あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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徒労
徒労の鳥
 昔、人の奢りで出かけたレストランで写したスナップ。
 池のほとりで、どこからか飛来した鳥がじーっと魚を狙ってるんですが
 ご覧の通りでかい鯉しかいないもんで
 いっこうに釣果があがらないまま、時は流れて行きました。
 私たちは一時間以上メシ食ってたんですが、とうとう一匹も獲れませんでした。
 鳥さん、生活かかってるのはわかるけど、いい加減あきらめて場所を変えなよって思いました。

 って、ああっ!
 長たらしいヘヴィな記事をアップしたあとは、なんか軽い話をって思ったけど書きかけの記事は長いのばっかで、仕方なくこんなスナップでお茶濁しですうううう!!!;
心の「ゴミおじさん」にならないこと
 「ゴミおじさん」とか「ゴミおばさん」と呼ばれる人がいます。
 自分のうちの周りにいっぱいゴミを積み上げて、悪臭や害虫や鼠などが住み着いて、近所迷惑はなはだしい人です。

 それはまあ物質的な話ですが
 精神的にもそういうタイプ(そういう状態にある方、と言うべきでしょう。人は常に変わり続けるものです)の方がおいでです。

 以前ある場所で、複数の同業者と話をする機会がありました。
 隣に座った方が、マンガ界のある問題について、問題意識を持っておいでなようでした。私もそこは重要な点だと思っていましたので、どんなご意見をお持ちだろうとお話をうかがってみました。
 でも、何も出てきませんでした。
 とりあえずほかにしようがないんでこうしてる、という現在の立ち位置以外は、延々と

 「今時の若い者はなっていない、使えない、信用できない、自分が若かったころはああではなかった」

 という話を一時間以上していられました。
 そう聞くと、なんだか年寄りのマンガ家のグチ話みたいですが、そうじゃなくて
 私よりずっとお若い、30代の方でした。

 私としては、いくら若い方を責めても、悪口を言っても状況は変わらないし、若い方も変わらない。
 いやそもそも世の中ピンキリで、ひとくくりに「今時の若い者」などと言えるものではなく、まともな方はまともだし、今時の年寄りの壊れっぷりを見れば人のことなど言えないものです。

 今年50歳になる私(山本)が1977年に上京したころは、自分のアパートに電話を(ケータイなどありません、固定電話です)持ってる人は、生活に余裕のある少数派でした。
 同じアパートの先輩に電話を貸してもらって電話代を置いてきたりしたものですが
 そんな話を、国民大半がケータイを持つ21世紀の若い人にしても、寝言ですよね。
 今の30代の方が、20代の方に
 「オレの若いころは」
 と言うのも、距離感こそ違いますがそれと五十歩百歩ではないでしょうか。
 過ぎ去った時代は戻りませんし、変わった人のあり方も元には戻りません。
 
 そんな空しいことに費やすエネルギーがあったら、自分が何ができるかを考えればいいと思うし、そうしてるんですが。
 問題を解決したい人と、問題を集めたい人の違い。
 そこの違いかと思います。

 私も若いころはそこがわからなくて、問題意識を持つことと、問題をコレクションすることをごっちゃにしてました。
 テレビの討論番組だの「あおり」的なニュース報道、はては友人間のゴシップに、怒ったり文句を言ったりしてましたが
 そういうことは、ただ「乗せられている」だけであって、自分がなすべきことは他にあると気づいたものです。

 汚い皿を片付けるには皿を集めなきゃ、それが当然だろう?
 と一見スジの通ったような理屈を言って、自分の周りにいっぱい汚い皿を積み上げている人がいたら、おかしいですよね。臭いし汚いし、そんな人間には近づきたくないと思うでしょう。
 皿を集め続ける前に、まず手近な皿から洗ったらどうでしょう。
 手近な皿が片付いてから次の皿を集めてくればいいわけです。

 酒場でくだまいて、延々他人の悪口や世の中を呪ってるうるさいおやじと、実は五十歩百歩の精神状態で、問題を解決するのではなく、ただ問題を探して並べ立てることが生きがいになっている方が、世の中にはかなり(無論このネットの世界にも)おいでです。
 ブログを見ても、こんなハラの立つことがあった、とか、こんなムカつく事件が、とか
 そんなことばかりアップされているものがありますが、まるで有害電磁波を放射してる危険地帯みたいで、そっとその場を遠ざかります。


 世の不正、差別、不善、悪は
 おそらく幾たび生まれ変わろうとあるでしょう。
 困った人は職場にも学校にも家族にも、次々現れるかもしれません。
 奴隷制は廃止されても奴隷のような条件で働かされる人はいます。
 それが世界です。
 だからといって、すべてを改善していく努力は惜しみませんが。

 人間は苦労し成長するものですが
 世界は次々新入生が送り込まれてくる学校のような場所で
 一歩一歩悟りに近づく人もいて、せっかく少し住みやすいきれいな水になったと思ったそばから、
 ひたすら混乱してはた迷惑な新入生が、後から後から入学してきます。浄化するそばから汚れ水を継ぎ足される水槽のようなものです(新入生全員がそうだというのではありません)。
 その人々を呪おうと馬鹿にしようと、状況は一歩も変わりません。
 いや、その人々を否定するのは、過去の愚かだった自分(程度こそ違え今も愚かなんですけど)を否定するようなもので、はしごの下の段を否定して上の段だけ求めるようなものだと私は思います。

 政治が気に入らなければ選挙に行けばいい。
 貧しい人が気の毒なら、自分で寄付をすればいい(寄付は金持ちの特権ではありません。貧しい人こそ貧しい人の痛みがわかるわけで、震災など災害時には金持ちでない人がいっぱい、なけなしのお金を寄付されます)。無論ただ「援助」するばかりが能ではないし、かえって逆効果の場合もあるわけですが、それはまた別の話です。
 放置できない不正があれば、しかるべきところに訴えればいい。
 誰も手を貸してくれないなら、自分や共感する仲間と何か運動を起こせばいい。
 悪口を言って何もしないくらい、人生の無駄はないと思います。
 身の回りや世の中の、あら捜しをしてるだけで、何も解決しない人は、いわば精神の「ゴミおじさん」(「ゴミおばさん」)です。

 そういう方にはそういう方の事情がおありなのでしょうし、自分もそういう状態だった時代はあります。
 だから否定するつもりはありません。
 すごく苦しく辛い状況で出口が見えない。今ある自分のあり方も変えられない(その何割かは「変えられない」のではなく、今の自分のあり方を「変えたくない」だけだったりするんですが)。だから今はグチるしかない。
 その苦しみは経験があります。同じことを私もしました。
 だからと言って、当時の自分と同じ状態に戻って、賛同する気は毛頭ないし、たきつけるような相槌を打つ気もありません。
 話しを聞いた後は、黙ってその場を去るだけです。
 いつの日かまた、お互い建設的に語り合えるときがあるでしょう。

 誤解のないように申し上げますが、上記の同業者の方が「ゴミおじさん」だというのではありません。
 ただ、そういう状態がいくつもかさなって慢性化し、その人の生きるスタイルとして定着してしまうと、「ゴミおじさん」(「ゴミおばさん」)化する危険性があります。


 人は恐れたり憎んでいるものを自分に引きつける、と言います。
 いつも何かにおびえておどおど生きていると、かえってイジメの対象になったり。
 その辺は動物も人間も似たようなもので、「いじめないで光線」を発しているのは、「いじめて光線」を発しているのと実は同じことなのです(だからその人が悪いとかいう意味ではありません。あくまで力学的な仕組みの話です)。
 犬など、群れにそういう固体がいると、何匹もがよってたかって攻撃し、フクロにします。

