あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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春眠暁を・・・?
 一昨日は昼ごろ寝たので、昨日はもう少し遅くまで行けるかと思ってましたが

 朝の9時前に仕事部屋でウトウトし始めたら、どうにも動けなくて昼過ぎにやっと這い出して入浴。
 心臓怖いから半身浴で就寝。
 夕方には目覚めるかと思ったら、夜の7時過ぎまで爆睡してしまいました。結局10時間以上寝てた計算です。

 一昨日起きた時から、はかどらなくて調子悪いと思ってましたが
 よほど疲れてたのかなんだか。

 今日は今のところまだOKですが
 春眠なんとかってやつですかねー;
不機嫌な創作
 先日NHKの番組で宮崎駿氏を取材したドキュメンタリーがありました。
 その中で、延々と追い回す取材カメラに、宮崎氏があからさまに不機嫌な態度を見せる下りがあり
 「ボクは不機嫌でいたいんです。
 ここは笑わなくちゃいけないからということで笑ってたりするだけで
 本来は不機嫌でいたいんです」
 みたいな意味のことを言っておいででした。

 これは批判ではなく、私個人を振り返っての感想なんですが

 宮崎氏の言葉は半ば共感し、半ば反対です。
 まず創作者として言うなら、にこにこ楽しく悩みない状態で創作し続けられるわけはありません。創作とは困難との闘いであり、ブレイクスルーを求めてもがく、いやぬかるみの中で必死に出口を求めてもがくマドルスルーの繰り返しだったりします。

 昔私も外からアシスタントを読んで手伝ってもらっていた頃、つまやアシスタントに
 「機嫌が悪いと怖い」
 と非難されたことがあります。
 しかし、今言ったとおり、ご機嫌で創作なんかし続けられるものではありません。
 番組中でも、スタジオにいる宮崎氏の大変険しい表情が何度か映し出されます。
 創作者ならわかるでしょう。共感できるでしょう。
 周囲への気遣いはある方がいいけれど、弾丸の飛び交う戦場でそんなきれいごとを言っていられる人がどれほどいるでしょうか。
 そういう机上の空論をかざして人に要求する人は、自分で創作の地獄を見たことがあるのでしょうか。
 
 アシスタントは全員がプロの創作者じゃないんだから、とつまは言ったものですが、私は創作者のハートがない人と創作したくはないし、原稿に触れても欲しくありませんでした。プロでなくともプロのハートがある人はいますし、プロでもプロのハートがない人もいます。

 そんな私ですから。PCの進歩で、アシスタントを呼ぶことなく一人で執筆ができるようになったことは、私にとっても、アシスタントにとっても幸せなことでした。


 常にそれまでの自分を越える新たな地平を目指して苦闘する、それが不機嫌となって現れるという意味でなら
 私も「不機嫌で居続けたい」とは思います。
 ここまでが「共感」する部分ですが
 その一方で反対の部分(いや「補足」と言うべきでしょうか)もあります。

 不機嫌なのはあくまでやむなくであり、究極の目標は「ご機嫌」で創作することです。
 これは、ネガティブな意味での自己肯定、進歩に背を向けて「オレってサイコー」みたいな妄想的万能感に囚われると言う愚かな意味ではありません。

 ちょっと話はずれますが、人生の求める道の一つに、どれほどすべてを肯定できるかというのがあります。
 人は狭いエゴで、人生のさまざまな出来事を「運不運」「幸不幸」とレッテルを貼り、一喜一憂して暮らします。
 しかしそれは愚かな道です。永遠の苦悩の道です。
 本当は一見「不運」「不幸」と思える出来事が、振り返ればかけがえのない贈り物であったことがわかります。
 それをハラの底から実感していけば、すべてを肯定し感謝して受け入れることができるでしょう。

 なんの覇気もない無気力な人間は、とりあえず怒りや復讐心を杖にして、何事かをなすことができます。それは虚無的であるよるりはましかもしれません。
 しかし、そういうネガティブな感情を手がかりに出せる力は、あるレベルまでのものに過ぎません。

 武術の世界でも、本当に効く技は、効かせようとかいう意思、敵愾心に燃える状態では出せません。そういう意思を捨てたところから、本当の技が始まります。これは禅問答や机上の空論ではなく、私自身様々な武術家さんたちとお会いして体で実感してきました。

 スポーツの世界でも、会心のホームランが打てたとき、腕に全然衝撃を感じなかった、という選手の話など聞いたことがあるでしょう。
 すべてが理にかなって強調して動く時
 それは限りなく抵抗がない境地です。
 抵抗があるというのは、どこかに無理があるということです。
 古代中国の包丁名人が、あまりにも技を極めたため、どこに包丁を入れれば目の前の肉が綺麗に解体できるかが手に取るようにわかり、何年も使った包丁が刃こぼれ一つしなかったという伝説がありますが
 要はああいう境地です。

