あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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食べる楽しみ
 食道楽、ではありませんが、私にとって、それなりに「食」は楽しみです。
 座って作画作業にいそしむばかりの毎日、机から1~2メートルのところにテレビがあっても執筆中は画面を見る余裕も無く、番組だろうがDVDだろうが楽しめるのは音声のみ。
 あとは音楽を聴くくらいしか娯楽の無い(ほとんど深夜トラックの運転手さんみたいです)(笑)身としては、仕事の合間の食事やおやつは、大いなる楽しみです。

 若い頃というのは、少々むちゃな食事でも気にならなかったのですが、だんだん歳を取るにつれ健康管理にも気を使い、体質も変わって、バランスのよいメニューを選ぶようになりました。
 食事に欠かせない要素に「温度」があります。
 冷えてないとまずい品もあれば、暖かくないとまずい品もあります。

 10年以上前になりますが、私は頭部にできた腫瘍(粉瘤)の除去手術のため、とある形成外科に入院していました。
 病院食はまずいと聞きますが、そこはそれなりの味で、私は毎回楽しみにしていました。
 唯一問題点は、配膳係りの関係か、日曜は暖かいメニューがなにも出てこないことです。
 冷えたパンとおかずと牛乳とかですね。
 私は別によかったのですが、隣室の歳とった入院患者さんが
「これはひどいよ、あんまりだよー」
 と悲しそうにおっしゃってたのが印象に残っています。

 歳をとると、その辺、若い頃より敏感になるものかもしれません。

 ただ、これと反対のことが身近にありまして

 以前実家の母が入院したとき、父に電話して食事はどうしているのかと尋ねたところ、コンビニやマーケットで惣菜とごはんを買ってきて食べているとのこと。
 何か援助物資を送ろうかと思い、どんな食生活かさぐってみると
 本当に買ってきたものをそのまま食べているだけ。
 電子レンジで冷凍食品とかを暖めることもしない。
 レトルトも食べない。
 インスタント味噌汁さえ飲まない。
 正味冷えたメニューだけ。
 えー?暖めなくてだいじょぶなんですかー!?
「いやー、めんどうくさくてなあ。食事自体めんどうなくらいで、はっはっは」

 以前も書いたと思いますが、父は元自衛官でした。
 戦場では冷えた食事もあたりまえ(日本の自衛隊の食事は悪くないようですし、炊飯設備も進んでいるようですが)。原則味や温度を気にしてなんかいられないでしょうが、なんだか退官して何年もたっても、その辺父は「軍人」なのかなあと、しみじみわが身との違いを思いました(笑)。
 まあ文弱の徒の私と違い、退官間際まで若い者といっしょにマラソンして、時には自己記録を更新したりしていた根っから体育系の人ですから、きっと鍛え方が違うのでしょう。
 一朝有事の際は、そういう人の方が頼りになります。

 蛇足ですが、これまで外国の軍隊の携行食糧(いわゆるレーションというやつ)を何度か食べてみたことがあります。
 自衛隊のカンヅメの類は、子供の頃父が持って帰ったものを食べておいしかった記憶があります。
 アメリカ合衆国のレーションは、メニューも豊富ですが、レトルトのメインディッシュはあまりうまいと言うものではなく、質より量な感じでした。さすがと思ったのはクラッカーのおいしさ。
 あと、あちらには冷えたレーションを温める水を入れると発熱するアイテムもあります。
 火の使えない状況ではきっと重宝するでしょう(あの、入院していた病院の隣室の患者さんにプレゼントしてあげたかったと、思い出すたび思います)(笑)。
 NATO軍(のドイツ軍?)のものも、豪華で凝ってました。
 知人からプレゼントされたのですが、肉を食わなくなってからだったのでいくつかのメニューは知り合いにあげました。その他のメニュー、けっこう色々おいしかったです。
 湾岸戦争の多国籍軍で、携行食糧の比べっこをして、トップの座を射止めたのはフランス軍だったと聞きました。どんなものか、いつか見てみたいものです。
 ではでは。 
「本当に運の好い人には自分の運の好さが判らない 」
ある知り合いの方が先日
「本当に運の好い人には自分の運の好さが判らない 」
と題したブログ記事を書いていられました。
 まったく同感なので、私も少々♪