 A国は悪い国で平和の敵だ!と、一生懸命悪口を言って、バカにしたり蔑んだりしていても、それでA国が「改心」したりはしません。もっとムキになって愛国国防の名の下に軍備を拡張したりします。
 テロリストを殲滅しようと爆弾の雨を降らせても、いつまでたっても戦争は終わらず、テロリストはのうのうと逃げ延びて増殖し、罪もない一般市民が殺され、恨みを買って自国の同胞(恋人や家族)まで巻き添えになったりします。

 世界はただ敵意と問題ばかりだ!と怒り嘆いて暮らしていると、世界は次々に問題と敵意を投げてよこします。自分が変わらない限り、この構図は変わらないでしょう。

 別に愚かなお人よしなって、誰でも信じて詐欺に合いましょうという意味ではありません。
 そこに過剰な感情を発生させずに、できることをする、ということです。
 できないことはできないのですから、怒ろうと泣こうと何も変わりません。
 「ああ、泣いててもちっとも幸せにならねえ!」
 と、どうしても泣き続けられない私、という話を以前書いたと思いますが(笑
 「あいつが憎い、許せない」も「自分はかわいそう」も、同じコインの表と裏です。
 人間である以上、様々な感情は生きている限りわきおこりますが、それらに巻き込まれてもてあそばれることなく、浮かんだ泡は流れ、消え去るにまかせて、
 そこで自分が今できることをするのが吉かと♪

 何かネガティブな精神状態になったら
 自分は今、心の「ゴミおじさん」化してないか?と、見直してみるようにしています。 
山本流作画術/光線技
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ
 上はBbmf社ケータイ配信漫画『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ(と言ってもケータイでご覧なる場合はページは関係ないかもですね。あくまで単行本など紙媒体にした場合のページということですが)完成稿です。
 女神アヌンガと魔神ジャガンブウの戦いです。
 これを作成するのに、私は以下のような二枚の原画を描き、それぞれをスキャンしてパソコン内で合成します(使用ソフトはフォトショップCS)。
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ原画A
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ原画B
 フキダシや擬音が別の原稿になっていて、自由に移動させたり調整が可能です(海外翻訳版などの際も対応がラクです♪)。
 もう一つ、背後の建物や爆発、ビームなどが別の絵(パソコン内部で加工する際は「別レイヤー」と言います)にしてあるのがお分かりいただけるかと存じます。
 完成稿のクローズアップがこれですが
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ部分A
 光線の原画の拡大をご覧ください。
 すみに角度の数値がメモしてあります。
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ原画B部分
 これは、三本の光線に、それぞれどの角度で加工をほどこすかの数値です。
 手描きのままでは硬くて、イマイチ光の感じが出ませんので、これをフォトショップのフィルタの「ぼかし(移動)」を使って、にじませる際、どの角度で移動ぼかしをかけるかの数値です。
 そうして出来上がったのが下の図です。
『戦闘女神アヌンガ』16話13ページ部分B
 手間はかかりますが、加工しないのとしたのでは明らかに印象が異なりますし、可能な範囲で、この種の工夫は惜しまないよう、日々試行錯誤しております。
なにげに しろさん
巧馬とオラニャン
般若顔のしろさん
 拙著『戦闘女神アヌンガ』で、ヒロインのアンヌが主人公の巧馬(たくま)のマンションに持ち込んだ三匹の猫、ニャンベ、オラニャン、ニャンコポン通称オニャンコポンズのうち
 般若顔のオラニャンが、だんだん我が家の通い猫、ガンタレおやじ猫のしろさん化しつつあります。
 一巻のあとがきにも書きましたとおり、三匹の名前はアフリカの神話伝説の神さまや英雄からとったもので、オラニャンはヨルバ族の伝説の初代王オドゥドゥワの息子で、偉大な戦士の名前なんですが。

 先日の日記「しろさん、おひさです♪」にも書いたとおり、しろさんもなかなか戦士なようです(笑)

 上の画像は14話の最後のページですが、巧馬に抱かれるオラニャンの目元が、なにげにしろさんであるのがおわかりいただけますでしょうか(笑)。
 毛色はしろさんと異なりますが、顔立ちというか目元は元々しろさんモデルで、最近の原稿では作者がしろさんになじんだせいか、もっとしろさん化が進行しております。
 その辺はまた後日お目にかけたいと思います。
 ではではまた~~♪
「被害者」になること≠「被害者」であり続けること
 昔から思うことで
 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます)
 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。

 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて
 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている
 ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。
 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。
 
 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依存しあって離れないケースなど、それがもう一歩進んだ(悪化した)例で、その場合もはやどっちが加害者でどっちが被害者か卵と鶏と化しているような・・・(親子関係の場合、最初の一手は原則「親」なんでしょうが、泥沼化した戦争といっしょで、長期に渡ると最近の一手はもはやどっちもどっち、みたいな)。
 需要と供給が合ってるんならいいじゃないかとはけして言えないことは、そういう人間関係がどういう末路をたどるか、ネットやテレビや新聞のニュースをひもとけば、だいたい察しはつくのですが。


 私が乗る自動車が砂漠でクラッシュしたとします。
 道路からはずれた砂漠の真っ只中。他の車もやってきません。
 法定速度(そんなものがあったとしてですが)も守り、しらふで、安全運転だったけど突然車が大破してしまった。
 運良く私は助かりました。
 骨も内臓も無事で、動くことも出来ます。
 けれど精神的には大層ショックを受けました。ケータイも壊れ、どこにも連絡はとれません。
 クラッシュの原因はわかりません。
 整備師の責任でしょうか、自動車を作った自動車会社の責任でしょうか。それとも気づかなかった私のミスでしょうか。もしかしたらテロかもしれません。くわしいことは調査を待たなければわかりません。でも、私のせいではないように思えます。
 さて、私は、このクラッシュは自分のせいではないから、誰かが私の面倒を見てくれるべきであると、その場に坐って何もしないでいるでしょうか。
 私が砂漠の真ん中で立ち往生していることは、誰も知りません。
 飛行機の墜落のように、すぐ救援はやってきません。ヘタに動かないでいることが最良とは言えない状況にあります。
 日光は照りつけ、夜は凍える寒さが襲ってきます。
 その場にとどまれば、ただ乾き飢え凍えていくばかりです。
 誰のせいでこうなったかは、無事町に戻ってから考えることにして、まずはどこかオアシスや連絡可能な人家を探して歩き始めるでしょう。

 でも、歩き始めない人がいます。
 事故現場まで、奇特にも水と食料と毛布まで運んでくれる人がいたりすると
 もうその場から動かない人がいます。
 一生誰かのせいにして(「私は無罪」を「免罪符」にして)事故現場で暮らすつもりのようです。

 さてこの人は「被害者」でしょうか。
 事故が起こった瞬間、その人に罪は無いと言う点で、確かに「被害者」であったかもしれません。
 しかし、「今も被害者であり続ける」こととは別の話です。過去に「被害者であった」ことは事実でも、その後「被害者であり続ける」ことは、その人が自分で選んだ道であり、誰かが押し付けたものではありません。
 その人が望んで「被害者であること」に「とどまって」いるのです。

 人は瞬間瞬間に、次の人生を、自分の歩む道を選んでいます。
 一瞬前に何があろうと、その次の一瞬を選ぶのは自分です。
 ひどいイジメや犯罪に巻き込まれ「被害者」となるかも知れませんが、次になにをするかは自分の選択です。

 以前の記事でも触れましたが、精神の病を大雑把に分けると二つのタイプがあるようです。
 なんでもかんでも自分が悪いと自己嫌悪に陥る「神経症」タイプ。時にはそれで自殺さえします。
 反対に、なんでもかんでも自分以外の他人が悪いと他人を非難攻撃して被害者モードに陥る「人格障害」タイプ。
 永遠の被害者で居続けようというのは、この後者に分類されるでしょう。