 それは、自己満足の妄想的万能感ではありません。
 信仰のある方はそれを神と一体になると表現するでしょう。
 唯物的に見ても、すべてが理にかない、あるべきものがあるべきところに落ち着く、ドミノ倒しのようにすべてが成就されていく場合があることは否定できないでしょう。
 そこに、怒りや不機嫌はもはや存在しません。

 創作の原動力は、そもそも現実に存在していないものを作ろうということですから、なんらかの現実否定、不満や怒りといったものが存在するのはやむを得ないことですが
 それらは打ち上げられるロケットの最下段のブースターのようなもので、高度が上がれば切り離し、捨て去られるものではないでしょうか。

 私は確かに不機嫌で創作する時があります。
 しかし永遠に不機嫌でいたいとは思いません。
 極端な例えですが、弥勒菩薩のような表情で、大いなる慈悲と至福の中で創作できれば、それに過ぎる幸せはありません。
 先日の宮崎氏のドキュメンタリーに
 そんなことを思いました。


追記
 それはある種のプチ「悟り」と言ってもいいかもしれません。
 そういう事柄に不案内の方は、多幸症と言うか、ヤクでラリってハッピーになり、思考能力が低下した状態と間違えられるかもしれませんが
 まったくの逆で
 「悟る」方向に向かうということは、すべてが明晰になるということです(「悟り」は、とは申せません。「悟った」ことなどないのですから。しかしその途中や方向性はわかります)。
 つまらぬ私情や感情に翻弄されることなく、あるべき姿、すべきことを瞬時に把握し、こなしていく。
 それは武術の達人が激情とは無関係に、無心で箸を使うように人を捌くのにも似ています。
 「限りなく透明に近い私」
 とでも言うのでしょうか。でも私は在るのです。
思い出の猫2
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takaneko2

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先日アップした、友人の学生時代の通い猫(の産んだ子猫)です。
1980年ごろの東京多摩市のアパートです。
写っているのは友人です。
思い出の猫
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仕事ばかりでネタがないので
 お目汚しに猫写真です。
 1980年前後、大学漫研の仲間のうち(東京多摩市)に来てたノラりん。
 何しろあと少しで30年は経とうという昔ですので、みんなもうこの世にはいないと思います。
 愛らしかったですー♪

 あ、写真は写してるのが私ですので、私は写ってません。
梅田望夫氏の日記から
 マイミクさまに教えていただいた梅田望夫氏の日記
 「My Life Between Silicon Valley and Japan」
 より
 2007年3月17日の記事
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1
 を引用します。
 タイトルは
 「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗を探してる暇があったら自分で何かやれ」

 タイトルは近年私もまんま信条としているところで
 やはり人生考えていくとそういう方向に行く人がいらっしゃるものだなあと意を強くしました♪
 梅田氏は『ウェブ進化論』などの著書でも知られます。

 「ここ一週間、たくさん日本の若い人たちと話した(中略)
 僕が考えていることと正反対の言葉を、日本の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかった(中略)」

 そして

 「ネット空間で特に顕著だが、日本人は人を褒めない。昨日もLingrイベントで言ったけど、もっと褒めろよ。心の中でいいなと思ったら口に出せ。誰だって、いくつになったって、褒められれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、世の中はつまらなくもなり楽しくもなる。「人を褒める」というのは「ある対象の良いところを探す能力」と密接に関係する。「ある対象の良いところを探す能力」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「ある対象の悪いところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。自己評価が低くなる。「好きなことをして生きていける」なんて思っちゃいけないんだとか自己規制している。それがいけない。自己評価が低いのがいちばんいけない。

僕だって君たちを見ていて、悪いところとか、足りないところとか、たくさん見えるよ。でもそんなことを指摘して何になる?

それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ」

 と結んでおいででした。
 まったく同感で、私は近年、自分はこれまでの人生でもう一生分他人の粗探しはしたので、残る人生はいいとこ探しだけして生きようと心に決めて暮らしています。
 社会の不正を暴くとか、世の中に必要な問題提起はありますが
 ただこいつが気に食わないとか、これがムカつくといった類の話は時間の無駄なので参加しません。

 直感を信じると言うのは、創作をしているととりわけ必要なセンスなのですが、ひとこと付け加えるなら、よほどの天才でない限り、磨かないと鋭くならない(使い物にならないと言ってもいいかも)なので、それだけは日々心がける必要があると思います。
 私のつまは昔から
 「直感を身に着けたかったらまず五感を磨け」
 と言っていましたが、近年私もようやくそれを実感するようになりました。
 言うまでもないのですが、直感を信じて宝くじに全財産をつぎ込み破産しました、とかいうことを勧めているわけではありません。

 この種の話は、電子レンジに犬を入れて乾かす(都市伝説とも言われますが)人のことまで対象にしてはいませんので、その辺誤解のないようと言うか、自己責任で使用していただきたいものです。


追記
 先日日記で書いたカリール・ジブランの友人で、同じくレバノン出身の作家、ミハイル・ナイーミの『ミルダッドの書』(小森健太郎・訳/壮神社)より
 膝を叩いたフレーズを一つ。

