あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
200807<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>200809
YESかNOか、だけじゃない
 原則政治問題は取り上げないことにしている私の日記ですが(スレが荒れたりして泥沼になりますので。ちなみに、選挙にはきちんと行ってます)
 最近知り合いの方のブログで某国の大統領候補のお一人が、悪をどうするか?という問いに、やっつけますと完結に答えた対立候補とは対照的に、それは簡単に答えられる問題ではない、一方的な断罪は慎むべきであるという意味の回答を丁寧にしている場面(の翻訳)を目にしました。
 特定の政治家に肩入れすることは公開の場では控えていますが、その人物のその姿勢には大変好感を持ちました。

 世の中には、白黒はっきりつけないといけない場面も無論ありますし、はっきり一言で答えないといけない状況もありますが
 時として押し付けがましくその決断をせまることで、相手をやり込めたり追い込んだりすることがあります。
 これをお読みの方にも、実生活で、そういう目に逢われた方がきっとおられるのではないでしょうか。

「それって一言で答えられる問題じゃないんだけどなー」
 って思いながら、相手は「はっきり答えないのは優柔不断だ」「男らしくない」「逃げるな」とか色んなことを言って迫ってくる。
 親子の間で、学校で、職場で、そういうシーンを時々見ます。

 それについて、私は大変印象に残った記事があります。
 少し長いですがここに引用します。
 アーノルド・ミンデルの『24時間の明晰夢』(藤見幸雄/青木聡・訳 春秋社)からです。
 ミンデルは知る人ぞ知るプロセスワーク心理学の創始者でユング派の分析家です。好きな学者の一人なんですが、彼がある問題で訴訟を起こされ、裁判で苦しい立場におかれたときのこと。
 よくある法廷劇そのままに、「YESかNOか」と迫られて追い詰められて取った行動が、思わぬ結果を引き起こします。

    -------------------------------------------------

 相手側の弁護士は自分が訓練された通りの仕事を果たすべく、私に執拗に質問を浴びせた。私がいつも通りに事実とそれに対する気持ちを組み合わせながら答えはじめると、彼は「イエスかノーかで答えてください」と鋭く言った。
 私はすでに自分の弁護士からもイエスかノーかで答えるようにと同じ事を言われていた、と答えた。私は声に出して自分に問いかけた。なぜ私はイエスかノーで答えるようにという彼らの指示に従うことができないのだろうか?そのとき、カメラや陪審員の前に立たされて緊張しているにもかかわらず、瞳が熱く燃えているように感じて、しばらくまぶたを閉じなければならなかった。
 (中略)
 法廷の証人席に立ったときの宣誓の記憶が流れ込んできたのだ。
 (中略)
 「あなたはすべての真実を、ただ真実だけを語ることを神に誓いますか?」私は厳粛に「はい」と答えたことを思い出したのだ。

 今、力強い相手側の弁護士と向き合い、つるし上げられながら、この宣誓の記憶が暗闇にきらめく閃光のように突然現れたのである。彼が「イエスかノーかだけで答えたください」と要求を繰り返したとき、私は「すべての真実だけを語る」宣誓を守る義務があると答えた。彼が私に要求する「イエスかノーか」による答えは、すべての真実ではないと彼に告げ、そのことをわびた。私は、真実をすべて告げることは彼にとっては不適切な答えになるかもしれないが、けれども、それこそが真実であることを説明した。

 すると相手は私を自由に話させてくれた。私は、さまざまな考え、事実、そして気持ちを含む、すべての真実を話した。それは印象的な体験だった。私は、ゆっくりと、かつ明確に、彼が私を犯罪者に仕立て上げようとしており、それが彼の仕事であることは理解している、と筋道を立てて説明した。私は実際、彼が自分の仕事を非常に良くやっていると感じていた。心の中では、彼に対して敬服さえしていた。私は、彼のクライアントは彼の卓越した仕事を賞賛すべきだと言った。もし私の立場を弁護する味方を選ぶとすれば、彼が最適の弁護士かもしれないと考えた。しかし私はまた、自分の意見として、彼が推理小説を読みすぎているのではないか、と自分の心が言っているのも聞こえた。
 このとき、私は自分が勝ちつつあるように感じていることに気づいた。私は自分に自信を持ちはじめていた。
 (中略)
 そのとき私の心の中で何かが変化し、少なくともしばらくの間、謙虚な気持ちが戻ってきた。私は自分の満足だけではなく、彼の満足や、対立する相手との今後の友情にも関心がある、と自分が言っているのが聞こえた。心からそう思っていた。

 手短に言うと、対立する相手と彼らの弁護士は裁判から降りることを決め、すぐに和解の手続きに入っていったのだった。どうしたことか、相手側の弁護士は立場を転換し、私の味方をしはじめたように思われた。裁判の手続きが終了したとき、対立する相手と彼らの弁護士、エイミー(ミンデルのパートナー)と私は、みんなで手を握り合っていた。私たちは自然にどちらからともなく抱き合っていた。これは夢ではなかった。現実だった。コミュ二ティの感覚が生まれたのだ。最終的な和解が成立する前だったが、みんなが勝ったのである。

   --------------------------------------------

 みんなが勝ったのである、というミンデルの言葉が好きです。
 誰かが誰かを叩きのめして勝利するのではなく、自分も相手もともに活きる道を探す。
 いつもそううまくはいかないでしょうが
 そういう活路もあることを忘れないでいたいです。
天気予報当たんな~~い!!
 湘南は一日雨って前の日の天気予報で言ってたはずなのに
 うちはきのうは一日曇りのち晴れ!
 日暮れてやっと崩れてきたけど
 昼間暑くてクーラーがんがんでしたよー!

 んで今日は

 今日こそ朝から一日雨ってはずだったのに


 朝日がまぶしー!
 勘弁してー!

 もお全然あたらないよ天気予報;



 でも

 地方によっては大水で避難しておいでの方がいらっしゃるのに
 贅沢いってはいけませんね。


 夕べは一晩中雷雨で、一回はどこかに落雷して久々に停電しました。危なくてほとんどPC使えませんでした。
 先日は、耐雷サージタップに無停電電源装置までかましてた(うちもそうしてます)友人の漫画家さんちでPCが一台クラッシュしました。あの手の予防策も万能ではないようです。
 皆様もどうかご用心くださいー;
自分のことは他人事(ひとごと)と思え
 というのが私の座右の銘でして♪

 昔アシスタントさんと仕事してたころ(何度も日記にも書いてるとおり、ここ数年はアシスタントさんの代わりにパソコン使って一人で描いてます)
 徹夜で眠くてたまらない時とか
 眠気覚ましに色々なゲームをやりました。
 ゲームと言っても仕事しながらできる言葉だけのゲームです。

 その中に「しりとり」がありました。

「あつじ」→「ジンバブエ」→「えんがちょ」→「チョウザメ」・・・
 って、あれです。

 で、ですね。
 あがり症の私は、自分の番が回ってくると、何か思い浮かべなきゃって緊張して、リラックスしてれば浮かぶような単語が浮かんでこない。
 人の番で人がしゃべってるとき、考えてるときは
「あ、『る』だったら『るりかけす』」
 とか、すらすら浮かぶ。

 マインドに無用な力みがないからですね。
 で、思ったのが
 
「自分のことは他人事(ひとごと)と思え」

 無責任になるということではなく、そう思うことで自分の秘めた能力を十全に発揮して、きちんと責任も果たせるということです。

 確か宮本武蔵が、地面に書いた幅の細い線の上を歩くことは誰でもできるが、それが地上はるかな高さでも同じようにできる境地を目指せみたいなこと言ってましたが
 その感覚にも似ています。
 
 成功しなかったらどうしようとか失敗したら怖いようとか、他人事だと気にならない。
 自分ごとだと思うと心や体がすくんで、本来持っている能力も発揮できない。
 他人事だと思うとラクに生きれる。

 結果や生死も気にせず生きることの気楽さも、これの延長線上にあるかと思います。
 これは、ケツの穴の小さいという意味でのエゴを手放すことでもあり、人の立場に立って考えることにもつながります。