 疾病利得(しっぺいりとく)という言葉があります。
 病気になることで、その患者が得られる利益のことです。
 他人から同情される、世話を焼いてもらえる、注目される、仕事や勉強をしないでいい、色々あります。
 いわゆる仮病やミュンヒハウゼン症候群ではなく、一種の心身症として、本当に体がそういう症状を作り出すこともあります。
 私自身、時々現れる身体の不調の何割かは、そうした心身症の一種であると思っていますし、今こういう不調が現れているのは本当に器質的に何か問題が在るのか、何か眼の前の問題から逃げようとして潜在意識と肉体が作り出している一時的な症状なのか、よく見直してみるようにします。
 自分自身の体の声を聞くことはとても大切なことです。

 この「疾病利得」と同様に「被害者利得」とでもいうべきものがあって、それを握り締めている人がいます。
 周囲の人も迷惑ですが、何よりその本人が、自分の人生を食いつぶしています。
 もったいないとは思うのですが、本人が好きで選んだ道である以上、他人は変えることが出来ません。
 できるのは本人の変わろうと思う意思だけです。
 変わることができないのではなくて、変わりたくない、変わろうと思わないケースが少なくないように思います。

 自分の親戚にもそういう人がいましたし、友人や知り合いの方のご家族にも、似たような例があります。
 いつか時が満ちて、ご本人も周りの人も、すかっと気持ちのいい一歩が踏み出せるといいなあと願うものです。


追記
 誤解の無いように補足しておきますが、世の中には本当に傷つき疲れて一時的に動けなくなっておいでの方も確かに存在します。
 傍目にはヘタレの能無し、ダメ人間の烙印を押されてたりしますが、
 そういう人は、ちょっと復活のための休息中なだけです。
 言うなれば「タメ」の状態。
 ジャンプする前にしゃがむ、発勁する前に蓄勁する、あの「タメ」、「タメを作る」の「タメ」です。

 『三年寝太郎』という民話がありますが、ちょうどあんな感じで、長いこと何も出来ない「ダメ人間」と思われていた人が、実はただ動けなかっただけの「タメ人間」で、動き始めると自分などよりずっと優れた才能の持ち主だったというようなケースを、人生で眼にしたことが実際にあります。
 無論、いきなり動いても体も心も固まってて、少々ウォーミングアップが必要な場合もありますが
 マジでこんなすごい人だったのかというケースがあります。
 だから、人間簡単に人の真価など見抜けるもんじゃないなと;

 「ダメ人間」と「タメ人間」の区別は、なかなかつけるの難しいです;

追記2
 もう一歩踏み込んで言うなら、今生で目覚めなくても次の人生で、という場合も考えられますが(そういう荒唐無稽な話は信じないといわれる方も少なくないでしょうが)(笑)
 そこまで行かぬまでも、不治の病で余命いくばくもないという状態で、目ウロコなさる方も実際いられます(最近もそういうケースを見聞きしたところです)。
 人間最後までわかりません。
 そういう意味で「死火山などない、すべては休火山に過ぎない」というように、世に本当の意味で「ダメ人間」などとレッテルを貼れる人はおらず、すべては「タメ人間」であるとも言えるかと思います。
コメント不能について・続報
先日来のコメント不能症状について、FC2ブログの事務局?に出した問い合わせのお返事をいただきました。以下のとおりです。


FC2ユーザーサポート○○と申します。いつもFC2をご利用頂きありがとうございます。 大変ご不便をおかけしまして、誠に申し訳ございません。

 お問い合わせの件につきましてこちらでInternetExplorer7で管理画面内・ブログを確認しましたところ「在宅バイト」「在宅ホスト」の両方を禁止ワードとして設定しましたが(この二つの単語は私(山本)が管理画面から入ってコメントしようとしたらはじかれた時のこのブログの登録禁止キーワードです。その後削除しました)正常にコメント送信が可能でございました。 禁止ワード内に、他に何か文章を入れていたなど心当たりはございませんでしょうか(ないですby山本)。また、禁止IPが影響している可能性もございます(アクセス禁止IPリストはいじらなくても、コメントできるようになりました)。

どうしても投稿できない場合にはおそらく、古い画面情報(キャッシュ)が残っている可能性がありますので管理画面からログアウトをしているかご確認頂きお手数ですが、下記に説明することをご確認頂けますでしょうか。(いや、私がコメントできないだけじゃなくてお客様がコメントできないんですけどby山本)

1)ブラウザーのセキュリティはどうなっていますでしょうか? ツール→インターネットオプション→詳細設定のタブをクリックセキュリティにあるSSL2.0 SSL3.0、TLS 1.0 PCT 1.0 使用するにチェックが入っていますでしょうか?チェックが入っていなければ、入れてご確認ください。(WinXPにはPCT1.0はありませんのでチェックする必要はありません。)

2)ご利用のパソコンでJavaScriptが有効になっているかを確認してください。 ▽自分のパソコンの状態をチェックするサイト
  http://web-shake.jp/javascript.html

3)アクティブスクリプトを有効にしてください。
  http://homepage2.nifty.com/waterworks/activescript.htm

4)クッキーを削除してください。
  http://blog.fc2.com/browser.html#q2

5)クッキーを有効にしてください。
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6)ブラウザのプライバシーの設定が 中-高 以下で設定をお願いします。「ツール」→「インターネットオプション」→「プライバシー」

7)キャッシュの削除を行ってください。
  http://blog.fc2.com/browser.html#q0

8)セキュリティソフトなどが動いておりますとブラウザの機能を一部制限したりする場合があり、正常でないことも考えられますので、そちらを一時的にオフにしてご確認ください。

9)パソコンの日時時刻設定やタイムゾーンが異なっているとご利用に支障がある場合があります。パソコンの日時時刻設定が正しいかをご確認下さい。 その他ご利用のパソコンの環境設定を整えるには、こちらもご参照下さい。
  http://blog.fc2.com/browser.html

以上、今後ともFC2をよろしくお願い致します。



 うーん、この1~9を試してる余裕は今無いんですが、たぶん関係ないんじゃないかと;
 でも翌日返信くださったFC2ブログ事務局のサービスさまには感謝です。
 言われなきコメント拒否に逢われて、ご不快な思いをなさったお客様には、心よりお詫び申しあげます。
 また再発しないとも限りませんので、私も定期的にテストコメントをして、トラブル発生に目を光らせたいと思います。
 どうかよろしくお願いします。
禁止キーワード変!
 コメント書き込みやっぱおかしいです!
 さっき私がお客様のコメントに返信さしあげようと打ち込んだら「禁止キーワードがあります」になって書き込めませんでした。
 内容は以下の通りです。
「なるほど、画像認証ですか。うちのもセットできるのかなあ、ちょっと調べてみますね。
でも確かに外国の方には使えないシステムかも???そこは躊躇しますね。
情報ありがとうございました」
 どこに禁止キーワードがあるんでしょうか?
 ちなみに、そのとき「禁止キーワード」の登録は「在宅バイト」一件のみでした。
 んで、こいつも削除してみたら書き込めました。
 なんだこいつ?
 あとでFC2ブログの事務局に問い合わせてみます。
 これじゃお客様もコメントされる意欲をなくされますよね。ご不快な思いをされた方、まことに申し訳ありません。私にも理由がわかりません。何か当方の理解を超えた大元のバグのように思います。
 また詳しいことが解りましたらお知らせ申し上げます。
 

 なお、左の「リンク」の一番上に、私のサイトの掲示板「あつじ屋仮設掲示板」のURLを貼っておきました。何かコメントできなくておっしゃりたいことがおありの方は、こちらにいただいてもけっこうです。管理人あてメールいただくのも可能です。
 どうかよろしくお願いします。