「嘲弄するのは易しい。理解するのは困難だ。
しかし嘲弄は常に嘲弄者を嘲弄してきた。なぜ舌を無駄に動かすのか?」
コンプレックス
 コンプレックスという言葉自体にネガティブな意味はないのですが、一般には劣等感と同義語で使われることが多いです。

 先日、漫画家のお友達とお話してたら、自分は絵が苦手なので、ずっとコンプレックスを持っていた。
 でも、先ごろ、飛騨高山の円空仏を見て
 細かいデッサンに拘泥しなくとも、人に訴えかけるものはできるということを教わり、思うところがあったと。

 いやまったく。
 私も幼い頃からデッサンはコンプレックスで
 デビューしたころは、神経症的に裏から見ては直し(デッサンの狂いは裏から見てチェックというのが、定石のひとつですから)表で直し、また裏から直し、また表から直し

 ずいぶんぐるぐるしたものでした。
 その甲斐があったかなかったか
 確かに多少はましになりましたが
 所詮才能の限界と言うか
 今でも狂ってるとこは狂ってます。

 昔ほど頻繁には見なくなりましたが
 たまに確認して目に余るところは直します。
 つい先日も、『紅壁虎』下絵しながら裏から見て
 「まだこんな絵描いてんのかてめー」とか言いながら直したコマがありました。

 しかしもう昔のようにはこだわらなくなりました。
 そこまでこだわらなくとも、以前ほど狂ったデッサンは描かなくなったというのもありますが、それより何より
 デッサンよりもっと大事なことに力を傾けた方がいいからです。
 私は自分のデッサンにけして満足はしませんし、一生涯向上心は捨てないつもりですが、マンガの肝は、読んだ人が楽しめるか、浮世のウサを忘れられるか、前向きに進める心持ちのお手伝いができるかといったことであり、
 デッサンはそのずっと後。
 少なくとも、読む人がしらけて夢が覚めるような狂いがない限りが、後回しにすべきものだからです。

 ずいぶん前からそう思ってデッサンは二の次三の次にしていますが
 コンプレックスが消滅したかと言うとまた別の話で
 こればっかりは、なかなか消えませんね。

 でも私の最大のコンプレックスはデッサンよりも何よりも、おもしろいマンガ、血沸き肉踊る物語を産むということの方です。
 読者の方々にしても
 今よりデッサン力が50%アップした山本マンガ
 今よりおもしろさが50%アップした山本マンガ
 どっちが読みたいかと言えば、まず100人が100人後者でしょう。(まあ50%と言うのは仮の数値で、50と言わず100でも200でも)。

 死ぬまで品質向上は目指していきたいと思います。




 ダビンチとかミケランジェロとかいった天才は
 どんな悩みを持ってたんでしょうねえ・・・
物持ちの良い病院
 先日から入院中の義父。
 義母が見舞いに行くと、義父が使っている病院のタオルになにやら見覚えのあるものが。
 はてこれはどこかで??
 よくよく確認すると
 ずっと昔、その病院で伯母さんが亡くなったとき、もういらなくなったタオルとか寝巻きとかをどっさりワゴンいっぱい寄付して、婦長さんがお礼にきたことがあったらしいのですが
 その時のタオルの一枚だったそうです。
 まさか十数年後、義父がそれを使おうとは。
 タオルには伯母さんの名前がまだ残っていたそうです。
 綺麗に洗濯されて真っ白だったそうで
 ずいぶん物持ちのいい病院もあるものです。

 ちなみに、その伯母さん
 戦後大陸から引き上げるのに大変難儀をして、最後は密航して日本に帰ってきたとかで
 「私はその辺のドラマなんかよりずっとすごい人生送ってきたのよ」
 と言っていたそうですが、取材する前に亡くなってしまい、惜しいことをしました。

 義母は義父の具合が心配で眠れなくて、亡くなったお父さん(私には義理の祖父)などに祈ってたそうですが
 それを聞いた義父は
 「こんなときだけ祈ったってあのジジイが聞いちゃくれねえよお」
 と笑ってたそうです♪
 あ、容態は回復してるので、大丈夫そうです。
 暗い話ではありませんのでお気遣いなく~~。
猫との対話3
2007年3月8日mixiの日記より転載

 行きつけのトイガンショップの店長さんからうかがった話。

 昔店長さんが外を歩いていると、10センチもないかというくらいの、目も開くか開かぬかの茶虎の子猫が
 「助けてください~~」
 というように足元にしがみついてきたそうです。
 驚いて飛びのくと、またにじりよってしがみついて
 「助けてください~~」

 仕方なく連れ帰ったものの、家には犬もいるし飼えない環境なので、猫好きの妹さんにバトンタッチ。

 妹さんのうちは他にも3匹猫がいたんだそうですが
 そのうちの一匹、白黒のブチ猫がお馬鹿な子で
 ある時家のベランダから外へ落ちて行方不明になりました。

 拾った茶虎は大きくなっていましたが
 妹さんが
 「いい、あの子を探して連れてきてちょうだい。お願いね」
 と言うと、茶虎はそのまま出かけました。

 そして本当に、迷子のブチ猫を連れて戻ってきたそうです。

 ブチ猫は外に出たのが初めてで、ここがどこかもよく判らず、とまどっていたようですが、先にベランダの手すりにとびのった茶虎が
 「おい、早く来いよ」
 というように振り返ってブチをうながすと、ブチも続いて手すりにジャンプ。
 無事妹さんのもとに戻りました。

