あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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島津先生も「おとうさん」
 先日、テレビ東京の鑑定団を見てたら
 珍しい方が。
 柳生心眼流の島津兼治師が出ておいでで、18世紀だったかの日本の炸裂弾(ほうろくだま)を持参されて高額の鑑定結果がついてました。
 ちょっと気になったのはその紹介のされ方で
「武具コレクターがお宝持参」
 みたいなテロップ(ちょっと言葉は違うかもですが、そういうノリです)で、紳介も
「おとうさん」
 呼ばわり。
 島津氏がタケミツの刀を差しておいでなのを
「ほんとはホンモノ差して歩きたいでしょおとーさん」(笑
 なんか、ただの趣味のコスプレイヤーに近い扱いのような・・・

 まあ島津先生は小柄な方ですし、にこにこ笑っておいでですから、ただの好々爺に見えるのも無理はないんですが
 あなたいざとなったら秒殺ですよとか、そっと忠告してあげたくなりました(余計なお世話ですね)。

 私がお会いした武術家の方も、たいていちょっと見は穏やかなただの人、みたいな方でした。ある意味その場の最終的な生殺与奪権を握ってるんで、誰もビビらせる必要ないんですよね。
 一目見て鬼みたいな容貌であたりを威圧するような武術家って、それこそ漫画の世界です。

 しかし、知らないって怖いなーと番組を見ながら思いました(笑
 なんだか何もしならないでペットだと思って猛獣の頭を撫でてる人を見る思いがしました(昔見た外国の映像で、鎖のついてない虎を、素手でいじってた男が、ちょっと機嫌をそこねた虎が軽く振り払っただけで、ボロ雑巾のように横たわってました)。

追記
 心眼流は甲冑兵法ですから、甲冑姿の練習風景を見て、実用性のない懐古趣味の団体と思われたのかもしれませんね・・・
 平服でもちゃんとやってましたが、人は目立つ方に気を奪われますから・
寒いじょ~!(アモウ五巻カバー執筆中)
3Dアモウ1

3Dアモウ2

 昨日は暑いと思ったらきょうは寒いです~~!!
 この昨日今日の温度の激変たまりませぶんいれぶん(死語
 画像はなんの関係もない、数年前「六角大王」で作ってみたアモウです。
 今5巻のカバー描いてます♪
 ご自愛ください~~;
暑いじょ~~;
なんですかきょうは
10月も目前にして
湘南ですが室内で朝の10時から30度越えてますよ。
戻ってくるな夏ー;
何かファイルから涼しげな画像を探しましたがありませんでした(爆)残念!
 みなさん頑張ってくらはい;

あ。でも風は意外と気持ちよいかも・・・

暑いので夏っぽい画像を追加します。
ずいぶん昔描いたヒナコです。ヒナコ

『エクスタティック メイ』扉
『エクスタティック メイ』扉ページ

 一昨日は久々に一日ごろごろしました。
 どうに眠くて4時間もいつもより多く眠りました。
 アモウの追い込みで増えた1.6キロの体重が一日で消えて戻りました。
 アマゾンに頼んでおいた本が届いたので読んで過ごしました。

 昨日は『弾(アモウ)』の五巻のカバーイラストにかかるつもりでしたが、色々雑用でつぶれました。疲れが残ってるようで、美容院に何ヶ月ぶりかに行ったんですが、髪切られてる間中こっくりしてました;

 画像は25日に発売になったビージャンこん誌掲載の『エクスタティック メイ』の見開き扉の右ページ部分です。
 タイトルやあおり文字で雑誌では消えてますが、左下に狛犬もいます♪


追記
 久々のお休みはうれしいのですが、仕事用の二台あるPCの内一台が入院加療状態になったと思ったら、青色申告用につまが使ってるPCがどう見てもご臨終で、この時期二台同時はまいったなあ(笑)と頭をかいています。仕事用の方はさっそくいつも御世話になってる専門家におまかせしましたが、つまの方も何か来春までに手を打たないと・・・
 ネットにはまだあるほかのマシンでアクセスしてますが
 けっこうみんな歳だったり(笑
 ちなみに臨終マシンは7歳くらいだったかなあ・・・
ビージャンこん37号本日発売
道端のわんこ20070924