 まず
 私は運のよい人間です。
 どかんと宝くじに当たったようなことはないですが(そもそも買わない)(笑)いろんな意味でよいと思います。
 人生を振り返ると苦労したこともいっぱいで、本当に苦しいときは、早く死ねたら幸せなのにと思ったことも何度もあります。
 でも

 私程度の才能で、30年以上マンガ家でいられる、それもマンガ以外の仕事をせずにそれだけでメシを食ってこられたということは、運がよいと言わずしてなんと言いましょう?
 世間の荒波を多少なりとも経験された方なら、お察しいただけると思います。
 私よりもっとうまい人、おもしろい人、で、消えていかれたマンガ家さんがたくさんいられます。
 私は自分の今日が正味実力であるなどとは思いません。
 無論いくばくかの才能を持ち、努力は欠かさず来ましたが、それが必ずしも報われるとは限らないのが人生です。

 昔、美術出版社の雑誌でマンガの描き方について連載していたころ、マンガ家であるには「才能」と「努力」と「運」が必要だと書いたように思うのですが、あれはかけねなしの本音です。たぶんどんな職業でもそうだろうと思いますが、芸能界ほどではないにせよ、マンガ界では「運」はサバイバルに欠かせない要素に思います。


 んで
 じゃあ、自分が運がよいかどうかどこで知るのか。
 それは難しいことです。明確な答えはありません。

 私の場合、何かどかんとすごいヒットに恵まれたとかいう経験はなく、仕事的にでっかい「当たりくじ」を当てたこともありません。
 でも、要所要所で生き延びるための仕事に恵まれ、人に恵まれ(読者の方々(ファンの方もアンチの方も)、編集さん、そして様々な形でお助けくださった方々)、これまで来れたと思います。本当に感謝しています。

 昔、ボディガード(我々が日ごろ目にする「ガードマン」ではありません、要人警護の「ボディガード」です)の方について話を聞かせていただいたとき、もっともクライアントに「ウケ」るのは二流の守り方をしたケースだということでした。
 たとえば、あるVIPをガードしている。
 本当に最高の守り方は、VIPに害をなそうとする敵を完全にシャットアウトし、寄せ付けもしません。間近に接近する前に把握し、排除します(ちなみに映画やドラマのように、たった一人でガードすることはまずありえないようです。必ず複数のチームで守る。それはそうでしょう。一日中一人で守るなら、自分の都合ではトイレも行けず、オムツをして暮らす羽目になります)。
 しかしそれができなかった場合、敵をそばまで近づけてしまう。
 VIPの目の前で襲い掛かってきた暴漢などと格闘して取り押さえたりする。
 するとVIPとしては、ボディガードの強いところを実際に体感し、ああ、このボディガードは優秀だと思ってしまう。
 もっと遠くで敵を排除し、何事も無くVIPを移動させた最上のケースより、一段落ちる方を優秀だと勘違いしてしまう。
 そんな話でした。


 人間と言うのはえてしてそういうもので
 あらゆる致命的苦難が運よく事前に排除され、日々平安に暮らしていることよりも、事故で重症を負ったり愛する人が亡くなったりしてもそこそこ世間的に「成功」してる人生の方が、運がよく恵まれた人生だと思ってしまいがちです。

 無論中には、オレは手足の一本や二本引き換えにしても財産が欲しいとか言われる方もおいででしょう。

 ただ目先の欲望を満たすことと、人生をあとから振り返って本当にあれが自分の望んでいた幸せだと納得できるものは、往々にして異なります。
 ときには苦難もまた天の恵みであり、貴重な学びや成長をもたらすものです(最終的には死さえも)。
 ですから、何が運で何が不運か、何が幸せで何が不幸か、軽々しくは判断できません。
 自分の人生がどれほどの運に守られたものであったかは、人生が終わるまで判断できないことかもしれません。