 それを見届けた茶虎は
 「じゃ、約束どおりつれて来たから、自分はちょっと遊んでくるわ」
 と言うように、また外へしばらく出かけていったそうです。

 賢い猫です。
 その子もうちのミケコといっしょで
 そろそろ「猫卒業」のクチですねきっと(笑 
猫との対話2
nekotai2

2007年3月5日mixiの日記より転載

 三日経つと恩を忘れる、などと言われる猫ですが
 知り合いの奥様が手術で入院され、昨日無事退院、二週間ぶりに帰宅されたんですが
 果たして愛猫は、奥様のことを忘れ果て、家の一番奥まで逃げてしまったそうです。一時間で出てきたそうですが、慣れたのか思い出したのか。

 その話を妻にすると
 「猫にはよく言い聞かせてやるとわかるよー。
 これからおかあちゃんは病院に言ってくるからねーって。
 ミケコにはあなたが入院してる時『父ちゃんは盲腸で入院しちゃったよ、あした手術だ』とか『寝てる間に点滴がはずれて床が血まみれだったよ』とか毎日報告しておいたよ。
 言葉がしゃべれないからといって馬鹿にしてはいけません」

 そう言えば10日経って帰宅した私を
 「おかえりおかえりー」
 って迎えてくれたなあみいちゃん。

 つま曰く
 「昔二人で出かけるとき、一週間も前から
 『○日にはおっとうとおっかあは出かけてくるからな、一日雨戸締まってて真っ暗だがよろしくな』って毎日言い聞かせたよ。
 しまいにゃミケコ
 『その話はもう聞いたー』
 って言い出して、当日出かける時また同じことを言おうとしたら
 『わかったから早く行け』
 って言ってたよ」

 さすがは「お話しみいちゃん」賢い子や(笑
 だから死んだあと夢で会っても良くしゃべるんだなあいつ♪
【夢】猫との対話
nekotai1

以前のココログより転載。
元は2007年1月21日のmixiの日記です。


 愛猫のミケコが亡くなってはや7年目になります。
 死んでから夢で何度か会ったように思います。
 ただ、いつも体の模様が微妙に違う気がするんですが、なぜかミケコだと思うんですよね(笑

 一回目は死んでから間もないころ。
 お寺の一角みたいなとこに私がいて、扉が開け放たれていて
 「あれー、こんな開けてたらミイちゃん出てっちゃうよー」
 と思うんです。
 で、部屋の隅から庭を見ると、草木が生い茂ってて、鹿とかいろんな動物が飛び跳ねてる。
 で、見回すとすみの茂みにミケコがうずくまっていて
 「あっミイちゃん!」
 って思って目が覚めました。


 二度目は、それから何年か経ったころ、温かい日差しの中、幼い頃歩いた田舎の道(家などもある)を私は歩いています。
 腰くらいの高さの竹の垣根の手前をミケコが歩いていて、垣根の向こうにはでかい虎がいる。
 「危ないからこっちへおいでミイちゃん」
 と抱き上げます。
 虎は別に襲ってくるでもなく、垣根の向こうをうろうろしてます。
 私もパニクるでもなく、ミケコを抱いて歩いていくのですが、
 私の腕の中でミイちゃんが、なんと人の言葉で話すんですね。
 何を話したかは覚えてないんですが
 「○○が××してね、△△なんだよー」
 と、生前のミイちゃんの自己主張っぷりとそっくりのニュアンスでかわいい声でいっぱい話す(ミケコは生前も話し好きでした)のがおかしくて楽しくてそれだけ覚えていました♪

 三度目は昨日の昼、目覚める前に見ました。
 まことに不思議な夢でした。

 どこか病院のような場所に私はいます。病院ではないのかもしれません。
 患者になってるわけでもなく、なぜか腕にミケコを抱いています。
 こんなとこで抱いてて叱られないかなと思いますが、別に誰もとがめないので(まわりにはたくさんの人がいます)抱いたまま通路を歩いていきます。
 またミケコがしゃべります。

 ミ「今回(の猫生では)いっぱい色んな体験したよー」
 私「そうかあ、じゃ、もう猫は卒業だね?今度は人間になるんだね?」
 ミ「本当は天平年間に生まれたかったんだけどね」
 私「えっ?それって時間を逆行して転生するってこと?それはまだあまり知られてない概念だよ。体外離脱のモンロー研究所とか、一部の人しか主張してないよ」
 ミ「(時間を超越した転生なんて)当然だよ。
 今度はふじ寺に行くことになっちゃった」
 私「へー」
 ミ「そこでね、恵まれない動物たちの面倒みてあげるんだ」

