あつじ屋日記
まんが家・山本貴嗣(やまもとあつじ)の日記です。 作品から日々思うことまで色々書いてます。
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屈強な父(笑
 故郷の父はそろそろ80歳ですが
 柔道空手その他の有段者でほぼ白髪もなく、今も元気で文弱の私は死ぬまでかなわないと思っていました。
 しかし先日母と電話していて、父が小学6年生の頃実家の農業の手伝いで牛を使っていたと知りました。
 たぶん武道とか何も知らなくても父には勝てないと思いました(笑
雑誌『秘伝』4月号(2012年)から
 人間について、あるいはマンガ家作家などについての定義を声高に断定的に叫んでいるものの多くが、その人物の視野の狭さ、人生経験の浅さを、わざわざ世界に向けて表明しているに過ぎないようです。
 一方、最近印象に残ったのが、
 雑誌『秘伝』4月号の心形刀流の記事(23頁/心形刀流風心会・永野順一師範)

<松浦静山公の薫陶を受けた人たちの記録を読むたびに驚かされたのは、最後に必ず書かれている文であった。
 その内容は
「ここに書いた内容は自分の認識に応じてまとめたものであるが、書き間違いや自分の未熟さのために勘違いがあるかもしれない。読む人はそのまま信じてはいけない」
 というものである。
 記録することの意味を理解していた学識の高さ、この流儀の先人たちの志の高さを感じさせられた」>

 まことに、世界に対して誠実であるとは、かくあることではないかと思うものです。

「茶巾しぼり」とファン・ヒューリック
茶巾しぼり

 あつじ屋BBSのお客様の神無月仏滅さまからこんなコメントをいただきまして、ご本人のお許しを得て転載させていただきます。

「オランダの駐日大使でファン・ヒューリックという語学の天才がおります。公務の合間に推理小説を書いていました。
 則天武后の時代に活躍した狄仁傑(ディー・レンチェ)判事を主人公にしたシリーズです。
 何とイラストまでも自分で描いているんですよ(あまりうまくないのが救いです)。
 その長編『柳園の壺』を読んでいたら、こういうくだりにぶつかりました。

『仕込みの袖なら知っている。裏稼業の女どもはときとして両袖の先に大ぶりの卵大の鉄球を一つずつ仕込んでいる。匕首などの刃物を庶民が持ち歩いたり人に向けたりするのはご法度で、鞭打ちの罰をくらうからだ。だからそういう女たちは仕込み袖用に独特の技を磨いてきた。袖の上部分をてのひらに集めて握り、それぞれの袖に強力な棍を入れる。長い修行のすえ、敵の急所すべてに正確無比な一撃をくりだせる。男の腕や肩を折り、ひどい場合はこめかみや首を折って死なせるときもある』(和爾桃子 訳)

 これって『Mr.ボーイ』にえがかれた茶巾しぼりと同系列の技じゃないですか!
 袖の下って言葉があるように、あそこに金を入れるのは昔の知恵。
 だったら「これを武器にできないか」と考えるのは自然な発想ですかね」


 これは貴重な情報です。
 拙著『Mr.ボーイ』の「茶巾しぼり」は、私が日本の武術家さんからお聞きして描いた技ですが
 ファン・ヒューリックがどういう経路でこの技を知ったのか、知りたいところです。
 てきじんけつ(狄仁傑)と言えば有名ですが、こういう西洋の人が、彼を主人公にした小説を書いていたとは。
 彼が日本滞在中に知った日本の技を中国に置き換えて書いたのか、それとも中国にも同様の技があって、それを書いたのか、現段階ではわかりませんが(もっとも、中国ならそれくらい、はるか太古からありそうな技です。何も入れなくても長い袖を攻撃に利用する拳法もありますし)。
 今度知り合いの武術家の方にもきいてみたいと思います。

「『柳園の壺』は、巻末にヒューリック、乱歩、魚坂善雄らの対談が採録されている点、嬉しい一冊です」
「ディー判事シリーズは現在ハヤカワから出ていますが、以前は三省堂が出していました」

 だそうです。
 画像は『Mr.ボーイ』一巻(双葉社・2001年12月12日第一刷)より。
 ありがとうございました。
なんば歩き2
先日アップしました「なんば歩き」に関して、ブログのお客様から以下のようなメッセをいただきました。感激です。大変興味深い情報なのでご本人のお許しを得て転載させていただきます。ありがとうございます♪