通りすがりのコルベット

白いヒガンバナ

 私の新作読みきり『エクスタティック メイ』掲載のビージャンこん37号本日発売です。どうかよろしくお願いします♪(先日売られていたのは一部のお店だけだったようです)。 

 きのうは『弾(アモウ)』50話原稿を夕方完成。
 7月『エクスタティック メイ』のプロットにかかってからずーっと休みなしだったので(55ページ連続一人旅)(笑)なんか疲れたと言うか気が抜けてボケたみたいで、
 原稿を宅配便屋に出すため、家を出てから、いつも必ず持っていく財布入りのショルダーバッグを忘れたのに気がつきました。

 このバッグ、ほとんど私と一心同体で、鍵を忘れることはあってもバッグを忘れることはないくらいです。
 用事が、お金のいらない「着払い宅配便」を出すだけだったせいもあるんでしょうが、それにしても・・・

 どれくらいいつもいっしょかと言うと、夢の中で自分の体を見て、そのバッグがないのに気が付き、現実の世界であれなしに外出することはあり得ないからこれは夢だなと、夢を見ながら気が付いた明晰夢体験があるくらいで(本当の話です)
 まあ珍しいこともあるものでした。

 でもおかげで不思議な感覚を味わえたと言うか
 いつもだと帰りにコンビニとか近所のマーケットに寄って、何を買おうかあれにしようかなど思うところ
 金もカードも置いてきたからまったく悩みなし(笑

 取材用のカメラを手に、心置きなくその辺をぶらぶらして色々眺めたり写真を撮ったり。
 思えば仕事が一段落したら、のーんびりそんなことしたいと思ってたんですが
 潜在意識のなせるわざか
 最短コースでやってしまいました(笑

 写真は道端で写したわんこ。
 こんな田舎にコルベット!(前も原稿出しに行くとき見たからこの辺を回遊してるくさい!)
 白いヒガンバナ?(ですよね?)夕暮れの川端できれいでした♪
 ではでは~~♪


追記
 コメントをくださるお客様
 拍手コメントをくださるお客様
 いつもありがとうございます。拍手コメントの方へは、コメントをお返ししようがありませんが(お名前を日記に書くのはプライバシーが)ちゃんと読ませていただいております。
『エクスタティック メイ』掲載誌発売
猫2007年9月21日

 昨日は修羅場の合間に昼食につまと近所にでかけました。
 風は涼しい秋になってきましたが、陽射しはまだまだじりっときます。暑いです。夏の最後のひとあがきでしょうか。
 道端の猫も日陰でのびてました。
 先日の「五十歩百歩」の補足とか書きたいんですが、25日締め切りに向けて忙しく、余裕がありません。
 とりあえず猫画像などご覧いただいて本日は失礼します~~;

追記
 さっき読者の方(名古屋在住)から
 コンビニで『エクスタティック メイ』掲載の「ビージャン魂(こん)」買いましたとのご報告をいただきました。
 25日発売と思っていましたのでびっくりです。
 どうかよろしくお願いします(日祭日をはさむので早めに並んだんでしょうか);表紙右下にメイがいますビージャンこん37号

五十歩百歩
 若い頃は思い込みが強くて、人の過ち(と自分で思ってるだけ)を見過ごしにできなくて、いらざる忠告をしたものです。
 しかし、ご存知のとおり、ものには言い方やタイミングがあって、正論を吐けばいいというものではありません。相手の状況や立場も知らず、つまらぬ口出しをして失った人間関係も多々ありました。

 近年は、相手の流れに沿ったアドバイスや励ましはしても、相手の非を正すなどということは一切手控えるよう心がけています(ぎりぎり「これはふだんおっしゃってることと矛盾しませんか?」という質問くらいです。あくまで質問まで。それもめったにしませんが)。
 イエスの言うところの
「他人の目の中の塵を取り除かせてくださいと言う前に、自分の目の中の梁(はり)をどけなさい」
 というやつです。
 釈迦の教えにも、
「人に聞かれもしないことを、あれこれ答えるものではない」
 という意のものがあったと思います。