追記
 FC2ブログの事務局に問い合わせメールを送信しました。
 なんらかの回答があるか待ってみます。
ハイエナのような奴と呼ばれたい♪
 弱肉強食は世界の掟だ。
 人様にひどいことをして、踏みつけにしておいて、こううそぶく人が時々いますが
 ご存知の方も多いと思いますが、野生動物の世界は、けして弱肉強食だけがルールではありません。
 棲み分けなど、色々な智慧を使って無用な争いを避けて暮らしています(ただ、食べない個体は殺さないてのは嘘で、食べる必要の無い固体もけっこう殺します。一種のトレーニングも兼ねた、攻撃本能の発露でしょうか)。
 何十年も前からわかっていることで(動物学者たちも言っています)いまだに動物たちが、最強王座決定戦をやりながら暮らしてるだけの単純素朴なルールしかないと思っている人は、前世紀の知識と言うか、己の殺生な行いの言い訳に、あえて現実から目をそむけ、知識のアップデートをしない人ではないかと思うものです。

 それはさておき

 先日、某局の動物ドキュメンタリー番組でハイエナたちの生活を見ていて感激したんですが
 ハイエナというといまだに死肉漁りのキモい連中といった根強い偏見にさらされている生き物です。
 動物モノに興味ない方のために、少しだけ申し上げますと、ハイエナはけして人の食べ残し、上前ばかりハネて暮らしてるわけではなく、自分たちで狩りもします。むしろライオンがその食べ残しを横取りしてたりさえします。
 サバンナではライオンに次ぐ大きな肉食獣です。
 ぱっと見、犬みたいですが、実物はちょっとした子牛みたいなサイズで、その辺の犬なんか相手になりません。
 そういえば昔、鳥羽水族館で生まれて初めてラッコの実物を見たとき、テレビで見る愛らしい小柄なイメージとは異なる巨大なデッキブラシのようなサイズに、仰天した覚えがあります。
 きっと一般の方もハイエナを近くでナマでご覧になれば、そのイメージの違いに仰天なさるのではないかと(笑)。

 それはさておき、その動物番組。
 何に感激したかと言うとハイエナの暮らしぶり。

 まず彼ら彼女ら、女権社会なんです。
 交尾をオスが迫っても拒否権はメスにあり。
 種族の繁栄のために子を産むメスが優遇されてます。

 出産中のメスの横で、仲間が巣穴を掘ってあげてたりする。
 ナーバスになったメスが吠えかかっても、はいはいって感じでケンカもせずにその場を去ります。

 もっと驚いたのは、その福祉っぷりとでも言うんでしょうか
 アフリカのサバンナなどと言うと、傷ついたり障害を負った生き物なんかソッコー生存競争から脱落、死亡というイメージがありますよね。
 そうでなくても、厳しい野生動物の社会、群れの中では差別され以前の地位からは追われ飢えることになるだろうと。
 しかし、そうじゃないようです。
 人間の罠で足を失ったりして、いわゆる「障害者」いや「障害ハイエナ」になった固体も、健常ハイエナだったときの地位を追われることなく、獲物の分け前にあずかることができる。
 「おめー狩り参加してねーじゃん、食うなよ」
 とか言うやついないみたいです。仲良くみんなで食べてました。

 ・・・・・・・・。


 動物の行動をそのまま短絡的に擬人化するわけにはいかないのですが
 それにしても

 万物の霊長を自称しているどこかの種族は、少し考えた方がいいんじゃないかって思わされました。
 元々嫌いじゃない生き物だったハイエナですが、なんかファンになっちゃいました♪ではでは。
とりあえず
書き込めないというお客様のコメントをいただきましたので、試しに一回禁止ワードを白紙にしてみました。
これでも無理なら何かサーバートラブルです(実は20日の朝方しばらく管理画面に入れませんでした)。
 私も試しにコメント書きこんでみます。お手数かけてすみません。


追記
 私は無事に書き込めたようです。
思いやり小考
 思いやりとは何かということを、考えさせられることがあります。
 犯罪報道とそれに関連した人々の声。
 犯罪者の権利ばかり守られて被害者のフォローがいい加減にされる世の中への憤りとか、色々あるのはわかります。
 理不尽な目に逢われた被害者、あるいはそのお身内の方々が、嘆き怒り、我を忘れられるのは当然なのですが、問題なのは外野の無関係な人々で(厳密にはこの世はすべて関連があるので「無関係」ということは言えないんですが、そういう視点の話ではなく)
 ただ尻馬に乗って騒ぎたいだけとしか思えない方々も、よく見かけます。
 持って回った話をするより、この件について、非常にうまいこと言った友人がいるので、彼の言葉を引用します。

 私のサイト
「あつじ屋」
 の「雑文」コーナーで昔、「戦えX君」という記事をいくつか書きましたが、X君というのは私の昔のアシスタントさんで、空手の心得があり、心優しき正義感です(今は青年でなく、すでにおっさんですが)(笑)。
 困っている人や不正、弱い者いじめなどを見ると、積極的に助ける人でした。
 彼が、その種の問題についてこんなことを言ったことがあります。

 「自分も自分の恋人とか肉親とか、愛する人が殺されたり、ひどい目に逢えば、逆上してまともな精神状態ではいられないでしょう。何を言うか(加害者への復讐を含め)どんなことをするかわからない。
 でも、被害者の気持ちを考えるということと、部外者がいっしょになって、ふつうの精神状態でいられない被害者、当事者と同じような精神状態になるのは、別だと思います。
 よく、自分がそんな目にあったら、そんなキレイゴトは言えないはずだとか言う人がいますが、そりゃそうです。その時は自分も自分をを見失うでしょうから。
 だからと言って、部外者が同じように自分を見失った言動をして、どうするんでしょうか」

 まったくそのとおりで。
 思いやりや、その人の心情に共感すると言うことと、怒りや悲しみに我を忘れている人とイコールになることは別のことです。
 哀しみ怒りの真っ只中にいられる当事者(被害者やそのお身内)の方に、正論を吐いても届かない、今はそういう時期ではないということはあります。ものごとにはTPOというものがあります。
 が
 部外者は別。

 誰の言葉だったか忘れましたが、自分が不幸な人と身も心も同じようになるというのは、思いやりでもなんでもない、ただこの世に同じような不幸な人がもう一人増えるだけだ、というのがありました。まったくそうだと思います。
 本当の愛情や思いやりは、傷ついた人がどうすれば癒され幸せになれるか、その方向に向かって手助けすることで、心身ともに同じ状態になることではないでしょう。
 私は誰にもそういうことを望みませんし、誰かから望まれてもそういう要求には応えられません。
 とりわけ、傷ついた人が憎んでいる相手を、いっしょになって憎んだり罵倒したりするという「敵を共有する」形での共感はいっさいできません(この辺の気持ちは、以前アップしました祖母の話「アガペー/お婆ちゃんの愛」をお読みいただければ、なんとなくご理解いただけるかと思います。自分の息子を殺した相手も憎まない。その上誰を憎み誰を敵にしろと誰が言えるのでしょうか)。
 世の中には反省も良心もない危険な犯罪者も確かに存在しますし、そういう人間を人権の名の下に無罪にし、世の中に出していいとは思いません。社会の安全は保たれるべきですし、更生不能な人物は適正に処理されるべきだと思います。ただ、それと、そういう人物を敵視することはまた別のことです。
 ゆるすことや敵視しないことと、見てみぬふりをして野放しにすることは、まったく別であるというのは、誤解のないようくり返し申し上げておきたいと思います。