 きょうも良き日を。
実家は無事です(山口県防府市
「山口県防府市の土砂崩れ災害で、内閣府は21日、林幹雄防災担当相を団長とする政府調査団を現地に」

 などというニュースを横目に、いささか出遅れた日記ネタですが
 ご心配くださった方からメッセなどもいただいておりますのでひとこと。

 山口県防府市は私の生まれ故郷で、実家があります。
 今回の災害では、幸い我が家は被害を免れました。
 山にも海にも遠い場所ですが、台風のきつい日には、近所の電気屋から風で飛ばされた冷蔵庫が道路を駆けて行ったこともありますし、ラドンが暴れたあとのような屋根の家を見たこともありますので、いささか案じてもおりました(今回は杞憂でした)。

 ニュースでも表示される地図に時々出てくる佐波川は、幼い頃何度も遊んだ川です。私が大学生のころは遡上してきたジンベイザメが捕獲されたこともあり、記憶違いでなければ上流には体重数キロのスッポンが生息するというナイスな川です。子供の頃行くと、土手の上から投げ釣りでナマズを釣る人をよく見かけました。アユやウグイも釣れます。
 今はどうだかわかりません。それはさておき

 土砂災害のあった付近は、山口市と防府市の境あたりです。
 実家の父は、時々所用で山口市にでかけるのですが、まさか昨日はでかけなかったろうと思って今朝方電話したら
「いや、通れないかと思ったら、通れたよ。いつもの倍くらい渋滞で時間かかったけどな」
 だそうで
 昔、自衛官だった父には災害の状況判断はなじみのものだったのかもしれません(笑
 ご心配くださいました方々、ありがとうございました。
 被災された区域の一日も早い復旧と、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
『戦闘女神アヌンガ』29話のお知らせ
『戦闘女神アヌンガ』28話16ページ
 『戦闘女神アヌンガ』29話ですが、本来ならば今週21日火曜日の配信だったのですが、執筆が日曜までずれ込みまして月曜が休日なこともあり、21日配信には間に合いませんでした;
 この場を借りてお詫び申し上げます。
 配信は一週間遅れの28日になると思います。
 どうぞよろしくお願いします;

 私はそのまま30話の執筆にかかっております。
 いつもより増ページなのと、アヌンガ出ずっぱりで対決シーンなので、またまたスケジュールが心配なのですが(汗
 「身を粉にして働くでありますうう~~;」(from『男組』)
『元祖江戸前寿し屋與兵衛』
『元祖江戸前寿し屋與兵衛』


『元祖江戸前寿し屋與兵衛』
 作画・内山まもる/原作・白川 晶/双葉社・刊
 1~2巻

 双葉社の雑誌、「週間大衆」誌掲載のグルメマンガ。
 なんだ、よくある寿司ネタかと思われるかもですが、ちょいと型破りな設定で
 主人公の平凡な中年男に、江戸前寿司の元祖、江戸時代の寿司職人、華屋與兵衛の記憶?がよみがえり(と言うか、憑依と言うか、脳内タイムスリップと言うか)、超人的寿し職人となって、はやらない寿し屋の再興に手を貸すという
 いや、こうして文章化すると、それはそれでお笑いになる方もおいででしょうが
 これがおもしろい!

 読み始めると止まらなくて、あっと言う間に読み終わり、次の巻に手が出てしまいました。

 実は原作の白川氏とは、十年以上のお付き合い(と言っても共作仕事でごいっしょしたことはないのですが)で、氏の巨大な才能にはかねがね敬服していました。
 今回同書を読んで改めて、そのエンターテイナーとしての腕の冴えに感動しました♪

 たまたまコンビニで目にして、ぱらぱらとめくり、おもしろそうなので一巻購入。
 友人だからって、つまらない本を買う気にはなりませんし、読んでつまらなければ一巻でやめるつもりだったんですが、帰って読み終わったと同時に、二巻購入を決定。
 翌日同じコンビニで買いました(笑

 主人公がちょんまげ姿の與兵衛姿で、通りすがりの回転寿司で寿司を握ってるシーンなど、ほんとキャラが立ってます(笑)。
 あくまで脳内イメージというか、人々には與兵衛の姿ではなく、現代人の中年男しか見えてないんですけども♪
 
 原作の白川氏はあらゆるジャンルに渡って博学な方で、それもただ博学なだけでなく、その知識を縦横無尽に駆使して次々とオリジナルなアイデアとストーリィを生み出す才人です。
 私も知る某有名出版S社の重役さんをして
 「白川さんのように次々とアイデア(無論作品として使えるアイデアという意味です)を語り続けられる人は見たことがない。あなたと話すときはボイスレコーダが必要だ」
 と言わしめた。
 まあ、普通の作家をディーゼルエンジンの巡洋艦とすると、巨大原子力空母のような存在です。