 若いころ気づいたことで、誰かが自分にひどいことを言ったりしたりしたことで怒ったり悲しんだりしたとき、ふと
 「○○のことなんか知ったこっちゃないよな」
 の
 「○○」に「自分」(私なら「山本」)を入れて考えてみる。
 すると
 「おお、そう考えてみるとあいつのオレにしたことも理解できるぞ!」
 ってことが何度もありました。
 だからって、迷惑をヘラヘラ受け続けるってことじゃないんですが
 とりあえず自分の利害と離れた視点でものが見れます。
 「○○のことなんか知ったこっちゃないよな」
 と誰かのことを考えたことのない人はほとんどいないでしょうから、この思考に自分を当てはめてみるのは簡単なことで、別にどこかで心の修行だの悟りだの開く苦労をしなくても、誰でもできる発想の転換ではないかと♪

 これも突き詰めていくと、すごく深い話になるんですが、今回は置きます。

 とりあえず日常的には適応する状況を選ぶと言いますか
 目の前に暴走する自動車が迫ってくるのに、他人事だと思って放置していたら死にますから
 他人事のように思いつつ自分ごととして対処するのがミソかと♪(いつもいつも成功するとは限りませんけど)


 しかし、徹夜仕事の「しりとり」はおもしろかったですねー。
 だいたいよく出る文字って偏ってるんで、だんだんネタがなくなってきます。
 「し」がくると、つい「しきもりいのすけ」になっちゃったりとか(笑
 最近は久々に友人の漫画家とスカイプしながらやってみました。けっこう体力使うんでたまにでいいです; 
しろさん負傷
しろさん負傷
 通い猫のしろさんが時々近所でケンカしてる声がします。
 無論ですが相手は猫です。
 最近ご飯を食べにきても、ぴりぴりと周囲を警戒していて落ち着きません。
 先日しろさんが帰ったあと、庭でカランと音がして、変質者とかだったらイヤなので二階から懐中電灯で照らしたら、たまに見かけるトラジマのにゃんこでした。
 その子と縄張り争いでもしてたんでしょうか。

 そしたらある日、しろさんがやってきて、見ると肩口にケガをしてます。
 この写真でも見えると思いますが
 人間サイズに換算すると直径数センチにもなるでしょうか。
 そんなあとが2~3個あって、痛々しい~~;

 でもなんだか落ち着いてて、安心したっぽく猫ビッケ食べてました。
 そしたら、つまが買い物に行く途中、道端で逢ったしろさんが、にゃーにゃー鳴きながらうれしそうに併走してきたそうで
 つまは
 「あれって『戦勝報告』だったんじゃない?」
 と。

 「おばさーん、勝ったよー!しろさんケンカ勝ったよー!」
 みたいな。
 うーんなるほど。
 猫エイズとか感染してないことを祈りますが、それならそれで運命でしょう。
 相手の猫さんもあまりケガとかしてないといいです。

 元気でいてねしろさん♪
雨でもしろさん♪
しろさんと私
 最近は湘南も雨続きですが
 雨だと野良さんはあまり出歩けない(猫は濡れるの嫌いな子が多い)んで
 さすがにしろさんも、そうそう姿を見せません。
 でも一昨日の夜中に、少し小降りな時間に、窓の外でいつもの鳴き声が。
「しろさんだよ~~、しろさんがきたよ~~、ごはんたべにきてやったよ~~」
 みたいな感じできゃーきゃー鳴いてます。
 つまと二人でドアを開けて、いつものモンプチゴールド(しろさんの好物)をあげて、濡れた背中をタオルで拭いてあげました。
 拭かれながらもくもくと食べ、途中でちょっとやめて、私とつまの足にごしごし体をこすりつけ(奴隷に臭いつけしてるんだなきっと)また食事を再開というのを二回くらいやって、2袋たいらげて行きました。

 昨夜は二回来ました。
 きょうは夕方つまが買い物に出るとき来ました。
 毎日ごはんをあげてるせいか、体がふっくらしてきたようです。
 土砂降り続きになると、来れないから、食べれるときにたんと食べて欲しいです♪
第47回日本SF大会/DAICON7
『火星のプリンセス』より/飛行艇
 修羅場中につき、用件のみにして失礼します。
 現在、大阪府岸和田市・波切ホール(南海本線岸和田駅下車)で開催中の第47回日本SF大会/DAICON7
 のSFアートギャラリーにて
 私の複製原画も展示されております。
 大会は8月23~24日です(もっと早く告知させていただけばよかった;)
 おでかけの方はご覧いただけますと幸いです。
 『戦闘女神アヌンガ』と岩崎書店版『火星のプリンセス』の複製原画をご覧いただけます。
 ではでは;
トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら
 人の罪や失敗をあげつらい、みんなでつるし上げて石を投げる(それは言葉の石であることもあれば、もっと具体的な石、物質的な石、行動、行為の石であることもあり、形にならない思いの石であったりもします)ことが、正義の名を借りた攻撃的ゲームになっているような昨今
 ゆるすことはますます
 世界の大きな課題になってきているように思います。

 小さくは家族や友人間で、大きくは社会や国家の間で
 ゆるさないことが、どれほど無用の呪いと憎しみと闘争を生み出しているか。

 悪を野放しにするという意味では無論なく、正すべきは正す。ただ、適正に処置することと、自分あるいは自分と同じ意見の人間が、悪と認定したものを攻撃して憂さを晴らしたりしないということです。

 
 ゆるすということは、私にとっても近年最大のテーマで
 あまりに深いテーマなので、何から語っていいのか迷いながら、アップしないままになってきましたが
 
 きょうは、概論でなく一つの具体例をアップしてみました。

 尊敬するガンジーの話です。引用した書籍(『南アフリカでのサッティヤグラーハの歴史1』M.K.ガーンディー著/田中敏雄・訳注/東洋文庫)ではガーンディーと表記されているのでここではガーンディーとします。
 ちなみに、ガーンディーを私は大いに尊敬しますが、そのすべてに賛成するわけではありません。
 彼もまた不完全な人間の一人でした。
 立場が変われば見解も変わり、不可蝕賤民の差別撤廃を目指して戦っていたアンベードカルなどからは、宿敵とも言うべき扱いをされました。そのことを取り上げて、ガーンディーをこき下ろす人もいますが、それは違うと思います。人間はオセロのコマの裏表のように、シロかクロか、善人か悪人かなどと判別できるものではありません。
 それはまた別の機会に取り上げたいと思います。
 

 話は、ガーーンディーが20世紀のはじめ、彼が南アフリカ(トランスヴァール政府)で当地のインド人社会のため、白人の人種差別政策に対して、非暴力不服従の運動を行っていたときのこと。
 
 大勢のインド人が住んでいるジャーミストンという所に、ラームスンダル・パンディットという一人の男がいました。パンディットというのは一種の敬称です(学識のあるバラモンへの敬称)。
 ガーーンディーは書いています。

「うわべは勇者のようで、口は達者でした。」
「あちこちで演説もしていました。威勢のいい演説ができました。」

 ジャーミストンの一部の悪意ある人々が、ラームスンダルの逮捕を当局にそそのかします。
 彼を逮捕すれば、インド人たちの士気をくじき、当局を恐れて、アジア人局(当地のインド人を管理している役所)に登録にやってこさせることができると。ガーンディーたちは、暗黒法と呼ばれた不当な差別的法律に基づく、インド人たちへの登録証交付と戦っていました。
 ラームスンダル・パンディットは逮捕されます。
 大騒ぎになりました。

「法廷でも、ラームスンダル・パンデイットはインド人社会の一代表であって一般の囚人ではないとのことで、特別扱いされました。」
「ラームスンダルは一か月の禁固刑を受けました。」

 監獄では特別待遇が与えられます。

「白人用監房が与えられました。面会はまったく自由でした。差し入れも許されていたので、インド人社会からすばらしい料理が毎日届けられていました。ほしいものは何でも叶えられていました。」