 話を聞くことは大切です。
 とりわけ男性は、人から悩みを打ち明けられると、話を聞いて共感することよりも、つい性急に問題解決の答えを語ろうとしがちだと言いますが、答えが欲しいのではなくて話を聞いて欲しいだけの相手には、かえって不快な思いをさせたりもするようです(私も何度か失敗した覚えがあります。逆にそういう思いをさせられたこともあります)。
 ただ「思いやり」とネガティブな一体感、共振は別物で、後者は自分も人も世界もけして豊かにも幸せにもしないと思うものです。

 自分だって、同じような目に逢えば、キレイゴトは言ってられない、どうなるかわからない。
 でも、いっしょになって取り乱してくれとはけして他人に願わない、そういうこともしたくない、というX君の姿勢に
 いたく感銘、共感したものでした。
 以下同文と私も思います。

 痛みや苦しみの拡大再生産ではなく、本当の意味での癒しと解消を模索したいと、いつも思っています。
しろさん、おひさです♪
しろさん200901a
しろさん200901b
しろさん200901c
 我が家への「通い猫」のしろさん、今年も健在です♪
 元日早々、どこかの猫と激しく一戦交えたらしく、血だらけで現れたときは驚きました。
 足とかざっくりやられて、点々と地面に血がしたたってました(私のマンガのヒロインみたいです!でもしろさんは去勢オスです。ニューハーフ戦士か!でも一枚目のカットでもおわかりのとおり、『Mr.ボーイ』みたいな美形じゃなくて、思い切り「んでよ~~」なガラの悪いオヤジです。でもオシッコするときは女の子姿勢)。
 私とつまが近所のお店でもらって来た箱を組み合わせフリースをしきつめ、カイロを入れて準備したしろさん専用休憩所(ホワイトハウスと呼んでます)から、その日は一晩中出てきませんでした。
 ごはんも食べに来ないので、夜中、小皿に入れた猫ビッケを箱の前まで持って行きました。
「ルームサービスです」
 しろさん、顔だけ出してがつがつ食べ、また中で寝てました。
 すげーのは、翌日ほぼ復活して元気に現れたことです。
 不死身なところも私のマンガのヒロインみたいです(だからオヤジだって)。

 ライバル猫がホワイトハウスの前にオシッコして行ったときは、さすがにめげて、私のバイクのシートの上に上がってぶうたれてました(三枚目のカット)。
 あんまりケンカしたらいかんよ~~と、ゴハンあげながらなでました。
 最近は無傷で現れます。
 停戦協定が成立したんでしょうか。
 ヤバイ区域に近づかないんでしょうか。
 それとも相手を殲滅したんでしょうか。
 みんななかよく共存して欲しいです。

 今年も元気なしろさんでした♪
禁止ワードを少し緩和;
 ブログをやってますと、しつこいエロ勧誘の業者コメントが絶えないです。
 禁止ワード(オ●ニーとか)を追加していくと、いつの間にか増えちゃって
 昨夜は、昔からのまじめなネットのお知り合いからメールをいただき、書き込もうとしたら禁止ワードにひっかかって書き込めませんでした、とのこと。
 それは申し訳ないので、すこし「ブラックリスト」の単語リストを見直し、何点か一般のコメントでもかぶりそうな単語を削除しました。
 お手数かけます。これからもどうかよろしくお願いします。
四本腕
アヌンガ×ミュランバ1
アヌンガ×ミュランバ2
アヌンガ×ミュランバ3
 E.R.バローズはアメリカの有名なSF小説家です。
 ご存知ない方でも、あの『ターザン』の作者であると言えば、「ふーん」くらいには思っていただけるかも。
 私の原典の一つであり、その辺は私のサイト「あつじ屋」の雑文で、昔述べたことがあります(過激だったころの文章で、今読むといささか不穏当な表現もあります、あしからず)。

 んで、話は飛びますが
 最近Bbmf社のケータイ配信マンガ『戦闘女神アヌンガ』で、四本腕の女魔神を出したんですが、描きながら、ふと
 バローズの火星シリーズの緑色人のデザインを思い出しました。
 緑色人は四本腕で武勇にすぐれています。顔立ちは人間とはいささか異なり、目も飛び出しているんですが
 バローズは何をモチーフにあのデザインをしたのかなあと。

 ちなみに四本腕はインドの神様などにも多く見られるもので、近くは日本の密教の神々(それもインドに起源を持つものが多くあります)にもあります。

 私がアヌンガで登場させた魔神ミュランバは、蟻をベースに人型を作っています。それゆえ、なんとなく外骨格系のデザインが入っています(あくまで「なんちゃって外骨格」ですが)(笑)(人間のような内骨格だと、実は4本腕はけっこう難しいんですよね)
 蛇足ですが、ミュランバの名前の半分は、ギリシャ神話の蟻人間「ミュルミドーン」から取っています。

 バローズの緑色人も蟻とか昆虫?とか思ったのですが、目のデザインを思うと、カニとか海老とかいった甲殻類かもとBBSのお客様よりご指摘をいただきました。言われてみるとそうかもですね。


 アヌンガとミュランバの殺陣では、せっかくのデザインを活かし、四本腕ならではの殺陣を構成してみました。
 この種の怪人怪物は、マンガや映画で多く見てきましたが、その利便性?を活かした殺陣というものをほとんど見たことがなく、ただやみくもに振り回していたり、せっかくの2本多い有利さをまったく活用していないものがほとんど。
 アヌンガは武術マンガではありませんから、あまり厳密なことは申しませんが、そっち方面の知識を活かして、多少なりともリアルなアクションをお見せできればと思っております。

 画像1~3枚目がアヌンガの18話。
 4枚目が私がイラストを担当しました岩崎書店版『火星のプリンセス』の緑色人です。
火星シリーズの緑色人
描きかけ原稿は放さない(マンガ家心得)
 友人のマンガ科講師から聞いた話ですが
 教えてる生徒さんが、描きかけ原稿を盗まれたそうで
 どこで盗まれたかと言うと、秋葉原でバッグに入れて公衆トイレの鏡のとこに置いて、トイレ(女性なのでつまり個室ですね)に入ってる間に、なんとバッグから抜かれていたという・・・
 ほんまかいなと思うような話ですが、天下のアキバならありえない話でもないでしょう。
 えらいしょげてた(半べそ状態だった)そうですが
 その生徒さんのうかつさを指摘するのは誰でもできますが(心中お察し申し上げます。めげないで新たな原稿に向かわれますよう)
 人のふり見てなんとやらです。

 私は昔から大の心配性なこともあって、その辺はとても神経質に予防策を講じています(って、できることはタカが知れてるんですけども)。

 まず、執筆中の描きかけ原稿は、可能な限り身近に置く。

 アナログ原稿の段階であれば、家から出る際はコピーを持って出ますし、デジタル処理中であれば、CD-RWなどに入れたデータをウエストバッグに入れます。それは歩いて数分の近所の買い物のときでもです。
 手提げなどに入れておいて、ファミレスなんかで身から放してうっかり、とかしないように、最悪、食事中に火事とかテロとかあって、あわてて逃げなければならなくなっても「うっかり持ってくるのを忘れ」たりしないように、身につけておく。
 寝るときは枕元に置いて、とっさに掴んで逃げられるようにしておく。

 パソコン作業中のデータは外付けハードディスクと作業中のパソコン両方にデータを保存しておく。その上で記録したCD-RWなんかを持ってでかける。出先でそれを紛失しても、留守中家に置いたパソコンやハードディスクが火事や災害で破壊されても、どちらかデータが残る。
 ネット経由でデータを送れる方はそれもありでしょう。

 私みたいに遅筆で、一日に1~2ページ描くのがやっとな人間は、10枚とか原稿が消えて描きなおすとなると、マジしゃれになりません。
 何か不幸が起こっても嘆かず前向きにできることをするのは原則ですが、それとなんの手立ても講じないのは別問題です。
 できる限りの手は打った上で、それでもカヴァーできなかった不幸には、めげずに進むのが原則かと。