 そして私は目が覚めました。
 とっても穏やかな気持ちで目が覚めて、寝る前悪かった体調(頭痛とか腹痛とか)がきれいに治ってました。
 右腕の中にあったミケコの頭が今でも記憶にあります。
 話している途中でミケコは一回身をよじり、つまと違って猫を抱くのが下手だった私は
 「あ、ミイちゃん行っちゃうの?」
 と思ったのですが、ミケコは姿勢を直しただけで、じっと抱かれててくれました。

 ミケコはすっと首を立てて前を見据え(夢の中で私とミケコは見つめあいません。ともに同じ方角を見て)かわいいけれど媚びのない、凛とした声で話します。
 生前から私は、ミケコの魂の高貴さに敬意を抱いていましたから、まあ彼女ならこうかもなと納得できる声でした。

 まわりにはいっぱい人がいて、建物の壁は少し色が付いているのですが、壁よりもみんな白っぽい感じがしました。
 知っているひともいっぱいいたようなのですが、思い出せません。
 知らない顔なんだけど知ってる人もいたような気がします。

 この夢には二点妙なところがありまして
 まず、日本史に疎い私は「天平時代」という単語は使いますが「天平年間」という言い方はしません。
 目が覚めて「天宝年間」(1830~1843)の間違いじゃないかと思ったくらいです。
 日本史にくわしいつまに言うと、いやそういう言い方はするよと言います。調べてみるとそのとおりです(天平年間/729~749)。

 また「ふじ寺」なんて寺があるというのも知りません。
 ネットで検索したら「ふじ寺」と呼ばれる寺が鳥取県に実在する(住雲寺)ことがわかり、びっくりしました。

 この二点は、少なくとも私の顕在意識にはないデータで、心理学的に見ればどこか記憶の片隅潜在意識から浮かび上がってきたのだろうという解釈も成り立ちます。
 それはさておき

 ミケコの話のニュアンスからすると
 ミケコは、天平年間よりも現在に近い過去?のふじ寺に人として赴き、生き物をかわいがって暮らす予定になったようでした。
 ふじ寺こと「住雲寺」の建立は建武元年(1334年)だそうです。
 これは検証は不可能ですし(ふじ寺にいて動物好きだった人間なんて星の数ほどいるでしょうから)ただの夢と言えばそれまでです。

 でもネットで、見たことも聞いたこともない「ふじ寺」の存在を見つけたときは、なんだか涙がこぼれました。

 言ってみればこれは、一種のヒーリング・ドリーム(癒しの夢)です。

 ちっちゃくて大きいミケコの魂が、彼女なりの(今となっては彼かもしれません、どっちでもいいです)旅路を、しっかと前を見据えて歩んでいるさまに、胸打たれました。
 たとえそれが夢であっても
 私は慰め励まされました。
 
 「オレも頑張るよミイちゃん。
 また会おうな」

追記
 尊敬するキプロスのヒーラー、ダスカロスことスティリアノス・アテシュリスが生前こんなことを言っていたと読んだことがあります(『太陽の秘儀』キリアコス・C・マルキデス/著・鈴木真佐子/訳・太陽出版)。
 「夢を見ると、すべては秩序正しい。問題は、明確な形で夢の体験を肉体の脳に伝える能力がないことだ。子どもがカメラを持って美しい風景の写真を撮るが、フィルムを巻かずにそのまま写真を撮り続けたようなものだ。ネガを現像すると、すべてが混ざり合い、混沌としているように見える。それは現実そのものが混乱しているわけではない。そのように脳に記録されただけだ」

 上記のミケコの夢は、ほかにもプライベートな内容を語り合ったのですが、そこにはいささか混乱も見られました。
 数日前に友人が愛猫を亡くしたので、そのことがこんな夢を私に見させたのかもしれません。
カリール・ジブラン「子どもについて」
 先日レバノン出身の詩人カリール・ジブランについて書きましたが
 今日は彼の作品から「子どもについて」を載せてみます。
 最近かわいい赤ちゃんが生まれた友人に捧げます。


子どもについて

赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をしてください。
それで彼は言った。

あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らはいのちそのものの
あこがれの息子や娘である。

彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。

あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。

あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。

あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。

あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて、前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。

射る者の手によって
身をしなわせられるのをよろこびなさい。
射る者はとび行く矢を愛するののと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。



 『ハリール・ジブラーンの詩』
    神谷美恵子・訳(角川文庫)より
 表示間隔の違いで見にくいため、少し一部行間を私(山本)が空けました。
 ハリール・ジブラーンはカリール・ジブランのよりアラビア語に近い読み方だそうです。


追記
 そう言えば私も昔、親は子どもを遠くに撃ち出すカタパルトのような存在ではないかと思ったことがあります。
 思えばジブラーンの弓矢と通じるものがありますね(笑
エンキ・ビラル
bilal