 日記でも色々と書いてますが、あくまで
「自分はこうしてます、こう思ってます」
 という話で、人様に「~~はいけません」「~~すべきです」「~~ねばなりません」という言い方は、内政干渉として厳しく戒めています。

 しかし先日、あるところでどうにも見過ごしにできない(と自分には思えただけ)言動を目にし(と言っても、明らかに話の通じないレベルの有象無象の暴言とかではなく、一応本人なりに分別を巡らして書いていると思われる)、これを見過ごしにしていいものかという思いが、久々にむらむらと沸き起こってキーに向かいました。

 しかし、ちと引用したい中国の故事を思い出し、確認しようと愛読書の一冊『中国の故事寓話』(鈴木亨・著/河出書房新社)を本棚から引っ張り出して手にとって何気なく開いて呆然。

 探していた項目とはなんの関係もないページを開いちゃったんです。そんな項目のことなどまったく念頭になかったんですけど。
 で、目に飛び込んできた見出し

「他者をとやかく言える自分かよく自問してみよ----『孟子』梁恵王章」

 ・・・・・・。


 ぎゃははははは
 参りましたよ。そう来たか。

 「五十歩百歩」の故事なんですけどね。
 梁の恵王と孟子の対話。
 王が孟子に、自分は一生懸命治世に努めている。まわりの国で私ほどのことをしている者はいない。なのになぜかこれといった成果もない。なぜでしょう?と問います。
 孟子答えて
「王の大好きな戦争にたとえて申しましょう。敗走するとき、ある者は50歩逃げて立ち止まり、ある者は100歩逃げて立ち止まりました。どちらが臆病者でしょうか」
 王が、そりゃどちらも同じだろうと言うと、孟子は、王のなさってることも周りの国の王と五十歩百歩ですと言ったという話ですが
 
 見出しにまいりましたよ、まったく。

「他者をとやかく言える自分かよく自問してみよ----『孟子』梁恵王章」
  
 はーい;

 こういうタイミングでこういうメッセージを受け取るのは、ユングのシンクロニシティか神仏善霊の導きか(無宗教ですがそういう感覚はあります)。
 よし黙ってよーっと;

 というわけで、私はコメントを控えました。
 あー危ないとこでした。
 止めてくれてありがとー!!(泣笑



追記
A・スマナサーラ著『人に愛されるひと敬遠されるひと』国書刊行会 より。

P.109
 「お釈迦さまが偈文(げぶん)(お釈迦さまの教えの言葉)のなかで次のように言われています。
Sabbe tasanti dandassa
Sabbesam Jivitam piam
Attanam upamam katva Na haneyya na ghataye(本当はこれに横棒や点が付くのですが手元のPCでは打てないので省略します。ふりがなも同じ/山本・注)

すべての生命は罰せられること、裁かれることを恐れて震える
すべての生命はわが命がかわいい、自分がいちばん好きである
自分にたとえて考えてみて、他を傷つけるようなことをしてはならない

 これは人間関係のつきあいを考える上で、一つの基本的なルールとも言えますので、この最初の行から説明を加えて考えてみましょう。まず「罰せられること、裁かれること」の意味ですが、法によって裁かれることという意味だけではありません。心が傷つけられることはすべて罰になるのです。
 (中略)
 つまり私たちは常に罰せられる、裁かれる環境に生きているのです。それは気持ちのいいものでしょうか。まったくそういうことはありませんね。人間はこの罰せられることがイヤなのです。
 「批判されることが好きで好きでしかたがない」という人がいますか。
 「バカにされることはほんとうに気持ちがいい」という人はいますか。
 「自分のすることをけなされたりダメだといわれたりするのがとてもうれしい」という人はいるでしょうか。一人もいないのです。お釈迦さまは、
 「すべての生命が、人間だけではなくて一切の生命が、罰せられるのはきらいだよ、怖がって震えているんだよ」
 と話されているのです。」