 あんまりマンガ家以外の方には関係ない話かもですが
 マンガ家志望の方は、それくらいの心がけ
 殺し屋が寝るときも銃を放さないくらいのノリで、考えておかれるのもよろしいかと存じます♪
 以上中年マンガ家の老婆心からアップしました。ではでは

追記
 お子さんがおいでのマンガ家さんからアドバイスをいただきました。
 原稿のいらなくなったコピーの裏がもったいないとメモ用紙に使ってると、子どもが判断つかなくてナマ原稿の裏にもラクガキ。マジックが表に透けてエライことに(泣く泣く修正)なるそうです。
 子持ちのマンガ家さんは気をつけないとですねー!;
かわいい石像♪
虚空蔵菩薩と丑寅の石像
石像左
石像右
石像右2
石像右3
 先日、伊勢原の山中に緑色の怪光線が、という日記を書きましたが(笑
 あの写真の向かいの山にあるお寺の境内に、虚空蔵菩薩が祀られていて、その両脇にかわいい石像があります。
 虚空蔵菩薩は丑寅の守り本尊なので、石像はそれぞれウシとトラなんですが
 像自体もかわいいんですが、信者の方かお寺の方か存じませんが、どなたかがその首に、おそらく手作り?と思われるマフラーやレイのようなものを巻かれていて、これがなんとも微笑ましい。
 秋に通りかかったときはなかったという友人の証言がありますので、冬寒くなって巻かれたんですね(もしかして初詣にそなえてのオメカシ?)。
 そばに置かれたお賽銭のサイズと比較してもお解りいただけるかと思うのですが、いずれの像もネコくらいの大きさで、だもんでトラなんかほんとに猫みたい。なんだか抱きしめたくなるくらいです。
 ウシのマフラーもトラの花輪?も、愛があってうれしいです♪
 私は虚空蔵菩薩さまに詣でたわけではなく、ただの通りすがりだったのですが、新春早々暖かい気持ちにさせていただきました。

 蛇足ですが、ふもとのバス停にはこんな看板があります。
 まだまだ自然が豊かです♪
バス停の看板
猫at江ノ島大師
猫at江ノ島大師1
猫at江ノ島大師2
 昨年、江ノ島大師に行ったとき、見かけた猫です。
 秋の日差しが気持ちの良い日で、売店の片隅でうとうとしてました♪
 お目汚しにどうぞ~♪
『夢のカルテ』ジリアン・ホロウェイ著
『夢のカルテ』
『夢のカルテ』 ジリアン・ホロウェイ・著/柏倉美穂・訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン・刊

 同書の解説によると、著者のジリアン・ホロウェイ博士は、
<文学博士号、心理学博士号を持ち、夢の専門家として、夢を理解し、積極的に活用する研究や実践に取り組んでいる>
<現在アメリカ太平洋岸北西部に住み、メリルハースト大学で夢の心理学と直感について教える一方、個人的な夢の研究会も主催>
<2004年には太平洋岸北西部地区夢研究会を主催。トランスパーソナル心理学協会の会員でもある。彼女のホームページは、夢研究の情報源として高く評価されている>
 etc・・・・。

 というわけで、これは「夢占い」ではなく「夢分析」「夢解釈」の本です。
 博士が長年にわたって集めた膨大な夢の情報を元に、様々なタイプの夢の意味を解説しています。
 どこから読んでも興味深く、気の向いたときに好きなとこだけ読めるのも気楽でいいです。
 私は学者ではないので、ホロウェイ博士の分析の信頼度がどれくらいかはわかりません。
 ただ一点、大変驚いた一致がありまして

 私は2007年の春に「義父に関する正夢」という記事を書きました。
 恣意的解釈もへったくれもない、そのものズバリの予告夢(義父が急死した日の朝に、義父の死亡通知を受け取る夢)だったんですが
 興味深いのはそれといっしょに見たもう一つの夢。
 日記にも書いたとおり、目覚めたときは、義父に関する夢は本題ではなく、てっきりそっちが本題だと思ったくらいインパクトの強い夢でした。
 それは世界が崩壊する夢です。

 日本なのか外国なのか、今なのか未来なのか、あるいは遠い過去なのか、その辺のところはわかりません。
 フルカラーのハリウッドSF映画みたいな(長さと言うか見ごたえもそれくらい)ボリュームで、私はなんだか世界を破滅させないためにあれこれ働いている人々の一人で、別にアクションとかはないんですが、とにかく巨大な工場みたいな中とか、あちこち駆け回ってたりします。
 一方で世界の崩壊に拍車をかけている勢力もあって、互いにしのぎを削ってるぽいんですが
 結局、苦労は実を結ばず、クライマックスで世界崩壊が始まります。

 新宿副都心クラスかもっとでかいビル群が一斉に傾いて海中に没していくんですが、私はなぜかビルの外と中との両方の視点を持っていて、屋上に置かれた細かな物体や貯水タンク?かなにかが、斜めになった屋根を転がり、手すりを突破して落下していくのを、ロングと、ビル内から窓の外を見るカットで眺めます。
 本当ならば手に汗握るシーンなのですが、私は最初から最後まで落ち着いて淡々とすべてを眺めています。
 「こんなに危ういもの(海?)の上に世界が成り立っていたなんて」
 と泣き叫ぶ誰かの声が聞こえるのですが
 「そうか(その人は)そんなことも知らずに暮らしていたのか」
 と思いながら、なんら動揺することもなく、聞いています。

 すべてが終わって、シーンは飛んで、私は衛星軌道上の宇宙ステーションのターミナルのような場所にいます。
 服装は平服だったような気がします。
 背広?を着た同い年くらい?の男性が
 「山本さんじゃありませんか」
 みたいな感じで話しかけてきます。
 「私は次は○○に行くことになりまして」
 と成田の乗り換え便の話でもするように言います。私(山本)はその人といっしょには行かないようです。なんだか残るような感じもあるんですが、その辺は覚えていません。
 最後に、なにか宇宙船の窓のような所から、私は外の宇宙を眺めながら
 「また一人になったな」
 みたいなことを言って、さて次は何をするのだろうと思いながら夢は終わります。


 それがどうしたと思われるでしょうが、
 ホロウェイ博士のこの本で見ると
「世界が終わる夢」
 の項にこんな興味深い下りがあります。

<CASE 24 世界が終わる夢
 ついに世界が終わる日が来た!
 誰もがパニックになり、泣き叫びながら、
 逃げ場のない地獄の中を必死になって逃げ回ります。
 あなたも逃げようともがきますが、「もうダメだ!」という気持ちが募ってきます。
 死ぬ前に、せめて、家族や友だちに会いたい。
 ほとんど何もできないもどかしさと、瞬く間に世界が一変してしまった恐怖が、あなたの心を引き裂きます。

夢診断
 大切なものを失ってしまったのではありませんか?
 