「判決を受け、監獄に入る日、インド人社会は盛大に祝ったのでした。失望する人は誰もいませんでした。それどころか意気は大いに揚がりました。何百人もが監獄に行こうとしていました。アジア人局の官吏たちの期待は実を結びませんでした。ジャーミストンのインド人も登録に行きませんでした。利益はインド人社会だけが受けたのです。」

 一か月後、ラームスンダルは釈放され、インド人社会に英雄として迎えられます。

「鳴り物入りで行進し」「威勢のいい演説が行われました。ラームスンダルはすっかり花輪で覆われてしまいました。奉仕員たちは、ラームスンダルに敬意を表し、祝宴を開催しました。何百人ものインド人が、我々も監獄に行っていたら、なんとよかったことかと思い、ラームスンダルを妬(ねた)むようになっていました。」

 しかし
 ラームスンダルは英雄ではありませんでした。ニセモノでした。

「ラームスンダルの勢いはニセの貞女のようでした。」
「外では無縁であった贅沢を監獄内では味わいました。ところが自由に歩きまわる、しかも道楽者にとっては、さまざまな上等な食べ物があっても、獄中の孤独や拘束は耐えられないものなのです。ラームスンダルにとっても同様でした。インド人社会や監獄当局者の十分な配慮にもかかわらず、獄中生活はつらいものに思えたのです。トランスヴァールとの闘争に最後の別れを告げ、どこかへ行ってしまいました。」

 政府の差別政策に対抗していた運動の英雄が、みんなから、祝われ、たたえられたあと、逃げ去ってしまったのです。今風に言うならヘタレだったわけです。
 そうなると、今でもネットやマスコミで、いや日常の生活でもあるように、それまであの人はすごいと言っていた人々の中から、知られざる過去というやつを暴く者が出てきました。
 実はあの人は昔こんな恥ずかしい経歴があってね、みたいな。

「ラームスンダル・パンディットの本来の姿が現れました。つまり、値打ちはまったくなくなりました。インド人社会はラームスンダルを忘れてしまいました。」

 ガーンディーたちの人種差別への運動は力を増して行きましたが

「ラームスンダルの例から教訓を得て、弱腰だった人たちは闘争から自分でこっそりと立ち去って行きました。」
「ラームスンダルは一人だけではありませんでした。ラームスンダルは何人もいました。しかし」

 とガーンディーは言います。

「私はそのことを見たのですが、すべてのラームスンダルが闘争に仕えたのです。」

 ヘタレだろうと偽善者だろうと、その人たちはその人たちなりに抵抗運動に貢献してくれたのだとガーンディーは語り、その人々を責めたり裏切り者扱いしませんでした。
 この後のガーンディーの言葉は、私の胸に強く響いたもので、今回何年ぶりかにこの本を引っ張り出して読み直しても、やはりこみ上げてくるものがあります。
 いささか長いですが引用します。

「読者の皆さん、ラームスンダルの欠点を見ないでください。この世で人間は不完全です。誰かの不完全さがとくに目立つと、私たちは指差して非難します。実を言うと、これは誤りです。ラームスンダルはなにもわざと弱者になったわけではありません。人間は自分の性質の方向を変えることはできますし、抑制することもできますが、それを根本的に変えることは、誰にできるでしょう?創造主は人間にそんな勝手なふるまいを許していません。」

「トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら、人間は自分の性質を変えられるかもしれません。逃亡しましたが、ラームスンダルは自分の弱さをどれほど後悔したことか、私たちにどうして分かるでしょう?あるいは逃亡こそが後悔を示す一つの強力な証拠とされないでしょうか?もし恥知らずであったなら、いったい逃亡する必要があったでしょうか?」

「登録証の交付を受けて暗黒法に従い、ずっと監獄とは無縁でいられたでしょうに。そればかりではありません。望むならアジア人局の手先となって、ほかの人たちを間違ったほうへ導くことだってできたでしょうに。さらに、政府のお気に入りになれたでしょうに。そうする代わりに、自分の弱さをインド人社会に示すことを恥じ入って、顔を隠してしまったのです。そしてそうすることでインド人社会に奉仕した、私たちはそんなふうに寛大に解釈できないでしょうか?」


 トラがもし毛皮の斑点を変えられるのなら

 この言葉には、私は本当に胸を打たれます。
 自分はこれまでの人生で、どれほど「トラ」に向かって(他の人々に向かって)、その「模様」を非難し、責め、それを変えろと迫ったことでしょう。
 時には自分の気分で、時には正義の名を借りて。
 それがどんなにむごいことか。

 また人生で幾度、人から、自分の体の模様を変えろと責められたことでしょう。
 これまでも、今この瞬間も、これからも
 世界中にそんな思いをしたりさせたりしている人々がいます。

 私はもうそんな殺生なゲームには参加したくありません。
 これまでの人生で、そうして悲しい思いをさせてしまった人たちに、本当に申し訳なく思います。
 誰かに迷惑だったり、人を傷つけたりする自分の欠点や過ちは改めるに越したことはないし、その努力は生涯惜しむものではありませんが
 変えられることと変えられないことを100%確実に、判別できる英知を私は持ちません。
 どうしても困ること、共同生活や作業で妨げになって放置できない何かは、変えてもらえないかと相談しますし、犯罪であれば法的な措置も考えます。
 しかしそれ以外の、独り決めの思い込みで
 誰かの変えようもない性質を責めたり笑ったり、裁いて許さないという、不毛の思い、ことば、行動
 すべてを放棄したいと思っています。

 蛇足を言うならば
 この世には奇蹟と呼ぶしかないようなこともままあります。
 強い思いが、人を別人のように変えることもあります。
 そういう例も見聞きしてきました。
 しかし、それには「時が満ちる」ことが必要であり、自分の勝手なシナリオを押し付けるわけにはいきません。
 トラはトラのまま、猫も猫のまま、犬も羊も鳥魚虫花すべてのものの
 その変えようにも変えられない姿を認め、敬意を払うことを忘れないでいければと思います。 

 あなたがあなたであるように
 私が私であるように
山本流作画術/海(ロング)
『戦闘女神アヌンガ』9話より
デリータートーンSE-260
 前回に引き続き
 CGカンタン作画術。
 今回は海です。それもロングで撮影した場合。
 画像は『戦闘女神アヌンガ』の第9話です。
 厳密にはもっと水平線に近いあたりは目が詰まって奥行きが必要なんですが、時間に余裕がない場合これでもなんとか形になります(限られた時間と労力で作画する必要性からできた技です)(笑)。

 ポイントはランダムな砂を散らした画像を作って、パソコンのフォトショップのフィルタの「ぼかし」「移動」で水平方向にぶらすだけです。
 場合によっては作成したレイヤーをコピーして重ねるのもいいでしょう。
 ランダムな砂画面は、金網をインクをつけた歯ブラシでこすったりして作成してもいいですし、簡単なところでは、デリーターのトーンSE-260がオススメです(画像は部分)。
 この手法は応用範囲が海以外にもたくさんあって、砂画面の白黒を反転して大きくぶらすと夜の場面の移動背景とか、放射状ズームでぼかせば爆発にも使えます。もっとありますが、それはまたの機会に。
 ではでは。

という記事をmixiでアップしたら、マイミクさまで、ご存知怪獣イラストの最高峰、開田裕治大先生から以下のコメントをいただきました♪

「ロングならこれで十分だと思いますが、少しワイド目に海面の奥行き感を出したいならば、移動フィルタをかけた後に、

砂目部分を選択>編集>変形>自由な形に

で選択領域の上を狭く、下を広く、縦横を圧縮させてやると海面にパースが付けられます。
変形の際、変形領域四隅の四角いポイントをコマンドキー(Macの場合)を押しながら変形させるとポイントを個別に移動変形させられます」