追記2
 言うまでもないですが、親がこどもの過ちを教え諭すとか、実生活で相手の契約不履行とかに意義を唱えることを否定するものではありません。
 騒音おば○んを放置しようとかいう意味でもありません。
 その辺はいちいち並べているとキリがありませんので、割愛しました♪

自分は人様から耳に逆らう忠告をいただいて助かったことが何度もあります。だからそういうものはありがたくいただくことにしています(ただ、単なる悪意やあからさまな礼儀知らず、ネットで言うなら荒らしの類は、お引取り願う場合がありますが)。
 世の中には人徳があって、普通の人が言うと不愉快な忠告も、その人が言うとなんかハラを立てる気がしなくて、すんなり聞ける、みたいな方おいでですよね。
 そういう方はどんどん忠告されるのがいいと思います。
 私はそういう徳がないと言うか、正論を吐いてもカドが立っちゃったりすることがあるので、近年自粛中(汗
運命と自分
 知り合いの方のブログで、ニーチェの「運命愛」の話がありまして
 ちょうど、同じ日にほかのお知り合いが、人生の苦難(机上の空論ではなく、ご自身の過酷な体験を例にされて)は、気の持ちようで絶望することなく乗り越えられると言う日記を書いておいでだったこともあり

 私も近年の重要なテーマですので、少し触れます。

 『運命愛とは、要するに、この偶然に対する愛である・
「何事であれ、現にあるあり方と違ったあり方であって欲しい、などとは決して欲しない」で、むしろそれを「愛する」ことである』
 (永井均『これがニーチェだ』講談社現代新書209ページ)(この抜粋、お知り合いの日記より転載)

 で、あるがままを喜び感謝して受け入れるのが「運命愛」で、仕方なく受け入れたり、意志の力で受け入れるのが「運命の受容」だと言うんですが、
 私は思いますに

 運命を受け入れることに抵抗がある。しかし人間なので運命のなんたるかは完全には把握できていない。とすると、それは一種の「食わず嫌い」ではないでしょうか。
 意志の力でえいやっと「食べ」てみたら、とってもおいしくて「愛し」てしまうこともあるのではないでしょうか。
 さてこの場合どこまでが「受容」でどこからが「愛」なのか。

 無理やり白黒つけて、「運命愛」か「運命の受容」か決め付けなくても、もっと可塑性のあるもののような気がします。
 私は両方が自分の中にあるようで、そのおかげで両方の視点で見られておもしろいです。

 完全な運命愛を会得できた人というのは、善しか行えない大天使のようなもので、人間である必然性があまりないと言うか、そういう境地に行けたら(素敵でしょうが)行けたときのことで、自分は地平に輝く目印の星として時々見上げながら、日々の運命の受容を歩んで行こうかと思います♪
 もっとも昔に比べたらずいぶん「受容」より「愛」の割合が増えた(つもり?)なのですが(笑

 いや、住めば都と申します。
 受け入れた運命は、いつまでも忍従していないで、気がついたらけっこう愛してること、多いような気がしますよ~~♪

 インドの覚者ラマナ・マハリシの言葉だったと思いますが

「あなたがたは良いことがあると神に感謝する。しかし悪いことが起こると感謝しない。そこが間違っているのだ」

 まことに至言だと思います。
 100%身体で納得するのは難しい(普通は誰でもひどい事故だの病気はしたくないように)ですが、人生の極意を一言で言うとそういうことではないかと。
 これはけして、悲劇に遭遇した人間をあざ笑うものではなく、悲劇は悲劇としてあるがままを受け入れ、もしそれが二度と繰り返したくないもの、立ち直りたいものであれば、そのためにできることをすればいい。その瞬間の「被害者」であることに、いつまでも囚われて変化しないでいる状態を、選ばないということです。


 蛇足ですが、思想や哲学というのは、肉体の訓練といっしょで、学んだからと言ってすぐ使い物にはなりません(なるものもたまにありますが)。
 道場で学んだ鍛錬法を何日も反復して初めて使える技が身につくように、生き方やあり方も、その思想が身体にしみ込んで自然体で体現できるようになるには長い過程が必要です。
 たまに話だけ聞いて、そんなことできないと決め付ける人がいますが、それは、道場で鍛錬法を聞いて、すぐに人が倒せない(だから使えない)と言うくらい見当違いなことではないかと。