 店頭でお見かけになられた方は、一度手にとってご覧ください。
 きっとお楽しみいただけると思います。
 ではでは♪
どちらであろうと我が道を行く
「もし神が存在するならば、万事よし。
 もしすべてが偶然に過ぎないならば、君までゆきあたりばったりに生きないようにせよ。」
                 マルクス・アウレーリウス(ローマの哲人皇帝)
        (『自省録』 マルクス・アウレーリウス・著/神谷美恵子・訳/岩波文庫より)

 この文章は、アウレーリウスが自分に向けて書いたメモと言われ、「君」とあるのは、誰か他人に向けての説教ではなく、自分自身への呼びかけです(山本・注)
自動車シーン作画資料用模型
『戦闘女神アヌンガ』28話17ページより
『戦闘女神アヌンガ』28話資料用模型1
『戦闘女神アヌンガ』28話資料用模型2
 修羅場で長い記事を描く余裕がありません。
 毎度おなじみ作画用模型写真です。
 『戦闘女神アヌンガ』28話より、アンヌが魔人の追跡を逃れて自動車専用道路を行き交う車の屋根に飛び移るシーン。
 アオシマ文化教材社製のプラモデルと、NewRay製のミニカーを並べてデッサンとパースの資料にしてます。
 屋根の上の女学生のフィギュアは、三枚目の画像の左にぼんやり写っているバス(アオシマ製三菱ふそうエアロスター)に付属していたもので、ちょうどいい対比資料になりました。
 ちなみにここに並んだプラモとミニカーはすべて1/32縮尺で統一されています。
 当たり前ですが、資料用の模型を並べる際、おなじ比率の縮尺模型を並べないと、像のようにでかい小型車とか、ミニバンサイズのトレーラーとかができてしまうので大変です(笑
 我が家には同じ車の模型でも、多用する車種は異なる3パターンくらいの縮尺の模型がそろえてあります(もっとも多用するのが1/18、次が1/24~1/32、例外的に1/25とか1/43もあります)。
 ではではまた♪

 追記
 床に引いた升目の板は、パース(遠近法の目安のライン)を見るために自作したものです。
 道路の車線の目安にもします。
延年半夏湯(えいねんはんげとう)と痃癖(けんぺき)
 以前から何度か書いております持病の「痃癖(けんぺき)」ですが

 以前「痃癖(けんぺき)追加記事」という日記を2007年12月に書きましたが、以来情報を更新しておりませんでした(最初に記事にしたのは2007年7月20日の「私の体調不良→新発見」の記事でした。ちなみに、このときは私の症状は右半身が主でしたが、その後は痃癖の定石どおり左半身に集中しました)。

 「痃癖(肩癖)(けんぺき)は肩から背中にかけての痛みや筋肉のひきつり、肩の張り等を
伴う肩こり、五十肩などの症状をこう言います。
他に腹部、わき腹などの腹筋の張りやひきつりも痃癖の症状です」

 その後、かねてより効果があるとの漢方薬「延年半夏湯(えいねんはんげとう)」(えんねんはんげとう、と読む記事もあります)を入手。当時、なしのつぶてであった店ではなく、別のところで購入しました。
 
 効きます♪

 漢方というのは、ある一定期間服用することが前提ですが、私の場合、飲んで10日足らずで不定愁訴が消えました。
  延年半夏湯は、漢方で有名な北里大学病院のサイトなどでも、胃がんの手術をなさった方の後遺症などにも使用するとあるのを見た記憶があります。
 薬には相性があり、どなたにも効くというものではないかもしれませんが(信じて買ったら効かないぞ、どうしてくれる、とか言われても困ります)私には効果大でした。
 
 とりあえず、ご報告申し上げて起きます。ではでは。
『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一・著
『死ぬときに後悔すること25』
 『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一・著/致知出版社

