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あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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『侍っ子』
『侍っ子』関谷ひさし・著
『侍っ子』  関谷ひさし・著/双葉社・刊

 関谷ひさしという漫画家さんがいらっしゃいます。
 いや、いらっしゃいました。
 私どもの業界の大先輩でした。私も子供のころ、いっぱいいっぱい楽しませていただきました。
 これは、その関谷先生の遺作です。

 最初1890円という値段に、漫画本としては「えっ?」とか思っちゃいましたが、買って納得。
 それだけのことはある本でした♪

 かわいい!楽しい!おもしろい!
 おまけに、巻末にデッサンや習作を含むイラストがカラーで7ページにわたって収録されています。
 連載マンガのカラーから、裸婦デッサン、動物、ブルース・リーとかの有名人の似顔絵、童話のためのイラスト、自動車。とにかくみんなうまいー!ほんとなんでも描ける方だったんだなあと。

 カバーの折り返しに経歴があります。

<1928年(昭和3年)1月14日、福岡県北九州市に生まれる。門司商業5年のとき甲種予科練習生に合格し、松山練習航空隊に入隊。終戦後、新九州新聞社に入社。勤務のかたわら絵物語、4コマ作品を描く。1957(昭和32)年9月に上京。翌年「冒険王」に連載した『ジャジャ馬くん』が大ヒット、一躍人気作家となる。その後、小学館漫画賞を受賞した『ストップ!兄ちゃん』、『ファイト先生』をはじめ、『KO小僧』、『イナズマ野郎』、『少年NO.1』、『リリーフさっちゃん』、『ばんざい探偵長』など、数々のヒット作を生み出す。2008年2月25日、永眠>

 私の両親より歳上の方で、正直今の若い方はほとんどご存じないと思います。
 でも、ご覧ください、このカヴァー。
 無論「世代」のギャップというのはぬぐえないでしょうが、これが死を目前の80歳のおじいさんの描いた絵でしょうか。

 マンガは気力体力が必要な仕事で、歳を取ると、疲れたからこんなもんでいいや、とか、オレは名人なんだからこれくらい流して描いてもいいんだもんね、みたいな、なんだか生気の抜けた適当な絵になっていく作家も少なくありませんが、
 関谷先生は違います。
 線の一本一本、一コマ一コマに愛と情熱を注ぎ、キャラクターも作品世界も、いやマンガそのものが大好きだあああという気持ちが伝わってくるような感じなのです。
 80歳を前にして、それってものすごいことですよ。
 つまりこれは、かつての売れっ子大家が、「昔はよかった」な思い出的過去の作品集を作った本ではなく、現在進行形で創作し続けている現役作家が、ほやほやの新作を描き上げた本なのです。


 巻末に寄稿された、いしかわじゅん、畑中純、夢枕獏、三先生がたのコメントから一部抜粋しますと

 「関谷ひさしの、世間的な全盛期は、ぼくの少年時代だろう」
 「当時はまだリアルという言葉は漫画になく、それらしいものが描けていればよかった。スポーツを描けばそれらしいユニフォームを着てそれらしいプレイをしていればよかった。メカを描けば、それに見えていればいいという程度だった」
 「関谷ひさしは違った」
 「’60年代の東京の物語なのに、凄い車がそのへんを走っている。オースチン・ヒーレーやら、トライアンフTR4やら、ジャガーEタイプやら、ベンツの古いロードスターやらが美しいデフォルメできちんと描かれている。おまけに、パトカーはちゃんと観音開きのクラウンだ。その上、造形が凄くカッコイイ。
 こういうことに神経を使うセンスというものが、残念ながら当時の漫画と漫画家には、あまりなかったし、読者の側にも評価するセンスがなかったのだ。ああもったいない。関谷ひさしは、それをカッコイイと思い、誰に気づかれなくとも手を抜くことなく描いていたのだ」
                           (いしかわじゅん)(以下引用部分敬称略)