 って、いささか脱線しましたが
 きょうは、そんなちょっと硬い話をしてみました。お許しを~~;
でかい虫の音
 すごい音いや虫だから声と言うべきか
 で鳴く虫が、近所にいます。
「ぐゎひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
 って、まるで小ぶりな船の発動機か何かが回ってるような音で、最初私は本当に近所の家が庭に置いてるそういう機械が作動してるのかと思いました。

 つまに言ったら虫じゃない?って言うんで
 えー、まさかーって言ってて

 ある日道を通りかかると金網のそばの草むらから、そのすごい音が聞こえてきて
 そ~~っと近づいて金網をガン!と蹴飛ばすと
 しーん・・・・

 しばしの沈黙のあとまた
「ぐゎひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
 
 虫かよ!!

 これってクツワムシ?(がちゃがちゃって言いますよね)
 しかしこんなでかい声で鳴く虫は生まれて初めてです。
 何者??? (つまは「だかだかだかだかだか」って聞こえるそうです)


追記
 以前、我が家のトイレに出没する蜘蛛につまがシャーロットちゃんって名づけてましたが
 最近見かけないと思ったら庭で巨大な子どもの掌サイズになってるのにつまが遭遇。
 別人なのか成長したシャーロットちゃんなのか謎ですが
「ゴキブリ三匹くらい抱え込めそうだった」
 とつまは言ってました。
 元気でなによりです。
カラオケ苦手
 友人の日記でカラオケは苦手と言う話題があったので、尻馬に乗りまして。
 苦手なんです私。
 そもそも行く機会が普段ないですが、まれに久々に会った仲間に連れて行かれたりすると、もっぱら聞く側に回ります。

 クラブと言うかディスコと言うか、なら
 若い頃かなり慣らしたんですが(今行くとたぶん、足がこもらがえり起こすでしょうが、なんとなく普段も家の中で移動中踊ってたりすることがあります)(爆)。
 ダンスの場合、下手糞は目を背けて見なきゃいいんですが
 カラオケの場合逃げ場ないですよね。

 私は上がり症なので緊張すると音程やリズムずれることあるし(要は音痴ですね)そんな歌人に聞かせるのは迷惑(誰も聞いてないで自分の歌う歌を探してるだけって話もありますが、それもなにか虚しいです)。
 あと、好きな歌ってほとんど女性ヴォーカルで、キーも違うし歌えないんですね。
 それとカラオケやってる仲間の場の空気と明らかに違う歌とか
 例・中島みゆき姐さんの『ひまわり“SUNWARD”』
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND54175/index.html
 とか
 やはり歌うの躊躇します(同じ中島さんでも失恋や自己憐憫の歌には興味ないです)。歌ってる途中で泣いちゃって絶句しそうな気もするし(たぶん長谷川きよしさんの『城壁』とかもそう)。

 最近の歌なら平原綾香さんの『JUPITER』とか好きですが、私の音程超えてるような気がするなー。

 カラオケ批判ではけしてなく、私が苦手だという話でしたー;
『エクスタティック メイ』予告
『エクスタティック メイ』予告カット

『エクスタティック メイ』初期ラフ

 9月25日発売のビジネスジャンプ増刊ビージャン魂(こん)掲載の読み切り『エクスタティック メイ』の予告カットです。
 昨日届いたビジネスジャンプ最新号(明日発売予定)に予告が載っていたので、もういいかなとアップしました♪
 お客様のご声援次第で続編もありなので、どうかよろしくお願いします。
 もっとも私の中では、たとえどうなろうと続編の構想はできてますので、勝手に第一話と想定していますが(笑