昔(確か90年代)コミッカーズ誌で連載していたころ、バンデシネ(フランスのコミック)の有名作家エンキ・ビラル氏にインタビュー(無論通訳さんを介して)したとき、いただいたサインです。
 インタビューの内容は一部、拙著『本気のマンガ術』(美術出版社)に収録されています。
夢のこと
2007年1月5日のmixi日記より転載

 夢のあるなしで血の雨が降る哀しいニュースがありましたが

 少し夢違いな話を、愛読書の中から少し長いですが、この機会に引用します。

「あなたが、たった今、見たり、聞いたりしていることは、夢なのである。それ以外のなにものでもない。あなたは、今、この瞬間、夢を見ているのだ。あなたの脳は目覚めているが、あなた自身は夢を見ているのである」

「人間は常に夢を見ている。私たちが生まれる前、人間は、社会の夢、あるいは「地球の夢」とも呼べる大きな外側の夢を創り出している。地球の夢とは、何百万もの小さな個人的な夢の集まりであり、一緒になって家族の夢、共同体の夢、そして最後には、全人類の夢を創り出す。地球の夢は、全ての社会の規則、信念、宗教、異なった文化や、その現れ方、たとえば政府や学校、社会的な行事、休日などの全てを含んでいる」

「誰かが、あなたについてこう言ったとする。「やい、このでぶ」。しかし、それを自分のこととして受け取ってはいけない。なぜなら、その人は自分自身の感情、考え、意見などを表明しているだけなのである。その人があなたに毒を送り、あなたがそれを自分のものとして受け取ったとすれば、その毒はあなたのものになる」

「あなたは感情のゴミを呑み込み、今や自分自身がそのゴミとなっているのである。しかし、もしあなたが全てを自分のこととして受け取らないのであれば、あなたは地獄の中で平然としていられるのである」

「私はあなたの言ったことに影響されない。私は、自分が誰であるか知っているからだ」

「人が何をし、考え、言ったとしても、自分のこととして受け取ってはいけない」
「あなたが自分について持つ意見も、必ずしも正しいとは限らない。したがって、自分の心のおしゃべりを、なんでも自分のこととして受け取る必要はない。心はおしゃべりする力を持っている」

 ドン・ミゲル・ルイス『四つの約束』より

 ミゲル・ルイスはいわゆる精神世界系の著作で知られる人物です。中には、アトランティスがどうしたというような、真偽のほどが判別不能なもの(『恐怖をこえて』)もありますが、それはさておき、彼のこの『四つの約束』(正しい言葉を使うこと/なにごとも個人的に受け取らないこと/思い込みをしないこと/つねにベストを尽くすこと)は、唯物主義者であろうと何か信仰のある人であろうと、受け入れ可能な内容なように思います。

 私はいわゆる聖典から道行く人の独り言まで、いや風の音まで、何か学ぶべきメッセージがあれば受け取るもので、彼の著作からも大いに得るところがありました。

 ただ、汝の敵を愛せよと言った人の教えを、どう解釈したか、市民の上に爆弾の雨を降らせる口実にする人がいるように、このミゲル・ルイスの言葉も、解釈次第で、被害者の抗議に耳をふさいでストーカー行為を続けるダシにする人物もいるかも知れません。
 どんな「薬」も分別を持たない人が使えば、思わぬ「毒」になるものかと;
『弾(アモウ)』再開のお知らせ
ammo-kinumekent

『弾(アモウ)』の連載再開について
雑誌「桃姫」2007年6月号(5月5日発売)より久々スタートです。
予定では6回集中連載で秋に5巻が発売の予定です。
どうぞよろしくお願いします。
『シンバッド』タイ版
sindbad-tai

昔、ある方からいただいたタイ版?の『シンバッド』
異国の文字が作品にマッチしてました。
表紙の絵は、現地の方が描いたものと思われますが、けっこういいです。
ちなみに海賊版なので、私には一文も入っておりません(爆
薔薇とトゲ
3月9日の私のココログ日記より転載
主要記事のみお引越し、少しずつやってます。

 昔から妻は、薔薇を育てるのが大好きです。
 手をかけてやると素直に応えてくれるのが、まるで犬のようで愛しいと言います。

 昔は全然興味のなかった私ですが
 最近はなんだかすっかり好きになって、朝起きると庭に出たついでに全部挨拶して回ります。
 おはよー
 げんきー
 とか言って。

 綺麗な花が咲いているのは無論素敵ですが
 何も咲いてなくても素敵です。
 みんなトゲがありますが、良く見るとトゲにもそれぞれ個性があって、一つとして同じ株はありません。
 おはよーってなでてあげると、全然痛くありません。
 かわいいです。
 トゲだけの薔薇も、みんなそれぞれ愛しいです。
 幹に生えた産毛も綺麗だし、トゲもいい姿です。

 いい歳こいたおやじがキモイと言われるかもですが
 近頃めっきり仲良しです(笑bara

カリール・ジブラン
2007年3月5日の私のココログ日記より転載


 ご存知の方もおいででしょうが(あんまりいらっしゃらないとは思いますが)
 19世紀生まれのレバノンの詩人で哲学者で画家のカリール・ジブランって人がいます(ハリールって訳されてる場合もあったような)。
 この人の代表作の散文詩『預言者』(佐久間彪・訳/至光社)。
 