 この夢は、あなたの人生の基盤をゆるがすできごとを表しています。多くの場合、親や配偶者との死別です。親子や夫婦の関係は日常生活の土台であり、将来の計画を立てるときの基盤だからです。生活に起こった変化のために、あなたの世界観までガラリと変わってしまったように思われるでしょう。
 これまでのあなたの人生がどんなものであれ、それが変わってしまった。もう二度と元には戻らない。ちょうど、あなたはそんな体験をした直後なのかもしれません。
 あなたの体験が、そのように激しく動揺させるようなものではなかったとしても、心はその変化を人生の一時期が終わったしるしとして受け止めているのです>

 いかがでしょう?
 私はこのホロウェイ博士の「「診断」には驚きました。
<世界が終わる夢>は<多くの場合、親や配偶者との死別です>。
 そのものズバリではありませんか。
 私(山本)は自己の生死も、愛するものとの死別も、世界の崩壊さえも淡々と執着しないで生きることを近年信条としています。愛することと執着することは別だからです。
 博士が言うような、パニック、嘆きは、そういうわけで夢の中にはまったく自分のこととしては登場しません(誰かの声が私の「投影」である可能性はありますけど)。
 破滅の最中もあとも、夢の中でも私はずっと穏やかです。
 しかし、実生活において、長きに渡りこの上もなく世話になった義父を失った喪失感というのは、単純な喜怒哀楽では表せないものがあります。
 ホロウェイ博士は言います。

<あなたの体験が、そのように激しく動揺させるようなものではなかったとしても、心はその変化を人生の一時期が終わったしるしとして受け止めているのです>

 そのとおりだと思います。
 あの日を境に私は、義父とのかけがえのない交流を失いました。
 先日も、義母はじめ妻の一家と新年の会食をし、楽しく語らいながら、昔はここに義父がいたのになあとしみじみ思いました。
 血を分けた肉親でもない私に対して、生前義父が示してくれた厚意は、言葉では言い尽くせないものがあります。死後もずっと、義父を忘れた日はありません。就寝前に、一日をすべてに感謝するとき、必ず思い浮かべ敬意をこめて挨拶します。

 ホロウェイ博士は、上記の記事に続けて「助言」を述べています。

<あなたが体験した変化が、どれほど深いものかがわかれば、今途方に暮れ、鬱々としていても、心のぬくもりを忘れずにいられるでしょう。この闇のあとには、きっとすぐに新しい始まりの光が見えることもわかるでしょう。最良の方法は、あなた自身をあたたかく慰め、急がなくてもいいと認めてあげることです。
 この方法は時間がかかります。変化を受け入れ、まったく新しい状況に合わせて、自分を変えていくのですから。
 できる限りでかまいません、なくしたものへの哀しみも含め、時間の流れをありのままに受け入れましょう。この変化に呆然としているあなたの傷ついた心を、穏やかに、優しく見守ってください。
 おいしい物を食べ、ゆっくり休み、頼りになる友だちに会う・・・。何か気晴らしになることをやってみるのです。やがて、この「終わり」を抜け、人生の新たな段階に入ることができるでしょう。
 無理に抜け出そう、毅然と振る舞おうと意気込まないこと。愛情を持って「今」を通り抜けてください。そうすれば、再びあなたの人生は生き生きと輝き始め、次の章が始まることを教えてくれるでしょう>

 そのとおりだと思います。
 これまでも幾度も言葉を代えて語ってきましたが、人はその表面、肉体にせよ心にせよ、は傷つくことがいくらもあります。事故に逢えば負傷し、愛するものを失えば心が凹みひび割れます。
 でも、その奥底に、そういう外的な何物にも影響されない、ゆるぎない「私」があります。
 自分をそこに置いて世界を見れば、何も恐れることはありません。
 でも傷ついた肉体を癒すのに、一定の時が必要なように、傷ついた心にもまた時がいるのでしょう。

 話がいささか横道にそれましたが、同書には、いわゆる予知夢とか、科学ではまだ解明しきれていない特殊な夢についても言及している章があります。「心霊的な夢」と言うタイトルになっていますが、テレパシーとか予知とかのそれです。天使が登場する夢とかも。
 あくまでメインは学術的な内容ですが、博士はそういうものも否定せず、解説の対象にしています。

 ちなみに、「身近な人に起きるできごとを体験する夢」は<身近な人のトラブルや体験を暗示>するケースが多いようです(その点も私の夢は当たっていますね)。

 てなわけで、私の義父に関する夢は、予知夢でもあり、一見無関係に見えた「併映」のスペクタクル巨編の夢が、実は義父の死亡通知の夢と同じく<親や配偶者との死別>を暗示するものであったことが、同書を読んで得心がいきました。

 まだ全部は目を通していないのですが、書店から消える前に、早めにレビューをアップしたくてアップしました(笑
 興味深い一冊です。ではでは。
伊勢原ギャオス
伊勢原怪光(笑
伊勢原怪光(部分)
伊勢原の山に沈む太陽
 先日、伊勢原でロケハン中、不思議なスナップが撮れました。
 山の向こうに沈む太陽を写したカット。
 山肌の林に怪しい緑色の光が(1枚目)。
 長いことカメラを使ってきましたが、こんなカットは初めてです。無論こんな光源はありません。
 かと言って怪奇現象というでもなく、おそらく西日がレンズに反射したかなんかで、こういう具合になったのでしょうが、
 1枚目がトリミングなしのカット。
 2枚目が部分のアップ。
 3枚目は、別のカットで、太陽の光が緑色の光点として映っています(よくあることです)。
 1枚目の怪光も、同じ色ですから、なんらかの別バージョンなんでしょうが、しかしこのシルエットは何?おそらく上の光っている空を180度回転させたものですね。芸コマで、木々の枝の隙間から光が漏れてるような効果になっています。
 使用カメラは愛用のデジカメ、ニコンD40と付属の広角ズーム。
 カメラに詳しい方、こういう効果ってポピュラーなもんなんでしょうか。

 40年前の自分に見せたら、絶対山腹にギャオスの巣があると思ったことでしょう(笑
 ではでは。
過去にはこだわりません
過去にはこだわりません
 ある町のレンタルショップで見かけて、吹いてしまったDVD展示です。
 明らかに「棚」が間違ってるんですが
 額面どおり受け取ると、『不夜城』的ノワール作品で始まり、最後は涙と笑いの人情ドラマでハッピーエンド。いいなあ、この殺伐としたしんどいご時世に最高だよ!

<捨て去った過去が覚醒する!
 仲間たちと詐欺をして小銭を稼ぐ男が目撃した拉致事件。政治がらみのその事件が原因で次々に消される仲間たち・・・。すべてを失った男が復讐を胸に巨大な闇に立ち向かう!
 笑顔で生きんしゃい。>

 ・・・・・・・・・・・・。

 イントロとクライマックスにかなりな断絶があるようですが、まあ確かに人生の極意です。
 人も騙したかもしれん。
 友達も殺されたかもしれん。
 けど昔のことは忘れんしゃい。
 過去にはこだわらんでよか。
 笑顔で生きんしゃい。

 生きるよ婆ちゃん!
 今年も前向きだああ!!♪

 遅い初詣の帰りにいいもん見せてもらいました。
 こんくらいハラくくってないと、このご時世に生きられないかも(笑
 ツタヤさん、今年もよろしくお願いします! 

追記
 解釈によっては、笑顔で殺しまくるアブナイ狂気の復讐男の可能性も。
 それは待て。
人それぞれのサバンナ
 先日、養老先生の出てるアフリカのドキュメンタリーを見てたら
 サバンナだったか、ものすごく多くの種類の生き物が存在してる理由は、彼らの身体構造の多様性のおかげというような意味のナレーションが流れてて
 うんうんそうだよね
 世界の多様性はそれで支えられてるんだから
 食い物一つとっても、肉しか食わないやつ、植物しか食わないやつ、アフリカじゃないけどコアラみたいにユーカリの葉っぱしか食わないやつ、などなど・・・彼らがみんな、たった一種類の食い物を奪い合ってたら、とてもあんな多様性は維持できないわなあ
 なーんて思ってたら、ふっと

 そうか、これだけ世界に多様な考えの人間が存在してるのも、思考と精神の「構造と機能の違い」だよなって思いました(あたりまえなんですが改めて)。

 ○○しか食わない(食えない)ってことは、○○以外は消化する能力が無いってことなんですよね。
 「真」「善」「美」とかいったテーマを消化できない人もいっぱいいて、なんであんなひどい犯罪が行えるのかとか、なんでいつまでもあんなとこで引っかかってるのかとか
 理解できないケースがいっぱいですが
 ある意味、そういう人たちは、世界にいくらでもある建設的な手がかりとなる情報を「消化できない」のかもしれないと。
 だからってそういう人々に賛成するわけでも、犯罪者を野放しにしようというのでは断じてないですが
 ちょびっと理解の手がかりになるような気がします。