 カラーは雑誌用に8月末に描いたカット。
 モノクロは7月に描いたラフです。

「ecstatic」
 エクスタティックという単語ですが
 辞書を引くと「有頂天の、有頂天になった人、有頂天にする」といった項目が並んでいます。
 また「法悦にひたっている人」という意味もあります。
 と言うと性的なものを連想される方もおいででしょうが、そういう話ではありませんで、むしろ形而上的な法悦、神との合一とかいう意味の方です(って今回神様出てきませんが)。
 ヒロインの特殊能力に関わるものです。
 エクスタティックは見てのとおりエクスタシーからできた言葉です(近年ある種の麻薬もこう呼ばれてますね)。
 エクスタシーという単語は、大元の「エクスタシス」までたどると、「体から抜け出る」という意味もあり、ちょうど主人公の能力に合っています♪
 従来の山本漫画とはいささか趣きを異にする作品で、お口に合うかどうか心配ですが(『桃源荘綺譚』や『シンバッド』の頃まで遡れば違和感はないのですが)私の新たな方向性としてご覧いただけますと幸いです。ではでは~;

追記
 ホームページの「あつじ屋」にも画像アップしました。
 モノクロカットはこのブログに掲載したものは一部トリミングしたもので、編集前のものはこちらをご覧ください。
[『エクスタティック メイ』予告]の続きを読む
原稿上がったー♪
 先月末からかかってましたBJ増刊用原稿。 
 夕方無事完成、発送しました。
 35枚はちょっと手間がかかりましたが、気持ちよく描けました。今夜は一息ついて、明日から『弾(アモウ)』5巻の最終話にかかります。
 新作のヒロインカットとかアップしたいのですが、フライングしてもいけないし、もう少し控えます(担当さんに雑誌の予告掲載時期おうかがい中)。
 うにゃ~~~;

 ご声援くださった皆様ありがとうございました。
 掲載されましたらまたどうかよろしくお願いします♪

追記
 宅急便を出しに行く途中行く裏道の一角に、誰かはしらないけど不法にゴミ(ジュースの缶とかコンビニ袋に入った弁当カスとか)捨ててる不心得者がいて(正しくは捨てられたゴミがあって)、前回宅急便出しに行くときも見かけてココロ痛めてました。
 缶の2~3個なら拾ってコンビニの缶用ゴミ箱に入れたこともありますが、あまり大量だと、へたに入れに行くと「家庭用ゴミを捨てにきたやつ」と誤解されて押し問答になっても困るし悩むところでした。
 きょうも時間ぎりぎりで宅急便を出さないといけないタイミングだったので、もし見かけても後日考えることにしてゴメンネと通り過ぎるしかないとハラ決めて歩いていったら
 なんと、先週見かけた缶もコンビニ袋も全部無い。
 位置的に見て風で飛ばされたとかじゃなく、明らかに誰かが片付けたようです。
 奇特な方もいらしたもので
 思わず心中合掌して通り過ぎました。
 感謝ですー。

 しかし
 自宅に持ち帰るのも衛生的にとか色々問題がありまして
 不法投棄ゴミの問題は困ったものです;
土壇場でひやひや;
 今描いてるビジネスジャンプ増刊用原稿、35枚の末尾6枚(あとは完成済み)をスキャンしてフォトショップ処理にかかろうとしたら、仕事場のPCがスキャナ(EPSONのES-6000HS。A3対応)を認識しません。
「対応したドライバがありません」
 と出るのですが、ないわきゃなくて、フォトショップだけでなくマシンまでフリーズ。電源も落ちません。
 仕方なく手動で強制終了。

 締め切りまでタイムアタックのこの状態で冗談きついなと思いつつ、こういうときのために置いてある別室のシステムを立ち上げて同機種のスキャナを動かし、スキャン開始。

 データは家のすべてのシステムをつないであるテラバイトHDにどんどん入れます。
 その間に、不調になった仕事場のシステムのスキャナ結線を差し込みなおして再起動したら、こっちも無事復活。
 同時に二台使ってじゃんじゃん取り込み、いつもより早く作業が終了しました。
 いやー瓢箪からコマでした。
 感謝感謝♪