 わーい!
 おっしゃるとおり、もっと遠近感が強調される構図ですと、ただ左右に移動ぼかしをかけただけでは、奥行きが感じられない壁のような海になります。
 上記の作図法はあくまでロングで(カメラで言うなら望遠レンズぎみの)遠近感が気にならない画面に限定されます。
 開田先生情報ありがとうございましたー!!!♪

 しかし、こうして離れた作家さんからソッコーで貴重な情報が入手できるのは、本当にいい時代だと思います。
 一方で世界的には(いや日本でも)インターネットの利用できる人々とできない人々の間で、どんどん格差が(情報は力ですから)広がると言う問題もあって、ただ笑ってばかりもいられない面があります。
 ではではまたー♪
山本流作画術/爆発
 今回から、私のマンガの作画術でカテゴリ一項目追加しました。
 以前描いた同様の項目もいずれそちらに分類しなおします。

 今回は爆発です。
爆発元絵
 これが手描きの段階です。
 マンガに(それも昔ながらのアナログなスタイルの)詳しい方はご存知でしょうが
 この煙はタバコのフィルタにインクを(墨でも可)つけてポンポンと描いたもので、スパッタリングだかなんだかいう呼び方があります(詳しい名称は忘れました。どうでもいいので)(笑
 周囲の余白にある中学生が描いたみたいなギザギザは下絵ではなく、あとで背景の処理をほどこすための目安ラインで、清書の過程で消してしまうものですので、詳しい説明は省きます。

 ご覧いただくとおわかりになると思うのですが、タバコのフィルタ部分の紙が吸い口から数ミリのところではがされてます(カッターなんかで切れ目を入れます)。
 写真は途中までですが、本当はぐるり綺麗にはがします。
 で、インクをつけてぺたぺたやるんですが
 このフィルタ、すべてのタバコをためしたわけではありませんが、私の経験では昔からこの
 ハイライトが一番です。
 それ以外私は使いません。
 ちなみに私はタバコは吸いません(笑)。

 この絵をスキャンしてパソコンのフォトショップのフィルタ「ぼかし」→「放射状」→「ズーム」を使って処理し、周囲のはみ出しを消すとこんな爆発ができあがります。
爆発CG処理後
 昔CGなんかなかった時代は、最初のタバコフィルタで作った絵に、ペンで斜線を追加したりトーンを張ったりして仕上げていました。
 今はCGでこういう効果が出せますし。周囲はまた別の「おしゃれ」をして雰囲気を出します。
 フィルタで描いた絵にフィルタワーク、などとおやじ駄ジャレはともかく
 アナログとデジタルの融合でこんな作画もできるのでした。

 このタバコフィルタのぽんぽん作画は、爆発以外にも、立ち上る黒煙とか、たれこめる黒雲とか、心象風景をあらわすバックのどんよりとか、色々使い道があるんですよね。
 マンガ家目指しておられる方で興味を持たれた方は一度試してみられてはどうかと♪
 ただし使ったあとのタバコはもはやそのフィルタでは吸えません(爆

 あと、タバコの葉が反対側から原稿用紙にこぼれる場合もあるので、フィルタと反対側の端っこはセロテープで封をしておくと安心です(ますます吸えませんね)(笑)。


追記
 お客様から、この技法はスタンピングでスパッタリングは金網とブラシで作成する技法ではないかとのご指摘が♪あ、言われてみればそうだったような気がします。何しろ使えればいいんで名前なんかとうに記憶の彼方(そもそもこの技術習得したの30年近く昔)(爆
 ご指摘ありがとうございましたー♪

 ちなみにこの作画には、その「金網とブラシ」で作成する効果もこのあと使って完成原稿になってます。
 その辺はまた後日。

追記2
 私が昔手伝っていただいたことがある漫画家の田巻氏から
「手に入りにくいかもしれませんが「わかば」も同じ品質のフィルターです。
未だに190円という値段を維持してるのが嬉しいです」
 との情報をいただきました。
 こちらも感謝です♪
行ってみる他はない
ちょっとした勇気がなかったために、
多くの才能が失われている

毎日、臆病さゆえ、
最初の一歩の努力ができなかった
無名の男たちが
墓場に送られてゆく。
      シドニー・スミス


創造とは、子供の持つ抑えがたいエネルギーと、
それとは正反対の、おとなの持つ訓練された知性による道理が、
奇蹟的に合体したときに起こるものです
      ノーマン・ポドレーツ


人生は勇敢に立ち向かうべき冒険であるか、
さもなくば、
意味のないものかのどちらかです。

この世には確実に安全であるということはありません。
また人間の子供たちも常に安全であるというわけにはゆきません。

危険を回避することが、危険にさらすことより、より安全であるという保障は、
長い目で見たときには、あり得ません。
            ヘレン・ケラー



自分の限界がどこにあるか
発見するためには
自分の限界を超えて
不可能だと思われるところまで
行ってみる他はない
    アーサー・C・クラーク

   『人生を思いどおりに生きる知恵の言葉』(スーザン・ヘイワード=編/山川紘矢・亜希子=訳/PHP文庫)より
しろさん・いない
 だんだん生活時間がずれて、今朝は6時40分起床。
 もう朝日がぎんぎんに当たりはじめてました。
 ここんとこ朝ドアをあけると必ずしろさんがいて
「にゃー」
 って体をこすりつけてきて、猫ビッケ(モンプチ一筋。みゃうみゃうやしーばはイマイチ口に合わないようです)あげてたんですが
 今朝は珍しくいませんでした。
 昨夜つまが寝る前に玄関の脇に猫ビッケ出しておいたので、勝手に食べて暑いからどこか行ったのかもしれません。
 また、つまいわく
「最近来る回数が少し減ってるような気がするんだけど、うち以外にどこかゴハンくれるいい所見つけたのかもねー♪」

 うんうん
 しろさんが幸せならそれでいいですにゃ。

 さて、仕事仕事ー!
見返りしろさん
アガペー/お婆ちゃんの愛(再録)
 <2006年8月15日の「あつじ屋」雑文より再録>
 以前に雑文コーナーでお読みくださった方もおいでと思いますが、今回改めてこのブログに再録(一部改訂)しておきます。
 本当は「ゆるすこと」について書きたかったのですが、今月(2008年8月)は今年一番のハードスケジュールでとても余裕がありません。そっちはまた後日改めて。ではでは。


「アガペー/お婆ちゃんの愛」

 今年(2006年)もまた終戦記念日がやってきました。
 昭和34年(1959年)生まれの私は、直接には戦争を知りませんが、太平洋戦争というと思い出すのは、亡くなった祖父母と伯父のことです。
 いささか長い話ですが、この機に書き記しておきたいと思います。


 明治生まれの祖母は、三人の子どもに恵まれました。
 男が一人と女が二人。
 最初の女の子は幼くして病死しました。二番目の女の子が私の母です。
 男の子は母の兄で、私には伯父に当たります。
 名を敏彰(としあき)と言いました。大正12年生まれ。

 敏彰伯父は幼い頃、医者の誤診から死に損なったものです。昭和元年ごろのことでした。
 麻疹としょう紅熱を取り違えた治療を受け、脳膜炎になって小倉の記念病院に入院しました。
 「親ってバカよね。黒目も動かなくなってるのに、まだ助かると思うのかしら」
 と近所の人が囁き合ったそうです。

 その頃は、今のような健康保険制度もありませんから、貯金の減り方はものすごく、個室に入って生死の境を彷徨う我が子の傍らで、付き添いするだけでも並大抵ではなく、不眠に食事もノドを通らない日々にお金の心配で、祖母は本当に倒れそうだったそうです。
 もう、これ以上どうにもお金の工面ができないというぎりぎりで、伯父はなんとか退院しました。

 学校に上がる前に知能テストをするので来てくださいと言われ、病院に言ったら、テストを終えた先生が
 「よくこんなに育てましたね。
 頭は普通のお子さんに劣る点はありません。大丈夫です。ただ、体力が無いので学校も一人では往復できないでしょうから、気をつけてあげてください。勉強しなさいなどと決して言ってはいけません。大事に育てれば10歳までは生きられるでしょう」