 色んな情報が得たくても得ることができなかった昔と違って、今は望めばいくらでも探せます。
 情報が多すぎてどれを選んでいいかわからないという説もありますが、ネットの検索機能などを使えば、求める心とある程度の頭脳があれば、いくらでも「自分で探して」手に入れられます(無論、あるラインから先は、実地でネット外の世界で動かないと無理ですが)。
 探さないのは個人の勝手です。
 でもいくら手に入れられても「消化できない」んじゃ仕方ないですよね。

 私も人生で、どうしてあの人はこんな道理がわからないのか
 なぜあんなに愚かなのか
 などなど「???」に思う人と出会って来ましたが
 どちらが正しいかという問題は置くとして、要するに

 「消化できる情報が異なる」人間だったんですね。


 「どうしておまえらは笹が食えないんだ」
 ってパンダに迫られても困りますよね(笑)
 
 ただ人の精神や頭脳は、何かの積み重ねで、あるとき劇的に変わることがありますから、生物の身体構造とまんま重ねて考えることはできません。
 鬼のような極悪人が、ある出来事で180度改心するという奇蹟のようなケースもまれにあります。
 いずれも時が満ちる必要がありますが

 笹しか食えない心の人や、ユーカリの葉っぱしか食えない心の人のことも
 生暖かい目で見守る心のゆとりが必要なのかもしれません(でもパンダやコアラみたいにかわいくないんだよなー人間)(爆
 いや、そもそも人様がどんなであろうと、私が裁く資格も能力もないんですけどね。
 心の中の「イラっくま」をなだめる手がかりにはなるかと思いました;

追記
 養老先生が言われるには、アフリカみたいにでっかい生物が居る所には、実はすっごくちっちゃい生物もいるんだそうです。それもまた多様性ですね。
 人間にも(内面的に)すっごく大きい人とちっちゃい人がいるのになぞらえて、考えてしまいました。

 あとですね
 何かをバランスよく消化するのに微生物の助けがいるように
 自分もいろんな他の存在の助けがあって、情報を「消化」できてるんだと思います。感謝です♪
『青春少年マガジン1978~1983』
『青春少年マガジン1978~1983』
『青春少年マガジン1978~1983』小林まこと・著/講談社

 2008年11月7日の日記でも取り上げました、マンガ家小林まこと先生の自伝的作品です。
 暮れに購入し、仕事の合間に手に取ったら、あっと言う間に引き込まれて全部読み終えてしまいました(巻末の付録はまだですが本編は読了)。

 すごいです。
 全盛期の少年マンガをささえたトップのマンガ家がどんな修羅場、地獄を生き抜いてきたか、その片鱗が垣間見えます。片鱗だけでもすごいです。私のようなヘタレマンガ家とは(当然ですが)次元が違います。
 マンガ家というと、色々世間では誤解がまかり通っていて、実際以上に気の毒な商売と思っておいでの方から、実際以上に気楽で甘い汁を吸ってやがる商売だとお思いの方まで、実に様々ですが
 そういう方に、その実情の断片なりともご理解いただく資料にもなるかと思います。
 気楽にうまいことやって甘い汁が吸えるほど、甘い世界ではありません(一瞬宝くじに当たったように、そういう「瞬間」がある作家も中にはおいででしょうが、それはあっと言う間に消える泡沫社長みたいなものだと思います)。

 私もこれでも30年、それなりに苦労も辛酸も味わってきたつもりですが、次に眠れるのは5日後だななどという地獄は味わったことはありません。

 以前の日記でも書いたかもですが、小林先生のデビューされたのは私と同じ1978年でした。
 100万円の賞金を取った作家ということもあり、うらやましいなあと誌面を眺めた覚えがあります(笑)。いや、それだけのものをもらって当然の実力差がありましたから、何も私ごときがうらやむ資格はないんですが、当時十代の小僧だった私はそう思うしかありませんでした。
 当時の100万円というと、貧乏学生には夢のような金額でした(あ、今でもか)(笑)。

 この本で語られる小林先生の青春時代は、そのまま日本マンガ界の全盛期、ローマ帝国華やかなりしころという感じです。ローマに例えるならば、今はかつての帝国の栄光は過ぎ去り、東西ローマに分裂したたそがれの時代でしょうか。いや、ローマは東ローマ、神聖ローマではなく西ローマ帝国で終わりであるという説もあり、そういう意味ではすでに終わっている(か、終わりつつある)のかも知れません。
 昨2008年から、その流れは顕著になり(世間的にはまだ知られていませんが、業界内部でははっきりとしています)、今年はもっと明確な形をとっていくと思われます。もっとも、マンガ界は逆に、分裂ではなく統合(複数の会社が生き残りをかけて)の時代に差し掛かっているとも言えますけど。

 ただ、一つだけ確かなのは、娯楽というものが多様化し、若い読者の意識が変わってしまった21世紀の今日、かつてのような栄光の日々が復活することはおそらくないということです。

 かつてテレビが普及する以前、日本映画にも栄光の時代がありました(私は物心ついてなくて実体験はありません)。作れば売れるという時代がありました。無論その中にもヒットと不入りの違いはあったわけですが、それでも「景気の良かった時代」でした。今となっては夢のような話ですが、小林先生の語られる1978~1983年のマンガ界は、ちょうどそんな頃だったように思います(無論小林先生は、その粗製濫造組ではなく、傑作を生み出した上澄みの方々なわけですが)。

 ケータイやオンラインゲーム(無料の!)の普及によって、子どもたちは、昔のように少年少女マンガに血道を上げることはなくなりました。とりわけ無料オンラインゲーム(無料なのは入り口だけであって、一度入ってしまえばアバターその他の関連でいくらでも金は必要なシステムになっているようですが)や、ネットのおかげで、娯楽や情報に代価を払うという意識が薄くなってきていると聞きます。
 何やら、有料の映画が無料のテレビにとって代わられた、昭和30年代を思い浮かべます。
 それはある種の産業革命に匹敵する効果を生むものだと思います(ポジティブな効果にせよネガティブな効果にせよ)。
 本当は真に価値ある情報を得るには、今も変わらず代価が必要なのですが、そこまで突っ込んで考える人は少数なのかも知れません。

 私は、おかげさまで昨年よりケータイ配信のマンガを描かせていただいております。
 まだまだマンガの媒体としては過渡期であり、試行錯誤の最中ですが、ケータイが廃れることは当面ありえないと思われ、今後のマンガの普及には欠かせないものだと思われます。

 いずれこの激動?の時代も、笑って語られる昔話になるのでしょうが
 その時誰がどうなっているのか
 どこでどうしているのかは、すべては神の味噌汁です。
 せいぜいサバイバりたいと思います。

 話がいささか横道にそれましたが
 傑作『青春少年マガジン1978~1983』小林まこと・著/講談社
 を、どうかよろしくお願いします♪
謹画新年2009
2009年年賀状
 皆様あけましておめでとうございます。
 大晦日は仕事の手を止めて年賀状を作成してました。
 キャラは無論Bbmf社のケータイ配信マンガ『戦闘女神アヌンガ』からです(集英社「小説すばる」の『淡雪記』((挿絵))もよろしくお願いします)♪
 
 旧年中は色々とお世話になりました。
 皆様にとっても私にとっても、新たな一年が実り多い豊かな一年になりますように。
 本年もどうかよろしくお願いします♪
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