「僕が”なんば歩き”を知ったのは、宮沢賢治さんです。
 小学生の時、宮沢賢治さんが大好きで読みふけっていた時がありまして。その時手に入れた「宮沢賢治・その生涯」のような題名の本を読んでいると、賢治さんが学校の教師だった時、その生徒の証言に「賢治は両手・両足を一緒に出して、ゆっくりとキリンのように歩き・・・・」(細部不確か)と書かれていたので驚きました。
 何で?の前に、やってみよう!と、思い立った私はしばらくナンバで生活してました。単純に体の動きが鋭くなったので、喜んで使っていたら教師に「やめなさい」と怒られ、更に問詰められたので(・・・)一時止めてしまいましたが、今ではポケットに手を突っ込んで、何処でも雪駄か下駄に陸足袋でナンバです。(これは大道具時代の名残です。大道具は雪駄に陸足袋が基本です)
 今思えば、宮沢賢治さんは明治29生まれの人ですから、ナンバ歩きでも不思議ではないのですが、その頃(教師をしていたのは大正中期~)はもうナンバ歩きは珍しかったのかもしれません。ひょんなことからナンバ歩きに縁のあった私が、その理解を深めるきっかけがセイバーキャッツでした。先生の日記を読んで思い出しましたです。」
なんば歩き
http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__fuji_320071106021.htm
ネットでこんなニュースを見つけました。
 ファンの方のブログで知ったのですが
 私が十年以上も前、拙著『セイバーキャッツ』で「なんば歩き」を描いたときは
 知らないおじさんから編集部宛に手紙が来て
「うちの中学生の息子があんたの漫画を真に受けて困っている。なんば歩きというのはなんだ。広辞苑にも載っていない。おおかたあんたの空想の産物だろうが」
 みたいな内容で
 真偽の判定基準が広辞苑というのも驚きましたが、深読みして、これは漫画家ふぜいが広辞苑以上の知識など持ち合わせようはずもないという、一種の職業蔑視か?などと思ったものですが(笑

 丁重にお礼と説明のお返事を出しておきましたがなしのつぶてでした。
 今は昔の思い出です♪

なお、ニュースの文面は以下のとおり

気軽にできるウォーキング・・・江戸時代の人間に学べ(夕刊フジ)
 江戸時代初期、90歳を超える武士が信州(長野県)から大阪まで歩いて往復したことを示す日記の記述が、最近見つかった。50歳を超えると“高齢者”とされていた時代に、往復で800キロ以上も歩いたというのだ。また、江戸時代後期、わが国最初の実測地図を作ったとして有名な伊能忠敬は、56歳から測量のために日本全国を歩き回り始めた。なぜ昔の人はこんなにてくてく歩き回ることができたのだろう。

 実は現代と江戸時代の人は全く違った歩き方をしているといわれる。

 その歩き方が「なんば歩き」なのだが、上体をねじらないで左右同じ手足を一緒に出す歩き方だ。江戸時代以前は、これが通常だったとされる。

 この歩き方はどういう点がいいのか。「ファッションモデルなどは腰を使って歩いて、足があとからついてくる状態。なんば歩きはふりこのように歩くから筋肉を多用しない。従って長距離を歩ける」と兵庫県トライアスロン協会の清水正博・副理事長。

 一般的な現代人の歩き方「かかと着地」に対して、なんば歩きは「すり足」という違いもある。「すり足だとひざのダメージも少ない。長距離マラソンもすり足のピッチ走法。長距離だと歩幅を大きく歩けといわれるが、歩幅が大きいと足をあげるから鍛えないとダメ。その点、なんば歩きは楽に歩ける。歌舞伎や武道はすり足、テニス、水泳は右足と右手が一緒に出る」と指摘する。

 さらには、「よく靴底のかかとだけすり減らしている人がいるが、なんば歩きなら減り方も全面均一。靴も長持ちする」という“おまけ”もあるようだ。

 とはいえ、さすがに町中でのなんば歩きは勇気がいる。まずは、気軽にできる普通のウオーキングから始めよう。

 日本ウオーキング協会の小林昌仁氏は「腰まわりを小さくしたい人は普段よりスピードを上げて両手を振る。ダラダラ歩くのはストレス解消になるが、健康のためにはならない」とアドバイスする。

 「1日1万歩」とよくいわれるが、「普段より2000、3000歩多く歩くことから始めればいい。そしてできるだけ階段を使い、長続きするために万歩計などで記録をとること」と小林氏。

 800キロは無理でも、少しでも自分にできることを継続するのが大事なようだ。

【歩く際の注意点】

胸を張る

あやつり人形になったつもりで頭を上から引っ張られている気持ちで歩く

ひとりで歩くなら、町にある大きなガラスを鏡にして自分の歩き方を見る

はき慣れた靴で歩く

水を用意してすぐに飲めるようにしておく


[産経新聞社:2007年11月06日 19時25分]」


追記(山本)
 あまり胸をはると脊椎がそって姿勢が悪くなります。あくまで無理なく立ててないと
 武術にも「鳩胸、出っ尻、は人を打てない」という言葉があるくらいで(笑)。
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