 それって、早すぎた鳥山明?とか、ふと思ってしまった私(山本)です。
 鳥山先生の場合、それまでのマンガが「いいかげん」に描いていた「口の中」(笑)はじめ、自動車から靴など細かなコスチュームのすみずみまで神経を行き届かせたパイオニアの一人・・というか、それを世間も「すごい」と思って受け止めた、作家と読者の双方が幸せだったお一人だと思うのですが、
 それ以前に、同じようなことを人知れず、関谷先生はなさっていたということでしょうか。

 蛇足になりますが、不肖山本も、幼いころ、見よう見まねでカーアクションの落描きなどしていました。
 小学校低学年の子供のものとしては、いささか凝ったものでしたが(波打ち際を二台の車が波しぶきを上げながら疾走しつつ、乗った男たちが銃で撃ち合うという・・・)(笑)
 今回同書の巻末を見て、その参考にしていた車の元絵は、どうも関谷先生の描かれたものだったんじゃないかと(笑)。
 無論ぜーんぜん似ても似つかないへたっぴな子供のラクガキでした!ただ、うまいものを見分ける目だけはありましたから、子供心にこれはすごい!って直感的にわかってたんじゃないかと思うのでした。
 それはさておき
 いしかわ先生のコメントの続きですが

 「長いキャリアの漫画家はいる。しかし、だんだん絵は枯れていって、最晩年にはほとんど描けなくなる。そういうものなのだ」
 「それなのに、関谷ひさしの絵は、いつまで経っても現役の絵なのだ。
 これは、ありえない。とんでもないことなのだ」
 「描線に、力がある。細部にまで神経の行き届いた美しい絵だ。主役のキャラは可愛く、お笑い担当は面白い。女の子は可憐で、悪役は憎々しい。さすがに4段のコマ割りは今時ちょっと古臭く、構図も昔の漫画の構図のままだが、絵柄の魅力がそれを補って余りある」
                                 (いしかわじゅん)

 同感です。
 ついでに私の感想を加えますとと、せりふが生きててテンポがいい!
 ぽんぽんと気持ちよく、言葉のキャッチボールが繰り広げられ、それが読むのに勢いをくれます。

 夢枕獏先生は、『東天の獅子』の打ち合わせで双葉社に出向かれたとき、この原稿をご覧になったそうです。

 「『でも、関谷さんて、まだご存命だったんですか』
 『今年(2008年・山本/注)の春、80歳で亡くなられました。この新作は、亡くなる直前まで、10年間、毎日少しずつ描きためていたものです。完成させて亡くなられました』」
 「『凄いですね、前よりうまくなってるんじゃありませんか』
 『本当にマンガを描くのが好きだったんですね』
 本になる予定のないマンガを、10年、こつこつと描く。描き続ける。死ぬぎりぎりまで描いて、死ぬ直前にそれが完成した。
 ぼくも書き手として、死ぬ時はかくありたいと思う」
                          (夢枕獏)

 私(山本)も同感です;
 畑中純先生のコメントでは、関谷先生は、この『侍っ子』の刊行を見ずに亡くなられたそうです。

「仕事机の横のテレビの前のソファを背にして、一服つけて、さあ仕事だ、といった体勢だった、と息子さんが言っておられた。タバコをくわえた所で、永遠の眠りについたそうだ」
                           (畑中純)

 ああ、これぞ大往生!
 マンガ家あこがれの人生かも;
 
 関谷先生、最後までいっぱいいっぱい楽しませてくださり、本当にありがとうございました。
 先生を手本と励ましに、自分も及ばすながら、生ある限り勤めたいと思います。
 彼岸でお会いできることあらば、またじかにお礼を申し上げたいものです。
 合掌・・・・・


追記
 巻末の遺稿デッサンの中に、この『侍っ子』の次の作品のラフスケッチがあります。
 現代を舞台の探偵モノ。
 「ペン入れを始めたところで中断している。全体の構成は不明である」
 ああ、残念。見たかったなあ・・・;
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