 発売された時から気になってましたが、先日歯医者の帰りに書店で見つけて購入。
 一気に読みました。
 いい本だと思います♪
 一昨日の「往生際」もそれに関連して書いた記事です。
 とっくにあちこちで話題になってる本で、私などがブログで紹介するまでもなく、お読みになられた方もおいでのことと存じます。

「1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた」
 とありますが、著者の略歴を見ますと、想像以上にお若い方なんですね。なんと1976年生まれです!
 それにしては、冷静さと愛や慈悲心をともにキープしつつ、全体を見渡す視点で死に行く人々と接し、語っておいでで、お若い方にありがちな生硬な部分を感じさせるところはほとんどありません。すごいです;(かつては日本最年少のホスピス医でもあったそうです)

 出だしの概論のような部分を読み出したときは、あれっ?なんだかとおりいっぺんの内容になるのか?と心配したんですが、そこはあくまで、前置きであって、
 肝心の本題に入ると、ぐいぐい引き込まれて、あっという間に読了しました。
 タイトルどおりの内容です。
 詳しいことは読んでいただくしかないですが

 私、山本の個人的な比較感想では、ここに書かれている様々な方の「後悔」で、まだ準備ができてないのは、自分の死後の段取り(遺言とか)くらいかな、と。
 あとは何も後悔するような生き方はしてないからいいやと(笑
 いや、過ちやヘマは山のように犯してきましたし、そのことでどうしようもなく悩み苦しんだことはありますが、それはもう昔の思い出で、残りの人生で別のヘマもまた犯すでしょうけど、それはそのたびに新たな気持ちで(繰り返さないように努めて)生きるだけで、そのことに囚われることに時間と労力を費やしたりはしないだけです。
 罪悪感というのは、怪我をしたときの痛み(体が手当てを必要としているというシグナル)のようなものであり、自分が反省と生き方の変更を必要としているという心のシグナル、警報だと思うものです。
 ガス漏れを止めた後まで、ガス漏れ警報を鳴りっ放しにしておく人はいないように、反省して生き方を見直せば、罪悪感など無用の長物です。
 確か「反省はしても後悔はしない」という意味の言葉があったような(「後悔はしても罪悪感は手放す」とか)。
  
 興味深かったことの一つが、下記の部分。

<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。
 死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた>
<その中の一人に、ある女性がいた>
<自らが葬祭業者と話を詰め、彼女の死後も滞りなくささやかな葬礼が遂行されるように、彼女は緩和ケア病棟にてその計画を練っていた。
 果たして、その願い通り、質素だけれども素晴らしい葬礼が催されたとの後日談を耳にした。ボランティアで彼女とかかわりのあったお坊さんが読経してくれたようだが、それも生前彼女から直々に頼まれたとのことだった。用意は完璧だった>
          (同書100~103ページより)

 単純計算で1000人以上を見送られた中で三人というと、三百数十人に一人の割合ですか。
 私も近年、自分の生き死には気にせず生きているんですが、こういうのは一回も使ったことのない新型爆弾とかといっしょで、本当に死に臨んで有効に機能するのかどうかは、実際のそのときがくるまでわかりません。
 そこで、こういう現場でのリアルなケースを見聞きしてこられた方のお話は大変参考になります。
 私のつまなどは、そういうハラをくくった人というのは1000人に一人くらいじゃないのかと思ってるようですが、楽観主義者の私はもっといるところにはいると思ってました。この本を読んで、はからずも確認が取れたというか、励まされる思いがしました。

 ちなみに、著者の大津先生は無宗教な方で、日本的な意味での信仰心はあっても特定の宗教は信じていないそうです。
 ある患者さんは、生前犯罪を犯し、死期が迫るにつれ罪の意識にさいなまれ、身体的な苦痛はそれほどでもないのに、その良心の呵責と自分は永遠に許されないのではないかという恐怖心などから大層苦しみぬいて、とうとうキリスト教の洗礼を受け、数日しておだやかに亡くなったそうです。
 その方にはそういう救いが必要だったのだと思います。
 一方では無宗教でも穏やかに、淡々と死出の旅路に赴く方もいられる。
 それぞれがそれぞれの道を歩むものです。

 本書は、中の一項目を取り上げるだけでも、それだけで一回分かそれ以上、語り続けるだけの内容になってしまい、終わらなくなってしまいますので(笑)今回はこれで切り上げます。最後にその目次を以下に引用しておきます。