 体育の時間はいつも見学でした。
 学校からの帰りは、祖母が迎えにいくと、土手に腰掛けて肩で息をしていたそうです。
 家庭では一切勉強の予習も復習もしない。
 でも最初の通知表を持って帰って驚いた。
 体操と図工以外は全部甲(今で言うABCのA)だったそうです。


 世の中は段々暗い方向に向かっていました。
 日本が、あの泥沼の戦争に踏み込んで行く時代です。

 ある日、子どもの伯父が父親(私の祖父)に向かって
 「お父さん、ボク大きくなったら軍人になりたい」
 と言いました。
 日常生活も不自由な伯父が軍人。
 祖父は驚いたことでしょう。
 馬鹿を言うなと叱るか笑うか。でも、祖父は笑いませんでした。
 「よし、わかった」
 そう言うと、伯父が体を鍛えられるように、鉄棒の両端に石の錘を付けたバーベルを、特注で作ってやったそうです(私が子供の頃は庭に実物が残っていました)。

 伯父がどれほど頑張ったのか、その過程は知りません。
 筆舌に尽しがたいものがあったと思われます。

 成長した伯父は、なんと、多くのハンディを乗り越えて陸軍士官学校に入学しました。
 10歳までも生きられないかもと言われた息子の成長に、祖父母も伯父も、さぞうれしかったことでしょう。

 敏彰(としあき)伯父は無事、士官学校を卒業。陸軍中尉となりました。
 平たく言うと戦闘機乗りであり、また戦闘機乗りの教官でもありました。

 職業軍人というと、何か厳しくいかめしい、好戦的な人物を想像される方もおいででしょうが、伯父は穏やかな人でした。世が世なら、軍人などにはならなかったかも知れません。
 自分の部下を指導するのに、けして暴力を振るわなかったそうですから、当時としてはかなり変わった人だったと思われます。
 戦争中は「千人針」という物がありました。
 無事の帰還を祈って、何人もの人が手縫いで作った物を出征する兵士に渡すのですが、伯父はその作製を断ったそうです。
 私は無宗教ですが、わが家は代々浄土真宗でした。
 家を出る時、伯父は
 「ボクはこれだけあればいいよ」
 と笑って数珠だけ持って出かけたそうです。
 生きて戻るつもりはなかったのかも知れません。

 最後は間もなくやってきました。
 昭和20年4月7日。
 「硫黄島のP-51戦闘機が初めて東京上空に姿を現した日であった。午前10時過ぎ、マリアナ基地から発進したB29重爆撃機30機が西から埼玉県上尾市上空に飛来し、それに対して攻撃した山本中尉は後尾の飛行機に体当たり撃墜するとともに、落下傘で飛び出したが、傘が開かずに墜死した。
 山本敏彰の享年は、22年2ヶ月。陸軍少佐に昇任」(「56期 特別攻撃烈士 銘々記」紫鵬会・発行より)
 パラシュートの紐が戦闘中の火災で焼き切れていたとも言います。愛機は2式単座戦闘機の鐘馗でした。
 伯父の墜死した地には、石の碑が立てられました。土地の持ち主の方のご厚意で、今でも残っているようです。

 愛する息子を失った祖父母の嘆きは、言葉では表わせぬほどだったようです。
 身も心も削るようにして、死の瀬戸際から救い戻し、大事に育てた子です。
 意気消沈ぶりは大変なものだったと母は言います。

 しかし、その時祖母は言いました。

 「私はアメリカさんを怨んじゃいないよ」
 と。
 「私らだって、あちら(米英)の息子さんを殺めているんだからね」

 血を吐くような言葉だったと思います。
 でも祖母はそういう人でした。
 人を怨んだり憎んだり呪ったり、復讐することをしない人でした。
 これは当時の戦争責任がいずこにあったかとかいう話ではありません。理屈や大義はどうあろうと、愛するわが子を失った一母親の、心の中の話です。

 昔祖母が商売をしていた頃(祖母は商売が好きでした)、ある店員がお店のお金を持ち逃げして、行方をくらましてしまいました。
 本来ならば、警察に訴えるか、見つけ出してとっちめてお金を取り返すか、するところですが、祖母はそれをしませんでした。
 そればかりか、そのドロボウ店員が、しばらくして暮らしに困り、住むところにも難儀していると聞きつけ、呼んで来てうちの離れにタダで住まわせ、先行きの見通しが立つまで数ヶ月、あれこれと面倒を見て送り出したそうです。

 祖母はけして、自分の何かを自慢するということのない人でしたから、これらは後年、私は母から聞いて知ったことです。

 祖母が見返りも賞賛も求めず、人にしてあげたあれこれを総計すると、家が2~3軒建つくらいにはなるらしいのですが、まあ随分人のいいことでした。それを黙って好きにさせていた祖父も、同じく人が良かったのかも知れません(笑)(別にうちが取り立ててお金持ちだったわけではありません。と言うか、そういう祖父母でしたから、私が物心ついたころには、貧乏公務員の両親の稼ぎで回っているだけの、ただの普通の家庭でした)。

 
 祖母は生涯、仏様を篤く信仰していました。
 聖書など一行も読んだことは無かったでしょうが、日々の行いで
 「汝、裁くなかれ」
 「汝の敵を愛せ」
 を体現した人でした。


 私は漫画家が商売ですから、これまでも何度か、この話を作品化しようかと思ったことがあります(ここに書ききれなかったエピソードもあります)。
 しかしフィクションとしてこれを描いても、素直に受け止めてもらえるとは限りません。
 「戦争の悲惨さも知らない戦後生まれが、勝手な空想でこんなキレイゴトを描きやがって」
 などと思う人さえいるかも知れません。
 だから、フィクションではなく、事実は事実として書き残しておきます。

 私の中で思い浮かべる祖母は、いつも笑っています。
 くったくのない祖母でした。
 少なくとも晩年、愛するわが子を奪った米英を、憎んだりはしていなかったようです。
 西部劇映画も好きでしたし、私が好きだったトム・ジョーンズのレコードを、元気があっていいからかけてくれとせがまれたこともありました。

 1977年春、私が大学入試で上京し、合格の報告電話をして喜んでくれた数日後、私が帰省する前に、あっさりこの世を去りました。
 まるで愛する孫の行く末に安心して、旅立ったかのようでした。


 身の回りのつまらぬトラブルから、隣国との対立、遠い国々の戦争などを見るたびに、私は祖母を思い出します。

 私にとって、祖母の生き方は、どんな道徳の授業より、偉い先生の説教より(祖母はけして説教などしない人でした)深く魂に響きます。
 イエスや釈迦やマザー・テレサやガンジーなどに次いで、敬愛する人物なのでした。

 アガペーとか仏の慈悲とか語るには未熟すぎる私ですが、祖母は一つの手がかりです。
 こんな日なので、それを口実に、ガラにもない話を書いておきます。
 ガラにもないついでに、大好きなアッシジの聖フランチェスコの祈りをおしまいに。

 「憎しみのあるところに愛を
  諍いのあるところに許しを
  分裂のあるところに一致を
  疑いのあるところに信仰を
  過ちのあるところに真理を
  絶望のあるところに希望を
  闇のあるところに光を
  悲しみのあるところに喜びを」

 そして
 「慰められるよりは慰めることを
 理解されることよりは理解することを
 愛されることよりは愛することを」
 「私たちは与えることで与えられ、許すことで許され、死ぬことで永遠の命をいただくのですから」


 地には平和を
 南無阿弥陀仏 合掌
アヌンガ加筆中
 『戦闘女神アヌンガ』単行本の描き足しページ執筆中です。
 そもそも第一話の冒頭に映画の前コマみたいに置きたかったんですが、連載開始時は色々な都合でできなかったもの。
 ほんの3ページですが
 りんかく線まではすでにペン入れしてあって、日付を見ると今年の元日になってました。
 8ヶ月ぶりに完成させられると思うとなんだか感無量です。
 あと、細かいイフェクト(パソコンのCGソフトを使っての最終処理)は、この半年以上にわたる連載で腕を上げたので、当時描いたより今やる方がクオリティが上♪
 あのとき描く余裕がなくて良かった!
 人間万事塞翁が馬だといつも思ってますがこんなとこでも。