 「アルムスタファ、選ばれ、愛され、時代の曙であったアルムスタファ。かれは迎えの船を、12年のあいだオルファーズの町で待ち続けていた。かれを故郷(ふるさと)の島へ連れ帰るはずの船を。」

 この出だしでもう私は引き込まれてしまいました。
 そしてついに来た迎えの船を前に、
 別れを惜しむ町の人々に請われて、アルムスタファが彼ら彼女らの尋ねに答える形で全編は進みます。
 手のひらにのるサイズの薄い文庫で、あっと言う間に読み終えましたが、ひとつひとつが宝石のような文であふれていて、胸に染みました。

 映画『コンタクト』で、はるか星々の彼方を覗いたヒロインが「詩人を連れてくればよかった」という意味のことを言うシーンがありますが
 まさに詩人。

 私も、表現者の一人として常々思うことですが
 誰かの言葉がほかの誰かに届くとき
 それは詩(うた)となって届くものだと。
 どれほど理路整然としていようと、立派な内容があろうと、魂に響かないメッセージは虚しい。
 響きあう歌、響きあう詩
 それがつむぎ出せてこその表現者。それを摸索してこその表現者ではないかと。

 『預言者』は全編形而上的なニュアンスを含んだ対話ですし、神といった単語もでてきます。
 作者カリールの出生地(レバノン)から、人は反射的にイスラ○教を連想するかもしれませんが、私の限られた知識で言うと、ここで語られている内容は、その教義からは離れているように思います。
 そもそもジブランはキリスト教の家庭の生まれだそうで、日本での紹介もそっちの系統の方々や出版社からなされているようです(ちなみに巻頭に一文を寄せておられるのは曽野綾子氏)。
 しかし、同書の内容はキリス○教でも何教でもない。特定の宗教や特定の神の話ではない、もっとグローバルなスピリチュアリティに貫かれているように思います(ちなみにジブランはニーチェに心酔していたそうで)(笑)。

 それは同書の最後の一文でも明らかなのですが、それは伏せます。
 
 とても一言では語りつくせるような内容ではありません。
 少しだけ引用して終わりにします。
 


 アルムスタファは答えた。
「オルファレーズのひとびとよ。何を私が語れましょう。あなたがたの魂のなかに、今、動いている其のことの他には。」

「すると、町の長老(おさ)のひとりが言った。お話しください。善と悪について。
 アルムスタファは答えた。
 私が語れるのは、あなたのなかにある「善」についてであって、悪についてではありません。
 なぜなら、悪とは飢えや渇きに苦しんでいる善そのもの。それ以外の何でしょう。」

 「あなたが持つ憧れ、”大いなる我”への憧憬、そこにあなたの「善さ」があります。この憧れはあなたがた皆のそれぞれのうちにあるのです。
 しかしその憧れは、或る人にとっては、ほとばしって海に流れこむ渓流。それは丘の秘密と森の歌を運んで行く。
 或る人にとっては平らな川。曲がり角で身をすりへらし、うねりながら流れ、海辺に着くのに暇取ります。
 しかし憧れの激しい者が、そうでない者に向かって、「なぜ君は遅いのか、なぜ立ち止まるのか」などと言わぬように。
 なぜなら、ほんとうに善い者は裸の者にたずねはしません。「君の着物はどこか」などと。家なき者にもたずねはしないのです。「君の家はどうなったのか」などと。」 


追記
 ジブランが英語でこの『預言者』(The Prophet)を発表したのは40歳の時ですが、その草稿をアラビア語で書いたのはわずか15歳の時でした。おそるべし・・・
私的感涙
 なんの脈絡もないんですが
 時代劇専門チャンネルの高橋幸治主演の『丹下左膳』を見て、不覚にも泣いてしまいました。

 70年代初頭の作で、かなりトボケた味なんですが
 主人公は、時々人を斬って暮らせりゃいいという危ない浪人。
 孤児の少年・ちょび安は、左膳を「ちゃん」と呼んで慕い、左膳が人を斬っていると喜んで壁に「正」の字を書いて斬った人数を勘定していたります。

 今やってるのは「こけざるの壺」篇。
 百万両のありかを秘めた「こけざるの壺」を巡って、多くの者が倒れます。

 左膳いわく
 「これを持ってると金の亡者どもが寄って来る。それを斬るのが楽しみで、なかなか手放せないんだ」
 ただの趣味で人斬ってます。
 でも視聴者も同罪です。
 ばったばったと人が斬られるシーンを楽しみで、チャンバラ見ている人間に、彼を断罪する資格はありません(笑)。カウチポテト(死語)で戦争映画を見てるようなものです。

 今日はその問題の壺が、知らぬ間に左膳の手を離れて古道具屋に。
 回りまわって彫刻師の老人のもとに。
 老人はそれが、多くの血を流す元になっている壺であることを見抜きます。
 孫のような幼い少女と、どうしたものかと話していると
 いっそお奉行所に届けてはどうかということになります。