第1章 健康・医療編―死ぬときに後悔すること1
第2章 心理編―死ぬときに後悔すること2
第3章 社会・生活編―死ぬときに後悔すること3
第4章 人間編―死ぬときに後悔すること4
第5章 宗教・哲学編―死ぬときに後悔すること5
第6章 最終編―死ぬときに後悔すること6

 本当はもっとそれぞれの章が細かいテーマに分けられているのですが、そこはネットの書籍紹介を見てもあまり表示されていないようなので、伏せておくのがいいのでしょう。


 あ。でもアマゾンの内容紹介でもいくつかアップされてるようなので私もいくつか引用しておきます♪

 健康を大切にしなかったこと
 たばこをやめなかったこと
 自分のやりたいことをやらなかったこと
 夢をかなえられなかったこと
 悪事に手を染めたこと
 感情に振り回された一生を過ごしたこと
 他人に優しくしなかったこと
 自分が一番と信じて疑わなかったこと
 故郷に帰らなかったこと
 会いたい人に会っておかなかったこと
 自分の生きた証を残さなかったこと
 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
 etc・・・・・・

 本文ではまだまだあります。皆様はいくつ思い当たられますでしょうか。



追記
 個人的には、このリストに
「世の中や他人のアラしか探さなかったこと」
 というのを加えたらどうだろうと思うのですが(笑
 もっともこれは「自分が一番と信じて疑わなかったこと」に含まれるのかもしれませんね。
往生際
 そういえば、先日亡くなった友人の医師I氏(「さらば友よ」参照)が、昔言っていたことで

 多くの患者さんを診てきて思うのだが
 農業や漁業といった、自然を相手に働いてこられた方のほうが、自分の病(と間もなく訪れる死)というものを、素直に受け入れて逝かれるような気がする、と。
 そういった方々は、この世界には人の力ではどうにもならないものが存在するという事を日ごろから肌身に染みて知っておられるため、無用な取り乱しや現実逃避をする割合が少ない。
 むしろ困るのは、政治家とか、ある種のセンセイと呼ばれる方たちで
 日ごろから怒鳴ったり下手に出たり、交渉ごとでなんとかなるという感覚が身についているせいか、病に対しても同じ態度でなんとかしようとしてしまう。
 怒ろうと言いくるめようと、病も死期もなんともならないのに、と。

 その話をしてくれたI氏は、先日の日記にも書きましたとおり、淡々と自分の死期に望み、勤めを果たして逝ってしまいましたが
 数限りない人の最後を見て、自分はどう臨むか、自分の病気を知るよりも前に、ハラはくくっていたのだろうと思います。
 死に臨んで取り乱すのもそれはそれで人間らしいこととも言えるのでしょうが、I氏が出会った政治家のセンセイのような、見苦しいあり方はしないで逝きたいものだと思うものです。
昨夜はロケハン
夜の湘南大橋と釣り人
 昨夜は背景用写真のロケハンに、またカメラと三脚を下げてバイクで駆け回ってきました。
 画像は相模川にかかる湘南大橋のそばで夜釣りを楽しむ人々です。
 初夏の夜風が気持ちよく月もきれいでいい晩でした。
しろさん近況
見回りのしろさん
 ブログのお客様にはしばしご無沙汰してました通い猫の「しろさん」ですが
 我が家には相変わらず足しげく通っております。
 凶悪な面がまえに似合わず、そばにいる時は私とけして目を合わせません。
 ある種の猫の仁義でしょうか。それとも何かシャイなんでしょうか(笑
 先日もドアを開けるとごはんが欲しくて待ってましたが、玄関のコンクリより一段低い地面に正座して顔だけ横を向いてました。
 挨拶するとコンクリの上に上がって、鳴きながら頭を私の足にぶつけ、体をこすりつけてきます。
 しろさん、いつものご挨拶です。
 私は外出するところだったので、妻にたのんで家を出ました。
 振り返るとコンクリの上で、門扉を閉める私の方を向いて正座して、お見送りしてました。

 乱暴者で生傷が絶えませんが、ブサ可愛い愛しい猫です♪

 それにしても相変わらず、「ニューハーフ」とは思えない面構えです。
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