 あ、9月16日発売の単行本ですが
 グリーンアロー出版社から予価¥550です。
 御気が向かれましたらどうぞー♪
 ではでは。
ささったトゲ
 あいかわらず執筆の日々です。
 先日、右手の薬指のつめのそばの皮膚に、3ミリくらいのトゲみたいなものが刺さって埋まってるのを発見。お箸を持つのに痛いんで、近所の皮膚科に行きました。
 高木美保似の眼鏡の女医さん(なかなかイケてます)が診てくれて、
 「トゲの頭が出てませんね」
 「それって刺さって時間が経過して皮膚が覆っちゃったってことですか」
 てっきり切開して毛抜きかなんかで抜くのかと思いきや
 いきなりピンセットでぐいぐい皮膚の上から斜めに刺さったとげをいじりだし
 ちょっとちょっと、そんな乱暴にしたらヤバくないですか、痛い痛い、いや傷じゃなくて横の皮膚に食い込んでる先生の爪が痛い、などと言ってるうちに
 「あ、とれました。
 「でも、少しだけかけらが中に残っちゃいました」
 ほーらー。だーかーらー。
 「刺さって時間が経ってたんでトゲがもろくなってたんです」
 いや、それもあるでしょうけど、あんな角度で細いとげをぐいぐい押したらそりゃ折れますよ。
 ヤブか名医かは知らないけど、かなり不器用ですね、絶対ピンバイスとか使って細かいガレージキットなんか組み立てたことないですよね、てか組み立てらfれないですよね先生、などと思いつつ診察終了。
 「そのうち体が排出しますから安心してください」
 そうですね。私の右腹部の虫垂炎手術の残り糸は手術から数年してハラの皮膚を破って出てきましたから♪
 こんなちっちゃい(3ミリ)傷だけど抗生物質に胃薬に消毒薬に塗り薬。
 消毒薬は、液体と容器が別で自分で移すようになってて、こりゃあれですな、中身とがわが別包装になってるこった最中と同じですな♪
 というわけで、さすがに抗生物質は呑まないで消毒と塗り薬だけつけました(初日だけ)。
 もうほとんど赤い線になってますけど、なんか埋まってるようです。

 仕事は、『戦闘女神アヌンガ』一巻カヴァーを完成。
 11話のコンテをやってます。
 湘南は昨夜は久々に涼しくて、今朝は気持ちよく目が覚めました。
 皆様もよい一日を。水分補給はお忘れなきよう。
 ではではまた~~♪

追記
 しろさんは今朝もモンプチ食べてます。
 
『ブリキ細工のトタン屋根』三山のぼる

『ブリキ細工のトタン屋根』復刻版
 出ました!復刻版!
 講談社から三山のぼる先生著
 『ブリキ細工のトタン屋根』!
 全三巻(一冊¥1800)!
 スキャンした光の加減でヒロインの周囲黒くなってますが、実際は銀色です♪

 以前アップしました、山田貴敏氏と語る三山のぼる先生の思い出
 ○ピュタは本当にあったんだ!じゃなくって
 思い出は本当にあったんだ!(笑
 今見てもすごい絵、おもしろい話。
 そう、本の帯にもあるとおり
「漫画家があこがれる漫画家」
 でした、三山先生。
 今見ても新たな発見がある。すごいことです!

 講談社モーニング誌上にて昭和57~58年にかけて連載された、ということは、もう26年前ですか!
 当時あこがれた秀逸な画面
 最小限の処理で最大限の効果、ざくざくっと描きながら質感、臨場感に舌を巻いたあの日の思い出は、けして過大に膨らんだ過去の幻想などではなく、
 CG処理などなかったアナログ100%のあの時代に
 インクとトーンでここまでの絵を作り上げた三山先生の才能と手腕には、本当に頭が下がります。
 今見ても刺激を受け、インスピレーションが触発されます。

 もはや三山先生のお名前も作品も知らない編集さんまでいらっしゃる時代になりましたが
 これを機会に是非読んでいただきたい。
 そういえば、友人、山田貴敏氏も、三山先生を知らない若いアシスタントさんに同書(復刻版でなく当時の。山田氏は保存用と普段の閲覧用に別にセットで購入してたはずです)を見せると、こんなうまい人がいたんですかと驚愕すると言ってました。
 自分(山本)もあれから四半世紀、それなりに腕も上げたし色々技術も見につけたけど
 永遠に抜けないものがあるなあと今回また改めて思いました(わかってましたけど、つくづく再確認)(爆)。

 『ブリキ細工・・』は三山のぼる先生の代表作中の代表作です。
 ある種コアな趣味をお持ちの方でもありましたから、一般のお客様にはお口に合わないタイプの作品もあったように思いますが、この作品は徹頭徹尾メジャー感覚で、どなたにも楽しめる作品になっていると(僭越ながら)思います。
 今回復刻された同書には、巻末にアマチュア時代の三山先生の作品も収録されており、貴重な付録となっています。

 今回、同書をわざわざお贈りくださったモーニング誌の編集さんと、仲立ちをしてくださったイブニング誌の編集さん(同誌で『俊平1/50』を連載させていただいた当時の担当さん)に、
 心より御礼申し上げます。
 そしてなにより
 三山のぼる先生、素敵な作品をありがとうございました!
 偉大な大先達に敬礼&合掌♪

 

赤塚先生さようなら
 赤塚先生のお葬式がありました。
 私はあいかわらず締め切りに追われ、家で仕事でしたが、赤塚賞受賞者でもある友人Aさんは行ってきたようです。
 タモリ氏の弔辞全文をメールで送ってくれました。
 私が人生で聞いた中でも最高の弔辞です。いや、歴史を紐解けばもっとすごいものは色々あるのでしょうが、とっさに類例が思いつかないくらいの素敵な内容で。泣けました。
 勝手に転載もできませんので、お目にかけられないのが残念ですが、きっとニュースやネットで流れてるから、ご存知の方も多いのではないかと。

 Aさんから聞いた話では、会葬礼状に1枚の紙が挟まっていて、表と浦にバカボンのパパの絵が印刷されていたそうです。

表:座ったバカボンのパパがこっちを向いて「これでいいのだ」と言っている絵。

裏:バカボンのパパの後ろ姿で「さよならなのだ!」と言っている絵。


 偉大なり赤塚先生。
 さようなら赤塚先生。
 ありがとうございました。お疲れ様でした本当に。

 これでいいのだ。


追記
 会場で神妙な顔で弔辞を読み上げたタモリ氏
 手元の紙は白紙だったとか(つまり全文は手元の原稿なしでそらんじていた)。
 赤塚先生に送る最後のギャグだったんですね。
 偉大なりタモリ♪

追記2
 いしかわじゅん先生がmixiで弔辞全文をアップしておいででした。
 ご了解をいただいて天才もとい転載させていただきます。
 いしかわ先生ありがとうございました。
 しかし・・・このタモリ氏の弔辞から知る赤塚先生のお人柄を見ると、先日私がアップした記事「これでいいのだ」は、けして「誤訳」ではなかったように思われ・・・;

「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。
 われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは、今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。
自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。
 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。
 あなたは生活すべてがギャグでした。
 たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
 あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
 すなわち、これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
 最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。
 私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
 しかし、今お礼を言わさせていただきます。
 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 私もあなたの数多くの作品の一つです。

 合掌。
 平成20年8月7日、森田一義」
「拍手」反映遅延
 なんだかまた「拍手」がカウント数に反映されない障害が起こってるようです。
 管理者ページに入るとカウントされてるんですがブログには昨夜から反映されてません。
 せっかく押してくださった方、もうしわけありません。
 FC2ブログってよくあるんですよねこういうトラブル。
 まだ障害情報にもアップされてないようですが・・・
 そのうち復旧すると思います~;

追記 
 昨日アップした「これでいいのだ」の拍手ボタンが反映されてないようです。日記の項目によってボタンが生きてたり死んでたり。これまたFC2でままあるトラブルなんですが;
 なんでもいいから早くなおって~~!;
 いや「これでいいのだ」?