 足の不自由な老人は行けません。
 そこで少女が行くといいます。
「こんな夜遅くお前がかい?」
「だってあたしなら、誰もそんな壺を持ってるって思わないでしょ?」
 雪の降る中、頬かむりし壺を背負ったちっちゃな少女に、老人が提灯を持たせます。
 「気をつけて行きな」
 「うん」
 私は泣いてしまいました。涙がこぼれて仕方がありませんでした。

 そこまで別に泣くとこじゃないだろうと笑われそうですが、泣けるものは仕方がありません。
 街灯などない江戸時代の闇路を、寒い冬の道を、ちっちゃな少女がとぼとぼと一人、提灯を下げかじかむ手を息で温めながら歩いて行きます。

 ああ、こんな時代があったなあ。
 こんな頃があったなあ。
 自分は昭和30年代の生まれですが、昔の冬は寒かった。
 夜道もそれは暗かった。
 自分もこんなふうにちっちゃくて
 でも一生懸命生きてきた。

 黒澤映画の『七人の侍』で、三船敏郎演ずる百姓出の侍が、野武士の焼き討ちで焼け出された幼子を抱きながら泣き叫ぶ
 「これはオレだ。おれもこのとおりだったんだ」
 の場面と、同じような想いでした。

 幸い私には、幸せを祈ってくれた両親や祖父母もいました。

 テレビの画面に映ったドラマは、ただのきっかけに過ぎません。
 子どものころ思ったものでした。
 なぜおじいちゃんやおばあちゃんは、年寄りは
 あんなに涙もろいのだろう。

 この齢になるとわかります。
 幼い者の行く道に、どれほどの色々が待ち受けているか
 老いた者には見えるのです。自分も歩いた道だから。

 幼い子が歩む姿に
 祈らないではいられません。
 あの子が幸せでありますように。守りと導きがありますように。
 そう思う時、
 自分はその幼子であり、見守る親であり祖父母であり、見知らぬ誰かでもあります。
 
 私は、ドラマで架空の昔のどこかの誰かを演じている少女に、涙を流したのではなく、
 自分と、自分を見てくれた誰かと、
 そして同じように生きる死んだ人たち、またこれから生きて死んでいく人たちを思って泣きました。

 気をつけて行きな。
 うん。


 ドラマは奉行所の門番が、少女が老人からことづかって来た手紙を見て、木戸をあけてやるところで終わります。

 次回予告
 あー、また斬りまくってるよ左膳のだんな。
ちっちゃく描くこと
これは以前のブログの2007年3月6日の日記の転載です。他の記事も主要なものは、順を追って移転するつもりです。


 私は自分の漫画のコンテを描くのに、だいたいB4やA3の紙を折りたたんで、8等分くらいにして、その一区切りを一ページに割り当てて絵コンテを描きます。
 人によってはノートなどに一ページ一枚を割り当てて描く方もおいでですが
 私の場合、A3あるいはB4に8ページ分のコンテを詰め込むわけです。

 私はとっても小心者なので
 若い頃から原稿を描くときはプレッシャーがすごかったです。
 下描きの際も、B4の一枚の原稿用紙が、茫漠たる白い広野に思えたものでした。
 オレにはこれを征服できるのだろうか?
 見開きページにいたっては目が回りそう。
 さすがに今はちがいますが、最初は本当にしんどかったです。

 ですから、コンテも、これから16枚とか32枚とかの作品を作るんだと思うと、緊張で縮み上がる思いさえしました。
 描く前からそんな状態ではロクなものはできません。
 そこで、自分をリラックスさせ、いい意味で原稿を呑んでかかるためにも、コンテは小さく描くことにしました。

 そこで上記のような描き方を採用したのです。
 これにはもう一つ利点があります。
 漫画はあまり字の部分が多いと、お客様が面倒で読む気をなくしてしまいます。
 その点、ちっちゃなサイズでコンテを描くと、長い文章は書きにくく、自然と限られた語数で語るようになるのでした。

 私はこのシステムでもう二十数年やってきましたが

 今朝(2007年3月6日)の読売新聞の編集手帳におもしろいことが書いてありました。
 「司馬さん(司馬遼太郎)は長編『空海の風景』を400字詰めの原稿用紙に、小さい字で1200字ほど詰め込んで書いたという。「少しでも自分の書いていることを掌握したくて」と語っている。それほどに主人公の人物が大きかったのだろう」

 ああ、すっごく共感!!!
 空海などという巨人を書くには、かの大作家をしてもそうであったかと思うのですが
 私のミニサイズコンテは、もっと手前の些細な動機ではありますが
 何か通底するものを感じて感無量でした♪ 
ブログ移転
 先週、ココログで初めてブログをスタートしたのですが、イマイチ使い勝手が良くなく、複数の友人からこちらFC2を勧められ、やるなら早い方がいいと移転しました。
 まだ要領全然つかめてませんし、色々試行錯誤しながら前進するつもりです。
 どうかよろしくお願いします。
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