 やはり持つべきものはサブシステムです。


 さて追い込みじゃ~~!
お坊さんの袋?
PATAGONIAの袋

 変わった袋と言うほど変わってもいないんですが
 つまがPATAGONIAのカタログで見つけて、ほしーとか言ってます。
「ライトウェイト・トラベル・クーリエ」って言うんですが、商品解説が面白くて

「バイクメッセンジャーが斜めがけのストラップを導入するはるか前から、お坊さんたちはそのスタイルを極めていました。このバッグは通気性のよい軽量なメッシュを使用した、本体と一体型のフリーフロー・ショルダーストラップ付き。ジッパー式の開口部はドローストリングでも締められ、ジッパー式セキュリティポケットにはバイク用ライトのほか、必要であればお数珠も収納できます。素材は丈夫で非常に軽量な30デニール・トリプルリップストップ・ナイロンを使用し、底はDWR(耐久性撥水)加工を施したシフトレイヤー・ナイロンです」
 長41×幅20×高34cm 容量23リットル 198g

 ところどころ私には意味不明ですが
 誰に売るつもりなのか。
 そもそもこれ、日本版カタログ専用の商品なのか、海外でも売ってるのか知りたいとこです。
 8925円は高いのか安いのか、はてさて・・・??

追記
 友人の尼僧さまにお聞きしたら、頭陀袋ってけっこう高くて、一個1万以上から2万とかするらしいですね。
 じゃあこの品はお買い得なのかも?
とりとめもなく
路傍の猫1

路傍の猫2

 ビジネスジャンプ増刊新作読みきりの執筆に没頭中でネタありません。
 とりとめもないアリバイ日記です;

 最近はケーブルテレビのおかげで民放はほとんど見なくなりました(ネプリカとか一部除く)。
 このところのオキニは大好きな栗塚旭さん主演の新撰組もの。仕事忙しいので見る暇はほとんどなく「聞いて」ることが大半ですが。

 しかし、主役が新撰組ですから仕方ないんでしょうが、これに出てくる長州藩士ときたら、どいつもこいつもIQ、EQともに低い野蛮人で、田舎から京の都に出てきて舞い上がり、何かと言うと群れ集ってコンパに明け暮れ、実力もないのに誇大妄想気味の詩吟など唸って剣舞を舞い、乙女にろうぜきを働き、弱い町人をいじめてテロを行い、あとはもう斬られるしかなかろうという悪役ばかり。
 ほとんどキリスト受難劇に出てくるローマ兵かSWのストームトルーパー以下の雑魚だらけ。

 長州人の私としては苦笑しながら見ております(笑
 別にハラは立たないけど、ここまでクズばかりってのもあんまりかなーなんて(笑
 いやいや、しかしかっこいいなあ栗塚さん。
 島田さんも左右田さんも大ファンです。子供の頃から好きでした。
 
 さて仕事仕事♪
 画像は8月に写した道端の猫。
 先日のトンボと違って、広角で取ったカットの片隅で、いささか荒いです。
秋の虫たち
近所のトンボ

近所の蝶

 今日の昼間、買い物に出かけたとき見かけた虫です。
 トンボはマーケットの駐車場の上を100匹くらいが乱舞していました。動きが早いため、なかなかフォーカスしづらかったです。
 トンボは数メートル?蝶は2~3メートルの距離から。
 いずれもNikonD40/55-200mmズームで撮影。
 お目汚しでしたー♪
涼しいです♪
 ここ数日、湘南も涼しい日々です。
 昨夜なんかもエアコン不要。
 今朝も8時過ぎに目覚めましたが、心地よい気温と空気です。
 ツクツクボーシとミンミンゼミがさかんに鳴いてます。

 執筆中の原稿、遅れてますが快調です。
 遅れてて快調というのは、コンテと一部凝ったコマに時間取られて全体の予定は遅れてるんですが、ペンは乗って走ってるのでいつもよりスピードがあって、レースで言うなら加速するとごぼう抜きで追いついて前に出られる感じでしょうか(スケジュールの話です)。
 気は抜けないんですが、あせることもなく淡々とやってます。
 きょうの気候のように気持ちの良い執筆です~~♪

 皆様にとっても、きょうがまた豊かな一日でありますようにー!
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