追記2
 あ、なおったようです♪
 ご心配ご迷惑おかけしましてすみません。
 これでいいのだ♪
「これでいいのだ」
 今さら私などが語るまでもない
 有名な漫画「天才バカボン」の名ゼリフですが

 この
 「これでいいのだ
は、ものすっごーく!深い含みのある言葉で、私はあの
 「日々是好日
 という言葉の「ふりがな」として考えています(笑

 この「日々是好日」は、ご存知の方も多いと思いますが
 有名な昔の中国の禅僧の言葉です。
 詳しいことは、検索されれば、私などが語るより実り多いデータがあちこちにあるかと存じます。

 生死、幸不幸すべてを超えて、何があろうとすべてよし、の姿勢で人生を歩むものです。
 中国語の「好」は、日本語の「好き」ではなく、「よい」の意味です。
 これは一生かけて身にしみさせる(体得する)単語で、知識としては昔から知っていても、全身全霊で納得するには、まだまだしばらくかかりそうです。

 この8月に亡くなられました偉大な先達、赤塚不二夫先生に
 心より感謝と哀悼の意を表します。

 「日々是好日(これでいいのだ)



追記
 「日々是好日」の訳として「これでいいのだ」は
 井伏鱒二の、唐の于武陵(うぶりょう)の「勧酒」の訳
 「この杯を受けてくれ
 どうぞなみなみ つがしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ
 さよならだけが人生だ」
 に匹敵する名訳じゃないかと思うんですが、って、う~~んちがうか~~(爆
生き方≒考え方
 色々と記事をアップしてて困るのは
 どのカテゴリに入れていいか判断に困るものがあること。

 ぶっちゃけ私がいつも一番考えているのは、「どう生きるか」ということで(それは、結局どう死ぬかでもあるんですが)
 それもただ頭の中でこねくりまわしてるのではなく
 実際に自分の人生でそれを使ってみて使えるかどうかという視点が必須で
 それなしでは、すべて机上の空論になってしまいます。

 友人などと話していて時々思うのですが
 その考え方は無理だ、と言う場合
 「やってみる」前に判断しちゃってるケースが多々あるんですよね。

 思想とか生き方というのは、スポーツや武術の鍛錬法と同じで、見てすぐ使えるものよりも、しばらくそれに沿って生きてみる、その鍛錬法でトレーニングして結果が出るか出ないか見てみないと有効かどうかわからないものです。
 見たり聞いたりした瞬間判断するというのは、たとえばどこかの道場に行って、その稽古風景を見て
 稽古もしない内から、あれでは強くなれっこないと帰ってしまうようなものです。
 最初からひたすら打ち合う道場もあれば、最初はじっくり基本の構えから覚えさせる道場もある。
 それらを、見ただけで「使える」「使えない」とジャッジできるのは、よほどの見識がある人か、早とちりの人かどっちかだと思うものです。
 だからってなんでもかんでも試してみる必要は無論ありません(それでは、日々やってくるセールスマンや宗教の勧誘に、いちいち契約を結んだり入信してみるようなものです)。その辺はケースバイケース、自分の直観というものを使う必要があるわけですが♪

 また、「考え方」(実際に行動してフィードバックすることも含めれば、「生き方」と言ってもいいでしょう)は
 人間の体や自動車、飛行機などと同じように
 何か単独のパーツだけで成り立っているわけではありません。
 このエンジンで走る、と言った場合、それに堪えうる車体の強度、燃料を補給するシステム、全体を制御するソフト、さまざまな他の要素で成り立っていますし、それなくしては成立し得ないものです。
 考え方≒生き方、も同じだと思います。

 かと言って、そのすべてを網羅してアップしようとすると、一部のスキモノな読者さん以外には、退屈で読んでられないシロモノになります(一冊まるまる一台の車の設計に関する本を書くようなものです)。
 だから、部分部分のダイジェストと言うか、映画のテレビコマーシャルみたいな、おもろそうな一瞬を切り取った内容にならざるを得ない。
 そうすると、これって、こういう条件の下では成立するの?みたいな疑問が必ず発生するわけです。

 自分としては、パーツひとつでも、ある程度「使える」(参考になる)ものを選ぶように努めているつもりではあるのですが;

 生き方≒考え方について書いていると、非常に実際的な生活に密着した内容もあれば、かなり形而上的な(ある意味ぶっとんだ)内容もあって
 ちょうど「心理学」が、物質的な医学に密着した大脳生理学に近い内容から、個人の考え方、思考を扱うもの、集団や国家を扱う社会心理学、はては、かなり形而上的な内容も含めた(人によってはオカルトと思われるような)ものまで幅広い内容を含むように、
 簡単には区分けできないケースが少なくありません。

 と言うわけで「生きること」とかいう新しいカテゴリでも作ろうかなどと思っています(てか、とりあえず作ってみました♪)。

 先日もお客様からコメントいただきましたが
 私のブログは、まんが家山本貴嗣のブログであるにもかかわらず、漫画のことより生き方とか考え方についての記事の方が「拍手」数が多かったりして、個人的には一番重きを置いている内容を読んでくださっている(反応してくださっている)お客様がいらっしゃるということで大変うれしいのですが
 まんが家としてはいいのかそれで?というツッコミもどこかから聞こえてくるような(笑

 以前も申しましたとおり、この記事はあくまで知識も思考力もたかが知れている山本の、現時点での考えていること(正確には「ある程度整理のついたこと」。テレビで公開されている「米軍最新兵器」とかといっしょで、本当の「最新」は公開できない(笑)、もう少し先を歩いているつもりですが)に過ぎません。
 これが真実だ、とか絶対正しいとかいう意味のものではけしてないですし
 誰かに論戦を挑んだりするものではありませんので、そこはどうか誤解なさらないでください。 
 ではではまたー♪
心配することになんの意味が
 久しぶりに、カテゴリ「好きなことば」です。
 下記のフレーズ、以前も書いたことがあったと思いますが、改めてこのカテゴリで再録します(mixiのプロフィールでは、「好きなことば」のリストに入れてます♪)

問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。
解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか

   『心の治癒力-チベット仏教の叡智』トゥルク・トンドゥップ・著/永沢哲・訳/地湧社より

 トゥルク・トンドゥップは1939年生まれ。チベット仏教ニンマ派の高僧で、1959年の中国軍のチベット侵攻とともにインドに脱出、1980年にハーヴァード大学の客員教授として渡米、以降アメリカでチベット仏教の翻訳、著作、紹介に尽力している人だそうです。
 上記の言葉は、シャンティデーヴァ(8世紀インドの大乗仏教の導師)という人のことばとして紹介されています。
 最初読んだときは、うまいこと言うなと思ったもので、以来座右の銘にしてきましたが、時が経つにつれ、暮らしの中でそのリアリティをしみじみ噛みしめています。
 心配するなというのは、無論、問題から目をそむけて現実逃避しろということではなく、できることはして、あとは無駄に心をわずらわせるなということです。

 同書から、いくつか印象に残った部分を引用します。

P.53
 チベットでの青年時代、知り合いの一人が木を切っていて、新しく買ったばかりの靴を斧で切り裂いてしまった。幸運なことに、足は傷つかなかった。だが、靴の革は、チベットのような貧しい国では、値が張るものだ。その男は、率直にもこんなふうに言ったものだ。「靴を履いていなければ、足を切ったことになるだろう。だが、足だったら治る。ああ、なんてことだ。切っちまったのは新しい靴のほうだし、靴は直ったりしないんだよ」
 これは大変おかしなものの見方だ。しかし、物質的なものを最初に考え、それから、身体、そして最後に心、というふうに考える人は、稀ではないのである。

