が家の近辺に野良猫の親子が出没します。
 中央のカットがママの「三毛波志乃」さん(命名は私のつま)。三枚目がその子「はなぐろ」ちゃん(命名は同じくつま)。このほかに、もう一匹「はなじろ」ちゃんという子もいます。
 お腹がすいてるようで、しろさんのごはんを狙ってあの手この手で迫ります。
 ご近所の迷惑にならないよう通い猫のしろさん以外にはごはんをあげないことにしてるので、かわいそうだけど丁重にお引取り願ってるんですが、怒鳴られたり痛い目を見ないせいか、何度でも何度でも再挑戦してきます。
 うちで養ってるとご近所に勘違いされても困るし、なんとか遠ざけないといかんのですが、一人では追い切れません(なにしろ食ってるしろさんの器にまで迫ります)。

 しかし、先日ついに一つの解決策が!
 一人でダメなら二人がある!
 つまと私が同時に見張りに立つと、さすがに近寄りがたいのか、家の外をうろうろうろ。
 とくに、つまがホースで庭の水撒きなどしているとかなり効果的なことがわかりました。

 しかし、しろさん
 食事のたびに人間が二人警護に付くって、わしらVIPのSPかよ!
 そういえば冬場しろさんの寝床にしてる白い発泡スチロールの箱、うちでは「ホワイトハウス」って呼んでました。
 そうか、私とつまは大統領の警護だな。

 というわけで、最近のしろさんのあだ名は、「ホワイトハウス」の「白オバマ」です(w
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