P.60
 シャンティデーヴァは、こう書いている。
「話をするときには、やさしく、意味のあることを、はっきりと楽しく話しなさい。
貪欲や怒りは無用のもの。やさしい声で、適当な長さだけしゃべるべきだ。
見るときには、ごまかしのない、慈愛に満ちた目で見なさい。
『この親切な人のおかげで、私は完全な悟りを得ることができるのだ』と考えながら」

P.61
 他人に配慮し、ただ平和に自然にリラックスしているだけで、日常的な活動や仕事---呼吸ですらも---は、癒しの修行の一部となり得る。また、自然な形で強さが生まれてくる。心を開きさえすれば、日常生活は癒しの生活になる。そうすれば、何時間も坐って、形式どおりの瞑想をしたりしなくても、人生そのものが行動の中の瞑想となる。


 ちなみに
P.49
「仏教とは、至福の境地に達し、他者のない無のような状態の中に消え去りたい、と思っている人のための宗教だ、と考えている人がいる。これは正しい仏教の理解とは、とても言えない。仏教は人生に十全に参加することを、信念としている。癒しの道は、問題や困難をたんに取り除くのではなく、じぶん自身の真の本質を悟るための手段として、それを尊重する。
 完全にマイナスであるように見える問題に対して、実際的な態度をとることは可能だ。ストレスに満ちた状況にあるとき、そのことを認識し、そして和解するのである。「確かに状況は悪い。でも、大丈夫」というわけだ」

P.30
「シャキャムニが教えた仏教は、仏教の表現の一つにすぎない。それだけが仏教とはいえないのである。開かれた心をもっているなら、仏教がダルマと呼んでいるもの、すなわち自然の道を、自然から聞くことだってあり得る」

 私(山本)は、古来より世界の様々な形而上的思想は(詐欺やインチキカルトは別として)そういうもの(を指し示している)と見ていますので、このP.30の部分はとりわけ共感します♪
 それから、、同書で一番印象に残った下りは、著者トゥルク・トンドゥップが数人の友人とともに、チベットからインドはヒマラヤの丘陵地帯にあるカリンポンという美しい町にたどり着いた時のこと。
 疲れきりレストランに入る金もなく、墓地の近くで煮炊きのための石やマキを探していると、70代後半~80代始めくらいの老いた僧侶に出会います。
 古びた家の裏に在る8フィート(2.5メートルくらい?)四方の小部屋(おそらく仮住まい)で

P.57
 彼は瞑想し、経文を読み、料理し、眠り、ほかの人々と話し、一日中同じベッドで結跏趺坐で坐っていた。

 モンゴルから来たラマと思われるその老僧は「やさしげな、喜びに満ちた笑い」で著者に話しかけ
 自分で作るところだった料理を分けてくれようとします。

わたしは「ありがとうございます。でも遠慮します」と答えた。友達が待っていたからである。そうすると彼はこう言った。「では、しばらく待ちなさい。料理が終わったら、わたしのストーブを持っていったらよい。お茶を淹れるくらいの石炭はまだ十分にあるよ」
 私は自分が目にしているものに、驚き呆れていた。僧侶はとても年を取っており、自分の生活をするだけでも大変なように見えた。にもかかわらず、その小さな目は慈悲に満ちており、優雅で威厳に満ちた姿は、喜びにあふれていた。開かれた心は、人と分かち合いたいという気持ちに満ち、心は平和なものだった。はじめて会ったにもかかわらず、まるで古くからの友人のように、わたしに話しかけていた。身を震わすような幸福と、平和と、喜びと、驚異の感覚が、わたしの全身を貫いた。
 その僧侶は、心のありようにおいて、そして、精神的な強さによって、世界でもっとも幸福な人間の一人として輝くように存在していた。しかし、物質的な世界の見方からすれば、家もなく、仕事もなく、望みもない存在だったのである。貯金もなく、収入もなく、家族からの援助もなく、社会的に得るものもなく、政府からの援助もなく、国もなく、未来もなかった。それにもまして、外国に逃げた難民であったにすぎず、地元の人々と話しをすることもほとんどできなかった。
 今日ですら、あの僧侶のことを思い出すと、そのありようを思っては驚異の念に頭を振り、心の底から祝福の感情があふれてくるのを止めることができない。もう一つ付け加えておきたいのだが、その僧侶だけがそういう性質をもった唯一の人格、というわけではないのである。素朴で、しかも偉大な存在というのは、たくさんいる。 


 著者がインドに滞在したのは、もう半世紀近くも昔のことです。
 かの老僧も、とうに、かの地で生涯を終えたことでしょう。
 名もなく貧しく、しかしおそらく輝いて。
『戦闘女神アヌンガ』執筆手順5/蛇神炎上
アヌンガ5話からa
アヌンガ5話からb
 Bbmf社用のケータイ配信漫画『戦闘女神アヌンガ』10話完成。
 これで9月発売予定の単行本一巻分の原稿は執筆完了。
 すぐにカバーと後書き、描き足しページにかかります。
 休日はないです。しんどいけれども楽しいです。感謝ですー♪

 画像は、5話から。
 一枚目が手描きの元原稿。
 二枚目がフォトショップでCG処理した完成原稿。
 炎は手描きした炎の絵を重ねてフォトショップのフィルタの「ぼかし(ガウス)」をかけてあります。燃える蛇神の処理は確か「変形」フィルタの「光彩拡散」だったかと。
 ではではまた~♪
しろさん・その後<流血編>
しろさん接近中
しろさん食休み
ご機嫌?しろさん
 先日、またまたご飯を食べにきたしろさんをナデナデしていたら
 いきなり手を噛まれまして
 左手の甲から出血しました(猫とつきあってたら、よくあることです。故ミケコにも何度もやられたものです)

 猫ひっかき病とかもあるし、すぐ消毒してバンドエイド貼ったんですが
「ひどいよしろさんー」
 と、噛まれた手の甲を、しろさんの顔の前にかざしたらバツが悪そうに視線をそらしまして(笑

 つまは庭の花に水やってたんですが
 いつも私たちが家の中に引っ込んでも居座ってるしろさんが
 すぐに、そそくさと立ち去ってしまいました。

 私やつまの顔見れば、「きゃー」とか「ちゃー(にゃー)」とか叫んで駆け寄ってきてたのに
 その後、つまと道であっても目をそらすだけ。
 全然近寄ってきません。

 その晩はとうとう現れなくて
 翌朝も私が起きて雨戸開けるとき、近所に「しろさーん」って声をかけてみたんですが現れない。
 昼間つまが買い物に出かけるとき、お向かいの垣根のそばにいたんだそうですが
 思い切り「ヘタこいたー」って顔で目を合わせない。
 なんだかクチをもぐもぐさせて
 つまが呼んでも近づかない。
「おばさんじゃないの、おばさんおじさんにとりなしてよ、きまりわるいの」
 みたいな感じで
「そんなに気にしなくてもいいのに」
 とつまが言ってもダメ。

 私ぜんぜん怒ってないんで
 気に病まなくてもいいのにと思ってました。

 んで
 夕方

 どこか近くに潜んでるかな?と思って声かけたけどいなくて
 ガレージのバイクを見てから戻ってくると
 お向かいの垣根からひょこっと顔が。
「やあ、しろさんしろさん」
「きゃ~~!!」
 思いきり、いつもの甘え声で鳴きました。
 門を開けるとそそくさと走り寄って鳴きまくり。
 さっそく、猫ビッケをあげました。
「気にしないでいいからね、しろさんー」
 でも、あまりなでると、また気に障るといけないので、ぽんぽんと背中に触れて家に入りました。

 そのあと、またつまが夕方の水まきに出たら、ご飯を食べ終わったしろさんが毛づくろいしてて
「仲直りできたねーしろさん」
 と言ったら
「よかったよー、安心したよー」
 みたいな顔して笑ってたそうです。
 別にこっちとしては喧嘩した気はないんですが、しろさんなりに気まずかったようです。

 きょうもまたいつものノリでご飯食べに来ました。
 ありがとー。仲良くしよーねしろさん♪
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.